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2009年07月14日

投稿原稿 「留学という選択」

「留学という選択」
作:志行

 
はじめまして。7/10白井さんの「キングオブニート」の最後に突然
おじゃまさせて頂いた海外留学サポートをしている志行です。

私は、高校時代、とにかく日本の受験勉強とか「回りの、いわゆるフツー
の考え方」について行くのが辛くて、このまま日本にいても行き場がないと
悩んだ末、留学で海外に飛び出しました。全く、英語が話せなかったにも
関わらずです。

アメリカでは、アメリカ人をはじめ南米、アラブ、アジアなどから色々
な価値感を持った人達が集まってきて、彼らを通じ世界観が変わりました。
「今までの自分を否定する人生」から「前向きに切り開く人生」にチェンジ
できました。

その結果、日本では、一度も評価された事がない私が、アメリカの大学を
Honor student(首席)で卒業できたのです。そして、10年間サラリーマンをし、
今、留学支援の事業を、自ら立上げ走り続けてます!

今の閉塞感ある日本で、進路に迷われれいる方、一度、海外へ目を向けて
チャレンジしてみるのもよくありませんか? 誠心誠意、応援します!

まずは、ホームページをご覧ください。
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2007年11月26日

ゲームあふるる国に生まれて 第11回「「クソゲー」って言うな」

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第11回 「クソゲー」って言うな
 
 ニコニコ動画で「チーターマン2」の動画が大人気になっている。チーターマン2とは、米ActiveEnterprises社が92年に開発したNES(ファミコン)ソフト。しかし発売に至らず会社が倒産。97年にネットを通して倉庫の在庫が発売されたという、笑ってしまうほどに、いわくあり過ぎな代物。
 
 ゲーム性はあまりに陳腐で、ある地点まで進むと唐突に1面クリアとなったり、効果音が発生するたびにメインBGMが音飛びしたり、キャラによって空中浮遊が可能だったり。揚げ句の果てには、バグのために4面クリアでゲームが終わってしまい、クリアが不可能という、ゲームの体すら満たしていない。
 
 さて、これを見た人はこのゲームを「クソゲー」と呼ぶのだが、私としてはこのゲームをクソゲート呼ぶ事は、多くのクソゲーに対して失礼なことだと思う。
 クソゲーとして一般的な有名なタイトルをざっとあげると、「たけしの挑戦状(FC)」「デスクリムゾン(サターン)」「スペランカー(FC)」あたりが挙げられるかと思う。
 
 たけしの挑戦状は、謎が極めて理不尽で、ほとんどノーヒントといってよく、攻略本を見なければクリアはほぼ不可能なゲームである。
 
 しかし、チーターマン2のようにバグで物理的にクリアできないということはないし、理不尽な謎というのは、1984年にアーケードゲームとして発売され、名作の呼び声高い「ドルアーガの塔」の影響を強く引き継いでいる。この当時はゲームにやたらと謎を加えるのがブームであったともいえ、決してたけしの挑戦状だけが突出して理不尽だったわけではない。
 
 それでもこのゲームが広くクソゲーと認知されるのは、「ビートたけし」というネームバリューのおかげで、ゲーム自体がよく売れ、その理不尽さにあてられた人数が多いからである。
 
 デスクリムゾンは、3Dポリゴンシューティングであるが、1996年というポリゴン技術がこなれてきた時代にもかかわらず、カクカクとした非常に雑なポリゴン描写で汚い画面が特徴。また、サッパリ意味のわからないオープニングデモや、敵が突然画面にあらわれたり、被ダメージ後の無敵時間がなく、ライフがいくらあってもあっという間にやられてしまう場合があるなど、ゲームとしての完成度は非常に低い。しかし、それでもクリアできないということはない。
 
 スペランカーは、地底遺跡を冒険するアドベンチャーゲームであるが、落下の判定が厳しく、下りの坂道でジャンプすると死ぬなどといった、理不尽な死に方が話題となり、クソゲーという汚名を冠してはいる。
 
 しかし、個人的にはその仕様のおかげで、常に緊張感をもった操作を要求され、コウモリの糞を避けたり、蔦の間を飛んで渡ったりなどという、数少ないアクション要素でも飽きないように工夫された名作だと考えている。
 
 実際このゲームが広く「クソゲー」と呼ばれるようになったのは、2000年前後にインターネット上で起った「テキストサイトブーム」の流れである。
 
 こうした中で、昔のゲームをプレイして、おもしろおかしく記事を書くようなサイトが人気となったが、こうしたサイトでは、ゲーム機の進化によって豊富なアクション要素を詰め込めるようになったソフトをプレイできる環境からみて、昔のソフトを「クソゲー」と呼んでいる場合が多いように感じる。
 
 私は、こうした評価は、テレビゲーム史の流れを無視した不当な言いがかりであると考えている。ピタゴラスの定理を現代の中学生が知っているからといって、当時のピタゴラスが中学生レベルだったといえないのと一緒である。
 
 以上のように、一括りにクソゲーといっても、本当にダメな作品もあれば、考え方が違えば名作と呼べるような作品まで含まれている。そして何よりも、これらのゲームは、チーターマン2と違い、最低限ゲームの体を備えている。
 
 チーターマン2は、クソゲー未満である。私はこのゲームを「クソゲー」と呼んで欲しくない。 
 
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これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」
2007.8.3 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」
2007.8.28 第4回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)」
2007.8.28 第5回「ハイ&ローの愉悦(その1)」
2007.9.3 第6回「ハイ&ローの愉悦(その2)」
2007.9.13 第7回「ドラゴンクエストと大人になること」
2007.10.9 第8回「ニコニコ動画でゲームを追体験」
2007.10.22 第9回「次世代ハードが心配だ」
2007.10.22 第10回「逆転裁判の心地よさ」

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第15回「一重美人 まみ」

第15回 一重美人 まみ  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
2007.8.8 第7回「夏目氏とナンパ②」
2007.8.28 第8回「一石二鳥」
2007.9.3 第9回「止まらないつまづき君」
2007.9.25 第10回「つまづき添い寝」
2007.9.25 第11回「僕のいばしょ」
2007.10.9 第12回「僕のいばしょ2」
2007.10.22 第13回「野生(レイ)の勘」
2007.10.22 第14回「野生(レイ)の勘 2」
 

