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2009年11月16日

投稿原稿「ニート短歌」

ニート短歌
作:ニート歌人


日常を失ったまま毎日は
ただ過ぎてゆく
ただ老いてゆく


毎日が消化試合のようであり
やる気の出ない
残りの人生


自分では叶えられない人生を
小説に書く
引き籠もりつつ


書く夢が本当の夢
眠る時起きてる時の
全ては悪夢


流れゆくままに
何にも考えず
見ざる聞かざる言わざる静か


喧騒や季節と無関係の日々
死ぬ日を待ちて
今日も過ぎゆく


親よりも先に死ぬのが唯一の
親孝行と思いつつ
寝る

2009年11月15日

投稿原稿「永遠に終わりそうにない締め切り襲来感覚による重圧」

「永遠に終わりそうにない締め切り襲来感覚による重圧」

小笠原毅

(※誰かにあてる風に)

Sさんがおっしゃられる「ひきこもりの危機感のなさ」「ひきこもりの、経済的危機に転落することへの危機感のなさ」というのは――まあそう感じられてる時点ですでに一般的なひきこもりがどういう状態にあるかというのを全く認識されてないなというツッコミをしたいところではあるのですが――、こうも言い換えられるのではないでしょうか。

「ひきこもりには締め切り設定意識がなさすぎる」と。

こう言い換えると、Sさんのおっしゃられる事はすべて一応説明がつきやすくなるのではないかと思います。Sさんとしては「で、ひきこもり改善をいつやるの?いつ始めるの?」としか疑問が沸かない、と。

確かにひきこもりは締め切り設定がヘタクソである事は間違いないように思います。ただそれは――これはあくまで僕が一番煮詰まっていたひきこもりの時期を振りかえった上での個人的な感覚ですが――「ひきこもりは一秒一秒、締め切りに追われている感覚」に陥っていることからくる、逆説的なヘタクソさなような気がしています。単純に焦りと言ってもいいかもしれない。

不登校やひきこもり問題に際して言われがちな「ひきこもりであることに負い目を感じず、まずはゆっくり自分の好きなことを始めればいい」というフレーズは、そういった意味で「一秒一秒、締め切りに追われている感覚」からまずは離れよう、ということなんじゃないでしょうか。そう言った事から離れてみなければ、締め切りも設定しようがないというか。

これは僕の個人的な体験ですが、アルバイトしていた時期の事なんですが、臨機応変な動きを非常に求められるアルバイトでしたのでそれに合わせて動かなければならないのですが、人間関係的な悩みもありましたので、頭の中が「仕事をきちんとやらなければ」ということと悩みとで忙殺されている。そうなると、今やっていた仕事の途中で次の仕事に移ってしまい、それもまた何かをきっかけに途中で忘れて次の仕事に取り掛かってしまい、という状態に陥りました。テレビで報道される「片づけられない主婦」のようですね。しかし本当にある瞬間、そういう状況に陥ってしまった。

一度、バイト仲間に僕のわたわたした言動っぷりを指摘され「小笠原君て、何かに追われてるの?」とジョーク的ツッコミでいわれた事があり、まあそれは仲間にも笑ってもらえたんですが、その「何かに追われてる」ような仕事ぶりは、しばらく続いていたように思います。いや、はっきり言えばバイトをやめるまで、ずっと続いていたように思う。その追われ感は何に集約されていたかと今思うと、どうやら「自分がいつまでも仕事を覚えていられてない、臨機応変に動けないことがいつかバレるんじゃないか」という不安だったように思います。上手く出来ない自分、ごまかしてる自分をいつかズバリ指摘されてしまうんじゃないか。そういう不安が前提としてあって、その裏返しのような形として追われ感が表出していたのではないか。

自分がいつかしでかすかもしれない失敗をリアルに予測して見越してしまっていて、その未来が着実に来てしまうような感覚にとらわれている。その日がいつか来てしまう。しかしながら、それとは別に、常に日常の煩瑣で煩雑な締め切りも毎日こなさなければならない。もちろんその日常の締め切りについても、自分が失敗するかもしれない、ボロが出るかもしれないという恐れの変数がかかってきている。このような複合的な締め切りプレッシャーが、心理的にと言いましょうか、それがひきこもりの内面には常にがんと座して存在しているといえると思います。

ですから、ひきこもりが外に出ようとしない、行動を軽視しているように見える、経済的なことを何も考慮してないように見える部分があるとすれば、それは「永遠に終わりそうにない締め切り襲来感覚による重圧」によって、動けなくなってしまった姿なのではないでしょうか。

先に「焦らずゆっくり」という応援の仕方が主流であるかのように書きましたが、そういったことからしまして「まず、締め切りを意識しないこと、それをもってしてワンクッションとすること、移行段階とすること」という意図が有効である、と言えるのだろうと思います。

ただそれもやはりあくまで煮詰まったひきこもり状態から解き解すための方法でしかないため、現実的な問題としては”世間様”が外にでんと仁王立ちで控えている訳です。「焦らずゆっくり?知るか!ゆっくり出来るのは金で勝ち得た自由とくたびれた果ての引退以外には有り得ん!」と(ひきこもりはくたびれた果ての早期引退でもあるわけですが)。また「焦らずゆっくりやっていてなんとか安心感にこぎつけたけど、気づけばもう30歳、実際外に出たら年齢制限でどの仕事も断られる」という現実が出てくる。ここでまた現実の厳しさに自閉し、ようやく得た安心感も簡単に崩壊してひきこもりに舞い戻ってしまうのではないか?個人的には、また自分の理想の形として、それまでに構築した安心感や味方は存在するという事実を元手に「締め切りなどそもそも存在していなかった」「世間などそもそも存在していなかった」というような類の思いに至れれば最高だと思うのですが、どちらかというとひきこもりに舞い戻ってしまうこと、それの方が非常に普通に――それもかなりリアルに――有り得ることだと思います。

すると、そのような事が有り得るのであれば、ひきこもり初期の段階で、一秒一秒の焦燥感もやむなしとして、苦悩を味わいながらも日々の締め切りをこなしていく生活を取るしかなかったのではないか。そういう疑問が出てくる。

ここで立ち返らされる問題点は、「最初から生きにくい感性を持った人間は、社会の枠組においてはどうあっても生きにくくしか生きられない」という事になるのかもしれません。ではどうすればいいのか。

僕としては、中島義道の提言、すなわち「働くことが義務だとか、意味を考えるとか、価値とか、そういうのは甚だ疑問だ。しかし、働く以外にはもはや何も方法はない。」と言う事でしかまとめられないような気がします(中島の言ってる事がそんなことだったかどうか、ちょっと曖昧なんですが)。ここでの「働く」は、「生きる」という言葉に置き換えてもいいんですけれども。

まあとにかく、ひきこもりに締め切り意識のなさが見えるように感じるのであれば、それは逆説的に締め切り意識に襲われすぎの状態か、あるいはそこからの脱却を図っているそのプロセスである、とひとまず理解していただければと思います。

2009年11月13日

投稿原稿「無気力な怒り」

「無気力な怒り」
ニート歌人

生きてゆくことがこんなに
辛いとは
子供の頃は思わざりけり


死んだふりしていたように
将来の不安が起きる
十二月かな


自殺した同級生の年齢を
もう何年も
過ぎてしまえり


なんでこう良い人ばかり
自殺してしまうのだろう
今夜も思う


棺桶の中に入った友人の
その青い顔
今も焼き付く


(世の中は間違っている)
亡骸の前でただただ
繰り返してた


1月と5月にめぐる
命日に
今も消せないアドレスを見る


自殺した二人の無念を
思う度
この世の中を全否定する

2009年11月12日

投稿原稿「K依存症」

「K依存症」
作:bombeck

Kとは学生時代からのつきあいだった。といっても同じ学校にいっていたわけではなく、九州の田舎から上京してきたぼくは、ゲームをつくりたい、という一応の目標をもっていて、それを知った学校の友人のHが同じくゲームをつくろうとしていた知り合いのKに声をかけて、ぼくらは出会った。
けれどぼくとKはひとつのゲームもつくることができなかった。それでもKとぼくのだらだらとした交友関係はつづいていて、もう10年以上になる。その間にぼくは学校をやめて目標だったゲームの仕事をやっていたけれど、それにも限界がみえはじめて、精神的に不調になって実家へと帰っていた。

Kはそのあいだ、ゲームから株へと興味が移っていったらしく、チャットで話すたびに、株の話をしたり、ユダヤ系の金融会社を引きあいにだしては、世界を支配しているのはユダヤ人だ、などと言ったりしていた。
そんなKにぼくはだいぶ辟易していたけれど、それでもKとの関係はつづいていた。ぼくはチャットをつなぐたびに、Kがいるのかどうか確かめるのが日課のようになっていたし、それはKに依存しているような状態だと言ってもよかった。
「自分とKは依存しあっている」というようなことを、Hにメールしたことがる。そのころ、ぼくはKが株で稼いだ金を資金にしてまたゲームをつくろうとしていたのだけれど、意見が対立するばかりで、まったくといっていいほど成果はなかった。そこでぼくはHに相談したのだ。Hは「ゲームはひとりでつくるべきだ」とアドバイスをくれた。

それからぼくはKとの関係を切ろうとつとめはじめた。チャットにもつながなくなり、メールアドレスも変えてみたりした。それでKとの関係は切れたように思えた。そのころのKはしきりとぼくを株に誘っていた。「世のなか金がすべてだよ」というようななにかマンガのような台詞を言って、いまだにゲーム制作に未練を残しているぼくに、「ゲームなんかつくってたらうつ病が悪化するだけだ」「ゲームつくるのは無理だ」などと言って、思えばKとチャットをしていても、楽しいというよりも、なにか皮肉の言いあいのようになるばかりだった。

Kと関係を切ったのはよかったのかもしれない。そういうふうに思って数カ月経ったころ、ぼくはたまたまHの書いているブログでKがコメントを書いているのを見つけた。以前のわだかまりのようなものはそのころはもうすでに忘れてしまっていて、ぼくはふたたびKと連絡をとった。
そうしてまたKとの関係がはじまった。けれどよさそうに思えたのは最初だけで、すぐにあてこすりのやりあいのような状態にもどった。ぼくはふたたびチャットをつなぐのをやめにした。けれど今度はまた数週間後に、つないでしまい、またKと話をはじめてしまう。そしてまたうんざりして、つなぐのを切ってしまう。それでしばらくするとまたつなぐ。

そんな繰りかえしからいまも抜けだせないでいる。

2009年11月11日

投稿原稿「人形人間」

ニート短歌「人形人間」
ニート歌人

世間体という
きぐるみ着続け
つまらない劇演じ続ける


人形のように大事にされないのに
私は今日も
人形になる


操られ人形として
人間のようなふりして
生きるふりして


糸の切れた
人形のよう
糸がなきゃ動けないのに切ってしまった。


操られることが上手な人ばかり
私は自由
だから孤独だ


生きている生かされている生きている
生きているだけ
だから生きてる

2009年11月09日

投稿原稿「Cry Boy Cry」

「Cry Boy Cry」
作:何某 何


Cry Boy Cry
状況を変えろ
心を燃やして
泣き続けるんだ

表現の術も、伝える言葉も
まだ持っていない
そんな身なら

最良の方法が
ただ一つあるだろ
派手に大暴れしてやれ
男の体になる前に

Cry Boy Cry
騒ぎを起こせ
注目を引きつけ
世界を変えろ

まだ愛も知らず
自分だけしか、見えてないのなら
やれるはずさ

ブッ飛んだやり方で
自分自身を見せ付けろ
みんなに、周りに、誰かに
馬鹿な少年時代のうちに

Cry Boy Cry
今ここできみは
現状を打破するだけの
刃になれる

きみがいつの日かと行きたがるその場所に
きみがたどり着いたその時に果たして
きみは本当に立派になどなっているのだろうか

しがみついてるくらいなら
引き下がったりしないで
思い切ってやっちまえ
求められる年頃になる前に

Cry Boy Cry
計算しながら
嘘泣きだってかまわない
想いのままに

Cry Boy Cry
子供らしく

Cry Boy Cry
自分らしく

2009年11月07日

投稿原稿「汚れつちまった悲しみとニート」

「汚れつちまった悲しみとニート」
ニート歌人

昔教科書かなんかで読んだ時には何も感じなかったものですが、今改めて中原中也の「汚れちまった悲しみに・・・」を読むと心に響くものがあります。詩の中の、なにのぞむなくねがふなく、倦怠のうちに死を夢む、は全くニートとしての実感です。そして、今日もなすところもなく日は暮れる…。生きるということは汚れること。それに過敏過ぎることがニートがニートである所以かも知れません。やはりニートと言葉、ニートと文学は切っても切れないものがあると思います。


「汚れつちまつた悲しみに……」


汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

投稿原稿「社会不適合短歌6首」

社会不適合短歌6首
作:ニート歌人

眠れない夜に携帯操って
言葉にならない
言葉吐き出す


逃亡者のように
部屋に引きこもり
インターホンの音に怯える

こそこそと
近所の目から逃げ出して行かねばならぬ
無職は罪人

牢屋から秘密の抜け穴作るよう
ネットに言葉を
逃がし続ける

人生のピークは過ぎて気づくもの
布団の中で
悶え苦しむ

先行きの見えない未来
今日もまだ夜は空けない
二時二十分

2009年11月06日

投稿原稿「日常」

「日常」
作:bombeck

 死んだような生活だった。実際に死んでいるのかもしれない。
 やることといえばきまっていた。毎日朝起きて、飼っているインコの世話をして、新聞をとりにいって、次に猫に餌をやって、家のなかをほうきで掃いて、それでパソコンの電源をつけてインターネットをする。そうやって一日がはじまる。
 自分が起きるのとおなじくらいに、母親も起きる。母親は朝ごはんの準備をはじめる。そのあいだ、自分はずっとインターネットをしている。母親が朝のコーヒーを淹れる。ぼくは一階にそのコーヒーをとりにいく(ぼくの部屋は二階にあった)。
 コーヒーを飲みながらすることといえば、やはりインターネット。朝のこの時間が自分の生活のなかで一番充実しているかもしれない。だいたいいつもみるサイトはきまっている。あたらしいことが書かれていないかをチェックして、書かれていたらそれを読む。その時間がたのしい。インターネットのニュースも読む。チェックするキーワードは、「テロ」や「殺人」、「自殺」。朝から暗いことを考える。
 そうしているうちに、朝ごはんができる。母親と妹とぼくで朝食を食べる。父親は一年前に死んだ。兄は東京で働いている。朝食を食べ終わると、ぼくはやはりパソコンに向かう。けれどパソコンにむかってもだんだんとやることがなくなってくる。小説を書く、ゲームをつくる、と家族や友人たちには言っているけれど、ほとんどといっていいくらいつくれていない。小説はなにも思いうかばない。ゲームにいたってはまったくアイデアすらでない。しかたがないから、だらだらとインターネットをする。けれどだんだんとネットサーフィンにも飽きてくる。ぼくはそれほどたくさんのサイトをみているわけでもない。そうやってくるうちにパソコンのまえに座っていることが苦痛になってくる。
 で、しょうがないから、また寝る。ドラッグよりも、セックスよりも、眠ることが一番の快楽だと、青山正明が書いていたが、そのふたつのどちらもやったことがないぼくにも、眠ることが快楽だということには同感だった。ただベッドのなかでじっとしているだけで、怠惰な夢という娯楽を得ることもできる。
 が、寝てばかりいると、眠ることにも飽きてくる。しょうがないからまたおきるころには、昼食ができている。一階におりていって昼食を食べる。そしてまたパソコンのまえにすわる。やることがない。
 そのうちエロゲー批評空間とかをみることになりはじめて、エロゲーのサイトをチェックしはじめる。そうして自慰。死んだような生活だと感じるのは、これが終わったあとだろうか。
 あとは、ただひたすら、ベッドで寝ているか、インターネットでニコニコ動画でもみるかのどちらかをつづけているうちに、夜がきて夕食ができる。夕食を食べに一階にいく。そうして風呂にはいる。
 で、寝る。
 そうして一日が終わってまた朝がくる。

2009年11月05日

投稿原稿「おもっていること」

「おもっていること」
作:いる


『かもしれない(I my)』
小さな花が育っていきそうな朝に歩いた
僕らしさなんていらないのではないかと思えた
間違わないようにと思っていた
でも、僕の半分は崩れてないから
明るくなっても暗いよ
そんな時にいつも再生されてく曲があって、されない曲があって
影がかかっていて、間違っていく気がしていた
不安なのはこの曲だろうか、いや、もうこの僕だろう
この花以外はいらないのではないか
小さな花が育っていきそうな朝に想った


『言の葉。あるいは…』
演じられる役
神様が用意してくれた台詞に線を引いて
神様が杖を振った気がしたら
いつものように言葉にするのさ
下手な芝居は笑われるし
演じられる役がない奴はさみしいから

もうあきあきした?
足元にはSのサイン
振り返ってみなよ
演じられる役は用意されてない
オルゴールの音は続くし
幕は引かない

あきあきするオルゴールの音、それと
しずかなスタンドライトの光の部屋でそっと目を閉じる
ある、あふれてくること
あなたの不安に、あなたのやさしさに
殺してくセリフといえなかった気持
ある、こんな時間

下手な芝居は笑われる
演じられる役がない奴はさみしい
おねがい
神様が用意してくれた台詞に線を引いて
オルゴールのネジ巻き直して

神様を見たことは?
たぶんないと思う


『予感』
また 永遠の予感がする きっとこれは   そう
安全な危険     だって   危険の予感
    まったくシナイ
寂しさもない嬉しさもない  カンジナイ   君のことの
何もかもを感じるの    音    クォンクォン
コノママ      
気付けない
この間々
                     久遠…
オト


歩いたらどうなるか?


明らかに究めろ
速やかに歩め
ふりむくなよ
この瞬間、どっちに転んでもおかしくないよ


『少年A』
夢のような魔神
見ろ!白いヤツが来る
僕らは、10年はおくれているたった一人のモンスター
血が通ってないような、白い悪魔みたいな新型

装甲は厚い、メインモニターがやられても見える
流れ星になっても燃え尽きることのない
おまえは何で動いている

「ほら、2年後にはここに世界1のタワーが建つんだって…」
夢のような機械達
超伝導モーター、水素エンジン、燃料電池に電波充電
超効率太陽電池や発展航空力学風力発電だって…
「夢なんかじゃないよ。これは夢なんかじゃない。」

僕らは、10年はおくれているたった一人のモンスター
血が通ってないような、白い悪魔みたいな新型
いったい僕らは何で動いている


『くるり』
だから僕には何もないのだろう
忘れることができないのだろう
気持ちが変わらないのだろう
新しい想い、新しい朝、願いが叶ったこと気付けなくて
知らないふり、手が冷たい
持ち直せなくて、同じところぐるぐる
前回りができない、1回転、着地が不完全、全然上手くない
合わなくてもいいの、気持ちが整理できれば
体勢を整えて、目を開いて、残像はイメージでカバー
空が下から駆け上がっていく、青色が眩しい
着地ができたら、何か変わるのかい
着地を自然に、まかせず力技
自然にできたら、前と同じ景色でいられるかな。


『ねぇ』
いつも不安な声をしているね
いつもさみしそうな声をしているね
声も出せずにさ
そんなところが好きなんじゃないと笑っているよ
好きなのかなと思っているよ
笑みも見せずにさ
今日も確かめられずにいるよね
今日も知れずにいるよね

2009年11月03日

投稿原稿「よるがこわい」

「よるがこわい」
作:ニート歌人

眠れない部屋で
次々起き上がる
過去のトラウマ 未来の不安

見る夢に
希望も理想もなくなって
過去のトラウマだけがリピート

人一人
気楽に生きてるつもりでも
眠れぬ夜にやっぱり一人

真夜中の布団で思う
毎日がただ過ぎてゆく
静かな狂気

寝て覚めて明日になれば
夜までの
嘘の平和にただしがみつく

平然と自殺のことを考える
眠れぬ夜の
精神状態

自殺してやり直せるなら良いのだが
誰も知らない
自殺後のこと

現実に安心感がなくなって
夢の中でも
悪夢が続く

夜が怖い
この世に一人残されてしまった
ような狂った時間

止まらない
夜中の咳に耐えながら
見えない明日をそれでも待った

孤独から
逃避するため
言の葉を集めて燃やす短歌は煙

2009年10月25日

投稿原稿「表現者の名言達と其れに送る言葉ども」

「表現者の名言達と其れに送る言葉ども」
作:何某 何

27歳で死のうと思って生きてきた。
表現者として自分の作品を世に残し、ロックスターのように夭折しようと思っていた。
そこに驕りと大きな勘違いがあったのは事実だ。
 有名になりたかった。
 忘れられたくなかった。
 負け犬として語られたくなかった。
 何よりも、心の闇を作品として形に残したかった。
 そして、突然襲ってくる心の混乱と、それに伴う孤独を、何とかして終わらせたかった。
だが結局それは叶わなかった。
何もできずに27歳まで生きてきて、何となく解ったことは、自分には才能が無いということと、
どうやら死ぬのはまだずっと先だということだ。
だから飄々とした人間になって生き続けていくことにした。
真剣に創作活動をしてできた作品はすべて、人に見せられるシロモノでは無かったのだから。
今から挙げるのは、時代を彩ったアーティスト並びに表現者達が残した名言と、
それに対する今の僕なりの返答だ
 死ぬことはできなかった。
 心の闇は残った。
 混乱もずっと収まりそうにない。
 ロックへの愛情だけは変わっていない。
あの頃の僕に言える言葉なんて、まだ見つかってないけれど、抱えたまま行くくらいであれば、
今の僕にならきっとできるだろう。

 ピート・タウンゼント
 「年取る前に死にたいぜ
  これが俺たちの世代」
 世代ってある意味とても残酷な言葉

 ジョン・レノン
 「労働階級の英雄になるのは大変なことだ
  もしも英雄になりたいのだったらぼくについてくるんだ」
 日本で末端労働の英雄になるのも、また大変なことだ。

 ジャニス・ジョプリン
 「自由ってことは
  失う物が何も無いってこと」
 気づいたときには傷だらけ

 カート・コバーン
 「覚えておいてくれ。消え去るより、燃え尽きた方がいいんだってことを」
 フェードアウトしたって、人生は続くんだ。

 シド・ヴィシャス
 「俺達は一緒に死ぬ約束をしてたんだ。
  こっちも約束を守らなきゃいけない。
  死んだらあいつの隣に埋めてくれ。
  レザー・ジャケットとレザー・ジーンズとバイク・ブーツを死装束にして」
 馬鹿

 イアン・カーティス
 「今この瞬間でさえも、
  はじめから死んでいれば良かったと思う。もうやっていけない」
 嘘でも笑顔を作り、いいものと悪いものを見ながら生きていく。僕はそうすることにした。

 バーナード・サムナー
 「教えてくれ それがどんな感じなのか
  君の心臓が冷たくなっていくというのは」
 俺達は生き残っちまった。遺されちまった。
 だから生きていくしかないんだ。続けていくしかないんだ。
 下手だろうと何だろうと。

 ボブ・マーリー
 「お前の口からついてでる言葉が、お前を生かすのだ。
  お前の口からついてでる言葉が、お前を殺すのだ」
 もしどうしても死ななきゃならなくなったのなら、せめてこんな言葉を遺して、死んでいけたらと思う。

 古今亭志ん生
 「ええ…その名前はですな……まあどうでもいい名前」
 真面目で生きるのも結構辛いんだぜ。上手くいくとも限らないし。

 八代目桂文楽
 「台詞を忘れてしまいました……申し訳ありません。もう一度、勉強し直してまいります」
 こう生きれるんだったら、こう生きた方がいいさ。本当の怠け者に送る言葉はこっちだ。

 ノエル・ギャラガー
 「俺は何でも自由に選んだものになれるんだ
  その気になればブルースだって歌ってやる」
 子供に笑われるくらいだったらもう平気だしね

 江戸アケミ
 「お前はお前のロックンロールをやれ」
 とりあえずまだ勘違いしているかもしれないまま進んでいくことにするよ

表現者として名を成す夢はもう捨てたけど、表現自体をやめた訳ではない。だから下手なりに表現を続けていくつもりだ。それ位の自由なら世の中にはある筈だし、理解したのだから。そしてそれ位の責任なら、背負える筈だし、覚悟はできているのだから。
 混乱が収まるまで
 闇が消えても
 Boys be Keith Richards.

2009年10月11日

投稿原稿「同性同士の結婚=同性婚、超OK!社会」

「同性同士の結婚=同性婚、超OK!社会」
作:小笠原毅

『テレビやらネットで若者の貧困問題や非婚化のニュースを見るにつけ、僕はこう思う。

「同性同士の結婚、同性婚がOKになっちゃえばいいのになあ」

と。

もしも同性同士で結婚できるようになれば、もちろんまず最初にLGBTと呼ばれる(あるいは自称する)レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー等々のセクシュアル・マイノリティ達が利用するだろう。LGBT向け結婚サービス、結婚市場も栄えるから、経済なりなんなりが活性化する可能性も高い。LGBTにおける問題、差別、生き難さ、議論などが十分に可視化されもするだろう。

その次に、同性婚を利用する人達が出てくることを僕は想像する。つまり、結婚制度を利用する人達、結婚してる状態でしか受けられないサービスを受けるために同性同士で結婚する人達の出現。言うなれば「偽装同性婚」「友情同性婚」「互助同性婚」などである。もちろんそこに性愛は絡んでいない。身もフタも無く言えば、別に毎日同性同士の夫婦として出かける時にキスする訳でもセックスに励む訳でもない。あくまで制度の利用。

話を単純化すると、ここに二人の貧困問題を抱えた若い男性がいたとする。彼らは同性婚してしまえばいい。それだけでもありとある問題が解決できそうな想像、膨らまない?

しかしここで、僕の頭の中の人がこう言う。「そんな、若い男性同士が一つ屋根の下で結婚生活しているなんて、想像するだけでも気色悪い……」。そういう人は想像力が逞しすぎる。言っているでしょう、はじめから。「制度利用としての結婚」だと。

あくまで制度利用のための結婚だから、彼ら二人は互いのセクシュアリティを互いにおのおの求めあっていけばいい。一方は風俗へ行ったりすればいいし、一方は秋葉原へ行って萌えていればいい。制度利用で便宜上結婚して同じ場所で暮らし合うことが色々都合いいだけなんだから。

それにこうした貧困問題を解決するための同性婚は、最初から離婚を視野に入れたっていいんだ。二人の若い貧困男性が、それぞれに本当に結婚したい女性(あるいは男性)を見つけるまで、ひとまず「互助」のために結婚する。そして見つかって、互いに貯金がたまったり足場が固まったりしたら、そこで晴れて離婚をし、性愛の下に結婚したいパートナーと結婚する。いいと思うんですけどねえ。

第一その想像をして気色悪さを覚えることそれ自体は、同性愛排除、ヘテロ(※異性愛)至上主義の思考回路以外の何物でもない。「だけど、万が一って事もあるじゃないか、制度利用のためだけに結婚したはずの二人の男が、一緒に生活しているうちにヘンな気分になってきてっていう事が……」なんて言うのかもしれないが、じゃあ言ってしまうけど、いいじゃないそれで。何の悪い事があるの。同性同士の気の置けない友達だと思って結婚したけど、いつのまにか愛が芽生えた。それだけですよ。偽装結婚から本物の結婚生活へ移行するだけでしょ。むしろ良い事。

というか、あのねえ。性も愛もその形も、君達ヘテロ男子からズリネタ&勃起原動力として正邪を審査されるために、存在してる訳じゃないんですが。何でもかんでもAVジャンルへと回収しないでいただきたい。

また、男性のひきこもりなんかは、ものすごく保守的なジェンダーやセクシュアリティなどにとらわれて身動きできなくなってたりする。彼らは時に「自分は男であるくせに」という大前提つきで「ああ、こんなひきこもりやってちゃだめだ、でもどうにもならない」というスパイラルに陥っていたりする。

そこで、社会側が「同性婚、超OK!」という空気になり、日常に同性婚が参入きてしまえば、「男のクセに」というのはあらゆる場面で少なからず軽減される。最終的には、ひきこもりのジェンダー&セックス観にも影響していくだろう。そしてそれはきっと、ひきこもりからの脱出に繋がる人が出てくる現象としてあらわれてくる。(もちろん、ひきこもりがひきこもり状態から抜け出すこと、それをもってして「人として最も正しい社会的適応」とする考え方そのものには疑問だが)

それに、ぶっちゃけ、何だかんだでヘテロ男子でも「男友達同士で一生暮らしていけたらなあ。女なんてメンドー」とかヘテロ女子でも「女の子同士で結婚しちゃいたい!楽しそう!」だとか、あるでしょ。(まあこれもこれである種問題ではあって、特にヘテロ男子がなぜそう思わなきゃいけないかっていうのも、いまこうして僕が書いている事と十分に関係してくるのだけど)

また、性愛をもたないとされる無性愛者の、一部の人達は、結婚や恋愛や、時にLGBT問題を啓蒙する人達の活動・言説にさえも「性愛を持っている事こそが人としての印」として受け取らされ、傷ついてしまうところがある。しかし社会的に愛の最大の印とされる結婚が「同性婚超OK!」という形を持ってして常識を打ち崩すことになってしまえば、無性愛で悩む人達にとっても肩の荷がおりることになる。

若者の貧困、非婚、ジェンダー、LGBT、無性愛、政治、ニート、ひきこもり、家庭と親子、戸籍、差別、宗教、右&左、自殺、ユニークフェイス、etc……。これらが「同性同士の結婚、超OK!」という事”だけ”で一気に可視化され、そして”再び”議論として浮上してきて侃侃諤諤のやり取りがなされる。”当事者”も参加しながら、今までなあなあでうっちゃられて放ったらかしにされた問題&分野が目を背けたくなるほどに浮きあがってくる。もちろん、これまでヘテロ社会において問題とされてる事柄を、細々と引き継ぎながら。

ただし「同性婚超OK!」が実現することで生まれてくる新たなマイノリティも必ずあるだろう。例えば「同性同士の結婚なんて気色悪い」というのが、本当にどうしようもないほどに生理的嫌悪に根ざしている人。そういう人が今度はきっとマイノリティとして追いやられてしまう。そうした人はどうすればいいか?そういう人に対しては多分きっと「同性間の性行為を想像しすぎる人は健常者と比べて先天的に脳に違いがある」という”トンデモ”言説だとか、あるいは「同性婚が理解できない子供の発達はウンヌンカンヌン」なんてのが出てくるだろう。また愛の下に結婚する同性愛者達の一部には「愛もないのに制度利用のために結婚するなんて日本人として間違ってる!」なんて騒いだりする人も出てくるかもしれない。

でもそこまで先を行く想定は、今現状の段階ではまだSF小説にしかならない。今考えるべきことは「あと一歩で全然SF小説じゃなくなる」ようなこと。それなんだ。』

……なんてことを毎日想像してはウダウダと考えている僕、30歳。高卒。元いじめられっ子。無職ニート。ひきこもり。同性愛者。アダルトチルドレン。宗教被害者。明日もたぶんウンコを製造しながら、生きてしまっているに違いない。山田花子の自殺直前日記でも読もうっと……。

2009年10月10日

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第10話 受け取る人」

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「第10話 受け取る人」

今朝も私は一本松公園にいた。ベンチに腰掛けて、空をみつめる。周りに誰一人いないのが気持ちいい。とてもリラックスできる。こんな公園が家のすぐ前にあるのは本当に幸運なことだ。まるでこの公園は私のためだけにつくられたかの様に思えた。私が生まれる前から、私が人生の旅の途中に、何らかの理由で職場と生きる目標を失い、毎日フラフラしながら過ごすことになると知っていて、ずっとここで待っていてくれたのだと思う。(かなり勝手な想像だが)私はとても嬉しい。そして人生も捨てた物じゃないな、と思う。どんなことにでも運命的なことを感じられる様になれば、その人の世界は輝きだすに違いない。それは私が少しでも惹かれた女性と出会った時によく陥ってしまう「思い込み病」のことを言っているのではなくて、どんなことにも感謝の気持ちを忘れないことが大切だ、ということを言っているのだ。私はこの公園を企画から建設まで関わった人々全員に会い、この公園は私にこんなに役に立っている、どうもありがとう、と伝えてあげたい。もしお金があれば花束だって送ってあげたい。区役所に電話をして問い合わせれば、彼らの連絡先を教えてくれるだろう。彼らはきっと、涙を流しながら、大喜びするに違いない。私の様なちょっと変わったニート以外のほとんどの人は、たった一本の松の木しかなく、子供も遊ぶこともできないこんな小さな公園を建てたことは税金の無駄遣い以外の何ものでもなかった、と思っているはずなのだから。


そして私は、ずっとベンチに座りながらこう考えていた。私がニートをしながら情けない生活を送っていることは、それほど悪いことではなくて、逆に人の役にも立っているのでないか、と。「フフフ、なんという天才的な発想の逆転だ!」と自分の才能がたまに恐ろしくなることがある。だが、もちろん私はそうやって自分のニート・ライフスタイルを正当化しようとしているのではない。私は知っている。社会復帰することによって、私が社会に貢献することができるチャンスも増えることは間違いないと。いつか必ず私は社会復帰するだろうと思う。だが、私が言いたいのはこういうことだ。私が毎日会社に出勤せず、毎日こうやってフラフラと公園で遊んでいるからこそ、公園の関係者を喜ばすことができた、と。私の様なダメな存在も、この社会は必要としていたのだ。私は公園の関係者のために何か特別なことをした訳ではない。私はただ、彼らの好意(つまり、別に住民の誰もが公園など必要としていないかもしれないが、いつか行き場のない、フラフラとした住民が現われた時に、素晴らしい時間を過ごせる様に小さな公園をつくっておこう、という一人よがりな親切)を受け取っただけである。そして私という、彼らの好意を受け取ることができる存在が現われたから、彼らは生き続けることができたのだ。そんな大げさな、と思う読者もいるかもしれないが、もし誰も公園を利用しなかったら、彼らには存在価値はないのだ。世界中のほとんどの人は、人の役に立つことは何かを与えることだと思っている。自分の才能と時間を使い、何か困っている人を助けるためにサービスを提供する―だが、もし受け取る人がいなければ、与えることもできないという事実に気が付いている人は少ない。受け取る人は、与える人と同じ位に社会で重要な価値を持っているのだ。