絶望男の逆襲 第21回「小さな世界の小さな存在」

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第21回 小さな世界の小さな存在
 
23日、25日と熊田曜子のイベントに行ってきた。去年(06年)の4月にも彼女の歌手デビューイベントに行っている。およそ1年半ぶりだった。熊田曜子は俺の“心の恋人”。手が届きそうで手の届かない相手である。久々の熊田は優しい感じがした。イベントとはいえ、実質は握手会だ。わずか数秒の握手のために、2500円のカレンダーや3500円のDVDを買い、往復1000円以上の電車賃をかける。我ながらよくやるなと思う。数秒だ。その瞬間に幸せを得る。終わったら「瞬間」の後味に浸りながらトットッとその場を去る。現実に戻る。
 
俺がどんなに熊田曜子を想っても決して届かない。3年前から熊田のイベントに行っている。プレゼントとしてDVDに手紙を添え、何度か手渡した。一度として返事をもらっていない。握手のときに緊張しながら震える声で話しかける。何か話題を作れば少しでも長く熊田の顔を見ていられる。彼女の視線は俺に向かう。だが、話題がない。「応援してます」。それだけで目一杯だ。他のファンはうまく話しかける。プレゼントを渡し、冗談を言い、会話を盛り立てる。俺は羨望の眼差しを彼らに向ける。「俺にはできないな」。
 
3年間、ずっと同じだった。気が滅入った。熊田曜子のイベントへの足が遠のいた。金がかかるのもある。行くたびに虚しくなった。それが嫌だった。近づきたくても近づけない。だからこそ熊田曜子は意味ある存在である。妄想のなかでなら「俺の恋人」だ。グラビアアイドルはファン(消費者)に妄想を売る。もしかしたら恋人に、という。需要と供給が成立する。熊田に対する想いは恋だ。大多数のファンのニーズも似たようなものだろう。現実には熊田曜子を恋人にすることは不可能だ。
 
今回の2回のイベントでは俺のなかに目的があった。1回目。熊田に俺の存在を覚えてもらう。2回目。俺の本の出版を知らせること。出版した本を次回のイベントで手渡すと伝えること。成功した。熊田は俺を覚えていた。「また来てくれて」と言ってもらえた。そして「来年の2月に俺の本が出ます。その頃にイベントがあったら渡します」と言えた。
 
本当にそうなるかはわからない。出版に関しては慎重でありたいし、どこでどうなるか。出版中止ということもあるかもしれない。だが、目的を果たせた。熊田曜子に自分の本を手渡す。夢だった。俺は夢に一歩近づいた。
 
実現などしなくても構わない。「できた」ことが重要なのだ。熊田曜子が俺の本に関心を持つとは思えない。俺の存在も忘れている。彼女にとってはイベントでのいちファンとの握手など「仕事」に過ぎない。大切なことは俺が「俺自身」でいることだ。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
2007.11.26 第16回「精神障害」
2007.11.26 第17回「だるま」
2007.11.26 第18回「母の贖罪」
2007.11.26 第19回「因縁」
2007.11.26 第20回「悪意」
 

絶望男の逆襲 第20回「悪意」

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第20回 悪意
 
中学時代。1年の頃。Tは笑いのとれる奴だった。落語研究部にも在籍していた。クラスの人気者だった。俺には違った。奴は休憩時に俺に近づくと制服の下に手を入れた。脇腹をギュッとつねった。爪が食い込んだ。痛い。誰も気づかない。Tは「お前なんか死ね」と耳元で囁いた。シャツに血が付いていた。Yは背の低い奴だった。顔だけはでかく、やくざのように見えた。校舎の裏に俺を呼び出した。すると突然、俺の顔に頭突きを入れた。さらに腹を蹴った。俺はその場にうずくまった。周りには誰もいない。うずくまる俺の背中に拳を叩きつけた。「白井が嫌いだ」。Yは言った。俺は息が詰まっていた。顔が熱かった。涙と鼻水が同時に溢れ出ていた。
 
小学時代から中学までずいぶんとイジメに遭った。集団でのイジメもつらかったが、個人のイジメもしんどかった。誰にも言えない。言えば仕返しを受ける。言える相手などいなかったが。TもYも俺を嫌った。理由はない。「気に入らない」。それだけだ。
 
親父も同じだった。俺を忌み嫌った。毎日、酔っ払っては暴虐の限りを尽くした。20代の頃、俺も親父を嫌った。憎悪した。殺意を抱いた。お袋はこのままなら殺し合いになると心配した。
 
1993年6月28日、月曜日。親父は入院した。様々な機械やチューブにつながれた親父は昏睡状態だった。何もできない。俺を殴ることも怒鳴ることもできない。お袋と交替で病院に寝泊まりした。面倒臭かった。早く死んでくれと願った。
 
7月2日金曜日、早朝。看護師から親類に連絡するように言われた。もう危ないとのこと。その日は俺の寝泊まりだった。午前8時頃。父方、母方の親戚がぞろぞろとやって来た。担当医が俺に耳打ちした。このまま逝かせるか、治療を続けて延命するか。一家の長男が決められると。お袋と弟に確認した。「死なせる」と決定した。
 
「9時18分」。ひとことだけ担当医が言った。ご臨終などとは言わない。親父は死んだ。俺が死を決めた。殺したも同然だ。延命治療は金がかかる。死んでほしかった。俺の本心だ。
 
斎場。親父の死体を見た。うっすらと白目を開けていた。今にもむっくり起き出し、襲いかかってくると思った。親父の死をリアルに感じられない。夜。俺は棺を開けた。死に顔を使い捨てカメラに撮った。ワクワクした。死体がそこにある。憎んだ親父だ。うれしかった。
 
その後約1ヶ月。俺は鬱状態になった。親父の夢を繰り返し見た。妄想した。どこからかやって来て暴れる。俺を殺しに来る。怖かった。妄想だと思えなかった。
 
俺は親父を殺した。明確な意図を持って。間接的ではあるが親父の死に加担した。悲しみも慈悲の心もなかった。自分の父親の最期を心底喜んだのだ。
 
今、想う。親父が死んでくれて良かったと。そうでなければ俺は自分のなかの悪意に気づけなかった。どんな人間にも悪意はある。その普遍的な意味を俺は探究していきたい。その向こうに善意が見える。たぶん。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

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2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
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2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
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2007.11.26 第17回「だるま」
2007.11.26 第18回「母の贖罪」
2007.11.26 第19回「因縁」
 

絶望男の逆襲 第19回「因縁」

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第19回 因縁
 
「危ない!共同出版」(尾崎浩一著:彩図社)という本を買った。サブタイトルに‐夢を食い物にする錯覚商法‐とある。新風舎と松崎義行社長が、今年の7月4日に提訴された。本はその過程を追った内容になっている。
 
感慨深い。新風舎は共同出版の名のもとに自分の本を出版したい人々の夢を打ち砕いてきた。遂にその報いを受けるときがきたのだ。ちなみに共同出版とは著者と出版社が出版費用を折半し、全国の書店に本が並ぶシステム。が、実際は自費出版と何ら変わらない。折半などない。200万円もの大金を著者からボッタくる(実際の出版にそんな金はかからない)。本が全国の書店に並ぶこともない。すべて大嘘だ。俺はその大嘘に7回は引っ掛かった。ただし、金は取られていない。払える金がなかった。ボッタくられたのは「夢」だけだ。
 
新風舎出版賞や様々な賞がある。3年くらい前から原稿を送り続けていた。常に落選だった。そして常に共同出版の申し合わせがあった。7回目の原稿は自信作だった。落選しても絶対に出版したかった。共同出版で金をかけてでもと出版編集者と相談。巧みなセールストークに乗せられた。ローンでの出版が1度は決まった。話は二転三転し、結果として出版を断念せざる得なくなった。障害年金から5年かけてのローン払いはクレジット会社に断られた。その瞬間、夢は砕け散った。俺は乗せられ、その気になった自分を恥じた。薄々怪しいと感づいていた。夢に浮かれながらも冷静な部分もあった。やたらに原稿を誉める出版編集者を怪訝に思っていた。
 
07年6月。俺は「神保町小説アカデミー」に入校した。目標は自分の本の出版。新風舎の共同出版を告発するルポを書くと決めた。あれは詐欺商法だ。許せない。ルポは敷居が高い。アカデミーに入ってからの前期半年は「共同出版」にかかりきりだった。受講でも企画書を提出し、共同出版について語った。新風舎で自費出版をした著者の体験談も聞いた。受講生の協力を得て、情報も集めた(俺にはパソコンがない)。ダメだった。事実となる証拠を必要とした。取材も不可欠だ。講師からは訴訟リスクがあると言われた。出版社を告発する原稿となれば同業者は二の足を踏むとも。出版できるできない以前に俺自身、何も書けてなかった。諦めた。だが、講師の言葉が俺の新風舎への怒りを喚起した。「白井さんは憲法で保証された言論の自由を奪われたんです」。新風舎に送った7つの原稿は闇に消えた。その年の12月。俺は自分の人生について書くことに方向転換した。
 
新風舎の共同出版に夢を託し、高額の出版費用を取られた挙げ句、肝心の本が出ない。被害者の憤りは想像すらできない。俺は金がないことで被害を免れた。と、言えるだろうか?夢を粉砕された。その点では同じ「被害者」だ。奴らは200万を出さなきゃアンタの原稿は出版する価値がないと言っているのだ。理由はあれど200万もの金を出せる人と20万の金さえない俺。これも現実だ。
 
訴訟が起こるまではS舎でM社長だった。今は「新風舎」「松崎義行社長」と表せる。共同出版の事実は本になった。俺の役割は終わったのかもしれない。だが、新風舎の件が俺の人生に大きな影響を与えた。企業(社会)とじかに接点を持った。奴らの薄汚さを知った。同時に金がすべての社会。その暗部に嫌悪を覚えた。あの出版編集者と名乗る輩も松崎社長の駒だった。いい感じの女性だったが、営業成績を上げるためのゴマスリをしていただけだ。俺に金ができないと知った途端、一切の連絡を絶った。俺は今も新風舎のことを思うと怒りが沸いてくる。
 
7回目の実質最後の新風舎出版賞落選原稿は手元にある。プロの編集者に読んで頂いた。本にできる原稿ではないとのことだった。奴らの嘘は証明できた。いずれ「本物」を書く。新風舎よ見ていろ。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
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2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
2007.11.26 第16回「精神障害」
2007.11.26 第17回「だるま」
2007.11.26 第18回「母の贖罪」
 

絶望男の逆襲 第18回「母の贖罪」

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第18回 母の贖罪
 
俺には結婚願望がない。考えたこともなかった。12年ぐらい前の俺は心理学を学んでいた。フリースペースTでピアカウンセリングをとある若い女性と行った。女性に冗談半分で「俺と結婚する気ある?」と言った。カウンセリングのテーマは結婚だった。彼女には結婚願望があった。「白井さんは不安定だからダメ」と彼女は言った。俺の経済的な意味での不安定さを指摘したのだ。恋愛感情もないと言った。このとき、結婚がこの世に存在する事実を初めて意識した。同時に金のない奴は結婚できないと知った。ちょっとした衝撃だった。無職な男はこの社会では不利益な存在(役立たず)だと気づいた。
 
お袋は好きで親父と結婚したわけではない。双方の親戚の策略結婚だった。若い頃の親父は酔っ払っては暴力を振るっていた。手がつけられなかった。親戚は困り果てた。その頃、身体障害者のお袋も親戚には「お荷物」だった。親戚同士は示し合わせるように親父とお袋を結婚させた。親戚は厄介払いができた。
 
お袋は信仰に熱を入れた。先祖供養に救いを求めた。親父は信仰を嫌った。読経中のお袋に暴力を振るい続けた。お袋は耐えた。集会に参加し続け、修業地のある伊豆にも2泊3日、年に4回は出かけた。俺と弟も集会や伊豆に行かされた。読経もした。お袋は先祖供養こそ救いだと信じて疑わなかった。親父は家を放ったらかし、信仰にすがるお袋を憎んだ。暴力は日増しにひどくなった。
 
俺がまだ10歳の頃だ。夜中に腹が痛くなった。お袋に腹の痛みを訴えた。親父も弟も寝ていた。お袋は俺の腹を数珠を持った右手でさすった。左手は不自由だ。読経をしながら右手を腹を上下にさする。その手が俺のチンコに触れた。最初のうちは良かった。お袋の読経も右手の感触も。お袋の右手が俺の毛も生えていないチンコを明らかに触ってきた。不快になった。意味がわからない。お袋は俺のために腹をさすっている。そう思うとなぜチンコに触るのかなどとは言えない。しばらく我慢した。腹の痛みは治まったと嘘をついた。お袋は読経を続けた。
 
現在、77歳のお袋は読経すらままならなくなった。それでも毎月、1万1千円の会費を払っている。お袋にとって会費は最後の信仰とのつながりである。信仰は家族に対する罪の償いだと言う。家庭を顧みなかった。親父の暴力から逃げた。息子たちの面倒より他人の面倒を優先した。お袋はそのことに罪の意識を感じていると言う。死ぬまで背負うべき試練であるとも。俺はチンコの件を封印するつもりだ。少なくともお袋には言わない。だが、ここに書いた。お袋は味方だ。それは変わらない。だからこそ事実に目をつぶるわけにはいかない。
 