誰かに奉仕するという行為を職業にすることは、どうしようもない矛盾を抱えることになる。それは「助けを求めている人を助けたいと思っているが、もし助けを求めている人全員を助けてしまったら、自分の存在する理由がなくなり、今度は自分が助けを求める人になってしまうからそれはできない」という矛盾だ。例えば医者という職業があるが、医者は患者がいなければ存在していくことができない。医者の仕事は病気やケガをしてしまった人を治すことだが、もし誰もが治療を必要としなくなってしまったら―例えそれは医者が望んでいることだったとしても―医者の存在理由がなくなってしまう。患者はお客様なのだ。同じ様に警察官も犯罪者がいるから存在していくことができる。警察官は誰もが、犯罪がなくなってくれればいいと思っているに違いない。だがもし本当に犯罪がなくなってしまったら警察官はどの様にして生活していけばいいのだろう。退屈で死にそうになってしまうから、犯罪者が現われると、心の奥では感謝しているものではないだろうか。そして私のエッセイを掲載させて頂いているオールニートニッポンも同じで、ニートがいなければ存在していくことができない。誰もがニート生活を脱出して、生きがいを感じることができる仕事に就き、社会に貢献できる人になることを望んでいたとしても、もし本当にそうなってしまったらオールニートニッポン関係者は存在理由がなくなり、今度は自分たちがニートをすることになってしまう。私の様なニートがたくさんいるから、学校や企業も広告を出すことができる。いいカモだ、とは言わないが、ニートも大切なお客様である。そして私自身も、ニートという存在がいるおかげでこうやってエッセイを発表することができる。もしニートという存在がいなければ誰も私のエッセイを読むことはないだろう。(今ニートはたくさんいるけど誰もお前のエッセイなんて読んでいないよ、という厳しい声も聞こえてきそうだが・・・)


「社会のクズ」「ゴミの様に社会の底辺で生活している人」などとニートを批判する声がたくさんある。だが、私たちの様なニートの存在があるから生きていくことができる人々がたくさんいるという事実を気が付かないのは視野が狭いことだと思う。エリートだって、エリートじゃない人がいるからエリートになれる。敗者が存在しないと、勝者も存在することができない。誰もがお互いに関係し合い、助け合いながら存在しているという事実を忘れてしまい、どんな人でも尊重するということができなくなってしまったら、それは社会にとって大変危険なことだと思うのだが、誰もそんなことを言う人はいない・・・

2009年10月08日

投稿原稿「ネココさんとウササさん」

「ネココさんとウササさん」
作:小笠原毅

おはなし「ネココさんとウササさん」

むかしむかし、とあるひきこもりのネココくんという人がおりました。

ネココくんはなんとか意を決してひきこもりから抜け出し、アルバイトを始めようとしました。そしてなんとかアルバイトが見つかり、雇ってもらえることになりました。

アルバイトの初日、ネココくんはある事を決めていました。それは、自分が同性愛者であることを自己紹介で言ってしまおうということでした。

ネココくんはこれまでそのことでずーっと引っかかって、何をやってもうまくいかず、他人の目が気になってしょうがなかったのです。

そしてネココくんは、バイトのみなさんの前で言いました。

「今日から入ったネココです。よろしくお願いします。あと、自分は同性愛者です。」

すると、その場にいたウササさんという人が、ネココくんに噛み付きました。

「はぁ!?なんだそりゃ??同性愛者!?いきなりそんなもん告白するなよ!!」

それ以来、ネココくんはウササさんから毎日いびり倒され、「男のくせに!」「気色悪い!」「人間じゃない!」などと面と向かって毎日なじられました。

なんとかアルバイトを始めたはずのネココくんでしたが、ついに精神がまたおかしくなり、働けなくなってしまいました。身体が動かないのです。

こうして、ネココくんはまたひきこもりに戻り、以前よりも重症になってしまいました。

それから数ヶ月後、ネココくんは部屋で死んでおりました。すでに死体は腐敗した後で、ひからびて骨が剥き出しになっていました。ネココくんのそばには、七輪が置いてありました。

その近くにはノートが置いてあり、開かれたページにはアルバイトをやめてからしばらくの日付とともにこんな風に書いてありました。

「ウササさんはノンケの人だったんだもの、ああ言われても思われても仕方ない。軽軽しくカミングアウトしてしまった自分の責任だ。ウササさんはノンケの人だったんだもの。ノンケだったんだもの。」

ふと、ネココくんの携帯電話にメールの着信音がしました。そのメールには、こんなことが書かれていたのです。

「ネココくん、久し振り。ウササです。お元気ですか。あの時はあんな風に君に接してしまってすいませんでした。実は、僕も同性愛者なのです。しかし僕は実生活では同性愛を徹底的に隠して生活しているのです。今の生活も親や友達との関係もその上で成り立っています。なので君があんな風におおっぴらにカミングアウトすることで、僕が隠していることにまでバレたらどうしよう、こっちにまで影響があったらどうしよう……そんな風におもって、あんな風に接してしまいました。『この国でカミングアウトして受け入れてもらおうなんざ甘えてる!』とも思いました。ですがいま思うと、同時にうらやましくもあったのです。ネココくん、僕も今度このアルバイトをやめることにしました。それで、僕も少し自分の性の問題について、思いなおしてみようかなと思いました。それでネココくんと会って話したくなりました。ネココくん、よければ会いませんか。あんなひどいことをしてしまった僕だけど。」

そんなメールが届いた携帯の傍らで、ネココくんは今日もひからびているのでした。ネココくんは明日も明後日も多分、干からび続けるのです。

おしまい。

2009年10月07日

投稿原稿「サバイバル・・・生きるためのひきこもり 第4話」

「サバイバル・・・生きるためのひきこもり 第4話」
作:禁忌キッド

禁忌キッドです。こんにちは。

最近、マージャンを覚えました。チーとかポンとか一人で言いながら、オンラインのネット麻雀を楽しんでいます。近いうちにゲーセンで脱衣麻雀やってみたいです。


さて、先日禁忌は、神戸にある「引きこもり支援団体」の会に行ってきました。そこで当事者の親御さんたちが語り合う親の会があり、そこに参加しました。僕は結婚していないので、息子や娘はいないのですが、自分自身の息子はついているので、参加してみようかなと思いました(下ネタすいません)。


純度マックスのエスプレッソとウォッカを混ぜた以上の濃い話でした。2時間ほどの話でしたが、示唆に富む話ばっかりでした。

みんな、生活保障の必要性を感じていらっしゃるようでした。


仕事ができなくても最低限の生活を国が保証する制度が必要だという点は全員痛感していました。

もし親がなくなったら子供はどうやって生きていけばいいのかということに対して、真剣に考えていらっしゃる親御さんばかりでした。


現制度のままだと、引きこもりやニートの子供は生きていけないと嘆いておられました。

中には自分の子育ての仕方が間違っていたのではないかと後悔していると吐露された方もいらっしゃいました。

私も共感することばかりで、本当に勉強になりましたし、自分と同じようなことを考えていらっしゃる人が他にもたくさんいてその点少しうれしくなりました。


「引きこもり」や「ニート」のことは、世の中では「タブー」とされています。


参加していらっしゃった親御さんの一人がおっしゃっていたのですが、実際は、「引きこもり」や「ニート」は自分たちの周りにもたくさんいるんだけども、そのことに触れることに対してみんな遠慮している、といっておられました。

「引きこもり」を抱える親御さんに対して、その話をすることができないとおっしゃっていました。

だから、自分の身近で、協力してくれる人や、理解者に出会うのが難しいとおっしゃっておられます。


私も、高校時代不登校で、全日制高校を中退した経歴があります。両親も、私が高校を中退したということはなかなか親戚や、周りの人に言えませんでした。それは一昔前のことですが、今でも不登校や引きこもりに対しては風当たりの強い世の中です。

しかし私は通信制高校から独学で大学に入学しました。だけど、高校の話はしばらくはできなかった記憶があります。

 

 私は、「毎日、同じ人間と顔を合わせていく」という集団生活が大の苦手でした。今も苦手なのは変わりませんが・・・。いじめももちろん遭いましたし、とにかく嫌で嫌で仕方ありませんでした。なぜ学校に行かないといけないのかと子供ながらに思っていました。


 同じクラスに1年間通い続けるということは、非常に苦痛なことだと思います。

人間関係も一度できてしまったら、なかなか入ることができません。一度のけものになった人が人間関係の輪に入ることは非常に困難です。私はその「閉鎖性」が大嫌いでした。

今も大嫌いです。


普通に学校でうまくやっている人も、かなりストレスがたまっていて、それを「いじめ」などで晴らすのが、彼らのストレス解消法ではないかと思うこともあります。


人間関係の固定化と、不可塑性は、本当に苦痛なことです。ましてや、個性が違う、そして育ってきた環境が違う人間をランダムに1つのクラスに30人詰め込んで、みんなで仲良くさせようとするのは不可能です。


学校は行きたい者だけが行って、行きたくないものは、フリースクールや自宅学習でいいのではないかと思っています。現に自宅学習と予備校だけで大学に行った生き証人がここにいますから。


学校に行かないと、社会でうまくやっていけないよというお偉方はたくさんいます。

だけど、学校に行って、ストレスで廃人になったり、自殺するよか全然マシです。

学校に行かなくても、社会でうまくやっている人もいますし、不登校という経歴でも、社会的に成功している人はいるでしょう。

逆に学校を無事卒業しても、社会に出て、「たわば~」(北斗の拳の断末魔の叫び)になっている人はたくさんいるでしょう。

だから、学校に行くことが社会でうまくいくための「必要条件」みたいな言い方はやめてもらいたいと思っています。

でも、こんな僕も社会でうまくいっているとはいえませんが・・・笑

でも、生きているだけでも十分成功者です。

とにかく「会社」や「学校」に行っていないのを、頭ごなしに否定するのは私は間違っていると思います。


「会社」や「学校」しか行き場がない社会というのはどれだけ不自由な社会でしょうか?

組織に属せないと生きることが難しいというのはかんなり不自由です。


ひきこもりや、精神に障害がある人たちのための作業所や、支援組織はたくさんありますが、あくまでもとにかく「就労」させることしか頭にない感じがします。


しかし障害者就労で就労したとしても、正社員の半額程度の給料しかもらえないという話を聞きました。さらに不景気で障害者就労の数は減っているといいます。


会社も、生き残ることに必死なため、とにかくスピードが速く機敏な人間を選抜したいのでしょう。会社側の考えも私はわかります。


「就労支援」を強化して、とにかくみんなが働ける世の中にしようと、国は頑張っておられますが、はっきりいって的外れだと思います。


 無理やり押し込む必要はないし、無理があると思います。だったら、アフィリエイトやヤフオクなどのネットビジネスを教えるような組織をもっと作って、家で仕事ができるようなシステムをもっと構築すべきです。


そして、月20万、20万まではいかなくても最低月12万程度の生活保障を成人全員に行うことが一番効果的です。


 起業も才能が必要でしょう。会社勤めも才能が必要です。起業も会社勤めの才能がなくても生きていけるようにすればいいです。


 最低限度の生活さえ保障されれば、ボランティアなどの社会奉仕にいそしむ若者も増えます。ボランティアのしごとも尊いと私は思います。


 生活保護を受けられず、餓死している人も日本中にたくさんいます。社会適応の面では難があっても、別の面で人並み外れた才能を持っている人もいます。


とにかく全員が生きていけるような社会の実現を切に望みます。

2009年10月06日

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第9話 視点」

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「第9話 視点」

今朝も晴れだった。ラジオ体操ではないが、それは本当に素晴らしい朝で、希望の朝だった。私は喜びに胸を広げて、青空を仰いでいた。だが、私は会社に向かっていたのではない。私は家の前にある一本松公園に向かっていたのだ。そして私は公園の中に入ると、真ん中にある大きな松の木の下にあるベンチに向かう。だが、今朝はいつもとは違っていた。私は、なんとそのベンチには座らず、その上に立ち上がったのである。だが私は発狂してしまっていたのではない。そうなる寸前ではあったのかもしれないが。私は「少し視点を変えてみるだけで、人生が変わる!」という、いつの日にかコンビ二で立ち読みしたある自己啓発本の言葉を思い出していたのだ。もう少し高い視線から世界を眺めてみれば何かいいことがあるかもしれない、と思ったのだ。それはまさにインスピレーションだった。それはまるで天が、私にもっと高く昇りなさい、と言っている様だった。人生はともさかりえの歌ではないが、エスカレーションだということだ。ほんの少しだけでもいいから見方を変えることによって、人生が180度、劇的に変化することもあるのだから。

私はベンチの上に立って周りを見渡していた。だが何かおかしい。私の周りの世界は何も変わりはしなかった。前によく見えていなかったものが、見える様になると思っていたが、そんなことはなかった。例えば公園の前にある家のベランダに干されているであろう下着が見える様になったわけではないし、この公園生活から抜け出そうと思える様な素晴らしい街の景色が見えたわけでもなかった。だが、よく考えてみればそれは当たり前のことだった。私はずっと座高が高かった。子供の時から。ベンチの上に立ってみた所で、それほど景色は変わらなかったのだ。く、くそう。私は怒り狂いながら、ベンチの上で何度もジャンプをした。だがジャンプをしても、私には新しいものなど何も見えない。足が短いということは、なんと惨めなものであろうか。「もう、だめだ・・・」私はついに全てを諦めよう、と思った。私は地面にひざを付いて、倒れる寸前だった。だが、その瞬間、また天のインスピレーションを私は聞いたのだった。神様は私を見放してはいなかった。そ、そうか・・・助走をつけてジャンプしてみたらどうだろう、と脳裏に神的なアイデアが浮かんだのだ。そしてすぐ、私はベンチから数メートル離れて、ベンチに向かって走り出した。思いたったら、すぐ行動に移す私。この私の素晴らしい行動力を誰か褒めてはくれないものだろうか。「う、うおおお!」私は渾身の力を込めて、ベンチを蹴って、跳んだ。両手を広げながら。「おおおお!」私は自分が見ているものを信じることができなかった。空に浮いている瞬間、すべてがスローモーションに変わってしまったのだ。「こ、これが、あのゾーンというものなのか、昴!」と私は心の中で絶叫していた。(「昴」は私が大好きな曽田正人先生の作品の一つで、大変お薦めなのだが、立ち読みは絶対しないほうがいい。熱すぎて、手汗で本が傷んでしまうからだ)その時、私は鳥と化していた。公園にいつもたむろしている鳥の仲間の一人に私はいつの間にか同化していたのだ。「わ、私たちは仲間だったんだね・・・」とそんな声が聞こえた。そして、私はこう思うことができたのだった。この世界では、どんなことでも可能だ、と。どんな所までも私は飛んでいくことができるのだ、と。最高に気持ちがいい瞬間だった。しかし、悲しくも長くは続かなかったが。それはたったの一瞬で、0.89秒ほどだったと思う。まだまだ力不足である私は、ゾーンをコントールすることはできず、現実の世界にすぐ戻ってきてしまった。地面に倒れた私は、すぐに起き上がる。も、もう一度だ・・・私は助走をつけようともう一度ベンチから離れようとした。だが、もう私には体力も精神力も残っていなかった。私の両肩にあったと思った羽はもうなかった。私はそのままベンチの上に倒れた。そして鼻からは鼻水が、そして目からは涙が流れていた・・・


その夜、痛んだ体と心を静養させながら、私はある重大な勘違いをしていたのかもしれないと悩んでいた。もしかしたら「視点を変える」という天の言葉はメタファーだったのではないか、と。つまり、身体的な視点を変えるのではなくて、心の中の視点を変える、ということだったのではないか、と。実際にジャンプするのではなく、心の中だけでジャンプすればよかっただけなのだ・・・今朝のあの苦しかった努力は間違いだったのではと思うと空しくなった。だが逆に、実際は心の視点を変える方が難しい、ということも学んだ。具体的に心の中の視点を変える、ということはどういうことを意味するのか、誰にも分からないからである。私はその夜一睡もせず考え抜いた。そして私が出した答えは、こういったものだった。それは視点を変える、ということは一人称から三人称に変えてものごとを考える、ということだった。自分が苦しんでいる時には、考えを「私」から始まらせずに、「田中ぷーのすけ」で考えてみる。そうすると、不思議な事に、現実との距離を保つことになり、それほど苦しみを感じなくなる。例えば、「私は友達が誰もいなくて悲しい」と言うよりも、「田中ぷーのすけは友達が誰もいなくて悲しい」と言った方が、気が少しラクになる感じがする、と思う。今でも「ミッチャンは~」などと三人称で自分を呼ぶ若い女子もいるが、きっとそれは身を守るためのメカニズムの一つなのではないだろうか。また、ドラゴンボール的に言うとすれば、孫悟空の視点で世界を見るのではなくて、天から下界を見下ろしている神様の視点で世界を見てみるのである。もしくは宇宙全体を見渡している界王様の視点で。またはそれ以上の鳥山明か。世界中で生活している人間というキャラクターを眺められる様になると、自分よりももっと不幸な隣人を探すことができるようになり、自分の苦しみなんてバカらしい、と思える様になる。例えば、オールニートニッポンの伝説となっている絶望男・白井勝美さんの人生に比べれば、ささいなことで悩んでいる自分が恥ずかしくて目もあてられない、と私は思うことができた。そして、これは重要なテクニックだが、カメラのズームの様に、自分にとって嬉しいことや楽しいことがあった時だけ、一人称に戻すことができる柔軟性が大切だ。気持ちいいことは一人称で考えて、楽しむべきだと思う。小説でもそうだが一人称の方が、臨場感が出る。これと同じだ。人生も。この様に考えると、もう怖いものなんてない、なんでもドンとかかってこい、という感じなのだが、視点を広くしすぎてしまった私は、ある一つの懸念を抱いた。ある人が私にこう忠告するかもしれないと思ったのだ。「そ、それってただの精神分裂症じゃないのか?お前、本当は精神科に行ったほうがいいんじゃないか・・・」

2009年09月24日

投稿原稿「無題」

「無題」
作:アカシア

以前この番組を聴いていました。
何度か聞いた後に、一人暮らしを始めた。
何かの予定があったわけではなく、このまま情けない奴と言われて死ぬのでは嫌だなと。
家にいるよりも将来があるから、それを始めた。

ふらふらと色んな事にチャレンジしたけれど、丸ごとダメだった。
ネガティブな過去を吹き飛ばそうと、空回りして余計に追い込まれた。
才能が無かった。言葉が紡げなかった。気負ってしまい、色々やらかして信頼関係が築けなかった。
切れ切れのすれ違う会話に、急激に強く襲ってくる不安感。

やっぱり情けない奴だった。

そんなこんなで、また元に近くなった。
自分からそれを求めたのかもしれないし、相手からそれを望まれたのかもしれない。


人が一人一人違う事は大事だ。
だが、人が協調する事も大事だ。

どちらも大事。でも私には協調がなかった。


今、反省して意図的に人脈を作ろうとしている。
今まで大嫌いだったビジネス的な手法だ。

作り笑顔をして、使いたくない社交辞令を使い、人脈を築こうとしている。
実は、そういうクリエイティブな、最近の大学生がやたら意識している目的型のドライな多量の人との関わり方の方が、
普通に無目的にディープに少数と付き合うよりも、楽で簡単かもしれないと感じ始めている。


最近また新しく一人の子と仲良くなった。微妙に自分から声をかけたような気もする。
こんな事、今まででは出来なかった事。価値観は合う。会話も盛り上がった。
でも相手の素性が分からない。不安だ。でも話してみたい。
また失敗であっても良い。多分そうなるだろう。
でも失敗した数々の会話の経験が、今、生かされつつあると思いたい。

私よりも若い人には伝えたい。


学歴を身に着け、社交辞令を身に着け、その上で、社会的地位があった上で、
やっと初めて可能になるのが、一人一人違っていて良いという個性というもので、。
仕事や勉強ができて、初めて人は人として評価される。

それは、私が日本社会のどこへいってもそうだったから。


勉強をするのも、学校へ行く事も、努力をすることも、先生に褒められるのも、
良い大学に入るのも決して悪い事ではない。

生きるために必要な事だよ。
自由で個性的な自分の人生を守るために必要なもの。


でも、もしあなたの行っている学校が悪い学校だったら、あるいは悪い仕事場だったら、別の場所に行きましょう。
悪い学校にずっといたとしても、誰もあなたの失敗したトラウマのある人生の責任を取ってくれない。
みんな口先では何でも言うが、最後には無責任になるから。

周りの人間に惑わされず、自分の人生を楽しむために自分の意思で一歩踏み出してください。
少し位、他人に迷惑かけても、嫌われても、次がある。むしろ仕事なんかは、頼るくらいの人の方がいい


今日から、明日からでも、学校へ、仕事へ、好きな事へ、絵を描くこと、犬と一緒に散歩へ、部屋の中で運動する事、なんでも頑張りましょう。
倒れない程度に。

私も明日から生き残るためにまた頑張ります。

頑張って続けていれば、必ず環境も変わります。
今は、他人はおもっているより優しいと感じています。

あなたにとって良い場所を探して、時には戦いながら、歩いてください。

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第8話 ひまわり」

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「第8話 ひまわり」

今朝も私は一本松公園にいた。そしていつもの様にただ一人、ベンチに座っていた。これを無力、というのだろう。私はどうしようもなく感じていた。もしこの地球上の重力がもう少しでも強かったなら、私は空気に押し潰されているに違いない、と思った。このまま死んだら私はなんという親不孝ものだろう。だが、私はどうすることもできなかった。この公園以外には、どこへにも行くことはできないのだ。通勤のサラリーマンたちの姿はもう見えなくなっていた。そして通学していた学生たちの姿も。私は社会から置き去りにされてしまったように思えた。それはまるで、私が高校生の時、学校に行くためのバスに乗ろうとしたが、満員で乗ることができず、置き去りにされ、学校に遅刻して怒られる位なら休んでしまえこのヤロー!とムキになって、実際にそれを実行した時の心境に似ていた。家には帰るわけにはいかない。ゲームセンターで遊んでいるわけにも行かない。私はただ公園でひとり寝転んで、本を読んでいた。そしてただ学校が終わりなる時間をひたすら待っていた。そんな気持ちだった。


私が座っているベンチの目の前にはひまわりが咲いていた。本当にきれいである。しかし、もうひまわりが咲く夏は去ったはずだった。うるさいセミや夏休みの小学生達と一緒に。どうしてそのひまわりは元気に咲いているのだろう。私は不思議に思った。これは温暖化のせいなのかもしれない。何らかの理由で、このひまわりは世界に置き去りにされてしまったのだ。私と同じ様に。どうして私たちはこんなにも苦しいのだろうと思う。どうして私たちは周りの人たちと同じ様に生きていくことができないのだろうか。「お前だけが俺の理解者だ、ヨーコ」と私は恋愛感情が芽生えてしまったそのひまわりに、勝手にそう命名した。なぜヨーコなのか。太陽の「ヨー」からヨーコにしたのだが、理由はそれだけではない。それは、初恋をするということは、一体どの様に激しく思春期の男の心と体を病ませるかということを私に教えてくれた女の子がヨーコだったからである。高校の時、私が大好きだった彼女のことは一生忘れないと思う。そして私は今でも時々考える。今彼女は何をしているだろうか、と。結婚して子供がいるのだろうか。あれほど美しかったのだから、結婚していなくても彼氏はいるに違いない。それともキャリアウーマンとしてどこかの会社でバリバリ働いて、男と付き合う暇もなく生活しているのだろうか。家に帰ったらグーグルで検索してみようか。有名人になっているかも。だがそれはストーカー行為では・・・と、私はそんなことを考えながら、目の前にいるヨーコの生まれ変わりをずっとずっと見つめていた・・・


ヨーコは風に揺れていた。いや、そうではない。そうではなかった。彼女は踊っていたのだ。私に向かって。私は思い出していた。あの時、体育館で踊っていた、ブルマ姿のヨーコを。そして彼女は私にいったのだ。「一緒に踊ろうよ!」今でもそんな彼女の姿を想像しただけで鼻血がでそうな私は、学生時代、ずっとタバコもお酒もやる必要がなかった。これは幸せなことだったと思う。そんなことをわざわざしなくても私は簡単に天国に行くことができたのだ。しかしその代わり不幸にもそれ以上の経験はできなかったが。私はベンチから立ち上がり、いっしょにヨーコと踊ることにした。そう、あの時の様に。腰を振って。頭も。体の全てをまるで水の流れに身をまかせる様に。人生で始めて大好きになったこの女の子と一緒に踊る喜びを体全体で感じながら。だが、邪魔が入った。「ワンワン!」と近くを散歩している犬が私に向かって吼えだしたのだ。「ワン公!どっか行ってくれ」と私は心で叫んでいたが、ムダだった。そして「あんなのと関わっちゃだめよ」と言うかの様に、その犬と散歩していた40歳ぐらいの主婦は首輪のヒモを強く引っ張ったのだが、逆効果だった。犬の鳴き声がさらに大きくなる。「ワンワンワン!」ゆ、許してくれ。もういいだろう。もう十分だ。俺は踊り続けた。ひたすら無視して。その飼い主は「危ない・・・危ないわ・・・」と困惑した表情を見せていたが、そんなことはどうでもよかった。俺は犬やおばちゃんと遊んでいる暇はないのだ。俺にはもうヨーコのあの甘い声しか聞こえない。「ワンワンワンワンワン!」もう俺は俺の世界の中にいた。ああ、一人称が「私」から「俺」にいつの間にか変わっていたとしても、俺には気が付くことができないでいた。愛とはなんという興奮なのだろう。だから誰もが愛について語ることを止めないのか・・・この世界からはもう抜け出すことなんて、俺には出来きはしないだろう。俺の世界はヨーコが全てだった。そして俺はいつまでも彼女と一緒に踊り続けていたのだった・・・


と、言っても踊り続けていたのは約30分ほどだったと思う。現実なんてこんなものだ。メシもろくに食べていない私にはそれが限界だったのだ。そして、私はベンチに座り直し、ある重大なことに気が付いていた。それは、私はあの頃から全く成長してはいなかった、ということだ。私は25歳になっても、ペッペコ、ペッペコ、あらヨイショと、と街のお祭りの様にしか踊ることはできなかったのだ。「だ、ださすぎるぜ・・・」と私は自分に失望した。公園でこんな踊りをするのはキチガイ以外の何者ではない、と誰もが思うに違いない。(普通に踊ったとしても、誰もがそう思うであろうが)きっと犬が私に警戒したのは、無理のないことだったとも理解できる。私は家の近くの精神病院を検索しておく必要があるかもしれないと思った。だが私はすぐこう思い直した。「愛は人を狂わす」ということもまた真実である、と。狂うことがなければそれを愛とは言えない、というのが私の意見である。


そして、私はあるもう一つの答えを見つけていた。それは、どうしてあの頃、彼女と付き合えなかったのか、とずっともう10年ほど悩み続けてきた問いの答えだった。誰の人生でもきっと一つや二つはどうしても分からないという難問に直面するものである。私はそんな人生の中でずっと出口が見えず、ずっと見えないままだろうと思っていた問題をついに解決することができたと思った。それはこういった答えだった。彼女はあの、すでに伝説と化している映画「サタデー・ナイト・フィーヴァー」のジョン・トラボルタの様なダンスを私に期待していたが、あっさりとそんな期待は裏切られてしまい、私に失望してしまった、ということだった。ダンスのうまい人が彼女の彼氏になれなければいけない、ときっと前世で決まっていたのだと思う。私はジョン・トラボルタになんかなれなかった。どうしても。だが彼女にはそういった男が必要だったのだ。そしてバスで私を置いて、遠く、私の知らない世界に去ってしまった。だが、私は彼女を恨んでいるのではない。その逆である。本当に悪いことをした、と思う。本当にごめん、ごめん、と私は叫ばずにはいられない。私はこうヨーコに伝えたい。私は心からお前を愛していた、と。そしてきっと今でもそれは同じで、これからも一生変わらないだろう、と。しかし、私は自分自身にしかなれなかったし、今でもそれは変わらないのだ。どんなに髪をジェルで固めても。どんなに高価なスーツを着たとしても。私はどうしてもジョン・トラボルタの様には踊ることができない。そしてまったく同じ様に、あれから10年ほどたった今も、私はこうしてニートをやっているが、ニートをやることしかできない。どうしてなのか、理由は自分にも分からないのだが。日本中の人、いや世界中の人たちもきっと同じで、私たちはどんなにがんばっても、どんなにあがいたとしても、最終的には自分自身にしかなれない。どんなに大声で叫んで、暴れ狂ったとしても。どんなに置き去りにされて、孤独に苦しんだとしても。私たちは誰でも、できないものはどうしてもできないのだ。そして、私たちができることはただ、自分に与えられた役割を、自分なりに精一杯全うしようと、生きていくだけ。愛されても。愛されてなくても。ジョン・トラボルタでも。田中ぷーのすけでも。そして、一歩ずつ、それぞれのペースでゆっくりと進んでいく。たとえ今日の様な秋の日が来て、たった一人だったとしても、ヨーコの様に、太陽の光に向かって、高く高く背伸びしながら・・・

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第7話 オリのクマさん」

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「第7話 オリのクマさん」

私はたまに(と言っても毎日だが)、「う、うおおおお!」と大声で叫びながらどこかへ逃げ出してしまいたい、と思うことがある。だが叫び声は私が小学生の時から愛読して止まない「ジョジョの奇妙な冒険」の中に出てくる様な忘れようとも忘れられない擬音的セリフでもかまわないと思うし、また実際その方がより切羽詰った印象を与える事ができるのでいいのかもしれない。「ウリリィィィ!」なんて生々しくていいと思うが、どうだろうか。「オラオラオラオラオラ」でもいいと思うが、そのセリフは誰もが知っているので少し恥ずかしいかな、とも思う。道端で小学生にバカにされてしまうかもしれない。それならば「ズキューン・・・」はどうだろうか。きっとこれが一番いいだろう。


そして私はこうとも思う。今までの人生で起こったイヤなこと全てをまとめてゴミ袋に詰め込み、燃えるゴミとして捨てることができたらどんなにいいだろう、と。今までの人生で起こった別にイヤなことではないが、特に素晴らしくもなかったという思い出も全て、粗大ゴミとして捨ててしまうのだ。そして、わずかに残った、いい思い出だけをリュックに詰めて、新しい街で人生をやり直すための旅に出る。この現実から逃避したい、と切実に思う。もうこんな毎日はごめんだ。だが実際は、そう思うだけで行動には移せない。今日は燃えないゴミの日ではないというのが、その理由ではない。また、貯金がすでに微々たるもので例え逃げ出すことに成功したとしても、カプセルホテルでたったの1週間しかもたないだろう、というのも(それは事実だが)その理由ではない。やろうと思えばなんだってできるのだ。本当にそう願っているなら。ならばどうしてできないのか。理由は簡単である。私にはそんな勇気はないから、だ。私にはそんな恐ろしいことはできないのだ。それはまるで私の高校時代(童貞時代と言ったほうがいいかもしれないが)の時の心境と同じなのだろうと思う。つまり、たとえどんなにある女性のことを深く愛し、また愛されたいと思っていたとしても(つまりこれはあるウブな文学少年がその女性とエッチしたいということを婉曲に言っているだけのことであるが)、自分にはそんなことができる訳がない、また逆にそうなってしまったら幸せすぎて死んでしまうのではないかと心配でしょうがない、などといった無数の考えが心の中で同居して、そして対立し、もう何を考えていいのか分からず、ただこんな切ない恋愛をしている自分はなんて哀れなのだろうかと勝手に陶酔している時の心境と同じなのだ。よく分からないかもしれないが。そして今日も、私は朝から一本松公園のベンチにずっと座っていた。遠くまで風に乗って走っていく雲たちを目で追いかけながら。小学校では「世界はこんなに広いのか!」と世界地図を見ながら私は学んだ。だが、今私が存在している世界はこの小さな公園だけだった。そして私はここから出ることができない。どんなに出たいと思っていても。そしてただ時間だけが過ぎていくだけ・・・


「オリのクマさん」の話を聞いたことがあるだろうか。「森のクマさん」ではない。「オリのクマさん」である。話は似ているのだが、全くの別物である。どこの国の話だったがもう忘れてしまったが、ある時、若くてかわいい女の子が森の中をたった一人で遊んでいた。「どうして君は一人で遊んでいたんだ!俺に電話してくれたら一緒に遊んでいたのに」と私は思わずにはいられないが、そういうことを思うのは私だけではないはずだ。もしかしたら、彼女は少し知恵遅れだったのかもしれない。そして、彼女は不運にも森のクマさんに遭遇してしまう。私なら寝たふり、もしくは死んだふりをしたと思うのだが、彼女はやはり頭が少し悪かったのだろう。彼女は走って逃げ出した。森のクマさんは彼女を追いかける。しかし森のクマさんのは足がとても速いので、彼女はすぐ追つかれてしまう。「ああ、絶体絶命・・・」と彼女は死を覚悟するが、なんとその時、森のクマさんは彼女が落としたイヤリングを彼女に見せながら、こう言うのである。「ほらほら。あなたのイヤリングだよ。よく見てみな。へへへ・・・」死ぬ、と覚悟した瞬間に、自分が気付かない間に落としていたイヤリングを見せられる心境を想像してみてほしい。彼女は本当に発狂してしまった。そして彼女は一生死ぬまで「ラララー」とその事件について歌い狂い続けたのだそうだ。無理はないことだと私は思うが、なんて可愛そうなのだろうと私は同情する・・・そして彼女の家族や友人は森のクマさんをどうしても許すことができなかった。死ぬよりも苦しい思いをさせてやる、と森のクマさんを捕らえて、オリに閉じ込めた。「ただイヤリングを拾って返してあげただけなのに・・・」と彼は涙を流しながら自分の無実を叫ぶのだが、この世は無情なものである。彼はそのオリの中で何年も過ごした。しかし本当の悲劇はそれからだった。オリに閉じ込められてから5年程過ぎたある日のこと、ある動物愛護団体がその村を訪れて、森のクマさんをオリから解放してあげることにした。「もう苦しまなくていい。今、お前は自由になった」とオリの扉は開けられたのだが、彼はどうしても出てくることができない。どうしても出てくることができないのだ。「お化粧が・・・」「もう一度着替えるから待って・・・」などと言っているのではない。それはもっと深刻な問題だった。彼はオリから出て、もう一度外の世界で生活していくことを恐れていたのだ。「また私の人生を台無しにする頭の悪い女の子と出会うかもしれない・・・」と彼は思っていた。オリの中は自由がなかったが、どこよりも安全だった。オリの中に入れられることは理不尽なことだったが、オリの中ではそれ以上理不尽なことは決して起こらなかったのである。扉はずっと開いていた。しかし森のクマさんはずっとそこから出ることはなかった。そしてそのまま彼は飢え死にしてしまったのである・・・


働いている人も働いていない人も、ほとんどの人はこの「オリのクマさん」の様に生きていると私は思っているが、誰もそのことを認めようとはしない。誰も「実は自分も引きこもりだ」と思いたいとは思わない。その気持ちは、私にはよく理解できる。なぜなら私もその一人なのだから。毎朝フラフラして、どこにも行くことができない私は公園のクマさんである。たとえどんなに私はこの公園から出たい、と思っていたとしても、心の一番深い所で何かが私の邪魔をするのだ・・・「人間は25歳になったら誰もが死ぬ。そして残りの人生を自分のお墓を立てるために過ごすのだ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。誰がこの言葉を言ったのか私は知らないが、その通りだと思っている。25歳頃になると大抵の人は人生を冒険することを諦めてしまう。恐怖によってオリの中から出ることができなくなってしまうのだ。たとえ勇気を持って一歩踏み出すことができても、わざと自分からオリに戻ってきてしまう。そして死ぬまでそのオリの中で過ごす。誰もが傷つくことを恐れ、安全に生きようとする。自分の世界で生きていれば、絶対に傷つくことはない。自分を完璧に守りきることができる。しかしそうすれば一生夢を叶えることなどできはしないし、自分の本当の可能性を知ることもない。私たちは何も新しいことを学ぶことはないだろう。そして、私たちはそのまま死んでいくだけ。本当は、どんな時でも、この素晴らしい世界は両手を広げて私たちを待っているのに・・・

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第1話 ミニスカート」

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「第1話 ミニスカート」

朝、私は服を着替えて外に出た。だが私は会社に向かっていたのではない。私は家のすぐ目の前にある公園に向かっていた。それは一本松公園という。文字通り大きな松の木が一本中央に立っているだけの小さな公園で、そこには子供たちが遊べる様なブランコや砂場などは一切ない。さみしい、と言えばさみしいのかもしれないが、静かでとても落ち着くことができるので、私が気に入っている場所の一つになっている。私は公園の中に入ると、いつもの様に松の木の下にあるベンチに腰掛ける。そして私は人生について考え始めた。


が、その時である。信じられないことが起きたのである。あ、ありえないぜ、と私は心の中でつぶやいていた。私の目の前を、ミニスカートの女子高生二人組みが通り過ぎたのだ。いや、超ミニスカートと言ったほうがいいかもしれない。せめて私にはそう見えた。しかも二人ともかわいいではないか。これは夢なのだろうか。毎朝この様にラッキーであってくれればいいのに、と思う。


しかし私はすぐにこの思いがけない喜びを自粛することにした。そしてただ地面を見つめて、彼女たちが過ぎ去っていくのを待った。私は知っていたのだ。たとえどんなにずっと「きれいな足だな、ぐへへ」と彼女らの足をじろじろと眺めていたかったとしても、また私にはその権利があったとしても、それは変質者以外なにものでもないということを。私は25歳の無職なのである。私は「少しはイケメンだ」と自分自身を評価しているが、そんなこと全く関係がないことも知っている。わいせつ罪で警察に捕まってしまうかもしれない。そんな恐ろしいこと私にはできるはずがない。


そしてその時、私はある言葉を思い出したのだった。「生きていること。今生きていること。それはミニスカート」という言葉だ。これは私が尊敬して止まない、日本最高の詩人の一人・谷川俊太郎先生を代表する作品「生きる」の中の一文である。もしこの詩を読んだことがなければ、今すぐにグーグルのホームページを開いて、「生きる 谷川俊太郎」と検索することをお薦めする。三秒もかかることなくこの詩に辿り着くことができるはずである。


私は初めてこの詩を読んだ時(私が確かまだ大学生だった20歳頃だったと思うが)人生に絶望しきってしまい一ヶ月ほど寝込んでしまったのを覚えている。もう私の世界は終わったのだ、と本気で思った。それほどショックを受けたのである。それはつまりこういうことだった。私はきっと誰でもミニスカートは大好きだけれど、パンティーのほうがもっといいと思っているに違いない、と信じていた。そしてきっと誰でもミニスカートやパンティーもいいが、ノーパンだったらもっといいのに、と鼻息を荒くしながら思っているに違いない、と信じていたのだ。なのに、なのに、である。


私は涙と鼻水をたらしながら、夕日に向かって走り、こう叫ばずにはいられなかった。谷川先生、あなたはたったミニスカートだけで幸せになれるのですか、と。ああ、谷川先生!あなたは、本当は、私たちと同じ様にミニスカートの喜びしか知らない悲しき童貞の代弁者だったのですか、と。


私はこう思っている。たった一度の人生なのだから、もっと欲を出して、大きな夢を追いかけてもいいはずだ、と。誰になんと言われようが関係ない。関係ないのだ。おっぱいと同じ様に、夢も大きければ大きいほどいいはずだ。いや、大きくなければいけないのだ。おっぱいも。そして私たちの夢も。これは義務である。ミニスカートだけで満足することなんて私にはできやしない。


しかし、私がこの詩に絶望した理由はそれだけではなかった。まるでいつの日にかテレビで見た巨大な隕石が地球に衝突するシーンの様に、私の心と精神を徹底的に揺さぶり、コナゴナに破壊したもう一つのある衝撃的なことがあったのである。


それは、谷川先生は、「生きているということは働くことだ」と決して言わなかった、ということである。こんなことが現在の日本社会で許されていいのだろうか、と私は自分自身に問い続けた。夜眠ることさえもできなくなっていた。私は生きるということ、それは働くことだと信じていた。何かを作ったり、サービスをしたりして人様に貢献する、それが生きることだと信じて、そのことを一度も疑ったことはなかった。 父にも、そして母にも働くことの尊さを幼稚園、いや保育園に入園した時から教えられて、今までずっとまじめに生産的に生きてきたのだ。


しかし谷川先生は私の人生、いや私だけなくほとんどの人の人生を否定するかの様にこう語るのである。諸君、愛する女性と手をつなぎながら、プラネタリウムや、美術館でデートをするのは楽しいぞ、と。朝は犬と一緒にブランコのある公園を散歩して、カタツムリを観察したらどうたろう。そして昼間は家でゴロゴロして、テレビで戦争のドキュメンタリーでも見ようではないか。それが生きるということなのだよ。そしてそれが詩人として生きるということ、いのちということなのだよ、うらやましいだろう、ははははは。


私はこの詩との運命の出会いを呪った。もう私は今までの私でいることができないであろうと嘆き悲しんだ。そして私は夕日に向かって、果てしなく流れ続ける涙と鼻水はそのままに、いつまでもいつまでもこう叫び続けていたのだった。この私の燃える様な思いがきっといつか彼に届くと信じながら。谷川先生、あなたも今の私と同じ様に、本当はただのニートだったのですか、と。ああ、谷川先生!あなたが語ることのない「働く喜び」なんていうのは、本当は働く人たちが自分達を自己正当化するための、ただの妄想に過ぎなかったのですか、と。

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第2話 松屋にて」

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「第2話 松屋にて」

ドアを開けると、青空が広がっていた。私は鍵を念入りに閉め、財布を忘れずに持っているかポケットに手を当てて確認した。そして、アパートの階段を勢いよく降りて行った。今日も、私は会社に向かっていたのではない。そして家の前の一本松公園に向かっていたわけでもなかった。私はあの、ニートならば必ず一度はお世話になることがあるというあの伝説のチェーン店に向かっていたのだ。その名を松屋という。

私の空腹感はすでに限界に達していた。面白いことに何でも限界に達してしまうと、もう何も感じることがなくなってしまうシステムが人間の体にあると25年の人生の中で空腹感が教えてくれた。 どんなに空腹になり、唾液も口からあふれ出て、ただ「ああ、大盛りの豚丼が食べたい」という言葉を心のなかで連呼するしかできない状態になったとしても、我慢を続ければある瞬間にその死ぬほどの苦しみを感じなくなることができるということを、インドやネパールで修行をすることなく、この日本という国で身を持って学ぶことができた。そしてその境地に達するということは、不可能なことなどこの世界には何一つないという真理を悟り、超人的な力を発揮する瞬間を生きるということと同じことでもある、と私は同時に学んでいた。 つまり、飢え死にしそうにもかかわらず、信じられない様な能力を発揮して、私が住んでいるアパートから駅前の松屋までの険しい、危険に溢れた道のりを、顔に笑みを浮かべながらたった十分ほどで歩ききる力も、その瞬間には発揮されるということを私は学んでいたのだ。

そんなオリンピックのマラソン選手でも逃げ出してしまうであろう試練を乗り越え、松屋に辿りついた時、私は自分が見ている光景を信じることができなかった。あ、ありえないぜ、と私は思った。なんと、席は満席。汗だくで、汚い作業服を着た男たちで店は一杯だった。ヤンキーの様な人たちもいる。頭がくらくらした。どれほど待たされるのだろう。時計を見ると12時25分。確かにこんな時間にくる私が間違っていたのかしれない。だがこんなひどい事が、この平成の日本社会であっていいのだろうか?「死にそうに待っている人がいるんだよ!みんな早く食べて帰ってくれ!」と小心者の私には言えるわけがない。みんな怖そうな人ばっかりだったのだ。そして暗闇のはるか彼方から「いらっしゃいませ。 少々お待ち下さいね」とある女の子の店員さんのやさしい声が聞こえた。「か、かわいいからっていい気になりやがって。俺はここで毎日ご飯を食べているんだよ。俺の顔も名前も覚えられないのか。VIPとはどういった意味なのかお前には分からないかもしれないが、今時の小学生なら誰でも知っているぜ!もし近くに吉野家があれば俺はそっちに行っているはずなんだ!俺の人生をどうしてくれる!」と私は心では思っていたが勿論言えるわけがない。そんなこと。 「ありがとう」そう言うと、私は入り口の前にある食券の自動販売機の前で棒立ちになっていた。

すると、すると、である。今度は別の方角からある男の声が聞こえてきた。「おい、早く決めろよ。 買わないならどっかいけ。」な、なにィ・・・ゆ、ゆるさんぞ、よくも、よくも、と私はまるでスーパーサイヤ人に変身する直前の悟空の様だった。「俺が一体どんな気持ちでこの店に入り、この絶望と悲しみに立ち向かっているのかお前分かっているのか。そんな言い方、俺は許さないぞ、フリーザー!」と、私は振り向いた。だが、私は信じられないものを見てしまった。ジェルでトゲトゲの黄色と赤に染まった髪。腕に意味の分からないハート型のタトゥー。背は190センチ以上あるだろうか。 「俺はスーパーサイヤ人だ!かかってこい」なんてこと、当たり前だが私には言えるはずがない。 私はぷるぷると震えながら「すいません」とつぶやき、420円の豚丼大盛りを購入し、涙をこらえ、席が空くのを待つことにした。  

辛抱して待つということ。それが人生でどんなに重要なことなのか私は失恋を通して学んだが、この時もその重要さを悟らずにはいられなかった。「ご馳走様でした」と一番奥の角の席で、背広を着たバーコード頭の男が立ち上がった。 そして先ほどのかわいい女の子の店員さんが「お待たせいたしました。あちらの奥の席どうぞ」と笑顔で案内してくれた。だが私はまだ幸福な気分にはなれないでいた。私はこう思っていたのだ。あれほど待ち望んでいる豚丼の大盛りまであとまだ5メートル歩かなければいけないのか、と。しかし私はその瞬間、同時にあることにも気が付いていた。これはきっと最後の試練なのだ、と。 これさえ乗り切ることができれば、私は自分の命をかけてまで捜し求めていた幸せを手にすることができる。そして、最後の最後に私は私がなりたいと思っていた男に成長し、ついでにこのかわいい店員さんのメールアドレスもちゃっかり貰ってしまうのだ。私は自分にそういい聞かせながら、席に着いた。

「つゆだくだくでお願いします」、最後の力を振り絞って私はそうゆっくりと言った。「つゆだくだくですね」とこのかわいい店員さんは確認してくれた。本当は「きみ抱く抱く」の方がいい、と私は言おうと思ったが、やめた。セクハラで訴えられても困るので。そしてつい、彼女の膨らんでいる胸に付いている名前のバッジに目がいってしまった時、私はまたしても自分の目を疑わずにはいられなかった。彼女の名前は「シフトリーダー ちん」とあるではないか。「う、うおおおお!」私は心の中で叫んでいた。もうそんな力もなかったというのに、だ。か、考えてみてほしい。たとえ彼女が中国から命をかけて日本に違法で入国し、仕事がなく、 もうファッションヘルスで強制的に働かされてしまうというピンチだった所を、なんとか松屋の店長に救われ、ここで働くことになったとしても、別に中国語の本名でバッジを作る必要がどこにあるのだろう? ぷぷぷ、と心の中で笑わずにはいられなかった客は今日どれだけいただろうか。そして「ちんさん、お冷下さい」と言うのをためらった客は今日どれだけいだだろうか。こんな悲劇的なことは許されるべきではない、と思うのは私だけではないはずだ。

しかし、もうそんなことを心配している余裕は私にはない。お金のないニートにとっては、いかに払ったお金で元をとるかが生死を分けることになる。420 円の豚丼の大盛りを頼んだのならばつゆだくだくにしてもらうのは当然で、本当の勝負はこれからだ。豚丼の大盛りとお味噌汁が来ると、私はまず、紅しょうがに手を伸ばして、できるだけ多く掴み、汁を切って、豚丼の上にかける。そして焼肉のたれとカルビソースも両手に取り、ちょんちょんと少し高めの所からかけていく。そしてようやくに箸に手を伸ばし食べ始めるのだ。


そしてここで一番気を付けなければいけないこと(これはよく素人が犯す過ちなのだが)は、たとえどんなに空腹でも、ゆっくり食べるということである。 せめて20回は噛んでから飲みこまなければいけない。お味噌汁も同様に20回噛んでから飲む。そうしなければこの至福の時間が半減されてしまうことになり、次の至福の時間までの時間が増え、苦しみも増える。もし、半分食べた所で満腹感を感じることができれば、勝負に勝った様なものだ。あとの残りは「あー、もう満腹。でももったいないから食べよう。死ぬほど幸せ」とこの至福の時間を十分に満喫できる。お冷もできればおかわりをしたほうがいい。その理由は私がわざわざ書いて説明する必要もないと思う。そしてお手洗いもちゃっかりと使わせてもらおう。小でも、大でも、手を洗うだけでも。ただ自分の顔と髪をチェックするだけでも。こうしてたった420円のサービスだったにもかかわらず、1000円以上のサービスを受けることができたと心から確信できた時、やっと私は立ち上がることができる。 そして私は何枚かナプキンをポケットに失敬し、大きな声で「ご馳走様!」と店員に伝え、店を後にするのだ。

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第3話カーネル・サンダース」

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「第3話 カーネル・サンダース」

朝だ。ニートであろうとフリーターであろうと誰にだって朝は来る。同じ様にどんな人にだってきっと人生をやり直すチャンスは必ず来る。私たちはいつでも変わることができるのだ。もし私たちにやる気さえあれば。そして私はもう一つ知っている。ベッドでいつまでもごろごろとしていることがどんなに気持ちいいことだったとしても、私たちはいつでも立ち上がることができるということを。やる気さえあれば不可能なことなど何もない。私はそんなことを考えながら、いつもの様にベッドから起きて、歯を磨き、着替えて、外に出た。夏の太陽が眩しかった。だが私は会社に向かっていたわけではない。私は今日もまた、家の目の前にある一本松公園に向かっていたのだ。


そして公園の中に入ると、私は松の木の下にあるベンチに座り、ある男のことを思い出していた。カーネル・サンダースである。ケンタッキーフライドチキンのおじさん、と言ったほうが分かりやすいかもしれない。なぜこんな希望に光り輝く朝に、かわいい女の子のことではなくて、そんなおじさんのことを考えることができるのだろうと疑問に思う読者もいるかもしれない。私自身でさえも疑問に思っている。そうかお前はやっぱり変質者だったのか、と言われてもしょうがないかもしれない。だがはっきり言っておくが、私は変質者ではない。ただ、私は彼のことを考えずにはいられない。考えずにはいられないのだ。なぜならそれは、カーネル・サンダースは、私、いや私だけなく世界中にいるフリーター達にとって最大にして最高のスーパーヒーローだからである。


ケンタッキーフライドチキンという大企業を創立したカーネル・サンダース。しかし彼はなんと小卒で、40歳になるまでいろいろな職を転々としたフリーターだった、という事実はあまり知られていない。私は最初その事実を雑誌か何かで読んで知ったと記憶しているが、その時私は自分の目を疑わずにはいられなかった。そして心の奥から込み上げてくる怒りによって、私の体はプルプルと震えていた。「彼の両親は一体何を考えていたのだろう。最低だぜ!」それが私の第一声である。どうして彼の両親はなんとかして彼を学校に行かせてあげることができなかったのだろうか、と私は考えていた。たとえどんなに彼は全く勉強ができない、ケンカばかりしていた非行少年だったとしても、そういった学生でも入学させてくれる学校を探したり、もしくは専門技術を身につけるためにどこかに弟子入りさせたりと、何か手はあったはずなのだ。


しかし彼は十分な教育を受けることができずに、15歳から仕事を始めて40歳までの25年間で、40種以上の職を経験することになる。彼が転職する際にはいつも、履歴書を書くのに大変苦労していたはずだ、と私は想像する。面接では「はあ、好奇心が旺盛で、いろいろ経験したいと思いまして・・・」などと、長所に変えてアピールしていたのだろうか。「やっぱり仕事も、女性とのお付き合いもたくさん経験したほうがなんでもうまくなりますな・・・」などとウケを狙ったりもしたのだろうか。転職先の人事部担当も困っていたに違いない。今では誰もが知っている成功者の一人なので想像するのが困難だが、彼は若い頃には典型的な負組みの一人だったのである。


しかし彼は40歳の時、ある重大な決意をする。そしてそのことが彼の人生を劇的に変えることになった。それは結婚ではない。そしてそれは犯罪でも、自殺でもなかった。なんと彼はガソリンスタンドのレストランを開業することにしたのである。それは彼の人生の全てを賭けた一発勝負だった。もう彼には失くすものは何もない。やってみる価値はあった。そして彼は起業に成功した。彼のレストランは素晴らしいサービスで評判になった。彼はやっと4人並みの中流の生活ができるようになった。「ついに人生バラ色だ」と彼は喜びの絶頂だったに違いない。だが、悲しくも成功はいつまでも続かなかった。彼が60歳になる頃、近くで新しい高速道路が開通すると、お客が減ってしまいなんと彼の店はつぶれてしまったのだ。こんな波乱な人生があっていいのだろうか、と私は天に問う。60歳でまたしても彼は全てを失ってしまったのである。


しかし彼のすごい所はここからである。もう誰もが彼の人生は終わった、と思っていたに違いなかった。私も彼と同じ立場だったなら、「ああ、もうわしも60じゃ。人生はこんなものじゃ」と残りの人生をのんびりと謙虚に暮らそうと思っていたに違いないと思う。貯金と年金だけで。だが彼は違った。彼はまだ豊かな生活への夢を捨てきることはできなかった。そして彼はレストランを経営していた時に培ったおいしいフライドチキンの作り方のノウハウを他のレストラン経営者に教えて、お金をもらうという、その時世界で初めてだったフランチャイズビジネスを始める。彼は車でアメリカ全土を回って、営業し、たくさんの契約を取っていった。彼が65歳の頃だった。そしてこのフランチャイズビジネスは大成功し、今のケンタッキーフライドチキンになったのである。もうただのフリーターではない。彼は世界中の人から愛され、尊敬されて止まない男に大変身した。そしてありとあらゆる場所で彼の像は建てられていく。人生の9回裏、2死満塁の大逆転ホームランだった。


このストーリーは私に希望と勇気を与えてくれた。長い人生、必ず成功するチャンスは来るのである。たとえ小卒のフリーターでも。たとえ65歳のおじいちゃんでも。だが誤解しないでほしいが、私はだから別に何もしなくてもいい、と言っているのではない。ただ私は誰にでもチャンスはある、ということをいいたいだけだ。そのチャンスをものにできるかどうかは私たち次第である。(じゃあお前は朝から公園でフラフラして、いったい何をやっているんだ、という突っ込みは勘弁してほしい)最後に、これは有名な話なので知っている人は多いと思うのだが、カーネル・サンダースはあの国民的漫画「スラムダンク」に登場する安西先生のモデルにもなっている。私は安西先生の「あきらめたら、そこで試合は終了だよ」という伝説の言葉と共に青春時代を過ごした一人だが、実際のモデルになったこの人物は言葉ではなく、彼の人生を通して私たちに同じメッセージを言っていたのだと思う。彼の人生は私たちにこう語るのだ。「あきらめたら、そこで人生は終了だよ」と。

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第4話 クビ」

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「第4話 クビ」

朝だ。また朝が来たのだ。私たちには毎日朝がやってくる。それはまるで「もうお前なんかこなくていい。お前はクビだ」と社長に言われても、何を言われたのか理解できずに、次の日また出勤してくるどうしようもない社員の様なものである。かなり困ったものだ。本当のバカにはバカとは言えないものである。そして社長はしょうがないから覚悟を決めるのだ。彼はこう語るのである。「わかった。お前を一生面倒みてやる。しかしもう二度と失敗しない様に一生懸命働け。どちらにせよ労働基準法があるから、そんな簡単にお前をクビにすることなんてできやしなかったのだよ」と。彼はそしてその社員を強く抱きしめる。社長の目から、そして社員の目からも美しい大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちている。それは、私もこの原稿を書きながらえんえんともらい泣きしてしまいそうな、素晴らしい光景である。


しかし、しかしである。私はその社長の様に、涙を流しながら朝を迎えることなどはできやしない。私はもっと寝たいのである。本当に申し訳ないが。できれば今日の昼、いや夜まで寝ていたいのである。私はベッドの上でうつ伏せになり、目をつぶり続ける。寝たふりである。スースーとゆっくり鼻から息をしながら、体を動かさないよう集中する。しかし私の心はどうしても「無」になることはできない。私はこう考えていた。その社長だってきっと私の様に意地悪になろうと思えばなれたはずだった、と。ずっと無視し続けることだってできたはずなのだ。そして「あれ、君は誰だっけ?新入社員?」ととぼけてもよかったはずだった。それは残酷極まりないことなのかもしれないが。そして残念なことに(またこれは当たり前のことではあるが)その時私の世界で起こっていたこと全ては、寝たふりという恥すべき行為を決して許すことはなかった。世界は朝の味方だったのだ。


愛に飢えているベランダのスズメたちは歌を歌うことを止めることはない。「カラオケの練習ならビッグエコーに行ってこい」と大声で言うことはできる。だが彼らに意味が通じる訳がない。そして彼方から聞えてくる、まるで「朝の散歩に無理やり俺をつき合わすな!」とでも言っている様な深刻な犬たちの鳴き声。「飼い主は何をしているんだ!迷惑なんだよ」と大声でベランダから叫ぶことはできる。だがそんなことをする勇気など私にはない。しょうがない。しょうがないのだ。私はついに起きることにする。そして私は窓を開けると、太陽に頭を下げて挨拶をした。ああ、よく戻ってきたな、と。私はベッドから抜け出すと、トイレをすまし、鏡に映る自分の顔の細部に注意しながら、ひげをそり、歯を磨く。そしてスーツに着替えて、私は家を出た。だが今日も私は会社に向かっているのではない。わたしは一本松公園に向かっていたのだ。


公園の朝は素晴らしいものである。ぽかぽかと太陽の光に照らされて、ちょうど心地良い。ベッドに寝ていなくて正解だった、と私は思った。ついさっきまであんなに「寝かせろー」なんて言っていたのに都合がよすぎないか、と言われるかもしれないが人間なんてそんなものである。本当に申し訳ないが。そして私はいつもの様に公園の入り口を通り、中央にある松の木の下のベンチに腰掛ける。そして私はこう考えていた。誰もがクビになり、転職先が見つからず、飢え死にしてしまうことを恐れているが、果たしてそういったことはそれほどまで恐れるべきことなのだろうか、と。クビになるということは女の子にふられること同じだと思っている。勿論ふられるのは誰だっていやだが、前を向いて新しい出会いを求めるしかしょうがない。もしかしたらもっと素晴らしい女の子に出会えるかもしれないのだ。「別れることがなければ、めぐり逢うこともできない」である。私が今までの人生の中ですでに100回以上はふられ、もう何も怖いものがないからそんなことが言えるのだ、と思う人もいるかもしれないがそれは間違いである。私は本当にクビになること、ふられることは悪くないことだと思っている。もちろんいいことだとも言わないが。また、私はこうとも思う。クビになったからと言って、会社の悪口をいったり、訴えたりするのは、ストーカー行為と同じことなのではないだろうか、と。はっきりと事前に言わしておいてもらうが、もちろん私は一度もストーカーになったことはない。だから実際の所、ストーカーの心境というものは私には分からない。ただきっとそうだろうなと推測しているだけだ。だがきっと間違いではないと思う。


そしてクビより恐ろしいのは、クビにもさせられず一生そこの職場で飼い殺しにされること、ではないかと思う。生かさず、そして殺さずという職場は怖い。私は絶対にイヤだ。給料も上がらず、生きがいも見出せず、「私は家族を養う義務があるから」と辞めたくても辞められない。ただ走り続けるだけ。私はその様に生きて安定を手にするよりも、もっといい職場を求めて不安定を求めるほうがいいと思う。我慢をしたり、泣き寝入りしたりしないで、イヤなものはイヤだとはっきりと言える方が健全な生き方のはずだし、社会もそうやって向上してくはずだと思っている。私たちは社会のいじめられっ子になってはいけないのである。しかし私は時々不安になってしまう。この私の考え方は間違っているのだろうか、と。こういったことを語るとたくさんの人は私にこうアドバイスするからである。「そういった考え方は甘すぎる。5年がんばって耐えるんだ。我慢しろ。3年でもいい。そうすれば何も感じなくなる。人生はそういったものだと考えられる様になる」苦しむことにひたすら耐えることが、いい人生を送るということなのだろうか。未来の安定した給与のために今苦しみを耐えることは、果たして幸せな生き方だと言えるだろうか?私には分からない。私は公園でたった一人、ベンチに座りながら考え続ける。だがどうしても私には分からない。どんなに一日中考え続けたとしても・・・

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第5話 缶コーヒー」

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「第5話 缶コーヒー」

あの朝も、私はいつもの様に一本松公園にいた。だが、あの日はいつもとは違っていた。作業服を着た20代の男たち3人が、私がいつも腰掛ける松の木の下のベンチでたむろしていたからである。「俺の領域に勝手に入ってくるな!」と言えたらどんなにいいだろう、と思う。私には勿論そんな度胸はない。仕方がないので、私は公園の一番隅にあった花壇の仕切りの上に座ることにする。無職とは社会の隅っこに生きるようなものだが、公園の中でさえも隅っこに居なければいけないと思うと悲しかった。朝からこんな惨めな気分になるのはいいことではない。しかも私の尻は痛む。すごく痛むのだ。もう座りたくない。なんて私は情けない男なのだろうか。しかし私はすぐにこう思い直すことにした。もしそのことが悔しければ戦えばいいではないか、と。一人で泣いている暇などない。男らしく、彼らにこう言えばいいのである。「ここは俺の領域なのだから出ていけ。ベンチの裏にも俺の名前がマーカーでちゃんと書いてあるではないか」と。もちろんそんなことある訳ないのだが、デタラメでもいいから主張してみればいい。「領域なんてあるかこのボケ!」と罵られながら、ボコボコにリンチにされてしまうかもしれないが、一人でメソメソと泣いているよりかはましである。


私が無職になって間もない頃の話だが、ある夏の夜、星空を一人で眺めながら、私はある一つのことを自分自身に誓った。それは人生に絶対に妥協しない、ということだった。イヤなものにはイヤだと言う。そして好きなものには好きだと言う。そして本当にやりたいと思っていることがあれば本当にそれをやってみる。どんなに不可能だと思えることだったとしても、せめてできる限りの努力をして。たとえそれがどんなに小さなことであっても。これは実際にやってみると難しい。難しいのだが、その様に生きる重大さは計り知れない。


例えば、私が住んでいるアパートのすぐ前にある自動販売機には「缶コーヒーのボス」がない。サラリーマンの誰もが愛して止まないこの伝説の人気商品「缶コーヒーのボス」がない自動販売機は日本中くまなく探したとしても見つけることは難しいだろう。私は自分の目を信じることができなかった。「そんな下手な商品選びで利益が出せるわけがないからもう一度よく考え直せ」と私はその自動販売機のオーナーのセンスに失望したが、そのオーナーはただのバカではなかった。そこの自動販売機には「午後の紅茶 ミルクティー」はあったのである。私は迷った。迷いに迷ったが、私はどうしても「缶コーヒーのボス」が飲みたい、と思った。「午後の紅茶 ミルクティー」も大好きだが、どうしても「缶コーヒーのボス」を諦めることはできない。どうしてもあのほろやかな香り、そして心が癒される様なあのひとときを忘れることはできないのだ。


私は覚悟して、走り出した。1丁目、そして2丁目と景色が変化していくが、私の目にはもう「缶コーヒーのボス」しか映っていない。角からものすごいスピードで車が曲がって来ていたが、私はすぐ気付くことができなかった。「う、うおおお!」私は叫びながら、地面にダイブする。危機一髪だった。プップーとクラクションが鳴り響く。その光景を目撃していた、近くを歩いていたおばあちゃんはびっくりして買い物袋を地面に落としてしまった。ばらばらと、キュウリやトマトが道路に散乱した。そして「なんだこのきちがいは」とでも言いたそうな顔で私を見つめていた。だが、もう遅い。「人が何かを達成しようと思ったら、何かを犠牲にしなければいけない」と昔何かの漫画で読んだセリフが脳裏によみがえる。もう誰も私を止めることなのできないのだ。私は走り続ける。おばあちゃん、許しておくれ。私はゴールに向かってひたすら走り続けるのみ、である。そしてついに私はローソンに辿り着く。私はもの凄い勢いでドアを開ける。いらっしゃいませ、という店員の言葉も聞こえない。私は店の奥に突進し、棚に煌煌と並んでいた「缶コーヒーのボス」を手に取った。そしてすぐ、会計をすまして、外に出る。そしてローソンの前の段になっている所に私は腰掛けて、プシュと缶を開く。そして私はいっきに飲み始る。私の目からは涙が溢れ出ていた・・・


「缶コーヒーでそこまでやるか。よっぽどの暇人だなお前も」と思う読者もいるかもしれない。しかし例えどんなに小さなことでも、自分がああしたい、こうしたいと望んでいるものはいつか必ず実現するもので、そしてそうやって欲望を満たすために人生を生きることは悪いことではない、と考えることは間違いではないはずだ。「本当はああしたいのだけれど、時間がないから」「本当はあれがほしいのだけれどお金がないから」などと自分に一度でも嘘をついてしまうと、たとえそれが缶コーヒーという本当にささいなものであったとしても、私たちは自分たちの心を見失しなってしまう。そして私たちの欲望は満たされなくても当たり前で、そういった欲望を持つ事自体恥ずかしいことだ、と考える様になってしまう。そして、そういったことをずっと続けていると、どんどんとそれが積み重なり、いつの間にか「何でもどうだっていいや」と感じる様になってしまう。そしてそういった態度は私たちを無気力にさせる。これは危険なことでもあるし、悲しいことでもある。私たちはもう生きる意味さえも忘れてしまうが、もしそうなるともう人生も社会も発展していくことはない・・・


私はそんなことをずっと一人で考えていたのが、ついに勇気を出して、立ち上がり、いつも私が座っているベンチに座らせてくれないかと交渉することにした。しかし私が顔を上げると、彼らはすでに公園を去っていた。公園のすぐ目の前にある敷地で新しい家を建てる工事が始まっていたので、彼らはそこで働いているに違いなかった。よかった、無駄な血を流さず(もしくは犬死をせず)にすんだ、と私は喜んだ。そしてそのベンチに座って、空をずっと眺めていた。今日もまた一日が始まるのだ。世界中で。そして人々はたった二つのことをやるだけ。その人がやりたいこと。そしてその人がやりたくないこと。本当はたったそれだけのことなのに・・・

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第6話 アリ」

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「第6話 アリ」

午前9時。東京のありとあらゆる場所で一日が始まろうとしていた。会社では社員の誰もがコンピューターを立ち上げて、電話が鳴り始めるのを待っている。学校でも、生徒の誰もが教科書を開いて、先生が話し始めるのを待っていた。私はこの一日が輝きだす瞬間が大好きである。興奮しているのだが、心の深い所では落ち着いていて、なおかつ喜びに溢れている。そんな気分である。生きていてよかった、と思う。しかし私はその朝会社にいたわけでも、学校にいたわけでもない。私は自分の家のすぐ前にある一本松公園の中で、一人ベンチに座っていた。そしていつもの様に、雲一つない空をずっと眺めていた。


そして公園ではアリたちも仕事を始めていた。アリも人間と同じ様に、夜は巣の中で休息し、朝になると活動を開始するのだそうだ。私の足元では、セミの死骸をたくさんのアリたちが協力して巣へ運ぼうとしていた。「なんて健気なヤツらだ」と私は感心していたが、どうしても自分のいたずら心を抑えることができない。私はそっとそのセミの死骸を指で掴んで、ベンチの後ろに放り投げた。せっかくのご馳走が目の前から一瞬で消えてしまうという恐ろしい経験は自分では絶対にしたくないと思っているが、右往左往するアリたちを見ているのは面白かった。しかし25歳にもなって朝から公園でアリと遊んでいるなんて、私はきっとバカか天才どちらかに違いないが(きっと後者だろうと信じたいが)、私の人生がこんなことになってしまうなんて、私が学生の頃には夢にも思うことができなかった。恥ずかしい、を通り越して情けない、と言ったところか。「お前もそろそろアリのように勤勉に働きだしたらどうなんだい」という声が聞えてきそうだが、私はどうせ働くならアリの様にではなくて、人間らしく働きたい。だが人間らしく働くとは具体的にどういうことを意味するのだろうか。


「アリとキリギリス」の話は誰でも聞いたことがあるはずだが、簡単に言うと夏休みになっても遊ばずにこつこつと勉強したアリさんは就職氷河時代でもなんとか就職することができたが、その頃遊びまくっていたキリギリスさんは就職することができず死んでしまった、という話である。 私はこう思っている。「人生はあっと言う間なのだから、遊べる時に遊んで青春を謳歌し、悔いのない人生を送ることが大切だ」というのがこの寓話が一番言いたかったことだと。人間はいつ死んでしまうか分からないから、今をいかに生きるかが究極のテーマであるはずだ。しかし誰もそのことを語ったりしない。世界中のほとんどの人はこのアリさんの様な、将来のために今を犠牲にする生き方を素晴らしいと思っている。しかし、もしこの瞬間に幸せと思うことができなければ、未来でも幸せと思うことはできないのではないだろうか。そして私は絶対にアリさんの様に冷たく生きたくはない。アリさんはキリギリスさんを助けることはなかった。「お前が若い頃、女を追いかけまくって遊んでいた時、俺はがまんして勉強していたんだ。今俺がいい思いしないと面白くないんだよ」といった心境だったのだろう。その気持ちは分かる気もするが、何か寂しいな、と思う。そして悲しいことだ、とも思う。「見返してやりたい」と人生を生きるよりも、過去は忘れて生きる方が人は幸せな人生を送れるはずなのに。


その様にしてアリは「勤勉で、計算高いことは素晴らしい」という価値観を象徴する生き物になっているのだが、実際はアリにも色々なアリがいて、アリ全員が働き者ではない、という事実はあまり知られていない。まずこれは当たり前だが、アリの社会だって格差社会の一つで、女王アリ、雄アリ、そして働きアリと身分制度が存在する。働きアリは全員メスだが、毎日雄アリと遊んで暮らしている女王アリの奴隷の様なものである。しかし最も興味深いのは働きアリの間でも全く働かないで生活しているアリがいる、ということである。ある研究によると(実際どの様な実験だったのか私には分からないのでその研究結果の信憑性を疑うことはできないのだが)働き蟻の集団の2割は働き者で、6割は普通。そして最後の2割は全く働かない、のだそうだ。そして、働き者の2割だけを集めて新しい集団を作っても、同じ様にまた、2割が働き者、6割が普通、そして2割が全く働かないと自然になってしまうのだそうだ。


どうして働きアリの2割は働かなくなってしまうのだろうか?この現象はどうしたら説明できるのか私なりに考えてみた。まず考えられるのは、これらの20%の働きアリは老人、子供、もしくは障害者であるということだ。彼女らは過酷な肉体労働はできないから、ただ仲間を見守ることしかできない。次に考えられる理由は、彼女らはただ何もしていない様に見えるだけで、実際はアリにしか聞こえない独自の超音波でコミュニケーションをしている、ということだ。歌を歌い仲間達を喜ばせているのかもしれないし、危険を察知してそれを知らせているのかもしれない。人間の社会で言うならば歌手や占い師の様な仕事をしているのだ。しかし誰もアリが実際に超音波を使っていることを確認することができないので、この説が正しいと証明することは難しいだろう。


そして最後に考えられるのは(そして私はこれが一番有力な説だと思っているが)この20%の働きアリは働けるけれど働かない、つまりニートアリであるということだ。しかし疑問は残る。どうして彼女達はニートになるのだろうか、という疑問だ。私の考えでは、それはアリの集団生活を永続するためのシステムの一つだから、ということだ。どんなことでも100%の状態でいることは危険なことで、80%ぐらいのほうが様々なことに順応に対応することができる。例えば、もし働きアリが全員フルに働いていたとしたら、地震や洪水といった天災が起こった緊急事態には対応が遅れてしまう。そしてもっと大切なことがある。それは、働きアリの精神的余裕が生まれる、ということだ。5人に1人はニートをやっているから、もし自分がどうしても前に進めない時は、誰にでも相談できるし、少しニートを経験してみることもできる。自分を追い詰めて、燃え尽きたりすることはない。ニートであることは恥ずかしくことでも何でもなく、誰でも経験することだと社会が受け入れているのだ。働くことに苦しんでいる時に「私も若いころニートしたのよ。でも今はちゃんと働いているのよ。私は今幸せよ」と相談相手に言われるとどんなに気がラクになるだろうか、と思う。もし、そういった社会のセーフティーネットがなく、働きアリたちが全員ひたすら働くことしかできなかったらどうなるだろう。そのうち不満が溜まりに溜まって、集団自殺、テロ行為、もしくは大革命と、大混乱が起こってしまうに違いない。そうして、そのアリの集団は滅びてしまうだろう・・・


人間の社会も同じではないだろうか。「ニートしているのか、ははは」と笑い飛ばせるぐらいの精神的余裕が私たちには必要である。朝から公園でフラフラしながらのんびりと生きている人がいるから、社会は暴走せずに安定していられるのである。もちろん私は自分の生き方を正当化しようとしているのではない。私は自分が思っていることを素直に述べているだけだ。そして私はこう言いたい。ニートは日本社会のヒーローである、と。ニートは何もしていない様に見えるが、社会という集団生活の中で「何もしない」という役割を立派に果たしているのだから・・・

2009年09月23日

投稿原稿「サバイバル・・・生きるためのひきこもり 第3話」

「サバイバル・・・生きるためのひきこもり 第3話」
作:禁忌キッド

さて、マニュフェストは楽しんでいただけたでしょうか?