俺は結婚しない。お袋の不幸な結婚生活を間近で見てきた。結婚には大人の責任が伴う。俺はまだ大人の責任を自覚できていない。お袋の罪を背負う気もない。
  
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
2007.11.26 第16回「精神障害」
2007.11.26 第17回「だるま」
 

絶望男の逆襲 第17回「だるま」

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第17回 だるま
 
日曜の朝はちょっとした競争になる。便所に誰が先に入るか。弟が休みだ。朝から家にいる。便所の占拠率が普段より高めになる。弟かお袋か。うかうかしていると先を越される。小便なら少し待てばいい。クソだとかなり待つ。今朝は弟にクソの先を越された。俺もクソだ。約10分待った。弟が便所を出た。すぐさま便所に駆け込んだ。すっきりした。
 
親父は死ぬ前の約2年、寝たきりだった。脊髄の手術をした。医者は身体が固まるようになると告げた。退院後からベッドに寝る生活が始まった。それまでの飲酒も暴虐ぶりも止まった。静かにはならなかった。親父はベッドの上で「ウーウー」「アーアー」と唸り続けた。おかゆなどの食い物を与えようとした。受けつけない。紙オムツを取り替える。俺が親父の腰を上げ、お袋が紙オムツを当てがう。その瞬間、親父はお袋の顔面を蹴飛ばした。お袋は後方に倒れた。壁に後頭部を打ちつけた。顔に痣ができた。「もう知らないからね」。お袋は親父の頬を叩いた。お袋が親父に暴力を振るう場面を生まれて初めて見た。俺は唖然とした。以降も紙オムツを取り替えるたびに嫌がった。
 
親父は夜中も唸り声を上げ続けた。眠れなかった。弟が怒った。親父はクソをしたいのだ。ポータブルトイレに座らせた。出ない。便所に行きたい。便器に座りたい。唸り声はそれだった。弟は親父を抱え、便器に座らせた。親父は安堵の表情を見せた。が、再び唸り始めた。出ない。弟は親父をベッドに放り投げた。唸り声は朝まで続いた。誰も眠れなかった。
 
家族が外出する。親父は独りになる。夕方に帰宅した。親父はベッドから落ちていた。便所に行こうとしたらしい。身体が固まっていた。臭い。クソを垂れ流した。親父は落ちた。そのままだった。動くことも這うこともできなかった。だるまのように畳の上に転がっていたのだ。
 
親父はおかゆなどの主食を受けつけない。菓子類は口に入れたが、すぐ吐き出した。キャラメルだけは口に入れた。喜んでいた。うるさいときはキャラメルを親父の口に放り込んだ。ある日、親父が奇声を上げた。仰向けの身体を裏返した。パジャマを上げた。背中の方々にキャラメルがめり込んでいた。吐き出していたのだ。床ズレもあった。腰の辺りがみみず色に膿んでいた。
 
面倒は主にお袋と俺が見た。限界があった。弟は仕事で目一杯。俺とお袋も用事がある。親戚は親父のことを知っていながら約2年、1度も来なかった。ベッドやポータブルトイレなどの介護用品は福祉課から借りたものだ。金がかかった。紙オムツ代だけでもバカにならない。精神的にもクタクタだった。親父は毎日のように唸り、ベッドから落ち、食い物を吐き続けた。
 
死ぬ2ヶ月前。親父はハエが飛び回っていると手真似と単語で言った。ハエなどいない。親父の眼球に白い膜がかかっているように見えた。手で何かを追い払う動作を繰り返す。身体はまったく動かず、白い骨が浮き出るまでに痩せていた。肩口まで白髪が伸びていた。便所にも行きたがらなくなった。かつての潔癖な親父ではなかった。どうすることもできなかった。
 
親父は68歳で死んだ。俺は今、45歳。生きている。小便もクソもできる。身体が固まることもない。だからこそ動きたい。だるまになどなりたくない。
 
寝たきりの親父は俺に大切な何かを伝えた。そう受け取った。親戚は冷淡だった。福祉に頼る術も知識もなかった。家族が面倒を見るしかなかった。「何か」とは何か。抑え込んできた怒りだ。親戚は冷淡な社会の象徴だ。俺の想いを俺の言葉で社会に伝える。俺の使命。生きる意味だ。
  
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
2007.10.9 第13回「家族と孤独」
2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
2007.11.26 第16回「精神障害」
 

絶望男の逆襲 第16回「精神障害」

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第16回 精神障害
 
先週の月曜日、水道橋の事務所でテレビのプロデューサーに会った。企画段階だが俺(か、もう1人)を中心としたドキュメンタリーを制作するという。俺の話を聞いた上で企画をテレビ局に持ち込むらしい。企画が通らなければなしだ。
 
「白井さんは精神障害者に見えない」と彼は言った。俺の話し方や雰囲気が一般社会人とさして変わらない。そんな意味だった。「またか」と思いながら、わけを説明した。薬の効果やら何やら。何をどう説明したか忘れた。精神障害など説明できるものじゃない。精神科医だってわかっちゃいなのだ。
 
心の病の方が通りがいい。身体に具体的な症状が現れない病気。現れても心因性から発祥するパニック発作だ。俺の場合は激しい動悸、偏頭痛、多汗、チック、胃痛、どもり、抑鬱などが極端な緊張や不安な状況のなかで起こる。安心できれば治まる。だが、心の病気である。大抵は身体に現れることはない(人によって症状は異なる)。心をレントゲンで見ることは不可能だ。
 
心の病を証明するものが精神障害者手帳だ。俺は2級と認定されている。手帳には顔写真がない。発行当時は問題になった。結局は精神障害者の人権保護とかで顔写真なし。現在まで定着している。身分証明としてはあまり役に立たない。が、ないよりはマシだろう。障害者割引きで映画を1000円で観られる。市内のバスや地下鉄がタダになる特別乗車券もある。1年ごとの更新だ。横浜までの市営地下鉄はタダだが、そこから先のJRは一般社会人と同じに金を払う。例えば水道橋まで540円。帰りは地元Tまでで680円。不思議だ。横浜までの市営地下鉄では障害者なのにJRに乗った瞬間、健常者になるわけだ。手帳も乗車券も提示するたびに「私は精神障害者です」と証している。パッと見は普通の人間が地下鉄をフリーパスで利用できる。市内限定で。これは便利なのだろうか?
 