このマニュフェストが実現したら、自殺者は大幅に減ることは間違いないでしょう。


http://www.allneetnippon.jp/2009/09/2_21.html 禁忌キッドのマニュフェスト


さて、今日は「働かざるもの食うべからず」ということについて考えてみよう。


働かざるもの食うべからず・・・、よく聞く言葉だ。この言葉を言われたことがない日本人はほとんどいないのではないだろうか??

 

だがよく考えてみると、恐ろしい考え方だ。その言葉の裏には、多分に「働かないものは死ね」というニュアンスが含まれていると思うのは私だけだろうか?


働かない人は死ね・・・となると、働けない人はどうなるのだろうか??仕事がない人はどうなるの?昔のようにおなかがすいたら木の実を採集して生きていくの??


現代では、生活保護が受けられなくて餓死する人も多数いる。

仕事がないと生きていけないというのは恐ろしいことだ。


誰だって職を得れるわけじゃない。職に就くためには、実力も必要だし、運も必要だ。

実力があったとしても、職に就けない人もいる。


年々就労問題は厳しくなってきている。


それはなぜか?考えてみた。


昔だったら、人がやっていたことでも、今は機械やパソコンが自動的にやってくれる。

業務のオートメーション化は進化しづづけている。より少ない人手で業務が回転するようになってきている。

 

現在の失業率の増加は、業務効率が上がったことと関係しているのではないか??

無理矢理全員を働かせる必要がどこにあるのだろうか?


機械化による業務効率の向上が、失業率の増加を生んだと考えれば、それは本当に喜ばしいことだろうか??


必要な人手が減るということは、求人が減ることを意味する。だから職にありつけない人は必然的に増える。

 

昔だったら10人必要だった作業が、今は3人でできる。だったら必然的に7人は遊兵になってしまう。もしその7人を活かすことができなければ、人件費ばかりかかっていいことない。その7人を活かすことができない企業は今まで会社のために尽くし続けてきた中高年のリストラという手段に出るのだろう。

そのような企業が増えたことが、現在の就職難を生んでいるのではないかと考察する。


その7人を活かす方法としては、今まで内勤をしていた人を営業に回すぐらいだろうか??会社で幽閉させるぐらいなら、外でPRしてもらったほうがいいと考えるのは必然的なことだ。


しかし、営業には適性がある。性格的に営業ができない人はたくさんいる。となると「営業」に向いていない人にとっては本当にきついことだ。内向的な性格の人にとっては営業は過酷でしかない。営業しても結果を出せない人はたくさんいる。となると人件費だけがかさむのだ。結局結果が出せない営業マンは企業によってはリストラと相成る。


さてリストラされた者たちは、当然再就職を希望するが、年齢面でなかなか就職ができない。もちろん若年者でも難しい。


今ハローワークを見ても圧倒的に多いのは「販売・営業」の求人である。高度なコミュニケーション能力が必要である。となると面接の時点で、淘汰されるものも出てくる。

資格は基本的に必要はないが、特にフリーターやニート、引きこもりにとっては厳しい道だ。


事務作業の求人もあるが、高度な資格が必要な求人の割合が非常に多い。となると資格を取るために、多大な学費が必要になる。資格をとれたとしても、実務経験がなければ、就職は難しい。実務経験は会社で働かないと身につかない。キャリアのスタートをフリーターやニートで過ごした人にとっては至難の道であることは間違いない。


現在、うつ病などの精神的疾患で退職した人もたくさんいるが、再就職の試験で「うつ病」持ちですと自己申告すれば、面接になかなか受からないという現実もある。それゆえ「うつ病」を隠して再就職するも、再び退職してしまうケースもたくさんある。


結果、日本中に「働けない」人たちが増えてきたというわけだ。

日本中にはいかんともしがたい理由で働けない人もたくさんいる。


障害者のお子さんを介護しないといけない母子家庭の人もいる。


中学校の同級生で、高校卒業後揚々と生きてきたものの、原因不明の皮膚疾患になり、現在も療養しているやつがいる。


うつ病を発症して、障害者手帳を持っている者もいる。


大学卒業後、両親が倒れ、両親を介護し続けた男性もいる。


なんとか就職したものの、突然パニック障害になって退職した者もいる。


突然脳梗塞になって動けなくなる。


「いじめ」にあい、引きこもりになったものもいる。


20代を「うつ病」のためひきこもりで過ごして、一念発起して再就職を目指したものの、

未経験と年齢という壁に引っかかって再就職できないものもいる。


 

「働かないもの食うべからず」という人は彼らのことをどう考えているのだろうか??


この問題を解決するためには、成人全員に無条件で生活保護を支給するぐらいしか解決策がないのではないだろうか??


ご意見がありましたら、 kinkikiddesu@yahoo.co.jp によろしくお願いいたします。


「頭おかしいんじゃないの」とか「頭痛いんちゃうの??」という率直なご意見でもOKです。

文章に惚れましたという絶対来そうにない応援メールでもOKです。


結婚相手も募集しておりますのでよかったらどうぞ!!


http://www.allneetnippon.jp/2009/09/2_21.html マニュフェストです。

2009年09月21日

投稿原稿「サバイバル・・・生きるためのひきこもり 第1話」

「サバイバル・・・生きるためのひきこもり 第1話」
作:禁忌キッド

はじめまして、禁忌キッドと言います。近畿在住です。

禁忌(タブー)をえぐる文章を書きたいと思っています。

KINKIKIDSと名前が似ていますが、ジャニーズ系ではありません。どちらかというとジャニート系です。

 


さて現在私は、現在体調を崩し休業中であるが、将来を見据えてカウンセリングの勉強をしている。何年か社会人をやってきて、メンタルケアの重要性を知ったからだ。

おかげさまで体調も回復してきている。


将来的には「引きこもり」や「ニート」の人が気軽に受けられるインターネットでカウンセリングルームを作りたいと思っている。


私は、集団とか組織に属すると、生理的に合わない性格で、苦労が絶えなかった。一時そんな自分の性格が嫌で自己嫌悪に陥った時期もある。


しかし、あるときからふと思うようになる。

集団とか組織のしがらみとか、本質的に日本社会に合わない人たちがたくさんいるのではないだろうか?


世相は徐々に厳しさを増している。派遣切りに合い、路頭に迷う若者たちは後を絶たない。うつはすでに国民病になってしまった。学校のクラスの人間のいじめに耐えきれず、自殺をする若者も絶えない。


しかし背景には「辞められない事情、辞めさせてもらえない事情」が存在している。


会社をやめたら生きていけない。

学校をやめたら生きていけない。

 

さまざまな「生きていけない」が日本中に存在している。

 

「自己責任」というが「個人」の力ではいかんともしがたい流れがそこにはある。 


ひきこもりやニートは本当に「人間失格」なのだろうか?


生き延びるためにその選択を選んでいるのではないだろうか?


無理に頑張って討ち死するより、それは正しい選択なのではないだろうか?


本当に、大切なことは何だろう。我々は本当に間違えているのだろうか?


これから我々を取り巻く世の中のさまざまなことについてメスを入れていきたい。

投稿原稿「サバイバル・・・いきるためのひきこもり 第2話」

「サバイバル・・・いきるためのひきこもり 第2話」
作:禁忌キッド

鳩山内閣の支持率が77パーセントに達している。そして、10月には「母子加算」の復活が期待されている。「母子加算」の復活は本当にうれしい。


しかし、日本中では今も路上で寝食をしている人たちが絶えない。

そして、今日颯爽と働いている企業戦士も、明日はどうなるかわからない。

ハローワークでは仕事にありつけない若者たちはたくさんいる。

誰だって明日は「失業者」かもしれない。 

私もよくハローワークに行くが、常に満員御礼である。

これらのことをどうするべきか?


鳩山内閣は、国民の生活を重視するというマニフェストを掲げている。私は、政治には期待していないが、いちるの望みを託したい。


ここで、もし私が総理大臣になったら、どんな政策を立てているだろうか?


最近そんなことをよく考える。


私だったら、政見放送でどんなことをいうのだろうか? 


シミュレートしてみよう。


NHK(にほんひきこもり協会) 政見放送


この番組は、公職選挙法に基づかず一部地域でせまく放送するものです。


まず、衆議院議員 小笠原諸島1区 新党オールニートニッポン 禁忌キッドさん

 

近畿生まれ ジャニーズ事務所に履歴書を送ったところ、ジャニートであるという理由で書類審査で落ちる。長年にわたり、ジャニーズ事務所に就職活動をしてきたもののやはりジャニートであるという事実は否めず苦杯をなめ続ける。ジャニートからジャニーズになるため、最近ファッションの研究を始め、顔にヒアルロン酸を塗りたくるなど、スキンケアを精力的に行っている。ヒアルロン酸を顔に塗ると一瞬顔がヒリヒリするという非難を浴びながらも、日本ヒアルロン酸大好き協会理事長として、山椒は小粒でもピリッと辛いではなく、ヒアルロン酸は、小粒でもヒリヒリ痛いをモットーとしている。痛みを伴うが気持ちいいマッサージのような構造改革を目指している。日本だけでなく全世界がスベスベになることを本気で目指す政治家である。


こんにちは、ジャニーズになれなかったジャニートの禁忌キッドと申します。私は近畿出身ですが、島流しにあい、現在小笠原諸島で過ごしています。

なので故郷の土を踏むことは許されず、今回小笠原諸島1区から立候補いたしました。小笠原諸島では地震や火山の噴火が絶えませんが、国会で大噴火をおこすため立候補したいと思います。大噴火を起こし、自民党と民主党を一気に飲み込んでしまおうと思います。

東京都の皆さん、小笠原諸島は同じ、東京都であるというトリビア知っていますか??同じ東京都民同士頑張りましょうね。


さてさて私が小笠原のきれいな海を見て考えたマニュフェストを聞いてください。


マニュフェストその1、20歳以上の成人全員に対して、月20万円の生活保護を行うことです。国民の最低限の生活を保障します。年金や失業保険などすべてなくしてしまいます。生活保護に統合してしまいます。となると、夫婦で40万円、40万円もあれば十分最低限の生活ができるでしょう。少し贅沢な生活がしたければ働けばいいのです。


財源をどこから作るというと、やはり公務員の削減でしょう。


これから在職中の公務員全員に2年に1回「公務員資格更新テスト」を実施します。合格率は50パーセント、つまり、2人に1人は公務員辞職です。公務員ははいるのは難しいといわれますが、はいっちゃえば楽だといわれます。だけど「国民のために尽くす職業」なので、在職中もしっかりと勉強してもらわないと困ります。そして、落選した公務員のためのセーフティネットとして、「公務員資格復活テスト」も実施しましょう。「公務員運転免許所」という教育機関を新しく設けます。そして、「公務員運転免許所」の3か月のカリキュラムを終了したあと、試験に合格すれば再び、カムバックさせてあげましょう。「公務員運転免許所」の月謝は月1万円にします。破格の安さなので通いやすいです。


難易度はサッカーのJ2のチームがJ1に昇格するぐらいの難易度なので、セレッソ大阪ぐらいの実力があれば難しくはないでしょう。


そして、新卒の公務員試験は、東大入試レベルの難易度に設定して、さらに狭き門にします。それにより、公務員は大幅に削減され、財源も生まれるでしょう。

もし人手が足らなくなれば、一般人からバイトを雇えば済むことです。

ハンコを押し続けるぐらいだったらバイトでも大丈夫でしょう。


そして、ハローワークを撤廃する。その代りに自営業を応援する施設をもっと作ります。今の日本人はぶっちゃけ組織や会社に頼りすぎです。自分で作ればいいじゃないですか。最低限の生活さえ保障しちゃえば、自分でビジネスを考える余裕も時間もできるでしょう。


就職は、就職雑誌とリクナビを見ながら自分でやれ。仕事が見つからなくても、お金があるから気にするな。


たとえ引きこもりでも、「20万円」の生活費は保障されているため、月収「20万円」の自営業者としてのポジションを確立できることでしょう。


家で「にこにこ動画」をみてまったりするのも、アキバのサイン会に参加してもいい、異性をナンパしまくってもいい。将来に向けて勉強するのもいいじゃありませんか。


普通にサラリーマンの月収が20万だとしても、20万+20万の生活ができるので、毎週恋人と優雅なディナーができることでしょう。毎月海外旅行に行ってきちゃってください。


毎月海外旅行に行けば、「国際人」になることができます。AWAYに強い人間になります。海外に揉まれ強い日本人になることができます。


もしかしたら、公務員削減だけで、財源すべてを賄うことはできないかもしれませんが、少しぐらい税金を上げてもこれならば大丈夫でしょう。


マニフェスト禁忌キッドはフリーダムなやり方なのです。いい意味でのスーパーフリーではありませんか・・・。


マニフェストその2 学校に行く義務の撤廃です。


いじめられてつらいめに遭っている子供たちに言いたい。学校に行きたくなければいかなくていい。いじめっ子は天下の悪法、少年法のせいで守られている。少年法の撤廃はマニフェストその3で述べるが、とにかく、そんな学校に行っても意味ない。


学校を強制しない代わりにフリースクールをどんどん作ります。「フリースクール支援法」を設けます。フリースクールを設立した場合、国がどんどん応援します。もちろん「フリースクール」がいやならいく必要もありません。


学校に行ったら社会性が身に着くといいますが、学校で社会性を教わることができているでしょうか?むしろ社会性を教えるのは親の責任ではないでしょうか?学校はそこまで手がまわりまへん。


エジソンは学校に行かず独学で天才になりました。日本には天才が少ないです。だから天才になるために独学を奨励したいと思います。


高校レベルの数学ができる小学生が、同級生と肩を並べて算数の勉強をしては物足りません。だったら家で大学レベルの数学に取り組めばいいじゃないですか??


そしたら数学バカになるんじゃないかって??


そんなことはない、一芸は多芸に通ずるのです。


歴史マニアになれば、暗記力が付きますし、雑学王になれるでしょう。コンパで誰も聞いていないのに、うんちくを語り続けることができる愛すべきKYになれるはずだ。


18歳になれば無条件で、全員に「高校卒業資格」を与えてしんぜましょう。


18歳になれば「高校卒業資格」を貰え、20歳になれば「選挙権」を貰えるのです。


すばらしい。


自宅にいて「高校」を卒業できる素晴らしいシステムです。学歴格差もほれ、解決です。


そして大学に行きたい人は、そのまま大学へ進学です。


そして経済的な理由で行けない人には、東京大学の通信教育課程を設けます。すでに慶応大学や早稲田大学でも通信教育課程が存在しているのに、なぜ東大にないのか??東大も出おくれてはならない。


そして、東京大学の通信教育課程は、誰でもはいれるようにします。授業料も月謝制で、月1万円にしましょう。入学金は10万でいいです。家庭の事情で東大に行けない人も、東大に入学できるという魅力的な制度です。


その代り東大の通信課程の卒業は厳しくしましょう。通学過程よりも厳しくします。だけど、着いていけず辞めたとしても、東大入学という学歴を得ることができます。面接試験でも堂々と東大に入学しましたと言えるでしょう。東大の通信を卒業したら、めっちゃ勉強したんだねと思われることでしょう。


ハイ、これで日本中にうずまく学歴コンプレックスがなくなりました。


入学が難しいが、卒業が簡単なのがいいか、入学は簡単だが、卒業が難しい。あなたならどちらを選びますか??私なら簡単に東大に入り簡単に東大を中退する選択を選びますが・・・。


マニフェスト その3 少年法の撤廃


 私は、「死刑反対」とか「加害者にも人権を・・・」という人権団体に物申したい。


もし自分の子供がいじめで自殺したり、家族が殺されたら、どう思いますか??


そんなときも「加害者にも人権・・・」と言えるのでしょうか?もしそんな奴がいれば

変態です。


結局「人権団体」は、わが身に置き換えて考えていないから、そんな人ごとみたいなことをいえるのでげす。


もちろん未成年の加害者は実名報道する。もちろんインターネットでは大炎上でしょう。


加害者がノーハンディで社会復帰できるのはおかしい。


加害者が仕事がなくても、月20万円の生活保障があるので生活はできるでしょう。

ただ周囲の冷視に耐えながら生きる強さは必要ですけどね・・・。


未成年の場合も服役させる。

未成年の場合子供だけではなく親の責任もあると考え、親も服役させる。

結局そんな餓鬼をのさばらせたのは親の責任なのです。


もし子供がいじめに加担したり、非行しそうであれば、学校に行かせるべきではない。

人様に迷惑をかけるような子供はきっちりと家で教育しまくるべきです。


もしそれでも子供が治らない場合は、専門のカウンセラーや施設でしっかりと教育してメンタルケアすればいいのです。


もしそれでも治らない場合は、韓国政府に出向いて、韓国の軍隊に志願兵として参加すればいいのではないでしょうか?きっとものすごく精悍な人間になるでしょう。


最後に、禁忌キッドと一緒にヒアルロン酸で、日本中をスベスベにしましょう。

投稿原稿「21世紀の自虐型シェリー」

「21世紀の自虐型シェリー」
作:何某 何


俺から離れてくれ
俺はいずれお前を裏切り
手ひどく傷つけるのだから

俺に期待しないでくれ
近いうちに情けない失望に変わり
軽蔑を投げつけたくないのならば
誰も望まない結末になる前に

彼はそう言った

俺を嘲ってくれ
ほかの誰よりも、あの人よりも
貶めて、けなして、恨んでくれ

俺を好きなようにしてくれ
正面から罵り、横から卵をぶつけ
背面で悪口を叩き、上から汚物をかけ
何だってやってくれ

堕ちていったヤツの見せた幻が
俺をじっと見つめている
お前もそうなる末路なんだからと
いつか地の底に行くその日までずっと
影は耳元でささやき続ける気だ

そう彼は残した

俺を見捨ててくれ
いずれそうなって当然なのだから
今のうちに最初からやっておくれ

俺を殺してくれ
ゴキブリのように殺してくれ
罪も無く殺しその後はただ
簡単に俺のことを忘れていってくれ

彼はそう遺した

終わってゆく自分を感じながら
彼は生まれてきたその訳と
生きてきた理由とに思いを馳せた

この世界とは一体なんだ
顔も動かせぬその躯で
彼は嘆き悲しむ

2009年09月19日

投稿原稿「俺を怒らせてくれるな」

「俺を怒らせてくれるな」
作:奇龍(きりゅう)

健常者が障害者を毛嫌いするのと同じように
俺は健全な奴が嫌いだ。

何不自由なく育ってる奴らのツラを見るだけで
腹の中に入ってるカップラーメンの麺がもどってきそうになる。

健常者が俺たち精神障害者を見るときの目が死んでるのと同じくらい
理由は無い。

気に入らない。に理由を付けるとキリが無い。

俺の前を通る「健全な奴ら」には共通して
俺を怒らせるのが得意な奴らでもある。

理由は無くても、「原因」はある。

17歳で分裂病になって
「青春」が無くなったという十分すぎる原因なら思いつく。

俺を怒らせてくれるな。

シャバで生きていくには「健全な障害者」じゃないと駄目で
「精神障害者」だと駄目になる。
「健全である事」が障害者には必要とされる必須科目になる。

健全な分裂病がいるのかよ。と思うと
俺は腹の中に入ってるカップラーメンの麺がもどってくる。

2009年09月12日

投稿原稿「ニート短歌集「憂鬱草」」

「ニート短歌集「憂鬱草」」
作:ニート歌人


信長のようになれない
現代の魔王ニートが
自宅焼き討ち


家康と同じ形の手相持つ
ニートの俺は
今は人質


籠城をした末裔が
部屋の中
籠るばかばかしさは何事


エレベーター
個室に満ちた自意識は
ドアが開けば解放される


正確に巡る季節に
植物は忠実である
俺は寝たまま


デザートを食べて暴れる
人は無し
酒の飲めない者に幸あれ


友の自殺

「起業する」
未来を語りつつ歩く
自殺一月前の友人


笑顔無き学校を出て
永遠に
友は真顔で額縁の中


憂鬱と言う名の定期便が来て
今日も
呼び鈴鳴らし続ける


ぼうけんのしょをはじめますか?
『→はい →いいえ』
悩んでるうち 人生終了(ゲームオーバー)


銭湯で
とろとろ眠るそのままに
水に還ってしまえたらよい


死ぬるまで
三月兎飛び跳ねる
狂ってるのは見ているあなた


懲罰のように
毎日パソコンに張りついていて
見えない恩赦


秋までは遠い道のり
実りても
まなうらにある冬の寒空


もう年が暮れて行くのか
銀杏の匂い道満ち
曇天無風


飛び出して死んでしまいたい心地する
信号待ちの
脱落者、俺


1分を惜しんで失う10時間
リカバリできない
人生である


生き急ぐ
俺は強制終了をすぐしたくなる
短気とも言う


携帯を弄っていれば向こうから
人斬りが来る
そんな気配が


背後から視線を感じ振り向けば
横に
転がる地蔵の首が


雨上がる夜の黙(しじま)に木霊(こだま)する
自殺現場の踏み切りの

2009年09月10日

投稿原稿「××警察署顛末記」

「××警察署顛末記」
作:bombeck


「人を殺しました」そう言って、××警察署をおとずれたのは深夜の12時。「近所で殺人事件がありましたよね。犯人はぼくです。自首します」そう言うぼくに受付の警察官は奇妙な顔をして、しばらくすると奥から数人の警察官があらわれた。
それからぼくは取調室のようなところに連れていかれて、「気まりのようなものだから」と持っていたバッグを調べられ、そこで面長の刑事に取り調べをうけた。
「家はどこ?」
「△△です」
「△△? まさか家出とかじゃないだろうね」
「違います」
「学生?」
「いえ、中退しました」
「どこ?」
「Z大です」
「Z大?」
するとその面長の刑事はしばらく胡散臭そうな目でこちらを見た。Z大はそこそこの大学として有名だったからだろう。
「あんた、精神病とか、そういうのないの?」
「精神科にはかよってますけど……」
すると面長の刑事は取調室を出ていった。持っていたバッグのなかには家の住所を書いていたアドレス帳が入っていた。しばらくすると面長の刑事がおそらく家に電話をかけている声が外から聞こえてきた。
「……はい……おたくの息子さんが……ええ……こちらにこられてですね……それで自分が犯人で……はい……それで、自分はZ大生だと……え? そうなんですか……はい……はい……」
しばらくするとその面長の刑事はもどってきた。手にはコーヒーを持っている。
「飲みなさい」
コーヒーをぼくのほうにさしだしながら、面長の刑事は言った。
「お兄さんがくるそうだから、それまで待っていなさい」
だされたコーヒーにぼくは口をつけた。
「あんたほんとうにZ大生だったんだね」
「はあ」
「高校はどこ?」
「△△高校というところで……」
「勉強したの?」
「まあ」
そんな話をしているうちに、しばらくすると兄が車でやってきた。
兄は警察署に長居するつもりなどなく、テキパキとことを運んだ。
これから帰ろうというときになって、面長の刑事がぼくのところにやってきて言った。
「息子の成績があがらないんだけれど、どうすればいいかな?」
ぼくはすこし考えてから言った。
「普通に暮らせればいいんじゃないんですか?」
すると面長の刑事は言った。
「普通に暮らせても成績があがらないんだよ!」
それはけっして大きくはない声だったけれど、なにか叫びのようでもあった。
「話したほうがいいですよ……」
ぼくはそれだけ言うと、兄にせかされるように××警察署をあとにした。

2009年09月07日

投稿原稿 「老人ホームの体験談」

「老人ホームの体験談」
作:工藤興市


俺が働いた特別養護老人ホームは、認知症、障害者の方(目が見えない、半身不随)など様々な最高100何歳のお年寄りがいたわけ。本でも書いたけど、初日に2階のホールをエレベーターから降りたときに、帰ろうと思ったわけさ。


だって、70人近くのお年寄りが車椅子で、センターのホールで食事をとろうとしてたのね。

俺はスキンヘッドにしてるから、認知症の方はお迎えが来たと思って俺見て祈るわけよ。

・・・。

ボケることもよく分かってないし、無理やり介護の世界に自分が勉強したいだけで入らせてもらったから、正直ビビった。

だってすごい世界なんだもん。

他人の沢山ある入れ歯を初めて洗った。


目の前でウンコをしているポータブルトイレを回収した。

ドアは暗証番号でロックされていて、その解除番号を押さないと、部屋を行き来できなかった。

大人数のエプロンを、見たこともない大きな洗濯機や、乾燥機で洗ったり干したりした。

朝各お年寄りがいる部屋を回っている時(洗顔介助というのがあって、オシボリで顔を拭いて回る作業があるのだ)重度の認知症の方にいきなり殴られた(笑)

ただのAV男優だよね、俺・・・・・?

特に驚いたのは、深夜徘徊する重度の認知症の方が、人形を持ちながら、深夜叫び回って歩いている光景に出くわした時だ。

その方は女性で、旦那さんはちゃんとされた方だったんだけど、奥さんは壁にウンコを塗りたくり、裸で町内を歩き回るなど、手におえない状況だったらしい。

結婚して60年。旦那さんは何年も介護していたそうだ。

たった一人の人を愛した旦那さんには、断腸の思いの選択が老人ホームだったんだろう。


だって離れたくないのは、訪問の回数や奥さんに接する態度で分かった。


その目だ。

奥さんを見つめる目。


ボケた奥さんは、何を見ているのか分からない。


でも旦那さんは、禿げた頭で、ずれた老眼鏡を直しもせず、いつも優しい目で、奥さんだけを見ていた。


でも奥さんはどうだろう?


旦那さんの記憶はないのだ。


脳に残る記憶。


それは、初恋の人だったから・・・

深夜徘徊していた人形を持った女性は、初恋の人の名前を叫びながら歩き続けていたんだ。


それに気付いたのは、かなり後だったんだけど。


それを承知で、旦那さんはボケた奥さんのその初恋の人を何年も演じてたことを職員さんに聞いた時は、地下の休憩室で泣いたよ。

そんな愛なんか初めてだったから。

それから2ヶ月ぐらい経った時に、俺は真のSEXを見たんだよ。

朝の洗顔介助をしていた時、たまたまその旦那さんが来ていて、いつもの様に暴れまわる奥さんを見ていた。

オシボリを振り回し、初恋の人の名前を呼ぶいつもの光景だ。

「こら、暴れちゃいかんよ」

「○○さ~~ん!!」

「ほら、職員さんに迷惑かかるから」

「○○さん!何で特攻したの?零戦!!!零戦!!」

「ほら、ちょと待って、今ここにいるよ?俺は○○だからね?」

とても見ていられなかった。


酷すぎる。

何で奥さんの初恋の人を演じなきゃなんないわけ?


俺は、怒りにも似た感情だった。

複雑な感情でそのやり取りを見ていた。

その時だった。

泣きながらよだれを垂らした奥さんが、突然優しい目をして、旦那さんのずれた老眼鏡を外して、優しく右手に握っていたそのオシボリで、顔を拭き始めたんだ。

呆気にとられた皆の空間。

でも数十秒後には感動に変わった。

「ありがとうよ。今までね。ありがとうよ。ごめんよ。私ようわからんね。寅蔵さんにお世話になったのに、ようわからんね」

寅蔵は、旦那さんの名前だ。

その場にいた誰もが無言で寅蔵さんを見つめていた。

寅蔵さんが何言ったと思う?

泣いている奥さんに向かってこう言ったんだよ。

「わしもようわからんから大丈夫だよ」

職員も他の訪問に来ていた家族も、その場にいた正常な意識を持ったお年寄りも、皆込み上げる涙を押さえることはなかった。

だって、他人の名前じゃなく、旦那さんが呼んで欲しかったのは、絶対自分の名前だったはず。


それを現場全ての人間が分かっていたからだ。

何年もかかったかもしれないけど、たったひと時の神様の気まぐれかもしれないけど、自分の名前を呼んでくれたその喜び・・・

俺は声を出して泣いたんだ。

心の底から泣いたんだ。

あの時の旦那さんの顔は今でも忘れない。

綺麗な皺くちゃな笑顔だった。

ありがとう。

2009年08月25日

投稿原稿 「人間失格の歌~ニート的短歌のすすめ~」

「人間失格の歌~ニート的短歌のすすめ~」
作:ニート歌人


 短歌とは5・7・5・7・7の31文字の言葉から成る短い詩みたいなものです。57577の定型(字余りや字足らずもあります)に言葉を当てはめるパズル的な面白さもありますし、自分の心情を表現することもできる面白い表現方法です。試しに色々と詠(よ)んでみて下さい。自分の思ってることや、感じたことを表現することは、きっと心を軽くしてくれると思います。ニートだからこそ、生きづらさを抱えているからこそ、きっと、人の心に響く歌を作ることができると思います。石川啄木のように。


 以下は、自分がここ数年で作ったニート短歌の抜粋です。ニート的心情や、ニート的世間の観察を短歌にしてみました。

ニート短歌
「人間失格の歌」


生まれたと言う罪のため
今日もまだ
無期懲役の日々は終わらず


また今日も求人サイトが弾き出す
「絶望」
と言う検索結果


眠れない
 眠りたいのに 眠れない 
眠りたいのに 眠れないのか


もし我の手に銃あらば
暴発をしてしまうから
日本に感謝


ニートにはニートの悩みがあるけれど
働く者の前には
無力


清く正しく生きろって言うことは
命を賭けて
マゾになること


言い訳と諦(あきら)めという
ぬるま湯に
浸(つ)かり続けて空気が寒い


鬱々と釘打つ如く
夜もすがら
キーボードから手は離れない


憂鬱を集めて今夜
咲きまして
月とお話してさようなら


雨上がる夜の黙(しじま)に木霊(こだま)する
自殺現場の踏み切りの


長らくの冬眠終わるような朝
この世は嫌だ
腹が減るから


言い訳を言う労力は
捨て去って
隠れて放つ短歌風船


春風にゆらゆら揺れる
風の無い地面が揺れる
ゆらゆらと 影


自己否定自己肯定
が渦巻いて
不協和音を奏でる心


Bダッシュ
ただしていれば人生もマリオも
落ちる奈落の底に


テトリスで
ミスったように人生を
誤魔化し誤魔化し延命をする


王様に魔王倒せと脅されて
『はい』と頷く
バイトの勇者


クリスマスイブの電車で
おっさんが
正々堂々読むエロマンガ


クリスマス
ケーキ売る声張り上げる
彼を待つ人いるだろうか


自殺記事
毎日読めば麻痺をする
平和な日本という戦場


また今日も独り
子供が自殺して
大人は皆保身に走る


夜明け前
眠り静まるこの街の
誰が為に照る松屋吉野家


すれちがう
歩行者達は一年後
変わらず生きているのだろうか


ミニチュアのように
人間小さくて
見えざる空に操られてる


車窓から流れる景色浮かんでは
消えゆく月日
年をとりたり


役割を終えた昔の自分達
形見無くても
ここにいるから


静寂を
貫く列車過ぎゆけば
高架の下に戻る足音


人の波
一人外れて踏み出せば
綺麗な星の広がる砂漠


わからない答えは風に流されて
公園の空
カラスが鳴いた

2009年08月24日

投稿原稿募集

投稿原稿募集中!


オールニートニッポンでは、WEBマガジン掲載用の原稿を広く募集しております。
テーマは不登校、ひきこもり、ニートに関係することから、映画や書評、ゲーム、アニメまで。
エッセイ、小説、漫画など、読者を引きつける内容であれば表現形態は問いません。
 
投稿にあたり、応募資格・条件などはございませんので、
まずはメールにて原稿をご送付ください。
掲載の可否につきましては、追って事務局よりご連絡差し上げます。
 
みなさんの文章力を買っています。ぜひオールニートニッポンを盛り上げてください!
よろしくお願いします。
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2009年08月08日

投稿原稿 「今だから、石川啄木(2)」

「今だから、石川啄木(2)」
作:ニート歌人


今回は「一握の砂」に引き続き「悲しき玩具」から短歌を紹介したいと思います。啄木は1912年4月13日、肺結核により26歳の若さでこの世を去りました。「生きづらさ」を抱えて生活をしてきた石川啄木、最期の歌集です。

「悲しき玩具」より

途中にてふと気が変り、
つとめ先を休みて、今日も、
河岸(かし)をさまよへり。


家(いへ)を出て五町ばかりは、
用のある人のごとくに
歩いてみたれど――


いつまでも歩いてゐねばならぬごとき
思ひ湧(わ)き来(き)ぬ、
深夜の町町(まちまち)。


何(なん)となく、
今朝(けさ)は少しく、わが心明るきごとし。
手の爪(つめ)を切る。


途中にて乗換(のりかへ)の電車なくなりしに、
泣かうかと思ひき。
雨も降りてゐき。


どうなりと勝手になれといふごとき
わがこのごろを
ひとり恐(おそ)るる。


手も足もはなればなれにあるごとき
ものうき寝覚(ねざめ)!
かなしき寝覚!


誰(たれ)か我を
思ふ存分(ぞんぶん)叱(しか)りつくる人あれと思ふ。
何(なん)の心ぞ。


新しき明日(あす)の来(きた)るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘(うそ)はなけれど――


考へれば、
ほんとに欲(ほ)しと思ふこと有るやうで無し。
煙管(きせる)をみがく。


朝寝して新聞読む間(ま)なかりしを
負債(ふさい)のごとく
今日も感ずる。


よごれたる手をみる――
ちゃうど
この頃の自分の心に対(むか)ふがごとし。


よごれたる手を洗ひし時の
かすかなる満足が
今日の満足なりき。


世におこなひがたき事のみ考へる
われの頭よ!
今年もしかるか。


人がみな
同じ方角(はうがく)に向いて行(ゆ)く。
それを横より見てゐる心。


何(なん)となく明日はよき事あるごとく
思ふ心を
叱(しか)りて眠る。


いつしかに正月も過ぎて、
わが生活(くらし)が
またもとの道にはまり来(きた)れり。


神様と議論して泣きし――
あの夢よ!
四日(か)ばかりも前の朝なりし。


家(いへ)にかへる時間となるを、
ただ一つの待つことにして、
今日も働けり。


いろいろの人の思はく
はかりかねて、
今日もおとなしく暮らしたるかな。


おれが若(も)しこの新聞の主筆(しゆひつ)ならば、
やらむ――と思ひし
いろいろの事!


百姓の多くは酒をやめしといふ。
もっと困(こま)らば、
何をやめるらむ。


目さまして直(す)ぐの心よ!
年よりの家出の記事にも
涙出(い)でたり。


人とともに事をはかるに
適(てき)せざる、
わが性格を思ふ寝覚(ねざめ)かな。


何(なに)となく、
案外(あんがい)に多き気もせらる、
自分と同じこと思ふ人。


自分よりも年若き人に、
半日も気焔(きえん)を吐(は)きて、
つかれし心!


珍(めづ)らしく、今日は、
議会を罵(ののし)りつつ涙出(い)でたり。
うれしと思ふ。


あやまちて茶碗をこはし、
物をこはす気持のよさを、
今朝(けさ)も思へる。


何故(なぜ)かうかとなさけなくなり、
弱い心を何度も叱(しか)り、
金かりに行く。


古新聞!
おやここにおれの歌の事を賞(ほ)めて書いてあり、
二三行(ぎやう)なれど。


眠られぬ癖(くせ)のかなしさよ!
すこしでも
眠気(ねむけ)がさせば、うろたへて寝る。


この四五年、
空を仰(あふ)ぐといふことが一度もなかりき。
かうもなるものか?


どうかかうか、今月も無事(ぶじ)に暮らしたりと、
外(ほか)に欲もなき
晦日(みそか)の晩かな。


あの頃はよく嘘(うそ)を言ひき。
平気にてよく嘘を言ひき。
汗が出(い)づるかな。


『石川はふびんな奴(やつ)だ。』
ときにかう自分で言ひて、
かなしみてみる。

ドア推(お)してひと足(あし)出(で)れば、
病人の目にはてもなき
長廊下(らうか)かな。


重い荷を下(おろ)したやうな、
気持なりき、
この寝台(ねだい)の上に来(き)ていねしとき。


そんならば生命(いのち)が欲しくないのかと、
医者に言はれて、
だまりし心!


真夜中にふと目がさめて、
わけもなく泣きたくなりて、
蒲団(ふとん)をかぶれる。


話しかけて返事のなきに
よく見れば、
泣いてゐたりき、隣の患者(くわんじや)。


病室の窓にもたれて、
久しぶりに巡査を見たりと、
よろこべるかな。


晴れし日のかなしみの一つ!
病室の窓にもたれて
煙草(たばこ)を味(あじは)ふ。


夜おそく何処(どこ)やらの室(へや)の騒がしきは
人や死にたらむと、
息をひそむる。


何(なに)となく自分をえらい人のやうに
思ひてゐたりき。
子供なりしかな。


目さませば、からだ痛くて
動かれず。
泣きたくなりて、夜明くるを待つ。


びっしょりと寝汗(ねあせ)出(で)てゐる
あけがたの
まだ覚(さ)めやらぬ重きかなしみ。


ぼんやりとした悲しみが、
夜(よ)となれば、
寝台(ねだい)の上にそっと来て乗る。


病院の窓によりつつ、
いろいろの人の
元気に歩くを眺(なが)む。


もうお前(まへ)の心底(しんてい)をよく見届(みとど)けたと、
夢に母来て
泣いてゆきしかな。


もう嘘(うそ)をいはじと思ひき――
それは今朝(けさ)――
今また一つ嘘をいへるかな。


何となく、
自分を嘘のかたまりの如(ごと)く思ひて、
目をばつぶれる。


今までのことを
みな嘘にしてみれど、
心すこしも慰(なぐさ)まざりき。


 病(や)みてあれば心も弱るらむ!
さまざまの
泣きたきことが胸にあつまる。


寝つつ読む本の重さに
 つかれたる
手を休めては、物を思へり。


胸いたみ、
春の霙(みぞれ)の降る日なり。
 薬に噎(む)せて、伏(ふ)して眼をとづ。


ふるさとを出(い)でて五年(いつとせ)、
 病(やまひ)をえて、
かの閑古鳥を夢にきけるかな。


堅(かた)く握(にぎ)るだけの力も無くなりし
やせし我が手の
 いとほしさかな。


わが病(やまひ)の
 その因(よ)るところ深く且(か)つ遠きを思ふ。
 目をとぢて思ふ。


かなしくも、
 病(やまひ)いゆるを願はざる心我に在(あ)り。
何(なん)の心ぞ。


友も妻もかなしと思ふらし――
 病(や)みても猶(なほ)、
 革命のこと口に絶(た)たねば。


やや遠きものに思ひし
テロリストの悲しき心も――
 近づく日のあり。


かかる目に
 すでに幾度(いくたび)会へることぞ!
成(な)るがままに成れと今は思ふなり。


月に三十円もあれば、田舎(ゐなか)にては、
楽に暮せると――
 ひょっと思へる。


今日もまた胸に痛みあり。
 死ぬならば、
 ふるさとに行(ゆ)きて死なむと思ふ。


病(や)みて四月(しぐわつ)――
 そのときどきに変りたる
 くすりの味もなつかしきかな。


病みて四月(ぐわつ)――
 その間(ま)にも、猶(なほ)、目に見えて、
 わが子の背丈(せたけ)のびしかなしみ。


すこやかに、
背丈(せたけ)のびゆく子を見つつ、
 われの日毎(ひごと)にさびしきは何(な)ぞ。


いつも子を
 うるさきものに思ひゐし間(あひだ)に、
その子、五歳(さい)になれり。


その親にも、
 親の親にも似るなかれ――
かく汝(な)が父は思へるぞ、子よ。


「労働者」「革命」などといふ言葉を
 聞きおぼえたる
 五歳の子かな。


あてもなき金(かね)などを待つ思ひかな。
 寝つ起きつして、
 今日も暮したり。


何もかもいやになりゆく
この気持よ。
 思ひ出しては煙草(たばこ)を吸ふなり。


ひさしぶりに、
 ふと声を出して笑ひてみぬ――
蝿(はひ)の両手を揉(も)むが可笑(をか)しさに。


解(と)けがたき
不和(ふわ)のあひだに身を処(しょ)して、
 ひとりかなしく今日も怒(いか)れり。


猫を飼(か)はば、
その猫がまた争(あらそ)ひの種となるらむ、
 かなしきわが家(いへ)。


かなしきは我が父!
 今日も新聞を読みあきて、
 庭に小蟻(こあり)と遊べり。


ただ一人の
をとこの子なる我はかく育てり。
 父母もかなしかるらむ。


やまひ癒(い)えず、
死なず、
 日毎(ひごと)にこころのみ険(けは)しくなれる七八月(ななやつき)かな。


縁先(えんさき)にまくら出させて、
 ひさしぶりに、
 ゆふべの空にしたしめるかな。

2009年07月27日

投稿原稿 「今だから、石川啄木」

「今だから、石川啄木」
作:ニート歌人


 蟹工船がブームになって久しいですが、自分は石川啄木の歌集「一握の砂」と「悲しき玩具」を是非、今の世の中の人に読んで見て欲しいと思っています。

教科書なんかで紹介されているような当たり障りの無い啄木の短歌では決して見えてこない、啄木の心の底の不安や怒り、ネガティブな感情は、今、不安定な社会で、不安定な心で生きている私達の心に響くと思います。

以下、啄木の歌集「一握の砂」より短歌を紹介いたします。読んでみるとわかりますが、驚くほど「死」と言う言葉が出てきます。啄木も「生きづらさ」を常に抱いて生きていた一人でした。

「一握の砂」より


大(だい)という字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来(きた)れり


何処(いづく)やらむかすかに虫のなくごとき
こころ細(ぼそ)さを
今日(けふ)もおぼゆる


いと暗き
穴(あな)に心を吸(す)はれゆくごとく思ひて
つかれて眠る


こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂(しと)げて死なむと思ふ


鏡(かがみ)とり
能(あた)ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽(あ)きし時


「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止(よ)せ止せ問答


高きより飛びおりるごとき心もて
この一生を
終るすべなきか


非凡(ひぼん)なる人のごとくにふるまへる
後(のち)のさびしさは
何(なに)にかたぐへむ


大(おほ)いなる彼の身体(からだ)が
憎(にく)かりき
その前にゆきて物を言ふ時


実務には役に立たざるうた人(びと)と
我を見る人に
金借りにけり


死ぬことを
持薬(ぢやく)をのむがごとくにも我はおもへり
心いためば


それもよしこれもよしとてある人の
その気がるさを
欲(ほ)しくなりたり


路傍(みちばた)に犬ながながとしぬ
われも真似(まね)しぬ
うらやましさに


剽軽(へうきん)の性(さが)なりし友の死顔の
青き疲れが
いまも目にあり


気の変る人に仕(つか)へて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな


空寝入(そらねいり)生(なまあくび)など
なぜするや
思ふこと人にさとらせぬため


朝はやく
婚期(こんき)を過ぎし妹の
恋文(こひぶみ)めける文(ふみ)を読めりけり


死ね死ねと己(おのれ)を怒(いか)り
もだしたる
心の底の暗きむなしさ


親と子と
はなればなれの心もて静かに対(むか)ふ
気まづきや何(な)ぞ


かの船の
かの航海の船客(せんかく)の一人にてありき
死にかねたるは


よく笑ふ若き男の
死にたらば
すこしはこの世さびしくもなれ


何がなしに
息(いき)きれるまで駆(か)け出(だ)してみたくなりたり
草原(くさはら)などを


常(じんじやう)のおどけならむや
ナイフ持ち死ぬまねをする
その顔その顔


こそこその話がやがて高くなり
ピストル鳴りて
人生終る


ただひとり泣かまほしさに
来て寝たる
宿屋(やどや)の夜具(やぐ)のこころよさかな


友よさは
乞食(こじき)の卑(いや)しさ厭(いと)ふなかれ
餓(う)ゑたる時は我も爾(しか)りき


一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと


我に似し友の二人(ふたり)よ
一人は死に
一人は牢(らう)を出(い)でて今病(や)む


打明けて語りて
何か損(そん)をせしごとく思ひて
友とわかれぬ


どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな


はたらけど
はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢっと手を見る


何もかも行末(ゆくすゑ)の事みゆるごとき
このかなしみは
拭(ぬぐ)ひあへずも


とある日に
酒をのみたくてならぬごとく
今日(けふ)われ切(せち)に金(かね)を欲(ほ)りせり


何がなしに
頭(あたま)のなかに崖(がけ)ありて
日毎(ひごと)に土のくづるるごとし


死にたくてならぬ時あり
はばかりに人目を避(さ)けて
怖(こは)き顔する


たんたらたらたんたらたらと
雨滴(あまだれ)が
痛むあたまにひびくかなしさ


うすみどり
飲めば身体(からだ)が水のごと透(す)きとほるてふ
薬はなきか


夜明けまであそびてくらす場所が欲(ほ)し
家(いへ)をおもへば
こころ冷(つめ)たし


人といふ人のこころに
一人づつ囚人(しうじん)がゐて
うめくかなしさ


叱(しか)られて
わっと泣き出(だ)す子供心
その心にもなりてみたきかな


盗むてふことさへ悪(あ)しと思ひえぬ
心はかなし
かくれ家(が)もなし


誰(た)そ我(われ)に
ピストルにても撃(う)てよかし
伊藤のごとく死にて見せなむ


わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己(おの)が道をあゆめり


そのむかし秀才(しうさい)の名の高かりし
友牢(らう)にあり
秋のかぜ吹く


何事も金金(かねかね)とわらひ
すこし経(へ)て
またも俄(には)かに不平つのり来(く)


わが抱(いだ)く思想はすべて
金(かね)なきに因(いん)するごとし
秋の風吹く

2009年07月02日

投稿原稿 私の居場所論~経験から~

私の居場所論~経験から~
作:紫乃

 
中一、中二とイジメられた私。
その時は義務という名の学校に休まず通っていました。
 
“登校拒否”という手段が自分の中に無かった為です。
今の私だったら自分の正論を突き通し、戦場だった学校には行かないが。
 
自分の居場所も無く、人間に対して恐怖感を持ち、心の余裕も無かった当時
〔登校拒否、引きこもり、ニートetc〕は世の中に対する甘えであり、
社会の流れに乗れない〔外れた人達〕だと思っていた。
 
私自身は自分の全てを否定し、自傷行為を繰り返していた。
あのリストカットは社会に対しての〔聞こえて欲しい心の悲鳴〕だった。
 
自己肯定感の欠片も無かった。
 
自分の容姿が嫌いだった。死ぬのでは無く消えたかった。あっさりと。
存在自体が存在しなかったことにしたかった。
 
来る日も来る日も
これからの人生どうなるんだろう、と考え絶望していた。
自分にも人にも厳しかった。
 
そんな日々が続いていたある日、
置き手紙をして半年近く家出をした。
 
現実から離脱したくて
学校(戦場)に対する心の持ちようが限界を超え
何よりも自分の弱さに耐えられなくなった。
 
今思い返せば、多分無意識上で
“愛”や“自分を認めてくれる人間”を求めていたんだと思う。
 
家出中はいろんな事があったが、
半年後にいろんな行政を経由しながら(笑)
とりあえず家に戻った。学校にも戻った。が・・・
 
〔心の拠り所、居場所〕が出来た。
 
地元にある〔フリースペース〕をある人が紹介してくれた。
 
そのフリースペースは
不登校も引きこもりも悪い事じゃないよ、という主旨の元で運営されていた。
 
最初は疑問を抱きかけたが、すぐに納得した。
“それ”を肯定する事によって、自分を肯定する事が出来たからだ。
 
家出やイジメ、家庭内不和、自傷はかなりの辛さだったけども、
今はとてもそれらに感謝している。
 
私の人生全てに“ありがとう”という気持ちで一杯です。
 
その居場所は、“今を生きる”という事を教えてくれた。
その居場所は、大切な人達に出会わせてくれた。
その居場所は、本当の自分を見つけるステップになってくれた。
その居場所は、かけがえのない場所になった。
 
私の人生、ありがとう。
 
P.S
長々と読んで下さいましてありがとうございました。
私の独断と偏見に基づき(笑)作成した文章です。
現在は相性の良い学校を見つけ、楽しく通っています。
そして、趣味で心理学をかじっています。
 
自分の体験を無駄にしたくないという想いは
きっと一生変わらないし、変えたくない想いです。
 
人生を楽しむとは、
まずは自分を大切にする事であり
毎日やりたいことをやることであると気づきました。

2009年04月28日

投稿原稿 「引きこもり」のままで生きればいいじゃないか 第五話

「引きこもり」のままで生きればいいじゃないか  第五話
作:ナンパンマン

 
どうも最近連載がご無沙汰になっていましたナンパンマンです。
ネタが尽きたわけではありませんし、もうちょっとだけ続くかもしれません。
もしかしたらナンパンマンの名前を忘れてしまった人もいるかもしれません。
いやいや・・・まだ頑張りますよ。
 
さて、わたくしナンパンマンは休職に入りましたが、やっぱり会社を休んだら
気が楽で、とても緩やかで優しい気持ちになれた気がします。
忙しいは心を亡くすとか書きます。最近の労働状況はやはり過酷と言えます。
会社を休んだりとか退職して自分の時間を持つことは全然悪いことじゃない・・・そう思います。
 
会社を病気とかで休む場合、実は給料の2/3ほどが1年半ほど支給されるという国の社会保険制度があります(傷病手当金)。
私の場合、傷病手当金の支給が認められる事例だったので、なんとかその支給金で生活を立てようとしています。
 
とりあえず、節約するため自炊しています。超めんどくさがり屋でいつも外食ばかりだった自分は、今まであまり自炊とかしたことなかったんですが・・・結構料理っていうのも楽しいですね。いうなれば今までは料理する余裕もなかったということ。
 
スマップの草薙メンバーが逮捕されたというニュースが新しいですが、結構ストレスがたまっていたんでしょうね。忙しいから心を亡くし、服もなくしてしまったんでしょうか?
 
ナンパンマンは実はスマップの隠れファンだったので残念です。
 
ただ、表面上はいいひと。でいても、心の中は病んでいる人も結構多いのではないでしょうか?
 
さてさて、閑話休題。これからは本当に職にあふれる人が増えてきます。今だって増えてきています。
私もハローワークを訪ねるのですが、大盛況です。
 
個人が自分で生きる、生計を立てる力をつける時代ではないかと思います。
再就職支援も必要ですが、それ以上に独立を支援するシステムの強化をさらに国には望みたいです。
 
ナンパは悪く言われていますが、実はナンパというのは、飛び込み営業です。
今までかかわりのなかった見ず知らずの人と関係を構築すること。
ナンパをしていれば出会いは有限なんです。引きこもっていてもいいですが、外に出てナンパをすることができればその人はとても有望だと思います。
 
引きこもって何かを考えることもとにかく大事。ひきこもって考えることでアイデアが磨かれるから。そして、気晴らしにナンパする。ナンパして内向している自分をアウトプットする。
それが21世紀の理想的なライフスタイルではないかと思っています。
逆にナンパばかりしている人は、深みが欠けてきます。
引きこもってじっくりと考えることで、深みが出てきます。
ひきこもってばかりいると、滅入ってくるので、たまには外に散歩だけでもいいんで出てみてもいいと思います。
 
声掛けできれば万々歳。
 
そんな引きこもりときどきナンパ生活を一緒に楽しんでみませんか?
 
ナンパンマンのブログ
 
感想とかありましたら、enjoynanpalife@yahoo.co.jpまでよろしくお願いいたします。

2009年04月10日

投稿原稿 「引きこもり」のままで生きればいいじゃないか 第四話

「引きこもり」のままで生きればいいじゃないか  第四話
作:ナンパンマン
 
 
ナンパンマンです。先日の放送ではお世話になりました。

僕の第4話がアップされるときには、多分放送のアーカイブもアップしていることと思います。

さて、ナンパンマンは1か月の休職に入りました。

なぜ休職に入ったのか・・・それは「社会適応障害」という診断が今日下ったからです。

「社会適応障害」というのは、まずなんだろうかという勉強から入らなければなりません。

要するに職場とか特定のシチュエーションに入るとストレスがかかったりしてうまくふるまえなくなってしまうということがあります。

この病気にかかった有名人は皇太子妃雅子さんです。

ナンパンマンは昔から学校とか組織とかそういうところに入って人とうまくやっていくのが苦手でした。

要するにある社会環境においてうまく適応できずに、ストレスを感じてしまう人たちのことです。

会社から与えられた選択は、
1、1か月の休職後、復職して物流センターで契約社員として働く選択。
手取り15万ぐらいだが、比較的簡単な仕事。ただし契約社員として辞めたら退職金ゼロ

2、休職のあと、会社を辞める選択。退職金が貰える。退職後も傷病手当(給料の6割をもらうことが可能)

要するに契約社員となるか、辞めてもらうかという選択です。

ナンパンマンはどちらをチョイスするかまだ決められていません。

ただ、休職をしないともはやヤバいところまできていたので、本当に休職に入ってよかったと思っています。

肩こりもひどかった・・・。

だけど、この運命を受け入れて、それでも自分は前に進もうと思っています。

神様は悪いものばかり与えません。
何かが欠けているということは、何か他の人にないものをもっているということ。

これからナンパンマンは本格的に文章に専念できますし、倹約生活をするのは勉強になります。

安静を保つよりも好きなことを思いっきりやりなさいと言ってもらいました。

好きなことはもちろん文章とナンパとサッカー応援です。

自分のハンディをカミングアウトすることで、同じ病気の人が勇気を持ってくれればと思っています。

ナンパンマンが出版する予定の本でも、このことを触れていきたいと思っています。

隠すんじゃなくて、堂々と向き合うこと。諦めるんじゃなくて明めるのである。

今日話した会社の人事の人にも、「君は心がきれいすぎるので清濁併せのむことができないね」と言われました。

君は、作家とか向いているんじゃないか・・・とか言ってもらいました。

僕は文章を書くのが得意とかいうことは全く言っていませんが、なんとなくそういうオーラがあるようです。

どうみても「サラリーマン」向きではない自分・・・そんな自分にジレンマを感じていました。

世の中はお勤めだけじゃなくていろんな生き方があるんだということを証明したい気持ちでいっぱいだ。

僕は適応障害という素因があったのか、高校も一度中退とかしていますし、大学も不登校気味でした。

もっと適応障害を勉強して、自分がライティングという形で、メッセンジャーになれればと思っています。

適応障害に関しても本を出版できるくらいになりたいです。

組織が苦手なら、個人と個人とのネットワークを作ってしまえばいいだけ。

ナンパンマンを応援してください。

ナンパンマンのブログ 

適応障害の説明

感想とナンパンマンへの応援メッセージお寄せください
enjoynanpalife@yahoo.co.jp

投稿原稿 告白

告白
作:乾紅宇樹

 
こんにちは、はじめてお便りします。いまこの文章を書きながらも、読むひとたちの反応や「作品の出来」を気にして書いている自分に嫌気が差しながら書いています。こうしたものを投稿するのは、はじめてですが少し勇気を出して書くことにしました。
 
私は、いま36歳です。つい7日ほど前、3月いっぱいで4年半ほど非正規社員で勤めていた会社を辞めました。今は一応、会社のほうで失業保険の手続きをしたのですが、どうしても職安のほうに足が向かないという状態に陥ってしまいました。
 
経済的な不安…それにより現実的に迫ってくる自殺を切望する気持ち、そして失敗することへの恐怖…確実で苦しまなくてすむ死に方を探す日々…一応、明日面接がありますが
 
「ダメだったらどうしよう」
 
もう正直、仕事を探す気力が湧いてきません。今、無気力状態でいる僕は仕事をしなければ大変な事態におちいってしまうことがわかっていながらどうにもできない…苦しい。
 
このまま生きづらさと孤独の中を生きていかなければならないのか…いつでも確実に死ねる手段があれば楽になれるのに…。
 
きっかけ。僕は中2のときに不登校になりました。いま思えば、これから高校受験と向かっていくなか、皆がお互いをライバル視していく殺伐とした空気を敏感に感じとってしまっていたのでしょうか。家庭にも僕のいばしょは無く父親は説教と体罰、母は話しは聞いてくれるが何もしない、兄たちはそんな僕を疎んじているようでした。
 
学校で奇妙な行動をとるようになっていた僕は、そのことでいじめを受けました。そして次第に学校に行かなくなったのですが、父親にそのことがばれないように行ったふりをして、日中の時間を学校の近くのひとの目につかないところで過ごしていました。先生もこれといって対応をするわけでもなく、なしくずし的に中学を卒業しました。
 
高校には進学しましたが、そこでもいじめに会って結局1年もしないうちに中退していました。
 
その後、専門学校も中退し、仕事も就いては辞め就いては辞めしているうちに無気力になっていき、ひきこもるようになっていきました。 
 
そのときの僕は肉体的に強くなることだけを考えていました。家庭のなかで父や兄たちに暴力で言いたいことを抑えられていた僕は、中3のころから筋力トレーニングをはじめました。二人の兄は年子でしたので体力的にそれほど大差ないのですが、ぼくは3つほど離れていたために何かというと結局、ちからで抑えつけられていました。
 
「強くならなければ、言いたいこともいえない。父や兄たちに自分の気持ちをぶつけられない。そうしなければ、この家庭に僕の居場所はない。」
 
事実、ぼくは家庭のなかで余り者なのだと思っていました。(今も…?)ぼくの家は団地で3DK、リビング・居間とこども部屋が1室ありました。でも、こども部屋は2人の兄が使い、寝るところも無かった僕は中学2年くらいまで母親と寝ていました。(夜尿症もけっこうひどかったです。)兄たち2人には自分の勉強机があるのに、ぼくには自分の勉強机も寝るところも無い…、居場所がない…。でも母親とは寝たくないぼくは足のつっかえる押入れで寝ていました。
 
2年後、筋力と体力をつけた僕は父や兄たちと徹底的にやり合いました。父とは殺し合いのようなケンカを何度もやりました。父を何度も殺しかけました。母は何度もぼくと父のあいだに入ってきました。そのようなことを重ねているうちに家族はぼくに腫れ物にさわるように接するようになっていきました。
 
「やっと自由を手に入れた。
やっと自分の居場所ができた。
やっと自分の言いたいことを、本音を家族にぶつけられるようになった。」
 
言いようのない爽快感と満足感、絶望と自己嫌悪をぼくは感じていた。

2009年03月27日

投稿原稿 「引きこもり」のままで生きればいいじゃないか 第三話

「引きこもり」のままで生きればいいじゃないか  第三話
作:ナンパンマン
 
 
どうも、ナンパンマンです。4月3日よろしくお願いいたします。
4月3日の出演に向け、準備ができてきています。
ナンパ界の現場で活動する現役ナンパ師の心の声ををお聞きください。
 
私は、現役ナンパプレイヤーとして活動し、同時に全国各地のナンパ師を取材してきました。
私が直接会い交流したナンパ師は、30名をおそらく超えるでしょう。
 
全国の大物ナンパ師とも交流させていただき、ご飯を食べたりとか、あと勉強会にも参加させてもらいました。そして一緒にナンパし、一緒にたまに遊んだりすることで、一流ナンパ師の考え方を学ばせていただきました。
 
私は、さまざまなナンパ流派を学び、独自のナンパスタイルを少しずつ確立しつつあります。
手品に始まり、ネタナンパ、そして小道具ナンパ、外国人ナンパなどいろいろ学んだ。
そしてネットナンパも勉強しています。
 
そしてナンパ師と交流して一番思ったこと・・・・それはモテる男と、モテない男の差はほとんどないということです。
 
それはただ行動したかどうかです。そして一番思ったこと・・・彼らは声をかけただけで成功だと思っているということです。
 
声をかけた・・・だけど無視された。連絡先を交換した・・・だけど返信がなかった。
 
それは失敗ではないのです。
 
凄腕のナンパ師のナンパを見てみても実はほとんどは失敗なのである。彼らはおびただしい量の成功経験がありますが、その裏には、その10倍ほどの失敗体験があります。
 
凄腕の中には顔のつくりが正直よくない人もたくさんいて、そして身長が160センチぐらいの人もいます。
 
ルックスや身長は、確かに一つの要素ではあります。だけどルックスが不細工だから、身長が低いからという理由を彼らは言い訳にしないです。
 
一番大切なことは、ゴールを決めることではなく、シュートを撃つことなんだ。僕はそれをナンパ師との交流で学びました。
 
僕は無視されても、邪険に扱われても、向かっていったチャレンジした自分に誇りを持てるようになりました。仮に女の子と連絡先交換できなくても、向かっていっただけでも成功なのです。
 
結果主義の視点で見れば、声をかけた・・・だけど断られた・・・というのは0点でしかありません。営業は、実績がでなければいくら飛び込みセールスをしても0点であり、しかも無駄に交通費を使いやがってと怒られるかもしれません。
 
だけどナンパの魅力は、結果が出なくても、声をかけたという自信がつくこと。だから正直結果が出なくてもいいです。
 
もし現在引きこもりやニートの方がいて、対人スキルを回復したいと思っている方、情報誌を持って道聞きをしましょう。
 
相手は女の子でなくてもよく、男性でもいいです。そうやって慣れていくことが大切です。
 
最初は1日1人でもいいです。初日が1人だとしてもそれはあなたにとって貴重な思い出となるはじめの一歩なんです。
 
ナンパンマンがやっていることは実はナンパではなく、道聞きです。単に道聞きしているだけです。
 
情報誌を持って道聞きしているだけでも、ついてきてくれる子はいます。
そんな子は一生の友達になるチャンスです。そうやって泥臭く人脈を作りましょう。
 
まずは道聞きをします。たまに案内してくれる優しい女の子がいます。そんな子は友達になるチャンスです。そして教えてもらった後、ありがとうという感謝の気持ちを誠実に伝えましょう。
 
そうやって知り合った人は、仮に彼氏・彼女とはならなくても貴重な人脈になりえます。
 
そして出会った人には精一杯の役立ちをしましょう。たとえば、もし相手のためになる貴重な情報があれば伝えましょう。
 
ナンパ師の方と交流して分かったのは、とにかく彼らはもらうことよりも常に与えることを考えています。確かにとにかく女性をゲットするとしか考えていないナンパ師もいますが、相手との出会いを感謝して、女の子をとっても大切に扱っているナンパ師はたくさんいます。僕ももちろんそのために不断の努力をしていますし、僕が、与えるということを意識し始めたのは彼らと出会ってからです。
 
実際僕の周りには、与えることを大切にする心やさしいナンパ師ばっかりです。私は会社社会では浮いた存在で嫌われ者ですが、会社をはずれるといろんな仲間がいるということが救いです。
 
私はナンパ師以外にさまざまな方とお会いしてきましたが、やはり一番人間的に面白く、人間的に豊かな心を持っていたのはナンパ師です。サークルや組織の中でしか大きなことが言えず、組織をはずれたら自分は虎の威を借る狐の人も多いです。
 
私はナンパを始めてから、新たな出会いがどんどん増えました。女性ばかりではなくライターさんや、ナンパ師さんです。ナンパ師さんの方の表の職業は自営業の方もいれば、普通の会社員もいて学生さんもいる多士済々です。ナンパ師の方は、自立心が強いので結構自営業の人が多い気がします。私も独立志向が強いのでとても話が合います。
 
ナンパをはじめると本当に組織のしがらみに対してどんどん違和感を持つようになりました。ナンパであれば、路上は本当に新たな出会いに満ちた海です。女の子だけじゃなくて、将来のビジネスパートナーを見つかるかもしれません。
 
引きこもりの人が立ち直る手段の一つは、やはりナンパです。ナンパをして、そして家に帰ったらひたすらアフィリエイトとかせどりなど、自分ひとりでできるネットビジネスを勉強して生活費を稼ぐというのがひきこもり問題解決の一つの回答だと思います。
 
無理にハローワークに行かなくてもいいように在宅でできるいかがわしくないビジネスを勉強してそれで生きていくのも手です。
 
そういう僕も今せどりの勉強を始めようと思っています。みなさん一緒にがんばろう。
もしせどりについて詳しい方・・・結果を出している方がいたら一緒に語ろう。
 
ナンパンマンブログ
ナンパンマンメルマガ
 
enjoynanpalife@yahoo.co.jpまで感想、ご意見ください。

投稿原稿 こころ、てらすもの

こころ、てらすもの
作:鋼虎徹
 
  
ながいながい道を、あなたはどこへ行くだろう
一寸先は闇夜に閉ざされているというのに
見えるは、夜空に光る幾多の点だけ
見上げるだけの光の点に、あなたはなにを願うだろう
とおい、とおい、空に浮かぶ光に
きっと、夜が明ければ見えなくなるだろう
やがて堕ちるであろう
それでも、今宵だけの空に、見上げた空に、浮かんでいた
行く宛てのない道の先に
 
ああ、全ては見えるもの、否、見えたもの
産まれ落ちて、はじめに見えたもの
こころ、どこか、ない
どこにも見えなかった「こころ」をくれたのは、あなた
見せてくれたのは、あなた
どこにも本当なんてない見えたものに、あなたは見せてくれた
夜、明けて陽が昇り
私には依然と道などわからないが
光の点も見えなくなってしまったが
これだけはやっと気付いた
なにも見えなかった私に
「こころ」を見せてくれたのは、あなた
あなたが私に幾多の点のなかから私を見つけてくれた
 