俺は自分が精神障害者だという意識が薄い。障害者手帳の利用の仕方もイマイチ把握していない。だが、どこでどう道を間違えたのか心を病んだ。20年以上も精神科への通院を続けている。薬なしではいられない。俺を精神障害に見えないと言う人はこれまでにもたくさんいた。そんな人に会うたびに疲れた。お袋でさえ理解できないと言う。「だから外見じゃねぇんだよ」と心のなかで叫び、平静を装う。誰かにわかってほしいと願いながら。
 
「あなた普通だよ」「私だって睡眠薬飲みますよ」「精神障害など病気じゃない」「身体障害者のつらさを考えろ」「働かない言い訳にするな」等々。働かないで金をもらうなんてと障害年金受給を批判する人もいた。五体満足であることを恥じた。自分を責めた。
 
必然だと思う。心の病も差別、偏見も。すべてひっくるめて俺という個性を形成している。精神障害者であるからこそ出会えた人もいる。出会いたくない人もいた。得がたい経験があった。錯覚でもいい。そう思った方が生きやすい。
 
精神病そのものはそれほど苦しくなくなった。偏頭痛は毎日のようにあるし、朝早く動悸で覚める毎日も嫌だ。本を読んだりしたあとの躁状態にも困る。だが、自分の病気との付き合い方を理解してきた。心の主は自分なのだ。適度に頑張り、適度に休む。歩くのもいい。映画は欠かせない。今の俺は自分が安心できる状態に持っていける。つらいときは「つらい」と認め、強がらない。精神障害に限らない。人間の生き方の基盤ではないか?今の世の中でそんな生き方ができるだろうか。
  
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
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2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
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2007.10.22 第14回「歪み」
2007.10.22 第15回「否定できないもの」
 

2007年10月22日

投稿原稿 「mement mori」

投稿原稿  mement mori ハヤカワナオミ
 
今やっと目をあけて 眩しさを知る
 
ばら色の呼吸をし 前に踏み出す勇気を出す
 
たとえどの道を通っても最後にあるものから逃げ出すことは出来ず
 
あなたがわたしの首に手をかけ 力を込めようとも
 
わたしはあなたを愛し続ける 自信を持ってそう言える
 
 
この道を選んだことが間違いなのかそれは誰にもわからず
 
たとえどの道を通っても最後にあるものから逃げ出すことは出来ず
 
それを受け入れる準備をしながら生きていく
 
 
あなたがわたしを水に沈め わたしから息を奪おうとも
 
わたしはあなたを愛し続ける 自信を持ってそう言える
 
目を開けた世界が幸せに満ち溢れていなくても
 
わたしたちは歩いてゆく 手を繋ぎ歩いてゆく どこまでも
 
 
眩しさが偽物だとしても 雲が晴れるのを待つ いつまでも
 
たとえどの道を通っても最後にあるものから逃げ出すことは出来ず
 
わたしたちはそれを受け入れる準備をしながら生きてゆく
 
終末の鐘がなる大きく響くその音に耳を傾ける
 
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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」
2007.8.27  「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」
2007.9.3 「憂鬱から生まれた歌人」第二話
2007.9.10 「「誰かに伝えてみたいという気持ち」―Cocco「Raining」を聴いていた頃の話―」
2007.9.25 「氷河期世代は行動する」
2007.10.9 「詩」
2007.10.22 「元・不登校児 はじめてのアルバイト体験談」
2007.10.22 「リライトって、言わないで」

投稿原稿 「リライトって、言わないで」

投稿原稿  リライトって、言わないで 藤山 隆
 
・「呼吸が上手に出来ない場所」

JR渋谷駅ハチ公口を出てすぐの交差点、あれを渡る時に僕は、だいたい息を止めることにしている。なぜだかわからない。けれどあの場所にいると、しんどくなる。呼吸がしづらい場所だ。だから息を止めるしんどさで、まぎらわす。痛い時に、他の部分をつねって我慢する要領で、やり過ごしている訳だ。あんまりいい方法とは言えないな。
余計、むかむかしてくるから。
 
・「地味な、お調子者」

その交差点で信号待ちをしていると「リィライトォして~」という声が聞こえてきた。そちらに目を向けると、アジアンカンフゥーなんとか。通称「アジカン」というバンドのヒット曲「リライト」のサビをそこだけ歌ってる奴がいた。叫んでいたのは、なんか地味そうな男女6人くらいのグループの中の1人だった。その叫んだ男を、信号待ちをしている周りの人間が一斉に見たので、叫んでる奴以外のグループの全員は困ったように顔を見合わせ、薄く笑い、下を向いた。
男はもう一度「リィライトォして」と言った。俺は、見られたからって歌うのをやめないよ、とでもいいたげに。
そのくせに、その声はさっきより声が小さく震えている。小心者なのだろう。
グループの他の人たちは下を向いたままだった。冷たい、と思ったら一番かわいくない女がその男に愛想笑いのような顔を向ける。それを無視する男。嫌な奴だな。
 
・「あんまりにもムカつくから、蹴りたくなった」

そんな光景を見て、ただでさえ、この交差点にいることで嫌な気持ちになっているのに、余計に嫌な気持ちになった。不細工だろうと女の子には優しくするべきだし、こんな所で歌うべきではないし、ちょっと注目を浴びたくらいで恥ずかしそうにするんなら、見てるこっちは余計恥ずかしいから、そもそも最初から大きな声で、しかもワンフレーズだけでっかい声で歌うのはやめるべきだ。
さっき叫んだ地味な男は、もう1度「リィライトォ~」とごにょごにょと気まずそうに小さな声で、つぶやく。今度は、隣にいた僕にしか聞こえなかったみたいで、周りの人間はおろか、こいつを真ん中として、僕の反対側の隣にいる不細工な女の子にも聞こえなかったようだ。
 
僕だけに聞こえる、というのがムカつく。
 
こいつは中学生じゃあるまいし、何をやってるんだ。わめくならわめけ。渋谷の交差点の端っこで、リライトなどと大声でわめき、ちょっと見られたくらいで下を向いてしまうなんて、馬鹿なのかこいつは? そうに決まってる。
交差点でこの男の横にいた僕は、この男をちょっと蹴ってみたくなった。車に轢かせようとしたわけではない。この男の怯える顔が見てみたくなったのだ。この男は、どうしょうもなく情けの無い顔をするに違いないだろう。
それにしても、リライト、リライトと繰り返すなんて、迷惑な奴だ。この男もやり直したいことでもあるんやろうか。
 