鋼虎徹ホームページ

2009年03月18日

投稿原稿 「引きこもり」のままで生きればいいじゃないか 第二話

「引きこもり」のままで生きればいいじゃないか
作:ナンパンマン
 
 
 どうもナンパンマンです。これからオールニートニッポンを盛り上げていきましょう。
 
 4月3日は僕の心の声を聞いてください。そして惚れてください。苦笑でない笑いをください。応援メールはいつでもウエルカムです。
 
 僕は、引きこもりを暗くとらえるのではなく、あくまでも明るくユーモラスに取り上げる文章を目指しています。引きこもりではない人も、ニートの方も、会社員の方も、自営の方も楽しく読める文章を目指しています。
 
 最近すごく思うんですが、心の声というのは、決して華やかな交際の中では聞こえてきません。周囲からのノイズを立たないと聞こえてこないんです。
 
 偉大な思想家や、発明家は、周囲のノイズを断ち、自分ひとりの世界に没入し、そして自分の心の声を信じたことが、後々の発明につながったのです。
 
 多忙な毎日を送っていると、どうしても心の声に耳を澄ませる時間がありません。
 
 たとえ心の声が悲鳴を上げていても、それに気付かない。そして、気づいた時には心の悲鳴が大きくなり、とどまることを知らなくなり、そして、最終的には人間は動けなくなってしまう。
 
 私は、2年ほど前、実は大阪府の東大阪市のほうにある内観道場に入り1泊二日の修行生活をしたことがあります。
 
 私は営業職をしていたのですが、顧客との関係に疲れ・・・一度道場に入って修業しようかと思いました。いわゆる僕の道場引きこもり宣言です。
 
 テレビも新聞も許されませんでした。ただ座布団に座って今までの来し方を振り返り、1時間に1回先生に報告するだけです。本当に眠くて、ひまでひまで仕方がなかった。マスター・・・・もできなくて、○本もなく、ビデオもないのは苦痛で仕方がなかった笑
 
 当時上野樹里・・・今も好きですが・・・が好きだったのだが、上野樹里の顔も忘れるくらい一生懸命取り組んだ 笑
 
 そして朝は6時に起き、そして超苦手な掃除をする。雑巾絞りのテクニックも学んだ。先生は雑巾絞りもテクニシャンだった・・・笑
 
 ただ、外からの刺激を経つと、心が澄みとおって、自分を冷静に見つめなおすことができる機会になると感じた。
 
 たった1泊2日だったが、修行を終えて外に出た時の・・・空気の心地よさと、気持ちよさ・・・そして、晴れ晴れとした気持ち・・・そしてなんだかとがっていた自分の心がやさしくなった気がしてきた。
 
 外向・・・外交・・・社交だけでは、絶対人間は自分を見失うと思う。見失ってもそれでは気付かない。
 
 そして、今「ひきこもり」の人は、十分に引きこもれなくなっている。
 
 それはご両親の「外に出ろ」「働け」というプレッシャー、そして、世の中のきびしい視線。家にいても、心は内に向かない。落ち着いて・・・見つめなおせない。外のことばかり気になる。それが引きこもりと言われている方の平均的な心象風景であると思う。
 
 私も高校時代不登校だったのだが、そのときも両親の圧力や周りの圧力が強く、なかなか自分を見つめなおす時間が取れず、とれたとしても中途半端に終わっている。
 
 私も正直、自分を見つめなおす時間がほしいと思っている。
 
 メンタルの辛さによる「休職」「休学」が多い・・・。しかしそれは全然不思議なことではない。自分を見つめなおすためには休みしかないのかもしれない。
 
 平日は丸々仕事・・・そして休日は家族サービスでは全く己の心の鏡を見つめなおす時間がとれないのが現実だろう。
 
 私は、別に結婚しているわけではないので家族サービスをする必要はないのだが、ただ、自分を見つめなおす時間を作ることに苦慮している。
 
 文章を書くことが一番の良薬かなと思っている。文章を書くことで自分の中で千路に乱れそうな心を整理して、統一しているのだと思う。
 
 あとは、趣味のサッカーの応援と、そして、ナンパ(取材)である。とくにナンパは最近はできていないが・・・本当にリフレッシュになる。
 
 今月の3連休には大阪で東京から来るナンパ師を交えてナンパ東西戦がある。今から非常に楽しみだ。
 
 常に新しい人と出会うことで、心の新陳代謝につながると思う。
 
 僕は、組織のしがらみが大嫌いに大嫌いすぎる人間です。それは人間関係の固定化です。
 
 固定化された人間関係は、あらかじめ決まっているように凝固して、血栓となり組織の動脈硬化を起こすと思っています。恋愛でも常に彼氏・彼女べったりだとしんどくありませか?たまに友達と会うからリフレッシュできるんです。
 
 だから、特に友達が少ない人は・・・ナンパをして、動脈硬化による組織の壊死からメンタルを守らなければいけません。だからナンパって実はお勧めなんです。
 
 ナンパやったら失敗しても、また次がありますが、組織は、そうはいきません。こっちが失言を謝っても、向こうが根に持っていることがよくあります。
 
 ナンパンマンは、会社では、あちこちに冷戦の種を振りまいている人間ですが、組織をはずれたら、非常に友達が多くいろんな方々と懇意にさせていただいております。
 
 だからぎりぎりのところで持っています。外ではめちゃくちゃ明るいし、彼女とか女友達とかできたら、その子に対しては非常に僕は穏やかですが、集団のいやな雰囲気とかしがらみとかを見ると・・・この下等生物がと怒鳴りたくなる自分がいます。
 
 無理やり集団に入れようとする諸先輩方がいると僕は無視します。この間は、「邪魔なんでどけてください」と発言しました。「うっとうしいんで話しかけないでください」と直言したこともあります。相手の気持ちを顧みない善意の人間ほどうっとうしいものはありません。
 
 会社では、理解者以外はほぼ完全無視している状態です。挨拶もほとんどしないようにしています。
 
 スラムダンクの流川的にいえば、「おれの心の声を聞くことを妨げるものは許さん」みたいな感じなのかもしれません。だからひきこもりを止める資格など無いのかもしれません。
 
 そしてうれしいことにナンパンマンとものすごく同じような考えを持ったナンパ師の方がいらっしゃいます。めっちゃ似てるんでびっくりしました。
 
 「タダでナンパした!」お金を持たずにナンパする、内気な男の革命ブログ
 
 32歳から無職のままナンパし続けた人のブログです。めちゃくちゃ考え方・・・僕と似ています。自分と似たような考えを持つ人を見つけるととっても嬉しいです。
 
 その人は現在は30代後半です。集団嫌いも似ていて、その理由もほぼ同じです。兄弟かと思った・・・笑
 
 とにかくしがらみが大嫌いで、1対1が好きなのもものすごく似ています。
 
 彼も引きこもりを肯定しています。そして吉本隆明さんの「ひきこもれ」という本が愛読書なのも似ています。あまりにも一致しすぎています。
 
 そして文章が長文になりがちなのも僕と似ています。ひきこもりながらナンパするという考え方も僕と同じです。同じ日本で、それぞれ生きるカテゴリーは違うけれども、自分と同じような考え方・似たような思想を持った人と出会えるのは本当にうれしいです。
 
 僕は、実は今いろんなナンパ友達がいてその数は枚挙にいとまがないのですが、すべてネットからです。ブログは人を繋ぎます。ブログで相手の思想・生き方はある程度わかります。ネットを活用すれば友達がたくさんできます。仮に会えなくても、影響を受けたり、影響を与えたりすることもできます。
 
 引きこもって考えることが多い人の文章はやはり深いです。あとはナンパ師は今までもてなかった・・・10代のときさみしいロンリネスな青春を送ってきたひとが多いです。ただ、空白の時間に誰もいない家の中でバットを素振りしながら考えたこと・・・それは思想になって帰ってきます。
 
 さみしいロンリネスという虚無の宇宙からビッグバンという革命を起こしてきた人が多いです。虚無の宇宙は、ブラックホールへの入り口でした。(この下ネタがわかる人はかなりレベルが高いです)
 
 さてさて・・・いろいろありますが、今日はこのくらいにしときます。
 
 さて、今日から募集をかけます。
 
 1、ライターの仕事ください。原稿を見てください。
 
 僕は、本気でフリーライターを目指しております。今フリーライターを目指すきっかけとなったのは、鍵英之さんというヒモナンパライターの方です。ナンパンマンと同時出演します。鍵さんが僕のブログを見てとても面白いというコメントをくれたのがきっかけでした。ただ、フリーライターという仕事はとても仕事を取るのが難しく、金銭面でも難しい仕事と聞いております。また僕は同時に作家を目指しています。ジュブナイル小説で成功を目指しております。鍵さんにもジュブナイル小説を目指せという激励をいただいています。僕は自分の空想を膨らませながらフリーダムに自由にフリースタイルに書き散らすスタイルです。
 
 業界の方、ライターさん、作家さんの方よろしければメールいただけると嬉しいです。
 
 2、ナンパンマンのスポンサーを応募します。(女性限定です)
 
 お仕事の内容は、マスコミ対策と、あとちょっとばかし資金を援助してほしいです。ついでに電話料金や、水道料金を払っていただけると助かります。
 
 かつての作家には、女性のスポンサーがついていたといいます。女性のスポンサーが資金の援助をしてくれていたらしいです。
 
 今回ナンパンマンと同時出演する鍵英之氏もたくさんの女性のスポンサーがついていたと聞きます。
 
 もし将来ナンパンマンが売れっ子になった暁には、多額の報酬が貰えます。今のうちにサインをもらっておきましょう。残業もたまにありますが、かなり楽しい残業らしいです。
 
 もしかしたらいつの間にか・・・ファーストレディになっているかもしれません。
 
 未来に化ける新素材ミラバケッソナンパンマンをよろしくお願いいたします。
 
 僕はまだミリオネアまではほど遠いですが、見果てる先はミリオネアよりもはるか先を見ております。
 
 夢は今ここにあるんです。夢は見るもんじゃないんです。夢はかなえるもの。現在進行形です。
 
 enjoynanpalife@yahoo.co.jp メール待ってます!!
 
ひきこもりのまま生きればいいじゃないか第一話です。
 
ナンパンマンブログです。
ナンパンマンメルマガです。

2009年03月12日

投稿原稿 引きこもったから気づいたこと

引きこもったから気づいたこと
作:ムラタ
 
 
親は教育熱心な親だった。塾に通わせ、夏期講習、冬期講習、とにかく勉強しなさいばかり言っていた。俺は「やりたくない!なんで勉強しなきゃいけないんだ!」と反発していた。親の答えは「今、勉強しておけば後が楽だから」というものだった。俺は「後で苦労してもいいから勉強なんかしたくない!」と言うと「いいからやりなさい!」と力でねじ伏せられた。
 
そうか、自分の意見を通したければ、力で無理矢理ねじ伏せればいいんだな。
 
そう学んだ。
 
「人の嫌がることをするのは悪いこと」としつけられた。
 
ころんで怪我をして怒られたことがあった。「そんなところを歩いているから怪我するんだ。早く来なさい!」と。自分が怪我をすることは怒られること、つまり「親が嫌がること」とわかった。
 
手伝いをしようと、自分からすすんで買い物に行ったことがある。お店に着いてお金を落としたことに気づいた。あわてて家に帰り、母に報告すると「何やってんの!見つけるまで帰ってくるんじゃない!」と言われ、お金を探し続けた。
 
空が暗くなっても見つからず、でも、見つけないと家に帰れないし…。と思いながらも帰宅した。きっと家に入れてもらえないだろうと本気で思っていた。家に入ることは許された、というか、「見つけるまで帰ってくるな!」と言ったことを忘れていたようだ。
 
その時言われたことは「できないなら買い物に行くなんて最初から言うな」だった。
 
自分が手伝いに失敗することは母が怒ること、つまり「嫌がること」とわかった。失敗せずにすむ機会を増やすのは、自分からすすんで手伝うことはやめることだ。
 
そう学んだ。
 
「自分がやられて嫌なことは人にするな」ともしつけられた。
 
初対面の相手は何を嫌がるのかわからない。わからないけど相手が嫌がることはしてはいけない。だから、自分がやられて嫌なことはやらず、なおかつ相手が嫌がりそうなことはやらないという考えになる。そういう考え方で人と接するから、なかなか打ち解けられない。1対1でもそんな状態なのに、グループに一人で話しかけるなんてできるわけがない。そのグループの人達、それぞれが嫌がることはしてはならない。そんなの無理だ。じゃあどうする?
 
一人でいればいい。
 
そう学んだ。
 
他にも様々なことを学び、月日がたった。
 
その結果できあがった人格は、自分が得意なこと、強い立場でいられる場所では力で人を動かし、やりたくないことはやらずに済むよう論理でねじ伏せ、グループには馴染めず、失敗を恐れて新しいことに臨めず、そのくせ人を気遣っていると思い込んでいる、というものだった。
 
今の状態になったのは親が悪い、ということを言いたいのではない。
 
過去は、今の自分がどういう感情・感覚・反応をよく使っているかを知るために利用できるということを言いたい。
 
ではなぜ、今の自分の感情などの傾向を知る必要があるのか?
 
記憶力や筋肉と同じように、おそらく感情・反応もよく使うものほど反射的に出やすくなり、使いこなせるようになる。使わない感情・反応ほど出にくくなり、使い方が下手になる。
 
そうしてできあがった思考の傾向を「性格」という言葉で表しているのではないか?
 
もし、そうなら、ある感情を頻繁に使うようにすれば「そういう性格」になるのでは?
 
この考え方が役に立つかどうか、引き続き考えていこうと思う。

2009年03月07日

投稿原稿 「引きこもり」のままで生きればいいじゃないか

「引きこもり」のままで生きればいいじゃないか
作:ナンパンマン
 
 
 どうも・・・ナンパンマンです。私はこの名のとおり大阪のナンパ師です。といってもナンパよりも、ブログやメルマガの作成ばっかりしている変り種のナンパ師です。女の子をナンパするよりも、ナンパ師をナンパして、そしてナンパ師の記事を書くことを楽しんでいます。
 
 私は、ナンパンマンブログという世にも奇妙なテイストのブログを作成して提供しています。そして、最近は、名物ナンパ師を取り上げて記事にしたナンパンマンメルマガが好評を博しており、ナンパ界では一躍おく存在になりつつあればいいなぁと思っている次第です。
 
 私がナンパ界に身を投じたきっかけは夏目涼介さんのブログを見てからです。正直私は、夏目さんが成功するとは思いませんでした。しかし、ところがどっこいふたを開けてみれば、デートを重ねたり、彼女を作ったり、そして生涯の女友達をつくっり、彼はナンパで人生をチェンジしたんです。
 
 しかし、なぜ引きこもりWITH FEATURE ナンパンマンなのか・・・。それはナンパンマンが集団生活がどうしても苦手で、不登校気味な青春を送り、そしてハイスクールドロップアウトした人間だからです。そしてバイパスハイウェイを通りながら、大学生になるも、不登校気味で、そして、社会人になってもアンフィット感が否めない自分は変わっていません。
 
 最初は、集団ではうまく振舞えない自分・・・集団嫌いで、そういう場からは逃げ出したくなるたちの自分・・・、そして自分を嫌う人には反発的な態度をとる自分・・・、そして急にサークルをやめて失踪してしまう失踪癖がある自分・・・。それがコンプレックスでありました。
 
 ただ私は、個人同士の付き合いはできるので、たくさんの仲間たちがいます。
 
 ナンパ界では、夏目涼介さん、夏目涼介さんの出版記念パーティに出席された恋愛コンサルタントの伊藤さん、そして、夏目さんのナンパの師匠のアイズさん(ナンパンマンは東京でアイズさんの講習を受けました)。そしてヒモナンパ師として有名な鍵英之さんとは交流が深く、電話でのやりとりをしょっちゅうしています。
 
 私は、近々退職してフリーのライターになるつもりでいます。フリーライターになるきっかけは、やはり鍵英之さんとの出会いです。鍵英之さんとの出会いは、鍵さんがナンパンマンブログを見つけてくださってコメントをいただけたのがなれ初めです。
 
 そして、鍵英之さんの主催される鍵会に出席してから、僕の運命が変わりました。
 そして、私は鍵英之さんの指導をうけつつ、鍵さんの弟子として今も修行中です。
 
 そして、鍵英之さんの下で今さまざまな経験やライターとしての知識を身につけている最中です。私は近々会社を辞め、フリーライターとして勝負します。
 
 鍵さんは君は文章の才能があり、ライターとして十分通用するというお墨付きまでくださいました。君の文章は人をひきつけるものがあるという評をいただきました。
 
 それから僕は自信を持てるようになったんです。
 
 僕は、集団では、どうしても自然に振舞えなくなるたちで、何をしていいのかわからなくなります。学校生活は大の苦手でした。いじめられたこともあります。そもそも集団生活が合わない人間が・・・同世代だけの集団にいやおうなく放り込まれるのは・・・かにアレルギーの人間がかにを食べさせられるようなものでしょう。
 
 集団でうまく振舞えない自分・・・というコンプレックスがあり、それを克服しようとして努力はしてきましたが、あるときそのための努力って本当に必要なん・・・と思いました。それが疑問の始まりなんです。
 
 とにかく協調せなあかん・・・辛抱が大切や・・・、そして、みんなで仲良く・・・という協調圧力は・・・とても苦痛でした。
 
 私は、性格上、仲の悪い人と仲のいいふりをする・・・形式の姿勢をとるというのが大の苦手です。その人たちがエレベーターに乗ったりしたら、絶対に私は乗りません。
 
 飲み会も大嫌いです。(鍵さん主催の飲み会は別です)普段は腹を据えかねている人間同士が、表面上仲のいいふりをする・・・そして、体裁だけ取りつくろう・・・その姿勢・・・。儀礼的な付き合いに強制参加など・・・・嫌です。
 
 私は最初は、そういう飲み会にも我慢して行っていましたが、最近はその日になると体調不良になる技を身につけ、回避するようになりました。その苦痛に耐え切れないからです。
 
 僕も大人になったんで、一年に1回ぐらいなら・・・なんとか我慢できるようになりましたが・・・、本質的にそのことに対するストレスがありました。
 
 引きこもりの人が苦しんでいる原因というのは、周りの無理解と、周りからのいわれなき協調圧力だと思います。協調圧力とは何ぞや・・・?それは、みんながしてるからしいやみたいな圧力です。みんなが学校行っているから・・・みんなが笑っているから・・・みんなが働いているから・・・という圧力です。
 
 その協調圧力は、自分自身の「合わない感」、「アンフィット感」を無視しています。自分が合っていないのに、周りの価値観にムリに合わせようとするから、うつ病や「ひきこもり」の人が増えているのではないか・・・と思っています。
 
 自分自身の心の感覚というのは、絶対に大事にしないといけません。
 
ひきこもりの人をムリに連れ出す「引き出し屋」がいますが、それは善意でありながら罪であると思います。外に出るよりも内に引きこもって仕事をするほうがはかどる人もいます。内向的な人間はだめというのは絶対におかしい。 
 
 引きこもっている間に自分の心を見直すことができます。引きこもっているときに、さまざまな名作や法則や数式や発明が生まれました。
 
 話すのが下手な人は文章がうまい場合が多いです。話すことが下手な分、文章で伝えようとする気持ちが強いからです。実際私はブログ(ナンパンマンブログではない)を見た読者の女の子と出会いセックスをしたこともあります。
 
 私は10代のときはドモリ症で、赤面症で、軽い不安神経症が入っていたかもしれません。しゃべるのが下手だったから、とにかく書くことにはまっていったんです。だからこそ文章に自信が持てるようになり、それを認めてくれる人が出てきたんです。
 
 今はネットがあるんで、家にいながらでも表現することができます。アフィリエイトやドロップシッピングなどネットビジネスも容易にできます。
 
 だからムリに外に出る必要などないです。しかし自殺はしないで生き抜いてください。ネットで稼いでも、会社に勤めて稼いでも、原稿で稼いでも、お金は稼げるんです。どれも立派な労働です。

 長々となりましたが、「ひきこもり」を克服しないといけないという風潮が、逆にひきこもりの状態にある方々を苦しめているんではという疑問がすでにありました。
 
 そのときちょうどオールニートニッポンで投稿募集がありましたんで、ぜひ一度問題提起してみようと思いチャレンジしました。私の文章が採用されるかどうかわかりませんが、いっちょチャレンジしてみっかってノリで書いてみました。
 
 あと、私のナンパンマンブログとナンパンマンメルマガも同時に楽しんでいただけると幸いです。
 
ナンパンマン ブログ
ナンパンマン メルマガ

2008年12月01日

投稿原稿 煙草

投稿原稿 「煙草」
作:きょこち

 
煙草を吸い始めたのは、たしか19歳の時。
ライヴに一人で行った日だった。
家は親が厳しかったし、私はいい子だったからそれまでは一度も吸った事はなかったのだ。
 
ライヴ会場に行く途中で、如何にこのライヴを楽しめるかを想像した。
1ドリンクはチケット込みでつくからいいとして・・・。
ちょっと一人だと手持ちぶさただな。
・・・・・。
やっぱり、アレに挑戦してみよう。
近くに煙草の自販機を見つけた。
何にしようかな。
じっと見る。
えいっと気合いを入れてマルボロライトメンソールを購入。
ライターはキオスクで買った。
なんで、マルボロライトメンソールにしたのか。
誰かがそれを吸ってたからだと思ったけど忘れた。
ともかく私は買った煙草をバックに潜ませてライヴ会場へと向かった。
ライヴが始まり、周りの人は思い思いに音に身体を任せて踊り始めた。
誰も私を知らない。
この小さな箱の中でだけ私は自由だ。
バックから煙草を取り出し火を付ける。
ちょっと吸う。
あり、むせない。
初めて吸うとむせるっていうけど。
もうちょっと吸う。
大丈夫だな。
一人で決めて何かをやるって気持ちいい。
煙草をぷかり。
またぷかり。
この夜の間だけ私は私に戻れた気がした。
 
当時の私にしてはかなり勇気のいる行為だったけど案外やってみるとこんなものかという感じだった。
ただ、沢木耕太郎の「また一つ自由になれた気がした」という文章が青臭かった当時の私の心にもご多分に漏れず浮かんでは流れていった。
 
もう、年齢的には大人。でも私の中身は子供のままだ。煙草を吸って少し背徳の味を覚えた。
それから私は自由になりたいと思うと、煙草を吸うようになった。
身体に悪いから、後ろめたさを感じながら。
いつか、本当に自由になったら煙草をやめられるだろうか。
 
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2008年10月20日

漫画「空の名前2」 作:四季

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2008年09月05日

漫画「空の名前」 作:四季

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2008年06月09日

【オールニートニッポンより】 秋葉原無差別殺傷事件に寄せて

「オールニートニッポン」の運営など、過去2年間に若者たちを取り巻く社会環境-とりわけ雇用問題-について、若者たちの声を社会に発信してきて感じるのは、若者の孤立化が急激な速度で進んでいることだ。
 
派遣のような期限の決められた働き方では、安定的な人間関係はなかなか生まれない。3ヶ月や半年、長くても2年、3年で職場を転々としていく。しかもそれが自分だけではないから、孤立化に一層拍車がかかっていく……。
 
昨日の秋葉原の事件についてネットでいろいろ調べたりして、孤独が絶望を生んでいるように僕には思える。静岡のど田舎で自動車部品工場で働きながら、派遣会社が用意した単身者用住居に住み込みで働く生活は、どれほど寂しく、苦しいものだろうか。
 
学生時代に、父島の海洋牧場で1ヶ月ぐらい、ハマチの養殖をしたことがある。容疑者と同じように、会社が用意した単身者用住居に住み込みだった。あの時は、寂しかったけれど、すぐに友達もできたし、地元のカフェバーで働く真帆ちゃんという女の子に恋をしていたから、割と楽しく過ごすことができた。ただし、それはきっと僕の生来の明るさや社交性、それから1ヶ月という期限の決まった就労だったことがとても大きかったように思う。
 
もし人と話すのが苦手で、あの4畳半の部屋に何ヶ月もいることになったら、どうなるのだろう?家に帰って「おかえり」と言ってくれる人が誰もいない毎日を、上手にやり過ごすことができるだろうか?
 
ここ東京にはたくさんの若者がいるけれど、みんな他人同士だ。だけどなぜだか、自分以外はみんな楽しそうに思えてくることがある。僕にでも、そんな時がある。その時、この部屋の暗闇に押しつぶされてしまうぐらいなら、武器を手に取ろう。そう思う人がいても、仕方がないような気がする。
 
……あのね、アメリカの転職率が高くてもあまり問題にならないのは、教会やNPOがしっかり地域にコミュニティを作っているからなんだよ。新自由主義経済だって、コミュニティやセーフティネットがあるから、アメリカではなんとか機能しているわけ。ところが日本には、会社以外に誰でも入れるコミュニティがない。その会社に所属することが、今はだんだん難しくなってきている。もう無条件では誰もコミュニティに入れてくれないのだ。どういうことなんだろうね?
 
ひょっとしたら、日本の若者は世界一孤独なのではないかと思う。ケータイやSNSで24時間誰とでも繋がっていられるのに皮肉だね。
 
今回の事件は、一つの始まりに過ぎないだろう。若者の孤立化を止めない限り、何度でもこんな事件は起きる。雇用環境の改善を含めた徹底した議論と、変革への一歩が踏み出されることを強く願う。
 
2008年6月9日
NPOコトバノアトリエ
代表理事 山本 繁

2008年06月02日

投稿原稿:兵隊さんは命がけ!

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サブいカルチャーの裏側から・・・

第1回 大日本テロル 「兵隊さんは命がけ!」
 
 こんにちは。自称パンク作家の七海薫と申します。簡単に自己紹介をしておくと、画面の前の貴方と似たような人生を通過しております(笑) パンク作家としてここのコラムに挑戦してみたいと思っております。この場所で私がテーマにするのは「みんなもっと優しくなろうよ」という事です。

 さて、現在の日本は様々な問題が山積みのようです。特に他人事でない問題は格差問題、ニート、日雇い派遣、フリーター、低賃金等々・・・。数えたらきりがない状況です。様々な方々が現状を打破すべく頑張っているし、実際大手派遣会社グッドウィルに訴訟まで持ち込んだり、賃金あげろデモ、様々な場所で頑張ってる方たちがいますね。その行動力には頭が下がる思いで関連本を読んだりテレビのニュースを観てたりします。その反面、今日今現時点で食べる物にも困ってる有様で、「そんな行動する余裕すらない」とか、行動する人に対し「お前が搾取してるだろ」的な発言も見られるようになってきているように思います。
 そこまで思いつめてる人も多いとは思うが・・・どうなんでしょう?人間色々な考え方があり、そう思うのは良いけど結局何もかわらないのではないか?と、思い、今これを書いています。
 自分を変える、国を変えるというのは宝くじの感覚に似ているのではないか?「買っても当たらない」と思う人、「買わないと当たらないだろ」と、意見が分かれる。今まで私も「買っても当たらないし・・」と思ってた口だ。
 だけどもう、「年齢も年齢だし買わないと無理だ」と思うほどにまで追い込まれてたりする。
 
 私がここで取り上げたいと思うのは映画、音楽などから社会問題も含めた自分達個人の問題に目を向けてみたいと思う。だけど世間から見たら「寒い」と思われるかもしれない。だから「サブいカルチャーの裏側から・・・」だ(笑) 映画や音楽の批評は世間に溢れているが、違った視点で考えてみたいと思っています。映画も音楽も有名無名関係なく取り上げたいと思います。映画も音楽も面白おかしく紹介するのは難しいが、画面の前に楽しく読んでもらうことを念頭に書きますのでよろしくお願いしまっす!!
 
かの雨宮処凛氏がやってたバンド
大日本テロル 「兵隊さんは命がけ」
 
 もちろん自主制作(インディーズってやつだ)のCDだ。何年前に買ったのか全然覚えてないっす・・・。たぶんだが日本ではこのCD売れなかったのではないだろうか?(笑)私がこのCDを買ったとき雨宮氏を全然知らずに店頭で「何だよこのバンド・・・」とか思いつつレジに持って買った覚えがある。家に帰って聴いた瞬間びっくりした感覚を今でも覚えている。まず音がいいのに何を歌ってるのかよくわからなかったんである(笑)ボーカルがよく聞き取れないんである。歌詞カードを見ながら「な・・・なるほど・・・」と思った記憶がある。「なるほど」と思ったのは過去の日本のバンドの中でここまで右翼なバンドはいなかったからだ。このバンドの歌詞はジャンルでわけるとパンクになるわけだが、パンクって基本は左翼っぽいからびっくりした記憶がある。全8曲、怒涛のごとくの説教である。アメリカ批判を中心とした歌が多く、若造だった当時の私、七海薫は「言ってるこたぁわかるけども・・・」と思ったが今聞いてみるとかなり新鮮である。それはこのバンド解散後の雨宮氏の本を読んだりしてるからであろう。このバンドを聞き返して思うのは当時から雨宮氏は行動派だったことがよくわかるCDになっている。逆に考えるとこのバンドを通過したからこそ今の雨宮氏が存在しているようにも思える。

 あまりにメッセージ性が高かったバンドのその後の思想の変化などはは雨宮氏の本を読んでもらうことにして、機会があればこのCDを聞いてみるといいかもしれない。
行動している雨宮氏の勢いはバンド時代から始まっていたのだ。

 青臭いがパンクバンドとしては逸脱な作品。

投稿原稿:自殺について

『憂鬱草』(「憂鬱から生まれた歌人」を改題。第三話)

「自殺について」著・或る駄目人間(新人歌人<にいとかじん>から改称。)
 
 お久しぶりです。前回の投稿から8ヶ月も経ってますが、よかったら投稿させて下さい。硫化水素による自殺が多発する現在、少しでも何か自分からもこの風潮を防ぐ手を打てたらと思います。自分はただの駄目人間に過ぎませんが、友人を二人自殺で亡くしたこの気持ちを、少しでも世の中に伝えて置きたいと思います。以下は全て事実です。
 
 高校時代の友人の一人Yが自殺してから約4ヶ月後、再びもう一人の高校時代の友人Hが自殺しました。一ヶ月前に秋葉原電気街で会い、一緒に街を歩いたりメイド喫茶に行ったりしたばかりでした。それどころかニ週間前には電話もして、一週間前にはメールをしたばかりでした。一緒に酒でも飲もうと言う約束もしたばかりでした。自分は酒はほとんど飲めない体質ですが、気さくで明るくて心優しいHさんと酒を飲む日を楽しみにしていました。それだけ良い人でした。
 
 その知らせを受けたのは丁度、一ヶ月前に三人で歩いた秋葉原電気街の裏通りを一人で歩いている時でした。電話の相手は、あの時一緒に街を歩いたもう一人の友人Sでした。電話に出ると、Sは自分が出たことをを確認すると、一呼吸おいて言いました。
 「落ち着いて聞いてくれ・・・。・・・・・・Hが死んだ。」
 自分は驚いたまま絶句して、突然のことに信じられない気持ちでした。死んだ・・・死んだ・・・、それだけが頭にリフレインして目の前が真っ黒になりました。
 「・・・もしもし。大丈夫・・・?」
 と言われて我に返り、大丈夫、と返し、人通りの多い裏通りから静かに話の出来る路地へ早足で向かいました。
 S崎の話によると、4日前に電車に飛び込み、今日身元が判明して親御さんから連絡が来たとのことでした。二人とも信じられないままでした。一ヶ月前に会った時は精神を病んで休学中だったとは言え、いつも通り気さくで笑顔も見せており、これからどんどん良くなってゆく感じがしていました。電話をしたときも、普通に話せたし、何より今度一緒に飲みに行こうと言う約束もしたばかりでした。それに、高校生の弟が野球の夏の大会のメンバーに選ばれたことも喜んでいました。ただ、一ヶ月前にメイド喫茶漏らした『俺、Y二号になるかも知れない・・・』と自殺を仄めかした言葉が引っかかっていました。その時は二人で励まして「旅行でも行こうぜ」とか「今度飲みに行こうよ」とか言ったのを思い出します。
 
 葬儀日程のメモを取り終わると、一旦、電話は切れました。自分はふらふらと歩きながら、芳林公園の縁に腰を下ろして茫然としていました。その前では、キャッチボールをする少年が二人いました。Hさんの弟の話を思い出し、自分はこみ上げて来るものを抑え、公園を出ました。秋葉原駅へ歩いている途中、携帯電話が震えました。出ると、Sでした。
 「Hの遺体が安置されてる式場に行こうと思う。一緒に来る・・・?」
 自分は一緒に行くと応え、秋葉原駅の改札に入りました。電車を乗り継ぎ、自宅に帰ると、親の車を借りて家を出てSを途中の駅で拾い、Hさんの安置されている葬儀式場に向かいました。もう辺りは暗くなってきていました。
 
 葬儀式場につくと、高校時代の三人の担任だったSK先生がいました。先ほどまで親御さんが傍についていたそうですが、今は帰られたとのことでした。親族の方がいないのでは勝手にHさんと会う訳には行かないと思ったのですが、SK先生は言いました。
 「Hが一人でかわいそうやろ。会いに行ったれ」
 先ほど対面してきたS本先生に引率されて自分とSは奥の部屋にある安置室に入りました。そこには棺が三つほど並べられていて、真ん中がHの入っている棺でした。SK先生が棺のフタをずらすと、白い布を顔の上半分に被せられたHが横になっていました。SK先生は涙をこらえ、自分は手を合わせてきつく目を閉じました。SはHさんを見つめたまま立って涙を流していました。Hさんの顔は安らかではなかったです。口元と覗いた歯は怒っているように歪んでいました。自分は、壁に背中をつけて、力なく壁際に崩れると、(・・・この世の中は間違っている、この世の中は間違っている・・・)と、心の中で繰り返していました。先のYと言いHさんといい、何で良い人間ばかり自殺に追い込まれなければならないのか。自分はこんな世の中に絶望しました。それは社会や誰かが悪いとかではなくて、この世への絶望でした。(だからと言って自分はあの世信奉者でなければ宗教を信じる人間ではありません。ただ、この時はそう繰り返していました)
 
 SK先生の名刺の裏に二人の名前を書き、棺の横に置くと、三人して安置室から出ました。その後、車を運転して駅まで来ていたもう一人の友人を拾い、ドトールに移動して、四人で話しました。そこで、最も仲の良かったSと相談に載っていたSK先生からHさんの家庭のことについて聞かされました。ある程度聞いていたとは言え、Hさんが家庭でここまで大変な思いをしていたとは知りませんでした。(詳しくはプライバシーの観点から書きません)
 
 後に自分も精神が不安定になり、プラットホームに入線してくる電車を見てはふらふらと引き寄せられそうになって寸前でハッと我に返ったり学校のベランダから飛び降りそうになったりするまで精神が追い詰められましたが、その後、心療内科に通い、家で療養して寝てばかりいる生活の中で段々と精神が落ち着いてきました。最初はあまり良好ではなかった家族関係もなんとか今は良好になりました。これが精神の安定に大きい気がします。自分の場合はそれでも精神がほぼ前の状態に近い状態になるまで2年以上はかかった気がします。Hさんの場合は、家庭が安息の場所では無く、外(学校生活)にも行き詰まり、内(家庭生活)にも落ち着く場所が無かったことが更に自身を追い詰めていった気がします。やはり、精神の問題は長い時間と安定した人間関係によって解決してゆくしか無いのかも知れません。ただ、長い療養時間も安定した人間関係も得難い人の場合はどうするのか。これが問題です。「俺はHの家族じゃないから、24時間一緒にいられれなかった」とSがいつか言っていました。友人は家族の領域には踏み入れることが出来ません。結局、自分達はHさんの死の衝動の前には無力でした。自分は寸でで衝動を抑えましたが(我に返りましたが)、それは、負の感情のピークをやり過ごせば、今日一日はなんとかなる、と言う気持ちと、このまま落ちきったままの人生で終わりたくないと言う小さな反発でした。人間はいつか死ぬんだから、死ぬ最後の最後まで抵抗する。格好悪くても、引き籠りでも、現在寝たきりでも、生きてる限り、いつかきっと手を打てる日が来る筈です。現に、2年前では絶対考えられなかったバイトも少しずつですが自分は出来るようになりました。生きてさえいれば、心身も回復してゆきますし、現状も好転する可能性もあります。死んでしまったら、全ての可能性が0になってしまいます。それは端的に言って『もったいない』ことだと思います。人間は生きている限り、それが例え無為に過ごしているような日々でも、必ず成長してゆくものと信じています。
 
第一話
http://www.allneetnippon.jp/2007/08/post_32.html

第二話
http://www.allneetnippon.jp/2007/09/post_34.html

投稿原稿:「シタマチックな人々」(1)

ほんのたまに学習意欲が湧き上がり、図書館に行く。すると、必ず出会う初老の男性がいる。多分、休館日以外は図書館に顔を出す常連なのだ。閲覧室では、周囲をヘイゲイできるような場所に指定席を持っている。昼と夕方の食事時には、テーブルの上にはページの開いた読みかけの本を置き、さり気なく優先権を確保して席を立つ。
 
こちらの後ろを回ってトイレに行くときは、背後に“キミは、何読んでるのかね”というように鋭い視線を感じ、ちょっとムズがゆいような気分にさせられる。
 
常連ともなると館員ともツーカーで、モウローとした喋り方で要領を得ない老人に新米館員が「はぁ?」と戸惑っていると、スッと席を立ち、「そうじゃないでしょうが。この人が借りたいのは古い新聞だろ。ねぇ、そうだよね」と、いそいそと仲立ちの助け舟を出す。
 
ボクはいつしか、内心で常連を図書館の主、略して“トヌシさん”と呼ぶようになっていた。駄犬を散歩させているとき、自転車を駆る“トヌシさん”と擦れ違った。一瞬、“こりゃマズイ”と目を逸らした。しかし、目ざとくボクをウォッチした“トヌシさん”は自転車を停め、「キミィ、今日は図書館には来ないのかい?」と声をかけてきた。
 
口の中でモゴモゴやっていたら、「アンタの読んでた、アレね、ありゃぁコクのある、いい小説だわな」と言われ、“とてもじゃないがコクのあるなんて、アレは、ただの青春ストーリーで…その……”と、ドギマキしてしまった。要するにからかわれているのだ。背後からの視線は、やっぱりタダモノではなかった。
照れ隠しに「これからお食事ですか?」と聞いたら、「なーに、ただのコーヒーブレークさ」と言う。エッ!このゴマシオ頭に無精ヒゲのむさくるしいオッサンがコーヒーブレーク(!?)。オカシさを堪えていたら、「コーヒーは、やっぱりブルーマウンテンに尽きるね。キミどう思うね?」と感に堪えぬように言う。返事のしように困ったが、「そうすっねぇ、モカもいいけど……」と苦し紛れに言うと、「そんなもんかね」と、さも“アンタとは話にならんわ”と蔑んだような表情を残し、去って行った。私はポカーンと見送るしかなかった。
 
その数日後、公園を散歩していたら、石塀にポコンポコンとボールをぶつけては捕っていたオジサンが、「ちょっと練習の相手してくれると助かるんだがなぁ」と、キャッチャーミットを差し出してきた。あまりに“助けて当然”な調子で言うもんだから、「いいっすよ」と付き合ったけど、限りなくコントーロルゼロにちかい超スローボールを受けさせられた挙句、「明日も付き合ってもらうと助かるんだがなぁ」と迫られてしまった。
 
“男はつらいよ”の寅さんで知られる葛飾柴又の帝釈天近くに引っ越してきてから、こんなことの連続ドラマだ。
 
下町のオジサン、オバサンは人懐っこいというか、マイペースというか、困ったちゃんと無邪気さの微妙な境い目を往く人が多い。埼玉の文教都市として知られる地で暮らしてきたボクは、カルチャーショックを受けながらも、しだいに下町の馴染んでいくようで、怖いような、我ながら頼もしいような複雑な気分でいるのだった。

投稿原稿:白イ(P1-8)

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投稿原稿:白イ(P9-16)

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2008年04月08日

絶叫朗読「絶望さんありがとう」

絶望男の絶叫を是非ご覧下さい。(これが公共の電波に乗るっていうのは、地方局すごいですね。)

2008年02月19日

絶望男の逆襲 第29回「淡々と」

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第29回 淡々と
 
明日18日、弟が退院する。術後の経過は想像したほど悪くないようだ。弟はすぐにでも帰りたいのだろう。退院日を自分で決めた。
 
1月30日。肛門切除の手術日。俺とお袋は密着取材をしているテレビドキュメンタリーのディレクターの車に同乗し、午前10時に病院へ。手術予定が延びた。14時45分手術開始。5時間後に手術終了。ひたすら待ち続けた。精根尽き果てた。20時45分頃、チラッと弟の様子を見ただけで帰宅した。
 
テレビのドキュメンタリーは1月26日から31日まで俺の実生活に密着し続けた。2月15日。俺の精神科通院の場面を撮って、ひとまず終了となった。
 
精神病院の中への取材は拒否された。ディレクターは診察模様なども撮影したかった。俺自身も異存はない。が、病院側は具体的な理由も提示せずに撮影を断ったという。当日は俺の通院する様子を病院の入り口までと出口から出るまでだけを撮影した。
 
この密着取材はテレビ放送が未定だ。見切り発車の状態で撮影が始まった。ディレクターはこの取材に手応えを感じていると言った。良い作品になると。その情熱に頭が下がった。「絶望男」への期待と共感があった。理解してくれた。俺は嬉しかった。
 
テレビ局は違った。最初に予定していた日本テレビは放送を却下した。TBSもダメだった。ディレクターはテレビ朝日に企画を持ちかけているところだと言った。結果は3月中に出るらしい。
 
お蔵入り。世に出ない可能性が強まった。「絶望男」の出版後も媒体の取材は皆無だ。世間は「絶望男」に無関心らしい。売れ行きも芳しくないようだ。
 
反響もあまり伝わってこない。そんななか、日常生活は実に平穏。外出しても家に居ても何も変わらない。マスコミが期待するような「激烈なドラマ」などない。あまりにマスコミが無関心なので、犯罪事件でも起こして注目を引くことを考えた。アホらしい。そんなことをしでかさなければ動かないマスコミ連中の軽薄さがアホらしい。それは同時に世間の軽薄さに通じる。
 
ふつうの日常生活の淡々としたなかにこそドラマがある。事件やあからさまな感情の露呈など、普段の生活に滅多に現れるものではあるまい。
 
テレビ放送は本の売り上げに効果的だと思う。と同時に俺の真実の姿を世間に知ってほしかった。日々何を想い、どんな日常を送っているのかを。そこに嘘のない現実がある。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
2007.11.26 第16回「精神障害」
2007.11.26 第17回「だるま」
2007.11.26 第18回「母の贖罪」
2007.11.26 第19回「因縁」
2007.11.26 第20回「悪意」
2007.11.26 第21回「小さな世界の小さな存在」
2007.12.18 第22回「孤独な年末年始」
2007.12.29 第23回「恩人」
2008.01.08 第24回「友人Y」
2008.01.14 第25回「抑鬱」
2008.01.14 第26回「忍耐」
2008.01.21 第27回「創造性」
2008.02.05 第28回「自滅願望」
 

2008年02月18日

レンタル空手家日記 第10回「チラシ置きは直接行ったほうがいい」

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第10回 チラシ置きは直接行ったほうがいい
 
レンタル空手家です。
水曜日、徹夜明けでフラフラしながら
4つほどの精神科等の施設にチラシをまきに行きました。
皇居のマラソンのやつです。
12日土曜日でもうギリギリなんですが
当日がよりによって雪!予報が出ているので(しかも80%)
19日に順延になるだろうと見越してのことです。
 
一つは、渋谷区のカウンセリングセンター。
実は、ずっと昔ここに通っていて、まあ3ヶ月くらいでやめちゃったのですが
(理由は言い訳すると空手の試合に負けるから。もちろんカウンセリング療法が合ってる人もいるでしょう)
なので怪しまれないだろうな、という目算はあった。
でも断られるかもな~とも思ってた。
結果はOK。
入って受け付けに誰もいなかったので佇んでたら
代表者にバッタリ会って「おもしろそう、いいですよ~」とのこと。
OK!
以前カウセを受けていた先生にも会ったらなつかしがってた。
ここは信用しているカウンセリング所だ。
代表が摂食障害には運動がいいよ!とも言ってた。
その通りだと思う。
50枚ほど置いてもらう。
 
2つ目は、中野区で友達が通ってて、減薬をやってる精神科。
薬はマジ害あるばかりだからね~
でもほとんどの精神科医は薬しか出さないからね~(言葉すらない。三分診療)
それを精神科でありながらちゃんとやるのが「いいな」と思って。
ここもアポ無し訪問。
院長はいなくて、女医さんがいた。
「ひきこもりやうつ病の人なとを集めて一緒にマラソンをやるイベントなんです」
ときちんと説明したら、受け取ってくれて
「ああいう所(ラック)に置いたり貼ったりすることになるわ。いちおう院長に聞いてみるね」
と言ってくれた。
さすがオープン。
 
3つ目は、練馬区なのだが、到着する頃には診療時間が過ぎそうで、今日を逃すと置けないので
診療時間過ぎても行けるか、電話で先に聞いておこうと思った。
これがいけなかった。
ここは、一度会ったことのある精神科医のいる病院。
で、友達が通ってて「すごくいい」とのこと。
だから選んだ。
が、先生は休み。看護士が電話に出てくれたが
「チラシといっても医療系のばかりだし、その先生に聞いてみてからにしてね」
ちっ。
直接行けば、受け取ってはくれただろう。
そりゃあ、口の説明だけだし「いいですよ~せひ送ってください」なんてとこは稀だろう。
電話だと断ることが可能なんだよな~。
これからは、直接行こう。
 
その経験を踏まえて
4つ目は、港区の精神科。
友達が何人も診療経験がある。まあ、賛否両論だが
大きいので、貼ってもらえれば人の目にもとまるだろう。
何かの本か雑誌で「いじめられていた子に、いじめっ子の気持ちをわかるために、空手道場に行かせた」
みたいなことを書いていたので、僕的には考え方はOKだと思う。
詳しいアプローチは知らないが。
 
というか、余談になるが、僕はカウンセリングや、精神科だけでは人は「治ら」ないと思っている。
やはり、そういうのは補助的なもの、一時的な避難所的なものであって
本当の軸は、本人の日常的な人とのつながりにあると思う。
自分が本当に大事だ、と思える人とのコミュニケーション(何かをしたあげい、何かをしてもらった)
から、そしてそこから自然に出てくるアクションから、だんだんと自分とコミット出来るようになるのではないだろうか。
もしくは、夢や、自分のどうしてもゆずれない思いだ。
自分が誰を、何を大事にしたいのか、ハッキリとわかった時、人は変わる。
 
まあ、それは置いといて…
ギリギリしまりそうな受付に行って、名刺とマラソンのチラシとレン空のチラシを見せて
「どうでしょうか」と説明する。
「担当者」に内線で連絡をとってくれたが
時間がとれない、とのこと。
チラシたちを渡して、担当者から後で連絡します。
とのことなので、ならばと「もしダメだったら捨てちゃってもいいので」と
チラシ3,40枚ほど渡しておく。
やはり、会えなくても、直接行ったほうがいい。
チラシを見ることで、会えなくてもイベントのイメージはわくだろうから。
 
そんなわけで、これかも精神科やカウンセリングセンターには
「営業」をしにまわったほうがいいだろうか。
他のいけてる精神科を調べて、まわってみようか…
「ここの精神科やカウセルームはオープンだな雰囲気だよ」「色んなイベントのチラシが貼ってあるよ」
「先生の考え方が、薬ばかりではなく、色んな方法を取り入れて(とくに運動系)治ろうってかんじだよ」
という情報募集!
レンタル空手家のHPにあるメールアドレスに送って教えてね!
 
今ふと思ったが、自助グループもありかなあ??
 
そんなわけで、これを見るみなさんも
12日、もし12日が過ぎててその日が雨だったら19日(土)に順延してるので
ぜひ皇居マラソン、一緒に走りましょう!!
 
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いままでの「レンタル空手家日記」

2007.7.12 第1回「はじめまして、レンタル空手家です」
2007.7.20 第2回「僕が『レン空』をはじめるまで/その1」
2007.7.27 第3回「僕が「レン空」をはじめるまで/その2」
2007.7.30 第4回「ほのぼの空手教室をやってみて」
2007.8.8 第5回「劇団内、空手部~!」
2007.8.27 第6回「僕が「レン空手」をはじめるまで/その3」
2007.9.10 第7回「友達を作るツール」
2007.10.22 第8回「僕が「レン空」をはじめるまで/その4」
2008.1.9 第9回「僕が『レン空』をはじめるまで/終回」
 

2008年02月05日

絶望男の逆襲 第28回「自滅願望」

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第28回 自滅願望
 
サム・ペキンパー監督の西部劇『ワイルド・バンチ』(69年米)。クライマックス。4人の悪党どもが200人の軍勢に戦いを挑む。相手も悪党だ。囚われの身となった1人の仲間を救うために敵に歩を進める。当然、勝ち目はない。彼らは承知している。自ら死に向かっていると。むしろ死を望んでいると。
 
敵の大将が仲間の首をナイフで切り裂いた。その瞬間、4対200の銃撃戦が始まる。血しぶきと弾丸が乱れ飛ぶ。メキシコの村は戦場と化した。4人の男たちは身体中に弾丸を浴び、血まみれになりながら崩れ落ちていった。
 
この映画を観るたびに俺は心が震える。死の美学がここにある。惨めで壮絶な最期にカタルシスを感じる。生よりも死に魅せられた男たちに「自分」を重ねる。ふやけた生などクソ喰らえ。戦って死を迎えられたら、どんなに幸せだろうか。
 
2月1日金曜日。『絶望男』出版記念イベントが終わった。46年の人生で初めて「主役」になった。新宿ロフトプラスワンの会場内には温かさが満ちていた。出演者も観客も俺の門出を祝福してくれた。出会いがあった。花束をもらった。舞台の真ん中に座った。本にサインを書いた。瞬間、瞬間に喜びがあった。
 
23時過ぎに花束を持ちながら、階段を上った。外に出た。寒い。沢山の人々が行き交っていた。その瞬間、俺はその他大勢の独りになった。誰も俺を知らない。「白井さん」と呼びかける人はどこにもいない。雑踏のなかを歩いた。新宿駅から品川へ。23時31分の最終に間に合った。混み合う電車のなか、俺は安堵した。これが現実だ。ロフト内でこそ「白井さん」と呼ばれるが、ここでは無名のオヤジだ。その現実を認識できる。浮かれてなどいない。そんな自分に気づいた。ホッとため息をついた。
 
翌日。お袋の願いを聞き入れ、弟の見舞いに行った。俺が付いていかねば。脚の悪いお袋ひとりでは危ない。病院に着いた。弟は苦しそうだった。数分といられなかった。ありがた迷惑といった風だった。俺はお袋を促すように病院を出た。ヨロヨロと背中を丸めながら歩くお袋の後を追った。少し目を離した。お袋は出口の辺りで倒れていた。段につまづいたのだ。杖もさして役立たない。俺はお袋を起こし、タクシーに同乗した。気が滅入った。お袋はこれまでにも何度も転倒していた。これでは弟よりお袋の方が病人だ。
 
本の出版もイベントも過程に過ぎない。俺は常に冷静だった。瞬間に緊張や幸福感はあったが、すぐにいつもの自分に戻っていた。長くは続くまいと。
 
弟の癌は方々に転移していた。退院後も予断を許さない。仕事もできまい。先の生活への不安が募る。
 
瞬間の喜びなどに浸っていられない。現実に今も俺は無職なのだ。恋人もできない。生活に危機が迫っている。
 
自ら死を選ぶことも今後は有り得る。俺にも『ワイルド・バンチ』の男たちのような自滅願望がある。死ぬなら誰にも知られず、のたれ死にしたい。家族とも離れ、たった独り、惨めに血と汚物にまみれ、死に至る。そこに美を見る。
 
『絶望男』1冊で消えたとしても何ら不思議はない。俺は作家になれなかった。それでも構わない。
 
ただ、そうなる前に戦いたい。生存をかけた戦いを社会に対して仕向けたい。思う存分戦った後で自滅してみようか。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
2007.11.26 第16回「精神障害」
2007.11.26 第17回「だるま」
2007.11.26 第18回「母の贖罪」
2007.11.26 第19回「因縁」
2007.11.26 第20回「悪意」
2007.11.26 第21回「小さな世界の小さな存在」
2007.12.18 第22回「孤独な年末年始」
2007.12.29 第23回「恩人」
2008.01.08 第24回「友人Y」
2008.01.14 第25回「抑鬱」
2008.01.14 第26回「忍耐」
2008.01.21 第27回「創造性」
 

2008年01月21日

絶望男の逆襲 第27回「創造性」

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第27回 創造性
 
暇だ。「絶望男」発売10日前にして異様なほどにすることがない。15日にテレビの制作会社の人に会った。ドキュメンタリーの話だった。いい感じだった。今度こそと思った。今までに何人かのテレビ関係者と会ったが、「話」だけで終わっていた。今回は間違いない。そう確信していた。
 
以降、何の連絡もない。企画がダメになったのか。俺のような無名の新人の場合、テレビ、雑誌、新聞等への露出が発行部数の決め手になるらしい。現時点で「暇」はまずい兆しだ。
 
まずい兆しが重なった。弟の病気が直腸癌だとわかった。21日に入院。30日(本の発売日だ)に手術となる。術後も2~3週間入院する。命に別状はないらしい。が、人工肛門を付ける。死ぬまで。つまり弟も障害者になる。
 
不測の事態のなか、俺は暇である事実にひどく落胆した。今月の生活費は弟が工面してくれた。が、先への不安が残る。俺にできることは何か?忍耐か?
 
次回作の構想を練った。日々、考える。歩くとエネルギーが回り、脳が活性化する。買い物の往復100分歩いている。アイデアが浮かんでは消え、また浮かぶ。自らの脳内で次に何を書くか。書きたいか。反復する日々が続いている。
 
これだ。何かを想像し、何かを創る。結果などより遥かに重要な過程に気づいた。
 
人間には誰にも奪えないものがある。想像。そして創造性。生命力の源だ。人は誰もが何かを考え、創る。金持ちも貧乏人もない。誰もが等しく創造力を持っている。だからこそ、この社会は成り立っている。どんな人間にも価値があり、生きる意味がある。俺は46年生きた。その過程で学んだ。生きることそのものが創造性なのだ。
 
自己評価の低い人間だった。自分に価値を置けなかった。「かつては」だ。今の俺は自分を誇りに思っている。本を出すからではない。自分のなかの創造性、何かを創りたいという切望がある。落胆から這い上がる力がある。カネ中心社会に「否」と言えるだけの経験がある。自分の経験は自分だけのオリジナルなのだ。そのことに気づいている。
 
次回作の構想は今はない。生活していくなかで生まれるかもしれない。俺は自分の直感を頼りにする。成り行き任せだ。
 
弟は明日入院する。今さっき、母と生活費のことで揉めた。「足りない」と母。「カネねぇよ」と弟。この国はいつまで貧乏人からカネを搾取し続けるのか。俺はうちが貧乏だと認識した。今まで人間らしい生活はできていると思っていたが、勘違いだった。弟の入院が問題を露呈させた。
 
俺は今後のヴィジョンを定めた。社会的弱者を搾取し、壊滅させようとする「管理社会」に毒を吐き続けること。そのためには本が売れなくてはならない。
 
創造し続けよう。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
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2007.7.30 第4回「やせ我慢」
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2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
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2008.01.14 第26回「忍耐」
 

2008年01月14日

絶望男の逆襲 第26回「忍耐」

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第26回 忍耐
 
「絶望男」の発売日が迫ってきた。売れなければ俺は消え失せる。周囲の関係者にも落胆を与えるだろう。重圧が募る。強迫神経症が悪化の一途を辿っている。起こってもいない先のことに神経を尖らせ、怒りっぽくなっている。楽観できない。
 
弟が仕事を3日続けて休んだ。クレジットの支払いができなくなる。また食えるか食えないかを心配せざる得なくなった。母にその不安を話した。弟への間接的な非難だ。つい昨日のことである。
 
弟が母に告げた。腸の病気で手術と入院が必要だと。糖尿病もあるので、かなり厳しいと。俺は押し黙った。新たな重圧がのしかかったかのように感じた。
 
母は言った。「これからも大変だけど、勝美は自分のことだけ考えればいいから。クレジットだの家賃だの心配してもなるようにしかならないよ。主婦じゃあるまいし。もっと広い気持ちになれないかね…。うちのことは気にしなくていいよ」
 
俺は最悪、路上生活を想定していた。母はそうなっても仕方ないと言った。と同時に考え過ぎとも言った。母を見た。俺の繰り事に呆れかえっているようだった。
 
俺は浮わついていた。「作家気分」になっていた。実際は作家などではない。2冊目以降を出せて初めてプロといえる。謙虚さが足りなかった。
 
弟を非難した。いつもの休み癖と思った。彼の苦しみを想像すらせず。俺は自分の都合しか考えなかった。
 
気づかせてもらった。改めて思い出した。今の俺に必要なものを。
 
耐えろ。そして待つのだ。これまでの人生でもしてきた。忍耐。親父が暴れた。親戚に人間のクズ扱いされた。学校で、社会で、疎外された。俺は耐え続けた。ときが経ち、いつの間にか忍耐の精神を忘れていた。
 
本が売れずに消え失せたなら、また1からやり直す。コツコツと2~3年かけていい物を書こう。作家になど、なれなくても構わない。金にも執着しない。
 
母と弟がやり合った。何でもないことだ。腹が減っているだろうと母が弟に何か食べるように言った。テレビを見ていた弟が余計なお世話だと怒鳴った。過干渉な母親。その母を怒鳴る大人に成りきれない弟。むかつく。が、俺はこの家族と生きている。
 
家族は鏡のような存在だ。それぞれが自分の1部分なのだ。それを見極めるには客観的でなければ。客観的でありたいなら忍耐が必要だ。俺はそうありたい。
 
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2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
2007.11.26 第16回「精神障害」
2007.11.26 第17回「だるま」
2007.11.26 第18回「母の贖罪」
2007.11.26 第19回「因縁」
2007.11.26 第20回「悪意」
2007.11.26 第21回「小さな世界の小さな存在」
2007.12.18 第22回「孤独な年末年始」
2007.12.29 第23回「恩人」
2008.01.08 第24回「友人Y」
2008.01.14 第25回「抑鬱」
 

絶望男の逆襲 第25回「抑鬱」

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第25回 抑鬱
 
望みもしないメールが日に100件以上も送られる。昨年の11月頃、オールニートニッポン宛ての正体不明のメールが来た。以来、毎日送られてきている。俺には無関係のものだ。ひどく不快である。来るたびに全件を削除している。いつの間にか削除することが習慣になった。だが、いくら削除しても次々に正体不明のメールが来る。頭を抱えた。
 
07年12月25日火曜日。いつも通り、ダイエーに買い物に行った。靴下と靴を買った。が、食品はレジを通らなかった。クレジットカードを無効にされたのだ。俺は手持ちの現金5300円を支払った。年末年始の金がなくなった。正月どころか食っていけるかさえわからなくなった。その4日後、俺は風邪をひいた。頭を抑えられるような圧迫感、止まらない鼻水。弟に俺の金で夕飯のおかずを買った。翌日には治った。風邪ではなかった。クレジットカード無効への衝撃と先への不安、働く弟に対する負い目などが抑鬱状態をひき起こしていた。
 
大晦日。健康保険料の支払い期限の日。弟はその2日前に給料を貰った。俺は早速、支払いに出かけた。健康保険は支払ったが、クレジットの方は大晦日で振り込みはできなかった。預け入れだけだ。振り込み確認まで6日間、クレジットカードが使えない。弟は家に月に20万円入れている。それ以上はない。家賃を2ヶ月間、滞納せざる得なくなった。3ヶ月を超えると家を追い出される。だが、食っていく方が先決だ。
 
その前夜、オールニートニッポンのイベントが新宿ロフトプラスワンであった。俺は「新人作家」として舞台に上がった。夢だった。だが、気持ちは落ちていた。あの場にいた誰にも自分の落ち込みを語らなかった(語れなかった)。
 
08年元旦。雑煮だけは食えた。他は何もない。こんな元旦は生まれて初めてだ。改めてクレジット会社の非情さに怒りが沸き上がった。せめて正月ぐらいはと思った。俺の甘さか。世間が冷淡なのか。
 
2日水曜日。お袋とこれから5日間、どう食っていくのか話し合った。「どうにもならない」。それが結論だった。だが、弟が何も言わず、1万円の食費を出した。助かった。お袋は弟に感謝を伝えた。俺はその足で食い物を買いに出かけた。
 
主食はカップ麺とご飯。米は残りわずか。贅沢はできない。節約した。
 
俺は暇になった。フレンズ日記という携帯サイトがある。その日記に07年映画ベストテンを書き綴った。熱中した。
 
5日土曜日。何もすることがなくなった。何かする気力も起こらない。家族は毎日家に居る。頭痛がした。どこかに出かける気も、金もない。窓から陽光が差し込む。まぶしい。まるで俺の心の闇を照らすかのようだ。寝るしかない。
 
7日に弟は仕事だ。クレジットカードも使えるようになる。世間も普段通りに動き始める。そうなったとして俺の抱える不安は解消されまい。生きていたくない。死にたくもない。俺の頭は少しずつ狂ってきている。孤独の成せる業だ。
 
こうして書いている今もオールニートニッポン宛ての正体不明メールが次々に送られている。頭痛が増した。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
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2007.11.26 第17回「だるま」
2007.11.26 第18回「母の贖罪」
2007.11.26 第19回「因縁」
2007.11.26 第20回「悪意」
2007.11.26 第21回「小さな世界の小さな存在」
2007.12.18 第22回「孤独な年末年始」
2007.12.29 第23回「恩人」
2008.01.08 第24回「友人Y」
 

投稿原稿  「僕のひきこもり体験記」

投稿原稿  僕のひきこもり体験記
 
はじめに

ぼくは現在34歳です。もうすぐ35歳になります。17で高校を中退してからは、いくつかアルバイトはしたことはありますが、ほとんどひきこもっています。
 
「ひきこもり」、「ニート」、「不登校」、いろいろな言葉がありますが、人間をひとつのカテゴリにおさめるのはむずかしいと思います。
 
僕の場合、ひきこもりと言ってはいるけど、一日中部屋にこもっているわけではありません。外出もできますし、たまには友人とコンサートに出かけたりしています。こういうのはひきこもりとは言わないのかもしれません。ひきこもりの定義がわかりにくいので、間違っているかもしれません。もしかしたら、「ただのニートだよ」とか、「社会的ひきこもりだよ」という声が聞こえてくるかもしれませんが、どう定義したとしても、今の自分になんらかわりがないのです。ですから、便宜上この文章では「ひきこもり」で統一しようと思います。
 
 
僕の日常

過去には昼夜逆転で苦しんだことがありますが、最近ではまともな生活をおくれています。
 
朝8時頃起きてパンを食べます。
 
それから平日は、ハイパーイートレードを起動して株式市場をチェックします。デイトレードをやっていたときもありますが、あまりにも簡単に負けていくので現在は封印しています。ただ、株は買っていて、中長期投資をしています。まだはじめたばかりなので、儲けはありませんが、なんとかお金を増やしたいと思っています。
 
それから、競輪をチェックします。主に有望な新人を見つけて、そこから買うことが多いです。ただし金額は少ないです。楽しみ程度で、競輪で一財産つくろうなんて思っていません。あまり強すぎる新人の場合、後ろの選手が離れてしまうので、当てるのは難しいです。
 
父母とお昼を食べて、その後はラジオを聴きます。13時からTBSでやっている「ストリーム」という番組がお気に入りです。松本ともこさんの声が好きで、聴いているといい気分になります。14時から「コラムの花道」というコーナーがあり、毎回楽しみにしています。吉田豪、町山智広、勝谷誠彦、辛酸なめこ、阿曽山大噴火さんなどのおしゃべりはとてもおもしろいです。ポッドキャストでも聴けるので、楽しみにしています。
 
天気がよければ、15時頃から外出します。といっても出かける場所があるわけでもなく、自転車でただ外をぶらぶらするだけです。今でも競輪選手に憧れているので、選手になれるわけはないのですけど、トレーニングは続けています。ロードレーサーとMTBを持っています。自転車に乗るのは習慣になっていて、何日も乗らない日が続くと気分が悪くなります。
 
夜は、テレビを見たり、ラジオを聴いたり、パソコンをしたり、本を読んだりして、だいたい1時ころには寝ています。
 
だいたいこんな感じの毎日です。
 
あとは週一回友人と二人で野球をやります。もうはじめてから8年くらい経つでしょうか。僕がピッチャーをやり、友人がキャッチャーをやり、200~250球くらい投げ込みます。野茂や松坂のまねをして投げます。いい球が投げられたときはものすごく気持ちいいです。
 
それと、二週間に一回図書館に行きます。読みたい本があるときは、リクエストを出しておけば図書館が買ってくれるので大変便利です。ここ10年くらい本は買ってないのではないでしょうか。税金もろくに払っていないのに、たくさんの本を買ってもらって、申し訳ない気持ちがあります。
 
あと二週間に一度、精神科に通院しています。2年位前にうつ病になったのがきっかけです。現在はもうよくなったのですが、カウンセラーと話しをするのがいい気分転換になるので通院をやめずにいるのです。薬は、ルボックス、ジェイゾロフト、スルピリド、エビリファイを飲んでいます。ほかに睡眠薬で、ハルシオンとグッドミンを飲んでいます。便秘気味なのでセンノサイドという薬も出してもらいました。病院代は、1ヶ月1万円くらいかかります。すべて親に出してもらっています。けっこうな金額になってしまうので、申し訳ない気持があります。
 
だいたいこれの繰り返しです。
 
 
ひきこもるきっかけ

そもそも、なぜ僕がひきこもりになったのか、理由は自分でもよくわかりません。深刻ないじめがあったとか、先生や友人とトラブルを起こしたとか、そういったことはほとんどありませんでした。
 
ただひとつ思い当たるとすれば、自分の性格の弱さが関係しているのかな、と思います。一言で言うと「NO」が言えない性格なんです。人からいやな事をされても、我慢して作り笑顔で流してしまうことがよくありました。そして、あとになってくよくよ考え込んだりしてしまうのです。人付き合いが苦手といえるかもしれません。人見知りをするし、知らない人と関わるのはとても苦手です。
 
仕事をするにしても、まずは面接を受けなければなりませんから、それがおっくうで仕事ができないのかもしれません。そもそもスーツを持っていないので面接には行けないと思います。
 
それと大きいのは、一人でいることが比較的大丈夫というのもあるかもしれません。寂しくてしょうがないとか、孤独感に打ちひしがれるとか、そういうことはありません。
 
高校を中退してからも、する前も将来のことなんて考えたことはないのです。今でこそ「14歳のハローワーク」という本がありますが、当時は、自分がなにになりたいのか、何に向いているのか、まったく考えたことがなかったのです。高校卒業後の進路についても考えたことはありませんでした。今思えば不思議な気持もしますが、本当に何も考えていなかったのです。
 
 
なりたかった職業

先ほど、将来については何も考えたことがないと書きましたが、僕にも一応夢のようなものはありました。
 
最初になりたいと思ったのは、プロサッカー選手です。木村和司、プラティニ、マラドーナなどの影響だと思います。小学生から中学生の間はそのことで頭が一杯だったような気がします。

高校生になるとミュージシャンに憧れました。当時バンドブームで、学校でもはやっていました。僕は、ボウイ、忌野清志郎、ブルーハーツ、バクチクなどが好きでした。小さなライブハウスで演奏したこともありました。
 
その後20代では競輪選手に憧れました。巨額の賞金と、スポーツマンのさわやかさに憧れたのです。ロードレーサーを購入し乗り回しましたが、本気で選手になれるとは思えませんでした。
 
次に憧れたのはプロ野球選手です。野茂英雄や、松坂大輔が好きでした。同じひきこもりの友人とキャッチボールからはじめました。これは現在も続いています。
 
こう書いてみると、たくさんあるのでおどろきました。自分ではなまけの無気力人間だと思っていましたから。
 
 
これからのこと

この生活を変えなくてはいけないと思ってはいるのですが、自分の力だけではどうすることもできないような気がしています。
 
ジョブカフェにメールをしたり、電話で話したりしたこともあったのですが、就職には結びつきませんでした。
 
親が生きている限りは、世話になり続けるのかもしれません。おそらくそうなるでしょう。
 
では、親が死んだらどうするのか。これは恐ろしい問題です。恐ろしすぎて考えることさえも封印しています。自分で稼ぐことは無理でしょうから、ホームレスになるか、コンビニ強盗でもするかしかないでしょう。それができなければ餓死です。
 
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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」
2007.8.27 「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」
2007.9.3 「憂鬱から生まれた歌人」第二話
2007.9.10 「「誰かに伝えてみたいという気持ち」―Cocco「Raining」を聴いていた頃の話―」
2007.9.25 「氷河期世代は行動する」
2007.10.9 「詩」
2007.10.22 「元・不登校児 はじめてのアルバイト体験談」
2007.10.22 「リライトって、言わないで」
2007.10.22 「mement mori」
2008.01.12 「笑い声」
2008.01.12 「服を買いに行く時の服がない」