・「僕のやりなおしたいこと」

僕は、やりなおしたいことだらけや。
無駄に過ごして24にもなったことは、誰のせいでもない、ことはわかっている。それでも割り切れない。もう、真っ当に生きるには遅すぎるのに。それに、いまさら不真面目に生きようとしても、タバコも吸えず、酒も飲めない、薬をやったこともなければ、友達だっていたためしがない。そんな人間が、一体何をやりなおせるというのか。また同じ日々を繰り返すだけ。そう思いながらも、やっぱりやりなおしたい。生きなおしたい。そんなことを思いながら同じような毎日を繰り返す。
どうやって1日が終わったのかもわからないまま次の日になって、次の月になり、次の年になっていた。いつのまにか夕方になってテレビでドラマの再放送を見て、インターネットをやり、ご飯を食べると今日は明日になって、それを繰り返す。
部屋に引きこもりビデオをたまに見、本を読み、音楽を聞く。それだって、人に誇れるほど見ているわけではなく、聞いたわけでない。ただ見ているだけ、というのは、ただそれだけのことでしかない。趣味が高じて何者になれるほどの可能性は、ない。そんな人間が、一体何をやり直せるだろう。大体何処からやりなおせばいいんだ。
 
・「戻れないんじゃない、戻らないんだって言え」

あの男のように、「リィライトォして~」などと一瞬だけわめき、すぐに下を向いてしまうことすら僕にはできない。この男にしたって、嘆いているだけなんだろう。
そう思うとますます男の背中を蹴りたくなった。おびえる顔なんてどうでもいい。おもいっきり蹴ってやりたい。俺が背中を蹴ってやる。行ってしまえよ。行け。お前ちょっと先に行ってやりなおしてこい。嘆くだけで嘆いて、何も変わろうとせず、何の、覚悟もないままやり直したいとのたまう、お前の背中を僕が押してやるよ。
ところで、お前は何をやりなおしたいんだ?
 
モテなかった中学時代か、行きたい大学に落ちたことか、毎日だらけて過ごしてしまったことか。それとも、悔やんでるだけで日々が過ぎてしまったことか。本当にやりなおしたいことなんて1つもないんだろうに。
友達がいないこと、頭の悪いこと、これからの、人並み以下な面白みのない人生を、やりなおしたいと思うことで、乗り切ることはできなくとも楽になる、そのことを僕は知っている。何かやらねばならないのは過去の自分であるはずがない。だから、やっぱり楽になりたいだけだろ。
 
僕はこの男に、やりなおしたいだなんて思うことをやめさせたかった。そして僕が蹴り飛ばすことによって、この男はやりなおしたいだなんて、ふざけたことを思うことをやめるような気がした。しかし、こいつもただ人気グループのヒット曲を叫んだというだけで、もし僕が本当に蹴り飛ばしてしまったら、と思うと、ちょっとかわいそうになった。ドラえもんがいないノビタ君みたいな、なさけない顔をした男だった。小学校の学芸会ではセリフのない木の役とかやってるような男だったんだろう。こいつはそんな顔してる。
 
・「僕の名前は、バイト君」

そういう僕は小学校の学芸会では子供その3をやった。本当は木がやりたかったんだけど。子供3と大人2と木1が空いてて、子供3を選んだ。心のどこかではセリフが言ってみたかったのかもしれない。それか、木の顔ぶれを見て、ここまでは落ちたくないとでも思ったんだっけか。
そういえばあのクラスで一番かわいかった主役の女の子は女優になりたいって言ってたけど、まだテレビで見たことはない。これからも見ることはないだろう。
僕は、学芸会では子供3だったけれど、いつか、どこかでは、主役になれるんだって信じていた。ところが、小学校の学芸会で主役だった女の子がテレビドラマの主役になれないように、僕もまた、どこにいっても、いるんだかいないんだかわからない端役しかやらせてもらえなかった。
自分なんて、いるんだかいないんだかわかんないどうでもいい奴だと思い知らされ、納得し、受け入れることで、すり減っていった。もう、しんどいことはしたくないと思った。負けでいいから勘弁してほしい。だるい。
学芸会で子供3だった僕は大人になって、バイト君という役どころをこなしている。そんなものだと、あきらめて、つまらないつまらないと言いながら、無気になったのはいつの頃からだったろう。
バイト君は、怒鳴られ、嫌味を言われながら、その日1日をやり過ごすので精一杯だ。
どこにいっても主役になれなかった。これからもなれない。でも、そんなことで、もう自分をすり減らしたりしたくない。そんなことは、させるものか。もう嫌だ。どうにかしなくちゃ。自分を丸ごと抱えて肯定することは、今更できない。なんとか全てを否定しなくてすむように。なれないものか、できないものか、もう遅いのか、こればっかりは駄目なのか、これだけじゃなく駄目なのか。
 
そうだとしても。そうだとしても、やりなおしたいだなんて僕は言わないよ。僕が背中を蹴ろうとした男にも言わせない。リライトはできないよ。でも、できない、なんて言うな、しないんだって言い張れ。
自分の意思でしないんだって、ふりでもいいから、言えよ。
 
そんなことを思ううち、信号は青に変わって、人にぶつからないように緊張しながら、息を止めたまま交差点をわたりきるころにはあの男もあの地味な新興宗教にでも入ってるかのような地味なグループは見えなくなっていた。(終わり)
 
藤山 隆
メールアドレス  mercibeaucoup0119@mail.goo.ne.jp
 
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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」
2007.8.27  「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」
2007.9.3 「憂鬱から生まれた歌人」第二話
2007.9.10 「「誰かに伝えてみたいという気持ち」―Cocco「Raining」を聴いていた頃の話―」
2007.9.25 「氷河期世代は行動する」
2007.10.9 「詩」
2007.10.9 「元・不登校児 はじめてのアルバイト体験談」
2007.10.22 「恋する権利」

投稿原稿 「恋する権利」

投稿原稿  恋する権利 田中佑弥
 
 今年の七月だったと思う。谷町四丁目の大阪合同庁舎前で行われた平良夏芽さんの「バルブ事件」※に抗議する座り込みに行った。メッセージ・ボードを持って座り込みをしているひとがいるので、通行人がそれを見て行く。話しかけてくる人や差し入れをしてくれる人もいる。そういった人たちのなかに一人の若い男性がいた。確か年齢は、僕と同じ24歳。
 
 合同庁舎のなかには大阪労働局もあり、彼は労働相談に行ってきたらしい。なんでも、雇い主から時給を3分の2にすると通告されたので反発し、労働相談に来たそうなのだ。タダで辞めると悔しいので解雇予告手当をもらいたいと言っていたと思う。
 座り込みをしていた年配の女性といっしょに話を聞いていると彼は、こんなことを言っていた。
 気になっていた職場の女の子と親しくなる前に、会社を辞めなければならなくなった。この損害を会社に補償させたい。探偵か何かに頼んでその女の子の連絡先を手に入れて、その費用を会社に請求したい。
 
 不正雇用労働者が不当にも奪われているのは恋する権利なのだ。不正規雇用労働者は名前で呼ばれないことだってある。それでは番号で呼ばれる囚人と同じではないか。職場を転々としていては継続的人間関係を結ぶことができない。日替わりで不正規雇用労働者が変わるような職場では、正社員も名前を覚えられない。このような労働形態で奪われるのは継続的人間関係を通した存在の承認であり、ひいては職場において恋する権利なのだ。
 
 話を彼に戻そう。座り込みに来ていたひとのなかに、ユニオンの知り合いがいるひとがいたので、いっしょにユニオンの事務所に行き、いろいろアドバイスをしてもらった。
 
 その後、彼は解雇予告手当を得て退職し、現在は短期バイトをしながら、つぎの仕事を探しているそうだ。
 例の彼女とどうなったかは知らない。
 
※沖縄県名護市の辺野古では米軍基地建設計画が進められており、これに反対する人たちが阻止行動を行っている。2007年7月21日の12時過ぎに海中で阻止行動を行っていた平良夏芽さんのエアーボンベのバルブが閉められる事件が発生した。運動側は、防衛施設庁から業務を受注した業者が雇ったダイバーによって閉められたと主張したが、防衛施設庁は否定している。なお防衛施設庁は今年9月に防衛省に統合された。
 
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いままでの投稿原稿

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2007.10.22 「元・不登校児 はじめてのアルバイト体験談」

絶望男の逆襲 第15回「否定できないもの」

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第15回 否定できないもの
 
去年の4月、俺は胃炎になった。夕飯を無理して食った。脂分コッテリのフライドポテトと加工品の偽カニカマボコだ。腹は一杯だった。だが、残せない。気分の悪さをこらえて完食した。途端にのたうちまわった。救急車を呼んだ。1週間苦しんだ。その後は食い物に気をつけている。
 
子供の頃から食い物を残すなと親父に言われ続けた。ご飯ひとつぶでもこぼすと拾って食わされた。以来、食い物を残せなくなった。加工品も脂物も関係ない。食い物を粗末にすることが許せない。
 
今は賞味期限が過ぎれば何でも捨てる。まずいとか、口に合わないとか。残しても食えないという理由で食い物は生ゴミと化し、腐臭を放つ。流しのゴミ捨て場を見た。漬物が大量に捨ててあった。嫌な気分になった。
 
まだ、大人の腰辺りまでの背丈の頃、親父に連れられ、一杯飲み屋に行った。俺は親父を見上げた。酒を次々に飲んでいる。仕事の帰りなどに一杯ひっかけるような酒屋だ。客は立ち飲みになる。夜9時を過ぎた。看板だ。店長が俺にコカコーラの1リットル瓶をくれた。71年当時のコカコーラは高級品だ。ガラス瓶入りのコーラを渡された。ペットボトルなど影も形ない時代である。瓶はズシリと重い。10歳のガキは瓶を抱きかかえた。すでに泥酔状態の親父が店を出た。道路には車が走っている。親父はあっちこっちにふらふら歩く。車にぶつかりそうになる。俺は瓶をかかえたまま、親父を脇道に寄せた。奴は倒れかかった。川に落ちそうになった。服の袖を引っ張って脇道に。すると再び道路によろけた。もうダメだ。公衆電話でお袋に助けを求めた。俺は親父のあとを気をつけながら追った。お袋が来た。助かった。瞬間、1リットル瓶を夜道に落とした。ガシャン。ジュージューという音が耳に残った。翌朝、親父はコーラを落としたことを問いつめた。俺は白状。奴はひどく怒った。俺よりコーラに価値を置いていた。俺は自分を責めた。
 
俺は一切酒を飲まない。親父のようになりたくないからだが、奴の遺伝子を受け継いでいる。食い物に神経を尖らす辺りは親父そのものだ。そんな自分にムナクソが悪くなる。だが、親父の息子だ。否定しようのない事実である。かつて奴が自分の息子よりコーラに価値を置いた。これも否定しようのない事実だ。
  
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
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絶望男の逆襲 第14回「歪み」

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第14回 歪み
 
10月に入った。秋らしくなった。夏の間はダラダラしていたが、気力や思考力が冴えてきた。行動力も出てきた。同時に金欠状態でもある。15日の年金支給日まで節約の日々だ。映画もDVDレンタルも控え目に。外出も。何事にも金がかかる。
 
子供の頃は貧乏でも遊ぶことで楽しくなれた。金の苦労など考えない。だが、家に居ると否が応にも貧乏を思い知らされる。グチャグチャのご飯。貧相なおかず。飯に味塩と醤油を混ぜて食う毎日。食えるだけマシだった。
 
親父は酒を飲んでは母に毎日暴力を振るう。子供の俺と弟はその様子を見続けた。シラフの親父は純朴そのもので優しさもあった。暴力など振るわない。酒が入った途端、鬼に変わる。どっちが親父か?子供心に混乱が生じた。親父は喜怒哀楽を嫌った。俺に笑うことも泣くことも禁じた。泣けば殴られた。女々しいと。笑えばバカにしやがってと怒鳴られた。親父への恐怖から俺は感情を抑える子供になった。弟にはそれらを許した。なぜかわからなかった。親父は弟を可愛がっていた。
 
夜中、奇妙な光景を目にした。便所に行こうと布団から起きようとした。チラッと横を見遣った。親父がお袋の上に載かっている。もぞもぞと何かしている。お袋をいじめている。そう思った。目を凝らした。お袋は苦しそうに見えない。暴力行為ではないらしい。暗闇のなか、俺は「何か」を察知した。触れてはならない。そう考えを変えた。ひどく不快な気分になった。普段、身体に暴力を振るう親父をお袋が自分の身体の上に載せている。しかも喜んでいるらしい。両親のセックス。子供心の混乱は増した。
 
親父は俺の要領の悪さを嫌った。飯を食うのが遅い。自転車にも乗れない。愛想がない。弟は愛想が良かった。自転車にも乗れた。親父の言うことを聞く要領のいい子供だった。あからさまに親父は俺と弟と比較した。次男は優秀。長男はダメ。親父は決めつけた。実際、弟は殴られなかった。俺は自分をダメ人間だと認識した。
 
親父が死ぬまでの30年間、俺は自分が何者なのかわからなかった。自分を恥ずべき人間で生きる価値のない人間だと確信していた。女を欲しながらも嫌悪した。他者と分かち合いながらも猜疑心を抱いた。触れ合いを望みながらも触れ合うことを怖れた。喜怒哀楽を隠し、他者を支配する妄想に快楽を感じた。世の中すべてを憎んだ。
 