2008年01月12日

投稿原稿  「服を買いに行く時の服がない」

投稿原稿  服を買いに行く時の服がない
 
ひきこもっているとどうしても寝たまんまの服装で一日過ごしてしまったりするんですよねぇ。いつもスウェット。
滅多に外に出ないから服にお金をかけるのはものすごく無駄な事のように思ってしまって、よそ行きの服なんて一着あるかどうか、この季節に防寒対策としては完璧でかなりあったかいんだけど、だいぶ前に買ったヤツだし、おそらくダサいと思われる服が一着あるけど、これは一着に入れていいものか。そんなしかないんですよねぇ。でも、たまには外に出ないといけない時もあるじゃないですか、そういう時に着ていく服がないんですよねぇ。
だから買おうと、服を買おうと思っていざ行かんと思うんですけど、なんせ服屋なんてぇのには店員さんなんてぇのがいるわけですよね。店員さんなんてぇのは、服を売る事が仕事であるわけでして、オシャレを売る事が仕事であるわけでして、僕の服装のダサさなんて一瞬で、網膜に写った瞬間、ハイ、ダサい。とわかるわけで、あんな服装、内臓剥き出しよりキツイわぁと思われるわけで、どうしょうもないですよね。そんな状態で服を買おうとしたら、絶対店員さんなんてぇのは僕に寄って来て、
「お客様、お客様、お客様の服装を見て私ども店員一同、ゲロが脳天から吹き出して大変でございます!」
とは言わないまでも、
「こちらなんてお似合いですよぉ」
なんて言いながら、売れ残り商品をここぞとばかりに売り込んで来て、僕も
「そうですかねぇ、似合いますかねぇ」
なんてドドメ紫のダウンジャケットなんかを買わされるに違いないんですよ。これは対放射線スーツじゃないんですか?ってぐらい厚手のヤツを買わされるに違いないんですよ。もしくは全くのどフリーで買い物させて、レジにダサチョイスの服一式を持っていった瞬間に目の前で脳天からゲロを吹いてブシュー!って萎んで見せるに違いないんですよ。だからきっとはじめからある程度の服を着て、ある程度の知識を持って服屋には行かないとオシャレな服は買えないと思うんですよね。でも、その服がないし、もう出家して袈裟ばっかし着るしかないのかなぁ。
  
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2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」
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2007.9.10 「「誰かに伝えてみたいという気持ち」―Cocco「Raining」を聴いていた頃の話―」
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2007.10.22 「リライトって、言わないで」
2007.10.22 「mement mori」
2008.01.12 「笑い声」

投稿原稿 「笑い声」

投稿原稿  笑い声
 
壁の薄い部屋に住んでます。
ものっすごく薄いです。
お隣さんの声がバンバン聞こえてきて、たけし軍団の誰かが隣の人の屁の音まで聞こえるアパートの話をしていたのをテレビで見た事があるんですけど、そのレベルの部屋だなぁと思う、屁の音ぐらい軽く聞こえる部屋です。
いつぞやの 誰かの屁の音 バブリシャス。
そんな句も聞いた事があるんですけど、お隣さん屁の音はもうなんか、バブリシャスに聞こえちゃうんだもんなぁ。
ぶっ、ぶっ、バブリシャス!
困る。
それはまぁいいんですけどね。笑い声がすごく聞こえてくるんですね。僕は統合失調症の診断も受けてしまっている人間なので、その笑い声が非常に気になります。
笑われてる。すごく笑われてる。自分が。
そう思っちゃうんですよね。
そうなるともう、なんで笑われたんだろう?なんか笑われる事しただろうか?みたいな事で頭が一杯になって、なんでだろうなぁ?自分でもおかしいとは思うんですけど、頭の中の声が聞かれたじゃないか?に結論されちゃうんですよね。あれ?さっき頭の中で考えたマロニーとウイダーインゼリーを週3以上食べる人はサイバー人間説を聞かれじゃないかな?になるんですよね。
恥ずかしくて顔真っ赤です。
その時に笑われるのは本当に恥ずかしいから、どうすればいいだろう?って考えたら、わざと笑われるような事を考えて、笑われるんじゃなくて、笑わせてるんだみたいに考えるようにしてるんですね。
例えば、自分が三十路過ぎの息子を持った父親だと仮定して、その三十路過ぎの息子はまったくモテている気配が無い。女っ気が無い。こいつひょっとしたら三十路過ぎで、童貞なんじゃないか?なんて心配している。それがなんとある日その三十路過ぎの息子が超美人のイタリア女を実家に連れて来た。やったぜ息子、やるじゃん息子。初めて連れて来た女にしてはやり過ぎだろ息子、ちょっと悔しいじゃないか、でも、嬉しいぞ息子。
でもどうやら、このイタリア女、超気が強い。その内、息子がなぁんかイタリア女の気を害したんだろうなぁ、ほっぺたをペッチペチペッチペチ叩かれだした。
あぁ、あぁ…。
父さんでもぶった事無いのにぃ…。
複雑だなぁ、超尻に敷かれてるなぁ、息子。
みたいな状況を考えて、面白い、面白くないは別にして、笑われてもいい文章を頭の中で考えるんですね。
そうすると、お隣さんもよく笑う人だから笑い声が聞こえてくる、そこで、バカだなぁ、僕。ウケた!って思うんですよね。
そうするとまた、統合失調症の僕は、頭の中の僕が、
「ウケたじゃねえよボケ!面白くもない無いし、お前の頭ん中なんて誰にも聞かれてねぇよ、バーカ!」
みたいな正論を言ってくるわけですよ。
「先に言えバカヤロウ!はじめから変な妄想させんなボケ!」
って頭の中で言い返すんですけど、正論を言った方の僕は
「ごめんね」
だって、バーカ、バーカ!
そういう妄想的なものはリスパダールって薬飲んで、微妙には抑え込めるんですけど、やっぱり考えちゃうんですよねぇ。
辛かったりします。
  
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2007.7.27 「不登校体験記」
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2007.10.22 「mement mori」

2008年01月09日

レンタル空手家日記 第9回「僕が『レン空』をはじめるまで/終回」

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第9回 僕が『レン空』をはじめるまで/終回
 
あけましておめでとうございます!
「レンタル空手家」です。
 
いいかげん、「僕がレン空をはじめるまで」シリーズを終わらせたいと思い
今回でとりあえず終わります。
 
去年は、この活動をはじめた年でもありました。
今年はオリジナルなイベントなどもどんどんやっていきたいと思います。
 
第一弾は
12日(土)の14時半から行う
新春・皇居一周☆マラソン大会です。
 
競争しません。二人一組になって、遅い人に合わせ、歩いてでもいいので
とにかく「一緒に完走」します。一周は5キロ。
お正月でゆるんだ心を引き締め、頑張った汗を今年の元気にしましょう!
詳しくは、上記リンクを見てね!
一緒に走ろう!(歩こう!)
 
 
では、終回です。
------------------------------------------
 
「僕が『レン空』をはじめるまで/終回」
 
 
 2003年、秋。23歳。
 
 道場から帰る時には、乗ってきた自転車が乗れないことがよくありました。青帯のくせに、茶帯や黒帯ばかりが出るスパーリングのクラスに出ていたからでした。
 
 道場は、最初、基本クラスを見学させてもらった後、その後のスパーリングのクラスも見学させてもらいました。それが目当てでした。
 はじめて見るスパーリングは、迫力がありました。そして何より、なぜか、痛めつけあっているはずなのに、気持ちがよさそうに思われました。
 その道場では、男子の道場生は女子の選手とスパーリングする際に、慣れていない人以外は無抵抗になり、女子の攻撃を「打たせ」ましう。
 それが僕には「痛そう」だとか思うよりも「ああ、理にかなっている」と思えました。そしてなぜか「耐えてみたい」とも思ったのです。
 見学が終わり師範にそのことを質問すると「スパーリングに慣れていない人は、加減がわからなくて相手にケガをさせてしまうことがあるのです。だから女子を傷つけすぎないように、慣れていない人はああやっているのです」とおっしゃいました。
 それを聞いて「ああ、ここにしよう」と思えたのです。
 
 はじめての試合は、新人戦で、準優勝でした。試合にも出ない仲間や先輩、友達が応援しに来てくれました。
 正直、声援は聞こえませんでした。試合でいっぱいいっぱいになっていたのだと思います。だけど、試合の前に「頑張れよ、絶対勝てる」などと声をかけてくれたり、かたくなっているだろうと肩をほぐしてくれた温もりは、今でも思い出せます。
 
 それから、一月に一度のペースで試合をこなしていました。
 優勝も何回かしたし、一回戦負けも、何度かありました。
 自分を責める時間を、作りたくありませんでした。サボって後悔することが一番怖かったのです。稽古に行った後は、何も考えずに静かに眠れました。だから、欠かしませんでした。日曜日は休みにしていましたが、休みの日が一番怖かったです。
 
 月謝やサポーター代、試合代くらいは自分で稼ごうと、日雇いのアルバイトをはじめたりしていました。
 親の金で、空手に関わるものに使うと、穢れるような気がしていました。強くなれないのではないか、と。
 
 そのうちに指導の話が来ました。
 埼玉で幼稚園や少年部を教えている女子プロレスラーの方がいて、その方があまりに指導に通うのが遠いので、誰かに引き継ぎたい、というのでした。
 僕も相当遠かったのですが、空手に関わってお金がもらえるのが魅力的で、その話を受けました。
 来年度で3年目になり、週一回のクラスばかりで、少しづつだが皆進歩してきています。
 子供たちには「元気」と「人を信じること」を学びました。まだ学んでいる最中です。組手でぶつかりあうことで、相手を信じること、自分が相手から信じられる存在であることを知ってほしいと思います。
 
 「教える」存在になるのだから、親から離れて自活しなければいけない、と思い、ひきこもっていたワンルームを引き払い、保証人、敷金礼金不要のゲストハウスにうつりました。指導だけでは食えないが、アルバイトも転々としながらなんとかやってはいます。
 
 
 
 2006年、冬。26歳。
 
 冬期に、試合はありません。アルバイト生活が続いていましたが、好きでもない仕事を無理矢理やっていて、ほとほと疲れてきました。
 空手を続けたい。だけど、このままでは仕事の都合やストレスに追われて満足に練習できなくなるだろう。
 自分には、空手しかない。空手をやることで生き残ってきた。
 空手に出会わなかったら、今ごろ多くの友人と同じように、心停止、呼吸不全死していたかもしれない。
 
 それなら、自分に何が出来るだろうか。
 
 もしも…
 あいつらがまだ生きていたなら…
 空手によって引き上げてやりたい。
 もし一緒に練習しあえて、励ましあって強くなって、一緒に大会に出て、勝ち残れれば素敵だろうな…
 それは…かなうことのない夢だけれど…。

 昔のバカでヘタレな自分と同じようなやつと、一緒に頑張れないだろうか。僕は、昔の自分や、死んでいった友達たちと、もう一度友達になりたい。
 そんな夢を追いかけるようなことが、出来ないだろうか…。

 それは、復讐かもしれない。自分や、友達たちに、たった一人きりに孤独をおわせ、死へまで追い詰めた世界への復讐。
 「糞が!お前たちが俺たちを愛さなかったとしても、俺たちは生き延びてやるんだよ!自分の弱さを見つめたくがないがゆえに責任を弱いものばかり押し付け、いつも他人事みたいに噂話ばかりしているお前たちよりも強くなってな!俺たちはお前たちみたいにはならない!絶対にならずに生き延びてやる!」

 だけど、先生や先輩、仲間の声が聞こえるのだ。
 「遠藤!手数を出せ!前に出ろ!相手を外に出せ!!」
 試合場で、コートの中で「殺してやる」くらいの気持ちで、傷つけあった相手。だけど、終わった後はヘトヘトになって、笑顔で握手をし、健闘を称え合ったみたいに…。
 僕はいつか、世界と仲直りできるだろうか。
 
 
 「僕が『レン空』をはじめるまで・終」
 
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いままでの「レンタル空手家日記」

2007.7.12 第1回「はじめまして、レンタル空手家です」
2007.7.20 第2回「僕が『レン空』をはじめるまで/その1」
2007.7.27 第3回「僕が「レン空」をはじめるまで/その2」
2007.7.30 第4回「ほのぼの空手教室をやってみて」
2007.8.8 第5回「劇団内、空手部~!」
2007.8.27 第6回「僕が「レン空手」をはじめるまで/その3」
2007.9.10 第7回「友達を作るツール」
2007.10.22 第8回「僕が「レン空」をはじめるまで/その4」
 

2008年01月08日

共産主義、入門中 第8回「共産主義者から、ワーキングプア問題問題について一言あるんだ!」

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第8回 共産主義者から、ワーキングプア問題問題について一言あるんだ!
  
 とんでもない差別が大手を振って歩いている。NHKはきれいごとのタテマエしか言わないって? とんでもない! いまや、むき出しのニート攻撃が行われている。
 ワーキングプア問題問題のことだ。
 ワーキングプア問題について、NHK様が有り余る知恵を施してくれようというのだ。
 っていう番組が最近あった。見なかった。
 そしたらそれがネットでものすごい話題になって、なんだ、そんなに面白いのかと思って検索してみたら、YouTubeに落ちていた。で見た。
 うわあああああ、これは大問題じゃないか!
 何がと言って、ワーキングプア問題の解決策などという恐ろしい計画が、公然と語られていることだ。
 まず確認しておきたいのだが、「ワーキングプア」とはどういう意味か? 「働く貧乏人」のことだ。
 想像してみてほしい。清潔な変態の救済が論じられたとしたらどうだ? 学力豊かな低学歴者を救うって? 有能な障害者にチャンスをだって?
 こういった言い方は、ことごとく悪質な差別だ。
 たとえば、美しい女性を救おう、ウホッ! なんていうスローガンがあったとしよう。
 二通りの解釈が可能だ。
 女性には美しい者とブス子さんたちがいて、そのうち美しい者を救済するという読み。この場合は、美醜の序列は温存されることになる。言うまでもなく差別だ。
 あるいは、女性というものは全員がそもそも美しいのだということかもしれない。この場合は、女性は美しさという一つの基準に閉じ込められることになる。だが、実際問題として、ブスはブスだ。とすると、ブスは女ですらないということになるのだ。まあ、それはそれでけっこうなことではあるかもしれないが、少なくとも、美しい女性の救済などというお題目が歓迎されるべきものではないということは明らかだろう。
 ワーキングプア問題の解決というのも、それと同じだ。
 NHKがワーキングプア問題を「発見」して、その解決策を探ってくださったなどと考えてはいけない。そうじゃない。そもそも、そういう問題設定自体を問題として捉えなければならないんだ。
 「ワーキングプアⅢ 解決への道」で示される「解決への道」は本当に最悪だ。
 生活保護受給者から生活保護を段階的に剥奪して、労働することを強要する釧路の取り組み。街を徘徊しながら、ニートっぽい奴らに片っ端から「仕事はあるか?」などと声をかけていくイギリスのウルトラうざいオヤジども。金がなくて困っている貧乏人に金を渡さずに、怪しげな「社会的企業」や自治体が提供する教育訓練プログラムを潤す政策。
 ここにあるのは全て、貧乏人を追いつめ、痛めつけて、しかもそれがまるで本人の落ち度であるかのように演出する恐怖のネオリベ強化策だ。
 金があったらニートに配れ! なんで今さら訓練なんかしなくちゃならないんだ。これぞ「教育終身刑」(©佐々木賢)である。
 なんてことはどうでもいいんだ。問題なのは、ワーキングプア問題問題だ。
 NHKの「解決策」はお笑い草だ。けれども、ここでそれを批判して、「よりよい解決策」を提案したりなんかしたら、もう同じ穴のムジナだ。そこから出発したら、貧困が解決されることは永遠にない。
 働いても働いても貧乏のまま。
 なんて言い方は嘘っぱちだ。働いてるにも関わらず貧乏なのではない。働いてるから貧乏なのだ。それを資本主義という。それを破壊しようとするのが共産主義だ。
 それが真の課題だ。それに比べたら、ワーキングプア問題の「解決策」をめぐる争いなんかどうでもいいことだ。トンカツを上げるフライパンがメラメラと燃え上がっている最中にソースがいいか醤油がいいかマヨネーズがいいかとやっているのだ。
 ともあれ、百聞は一見にしかずだ。↓を見てくれ。
 

 
 この動画の最初の方に登場するイギリスの「社会的排除防止局」という冗談のような名前の役所の人は、こう言っている。貧乏人の子どもは放っておいたらメンヘラーになったり犯罪者になったり福祉のお荷物になるのだと。
 ここで、いやそんなことないと反論してはならない。
 これは宣戦布告だ。そしてそれを、涼しい顔をして天下のNHKが垂れ流しているのだ。上等だ。この戦争は、どっちかが負けるまでは終わることはないだろう。
 
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いままでの「共産主義、入門中」

2007.7.13 第1回「宝くじと教育の不平等」
2007.7.23 第2回「努力が報われる社会」にNO!
2007.7.30 第3回「「第三の道」はいらない」
2007.8.8 第4回「仮病で何が悪い」
2007.9.3 第5回「「弱者による暴力」に対する暴力について」
2007.9.25 第6回「映画『こぼれる月』」
2007.10.09 第7回「エリカ様と「世間」」
 

2008年01月07日

絶望男の逆襲 第24回「友人Y」

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第24回 友人Y
 
なぜか互いを「キミ」と呼ぶ。名前でもなく「お前」でもなく。
 
72年。YとはO小学校で出会った。藤岡弘主演の「仮面ライダー」が流行っていた。ガッシリとした体格に角ばった顔のYはいじめられっこだった。同い年でいじめられっこ同士の俺とYは自然と互いを意識した。気がついたときには「仮面ライダー」の話をしていた。同じクラスだった。
 
彼とは違うクラスになってもつるんだ。深い付き合いではなかった。いじめを警戒していた。二人でいればいじめられることはあまりなかったが、いじめっこは甘くない。一人になったときに奴らは否応なしにいじめた。
 
Yとは丘の上のO中学でも一緒だった。当然、いじめっこたちも一緒だ。休憩時間。Yは便所に行こうとした。いじめっこたちが彼を取り囲んだ。Yを掴んだ。柔道の一本背負いのように投げた。さらに蹴りを喰らわせた。何度も投げた。投げられるYの目は便所の方向を据えていた。周りには他生徒たちがいた。誰も助けようなどとしない。俺は傍観者だった。ただ、見ていた。何も言えない。言えば俺がいじめられる。
 
休憩時間が終わった。いじめっこ数人も他生徒たちも教室に戻った。Yは教室に戻るように促す教師を振り切って便所に向かった。俺はYの強固な意思に感じ入った。
 
中学卒業と同時にYと別れた。彼は就職した。俺はバイトを転々とし、ひきこもり、精神を病んだ。堕落した。
 
Yはうまくいっていると噂に聞いていた。仕事も続き、定時制の高校にも通っていると。
 
T駅で13年振りにYと再会した。偶然だった。久しぶりに話をした。俺と会っていない間、彼も精神を病んでいた。仕事などしていなかった。噂とは違う。俺は当時、世話になっていたKさんのところに彼を紹介した。そして、しばらくYと一緒に働いた。
 
6年後、俺はKさんの元を離れた。YはKさんの後輩のSさんの元に。クロスの仕事に就き、現在も働いている。
 
後でわかった。Yとは幼稚園も一緒だった。
 
去年の夏、彼の母親が亡くなった。俺は神保町小説アカデミーで出された宿題で手一杯だった。葬儀に行けなかったことを今も悔やんでいる。
 
Yは秘密主義だった。付き合いこそ長かったが、浅かった。ここ2年は会うことも少なくなった。彼は46歳でこれまでに一度もセックスを経験していない。もはや秘密主義ではなくなった。俺との違いはニートであるかどうかだけだ。だが、その違いはあまりに大きい。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
2007.11.26 第16回「精神障害」
2007.11.26 第17回「だるま」
2007.11.26 第18回「母の贖罪」
2007.11.26 第19回「因縁」
2007.11.26 第20回「悪意」
2007.11.26 第21回「小さな世界の小さな存在」
2007.12.18 第22回「孤独な年末年始」
2007.12.29 第23回「恩人」
 

2007年12月29日

絶望男の逆襲 第23回「恩人」

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第23回 恩人
 
忘年会があった。07年12月15日。つい2日前だ。主催者のKさんはひきこもっていた20代後半の俺に仕事を世話してくれた人だ。定期清掃や身体障害者の介助などやった。
 
当時の俺はKさんの助手だった。まだ真っ暗な早朝3時にワゴン車に乗り、現場に行った。レストランの定期清掃は始業時間前に済ませねばならない。誰もいないレストラン。真冬だった。4時だ。6時までしか時間がない。イスやテーブルを調理場に寄せた。水を撒いた。モップで吹き取る。ガムなどが床に付いている。かわすきという道具で剥がす。床の水を吸水器で吸い取る。ワックスを塗るのはKさんの仕事だ。俺は何度もワックスの付いたモップを水道でゆすぐ。手がかじかんだ。一連の作業が終わった。次は反対側に調理場のイスやテーブルを寄せる。同じ作業を繰り返す。Kさんも俺も汗まみれだ。青いつなぎ(作業着)に汗の染みが浮き出ていた。6時前作業終了。近くのファミレスで食事をし、事務所に。道具一式を下ろす。次の仕事へ。身体障害者の送迎だ。
 
ビルもやった。ハウスクリーニングは一日がかりだった。作業終了後に不動産からクレームがついた。清掃の終わった部屋に戻り、わずかなゴミを掃いた。常にKさんと行動した。引っ越しの仕事で長野まで行った。途中のインターチェンジでは狭い車のなか、Kさんと俺は折り重なるように仮眠した。一日ただひたすら工事現場から出たコンクリートの塊を外に運ぶ仕事もした。あるハウスクリーニングでは糞のこびり付いた便器に手を突っ込んで掃除をした。
 
作業はきついが、つらくはなかった。Kさんとは何でも語り合った。眼鏡をかけた。入れ歯もつくった。Kさんの勧めだ。精神障害者だからこそ、ひきこもりだからこそ、世間になめられるなと教わった。プロとしての仕事とボランティアの違いを学んだ。金を取る。その尊さを知った。彼との約6年間がなかったら、今の俺はない。
 
Kさんは現在51歳。忘年会での彼は若々しかった。ニート問題に熱が入った。Kさんの出会う若者に多いそうだ。苦々しい表情だった。「ニートはさ、プライドが高いんだよな」俺は言った。「やりもしないでやりたくないって言うよね」Kさんはうなづいた。
 
俺は納得した。やれることはやった。人が嫌がるような汚れ仕事も手が凍りつきそうな仕事も俺はやってきた。何事もやらないで諦める若者が多いように思う。やってみてから決めればいいのに。またもKさんから学んだ。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
2007.11.26 第16回「精神障害」
2007.11.26 第17回「だるま」
2007.11.26 第18回「母の贖罪」
2007.11.26 第19回「因縁」
2007.11.26 第20回「悪意」
2007.11.26 第21回「小さな世界の小さな存在」
2007.12.18 第22回「孤独な年末年始」
 

2007年12月18日

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第16回「U・WA・TE」

第16回 U・WA・TE  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
2007.8.8 第7回「夏目氏とナンパ②」
2007.8.28 第8回「一石二鳥」
2007.9.3 第9回「止まらないつまづき君」
2007.9.25 第10回「つまづき添い寝」
2007.9.25 第11回「僕のいばしょ」
2007.10.9 第12回「僕のいばしょ2」
2007.10.22 第13回「野生(レイ)の勘」
2007.10.22 第14回「野生(レイ)の勘 2」
2007.11.26 第15回「一重美人 まみ」
 

絶望男の逆襲 第22回「孤独な年末年始」

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第22回 孤独な年末年始
 
今月の5日で46歳になる。特別な感慨はない。俺にとって誕生日は過ぎゆく一日でしかない。12月にはクリスマスもある。同様にただの24日だ。それ以外のなにものでもない。誕生日やクリスマスを特別視する向きは何だかんだと理屈をつけ、バカ騒ぎをする。胃のもたれそうな糖分一杯のケーキを買い、脂の塊のようなチキンを食う。酒を飲む。バカ騒ぎに勢いをつけるのだろう。ツリーに電球を飾る。電気代の無駄でしかないのに。クリスマス。誰かと過ごす。恋人。友だち。仲間。家族。楽しいふり。その陰でバカ騒ぎもできず、誰かと過ごすこともなく、孤独を味わう人々が存在する。俺もそのひとりだ。
 
年末年始。帰郷する人々がいる。ハワイだのグァムだのへ行ける人々がいる。一方で生きるだけで一杯一杯の人たちがいる。帰りたくても帰る場所のない人々。俺には故郷も実家もない。海外旅行どころか飛行機に乗ったこともない。正月はただひたすら退屈だ。
 
一年で最も淋しい時期がやってくる。
 
アメリカではクリスマスイブの夜に自殺率が上昇するらしい。周りが幸せそうに見える。不幸な自分を惨めに感じる。わかる気がする。俺もそんな感覚を味わってきた。
 
時間は残酷だ。45年。過ぎてしまえばアッという間だ。とうとう恋人を得られないまま、46年目の人生に入る。
 
今日は雨のなか、月々の支払いを済ませた。家賃は払えなかった。9月分から滞っている。その他の足りない分は14日に支払う。お袋の障害年金からだ。そこからは介護保険料が1万円引かれる。お袋は介護など受けていないのに。障害年金の大半は支払いでパーになる。国は一体どこまで金をぶん取る気か。貧乏とまでいかないが生きるだけで精一杯の俺と家族。年末年始ぐらい楽させてほしいものだ。
 
誕生日、クリスマス、年末年始。気が滅入る。この孤独、いつまで続く?
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
2007.11.26 第16回「精神障害」
2007.11.26 第17回「だるま」
2007.11.26 第18回「母の贖罪」
2007.11.26 第19回「因縁」
2007.11.26 第20回「悪意」
2007.11.26 第21回「小さな世界の小さな存在」
 

2007年11月26日

今日のオールニートニッポン 2007年11月26日号(第20号)

2007年11月27日号(第20号)
 
・次回のネットラジオは、12月7日19時より「貴戸理恵の不登校系トークラジオ」。元不登校で、フリースクール設立準備中のSさん(20代男性)をゲストにお送りいたします!(スタジオ見学も募集中しています。

・白井カツミの「絶望男の逆襲」が、来年1月いよいよ本になります!現在、原稿もほぼ完成し、最終段階に入っています。情報は随時、本サイトでお知らせして行くのでどうぞ楽しみに!

・次回の公開放送は12月14日(金)の予定です!(詳細はもうしばらくお待ち下さい。。)

・12月30日の夜、「ニートのための大忘年会!」を開催します。会場は新宿「ロフトプラスワン」。参加費1000円。詳細・参加申込はもうしばらくお待ち下さい!
 
今号もどうぞお楽しみ下さい!
 
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◆ラジオ
 -12月13日より新番組「月乃光司と戸川純 ハート温泉」が開始します!
 -第5回「巨椋修のオグラジオ」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
 -「GALセラピーお悩み相談室 第4回」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
 
◆エッセイ
 -白井カツミ 第16回「精神障害」
 -白井カツミ 第17回「だるま」
 -白井カツミ 第18回「母の贖罪」
 -白井カツミ 第19回「因縁」
 -白井カツミ 第20回「悪意」
 -白井カツミ 第21回「小さな世界の小さな存在」
 -くまき由佳 第15回「一重美人 まみ」
 -赤木智弘 第11回「「クソゲー」って言うな」

 
◆注目のニュース
 【フリーター・ニート・ひきこもり】
 -「希望と安心」に重点、来年度予算の基本方針
 -労働力、2030年には1070万人減 厚労省が推計
 -憲法、ゆる~くほぐして語り合おう
 
 【いじめ・不登校】
 -いじめ止める勇気を 体験踏まえ上田の男性が著書
 -いじめ確認されず 生徒遺書公開で高畠高
 -深刻化よそに活動停止 滋賀県教委いじめ対策チーム、方向性議論?
 
◆事務局よりお知らせ
 -オールニートニッポンに原稿を載せませんか?
 -番組に遊びに来ませんか?
 -オールニートニッポンのSTAFFになりませんか?
 
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2007年10月22日

今日のオールニートニッポン 2007年10月22日号(第19号)

2007年10月22日号(第19号)
 
・今週のネットラジオは巨椋修の「オグラジオ」。オールニートニッポン放送開始1周年を祝い、夜9時から深夜未明まで、特大バージョンでお送り致します!(極秘ゲストも多数予定!スタジオ見学も募集しています!
 
貴戸理恵の「不登校系トークラジオ」に出演して下さる不登校の経験をお持ちの方、または現在不登校の方を募集しています。まずはメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。(宛先はann@kotolier.orgまで)
 
今号もどうぞお楽しみ下さい!
 
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◆ラジオ
 -「第4回 オキタリュウイチ"生きテク"ラジオ」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
 -「オールニートニッポン from 富山!」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
 -「GALセラピーお悩み相談室 第3回」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
 -「雨宮処凛のオールニートニッポン1周年記念」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
 
◆エッセイ
 -白井カツミ 第14回「歪み」
 -白井カツミ 第15回「否定できないもの」
 -くまき由佳 第13回「野生(レイ)の勘」
 -くまき由佳 第14回「野生(レイ)の勘 2」
 -赤木智弘 第9回「次世代ハードが心配だ」
 -赤木智弘 第10回「逆転裁判の心地よさ」
 -遠藤一 第8回「僕が「レン空」をはじめるまで/その4」
 -投稿原稿 「恋する権利」
 -投稿原稿 「リライトって、言わないで」
 -投稿原稿 「mement mori」
 
◆注目のニュース
 【ニート・フリーター】
 -母親と一緒に入社式へ行く新入社員たち
 -パートの厚生年金加入…格差解消が目的 対象者は限定的
 -小学生に体験講座 福祉マインド磨く
 
 【ひきこもり】
 -引きこもり予防から就職まで 相談窓口を一本化 県、若者支援センター開設
 -引きこもりの6割、不登校経験 京都府、自立へ就労支援など検討
 -"ニート"からの脱出を目指すEZweb向けシミュレーションゲーム
 
 【いじめ・不登校】
 -“いじめ克服”内藤が先生になる
 -いじめ見つめ心一つに 小中生劇団、高山で21日晴れ舞台
 -不登校問題 まずは親のケアから
 
◆イベント(10/23~10/31)
 -10/24(火)18:30~20:30 若者の労働問題を考える
 -10/25 チャンスへTry!就職面接会
 -10/28  ジョブチャレ 農業体験コース:りんご農園でキミも就労体験!
 -10/28 秋の特別セミナー「ひきこもりをより深く考える、親のためのワークショップ」(全4回)
 -10/29~11/2 ステップアップ講座
 -10/29~12/25 ジョブクラブ第3期
 
◆事務局よりお知らせ
 -オールニートニッポンに原稿を載せませんか?
 -番組に遊びに来ませんか?
 -オールニートニッポンのSTAFFになりませんか?
 
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2007年10月09日

今日のオールニートニッポン 2007年10月9日号(第18号)

2007年10月9日号(第18号)
 
・今週金曜日は「雨宮処凛のオールニートニッポン」1周年記念イベントが渋谷のアップリンクファクトリーであります。みなさんぜひ遊びに来て下さい。(詳しくはコチラ

・今週のネットラジオは「雨宮処凛のオールニートニッポン」。ゲストには社民党党首・福島みずほさんガテン系連帯の池田一慶さん、それから『今日、ホームレスになった―13のサラリーマン転落人生』著者の増田明利さんをお迎えいたします。(12日19時~21時)

・来週18日(木)は富山から放送する予定です。詳細はもうしばらくお待ち下さい。(19日の放送もあります。)

・今週13日に「いじめは深刻な問題!!vol.2」が新宿のロフトプラスワンで開催されます。

・今号はエッセイが盛りだくさんです。
 
今号もどうぞお楽しみ下さい!

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◆ラジオ
 -「第3回 貴戸理恵の不登校系トークラジオ」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
 -「第3回 フリーター労組のオールニートニッポン(仮)」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
 -「第3回 巨椋修のオグラジオ」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
 
◆エッセイ
 -常野雄次郎 第7回「エリカ様と「世間」」
 -湯浅誠 第7回「エム・クルーユニオン結成」
 -白井カツミ 第13回「家族と孤独」
 -くまき由佳 第12回「僕のいばしょ2」
 -石川良子 第6回「ひきこもり」支援・雑感(その2)
 -赤木智弘 第8回「ニコニコ動画でゲームを追体験」
 -投稿原稿 「元・不登校児 はじめてのアルバイト体験談」
 -投稿原稿 「詩」
 
◆注目のニュース
 【ニート・フリーター】
 -外国人向け「ジョブカード」検討、内閣府
 -広がる格差社会と分譲マンションの「新価格」
 -ニートと「予備軍」5% 05年度県内高卒者
 
 【ひきこもり】
 -アスペルガー障害の理解を 21日と11月、京で講演会
 
 【いじめ・不登校】
 -「ネットいじめ」県内公立校3割...兵庫県教委が昨年度分調査
 -不登校の若者 受け入れ
 -いじめの早期発見、父親ができる対策
 
◆イベント(10/9~10/15)
 -10/09 伊那市とのミニジョブカフェ事業「サロン・ド・お仕事」
 -10/10 地元で就職支援カウンセリング(奈良市)
 -10/11 第2回チャレンジ仕事広場
 -10/11 ミニセミナー「知って納得!ビジネスマナー」
 -10/12 就職基礎能力速成講座(標準コース)
 -10/12 高槻にて「ニート・ひきこもり支援のための説明会」
 -10/13 エンジニア転職フェアin東京
 -10/13 新ひきこもりについて考える会 定例会
 -10/14 子どもの就職を考える保護者応援セミナー
 
◆事務局よりお知らせ
 -オールニートニッポンに原稿を載せませんか?
 -番組に遊びに来ませんか?
 -オールニートニッポンのSTAFFになりませんか?
 
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2007年09月25日

今日のオールニートニッポン 2007年9月25日号(第17号)

2007年9月25日号(第17号)
 
・先週、新宿の紀伊国屋書店で「生きさせろ! 集会」がありましたね。どんな様子だったんでしょうか?かなり気になります‥‥。(盛り上がってるといいなぁ。)

・今週のネットラジオは「巨椋修のオグラジオ」。ゲストには妖怪研究家の山口敏太郎さんをお招きしてお送りいたします。(28日19時~21時)

・次回の公開イベントは10月12日(金)の予定です。場所は渋谷アップリンクファクトリー。詳細はもうしばらくお待ち下さい。

・ポッドキャストの登録者数が2000人