今年のコトバノアトリエ新年会で女流映画監督と話をした。俺は自分の精神的にタフな側面を強調した。彼女は生きづらさ系ドキュメンタリー映画の題材になる人物を探していた。白井さんは強い。そういう人には関心がないと俺に言った。外された。世に出るチャンスを逃した。悔しかった。強さは側面に過ぎない。俺の内面には複雑怪奇な何かがある。見てくれや言葉だけでは判断できないし、してほしくない。真実は俺にさえわからない。
  
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
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ゲームあふるる国に生まれて 第10回「逆転裁判の心地よさ」

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第10回 逆転裁判の心地よさ
 
 久しぶりにまともにTVゲームをプレイする余裕ができたので、さっそくDS版の逆転裁判3を購入して、プレイしている。
 逆転裁判シリーズは、もともとはGBA専用ソフトとして1~3までが発売され、後にDSに移植(「1」は「蘇る逆転」として、シナリオなどが追加されている)された。そして今年の4月に発表された「4」からは、DS専用ソフトとして発売されている。
 私が逆転裁判の名前を知ったのは、発売の時からであったし、ゲーム内容もインターネット掲示板、2ちゃんねるのキャラクターを模したフラッシュゲームで知ってはいた。しかし、ソフトの購入までには至らず、今年に入ってものはためしと、DS版の「蘇る逆転」を購入してみたところ、これがすこぶるおもしろかった。
 どのへんが面白いかといえば、単調になりがちなアドベンチャーゲームを、「探偵パート」と「法廷パート」の2つに分けることによって、事件の概要を従来のアドベンチャー的に調べた結果をもって、法廷内で丁々発止のバトル展開を楽しむことができる部分。そして、ほどよい難易度と、クリアした時の開放感。
 個人的に、現時点でプレイした範疇でいえば、「2」の「さらば、逆転」の解決方法をひらめいた時のカタルシスは、いままで他のゲームでは味わったことのないものだった。
 
 そしてもうひとつ、違った意味のおもしろさといえば、逆転裁判のあまりの簡素さだろう。
 今時のゲームには珍しく、ゲーム内でのファンサービス、たとえばミニゲームややり込み要素、そして一回クリアしたあとの特典などが、全くと言っていいほど存在しないのだ。あるとすれば、一回クリアしたシナリオでは、全てのメッセージを早送りできるぐらいなものである。
 しかし、それでも、十分に完成されたストーリーと、個性的なキャラクター。そしてアドベンチャーゲームの基礎を守りながらも、意欲的なゲームシステムは、ボリューム不足を全く感じさせることはない。
 
 私は逆転裁判を、昔から私たちが遊んできたTVゲームから、まっすぐ進化したゲームなのだと、一種の懐かしさを味わいながら、のんびりと楽しんでいる。
 
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これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」
2007.8.3 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」
2007.8.28 第4回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)」
2007.8.28 第5回「ハイ&ローの愉悦(その1)」
2007.9.3 第6回「ハイ&ローの愉悦(その2)」
2007.9.13 第7回「ドラゴンクエストと大人になること」
2007.10.9 第8回「ニコニコ動画でゲームを追体験」
2007.10.22 第9回「次世代ハードが心配だ」

ゲームあふるる国に生まれて 第9回「次世代ハードが心配だ」

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第9回 次世代ハードが心配だ
 
 最新のTVゲームハードが売れていない。
 いや、数量で言えば売れているのかも知れないが、少なくともかつて次世代機と呼ばれた、プレイステーション(以下、PS)、セガサターンが確実にスーパーファミコンの世界から、新しい時代への進化を明確に示し、続くプレイステーション2(以下、PS2)が疲弊したVHSから、DVD時代の扉を開いたのに比べると、現行の次世代機であるプレイステーション3(以下、PS3)、Wii、X-BOX360(以下、360)からは、なんら新しい時代の萌芽を感じることができない。唯一ニコニコ動画で見るX-BOX360のアイドルマスターMADぐらいが、私の感じる新しさだ。
 
 PS3の低調はもはや論じる必要すらなく、Wiiは発売当初は売れたものの、ソフトウェアが枯渇している状況。そろそろ独自の体感ゲームも限界かも知れない。
 唯一、発売しておおよそ2年が経つ、360はソフトウェア量はこなれて来ているものの、どうしても「洋ゲー(海外のTVゲーム)中心」というレッテルが拭えず、ユーザーやメーカーのPS3の勢い待ちの状況を、横から奪い取ることができない。
 かくいう、TVゲームで多少なりとも原稿料をとろうという私ですら、これらの次世代ハードには、全く食指が動かない。
 そして結局、私も世間も「現行ハードはPS2」という状況にいる。
 
 私は古くからのゲーマーだから、TVゲームの進化に対して「グラフィックばっかり成長したって意味がない」ということを、さんざん言ってきた。そうした考えからすれば、一見、新しいハードに市場が移行しない状況を歓迎することもできる。
 しかし、それでも新しいハードが盛り上がらないという現状を、そのまま喜ぶこともできない。
 
 永らく、TVゲーム市場は「不況にも強い」と呼ばれていた。それは、TVゲームが安価な娯楽として、若者に広く流通してきたからだ。実際、第1世代の次世代機であるPSの発売は、2004年の12月3日。時代は不況の真っ只中だった。それでも39,800円のPSは若者たちにしっかりと売れて、一気にスーパーファミコンを過去のハードウェアにしてしまった。
 発売実数で言えば、翌年の5月に出荷が100万台を突破したというレベルなので、今の次世代機に比べれば、まったく売れていないと言っていい。Wiiなんかは発売1ヶ月で99万台を売り上げている。
 しかし、PSやSSによって、時代は確実に変化した。Wiiはまだ時代を変えてはいない。
 
 いったいどうすれば時代は次世代機に移っていくのか。
 TVゲームに関わる人たちは、そろそろ本気で考えなければならない時期にきている。
 
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これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」
2007.8.3 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」
2007.8.28 第4回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)」
2007.8.28 第5回「ハイ&ローの愉悦(その1)」
2007.9.3 第6回「ハイ&ローの愉悦(その2)」
2007.9.13 第7回「ドラゴンクエストと大人になること」
2007.10.9 第8回「ニコニコ動画でゲームを追体験」

レンタル空手家日記 第8回「僕が「レン空」をはじめるまで/その4」

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第8回 僕が「レン空」をはじめるまで/その4
 
こんにちは。ごぶさたしてます。
レンタル空手家です。
 
前回告知した試合は、3回戦目でKOされて負けました。
これを糧にしてますますがんばりたいと思います。
 
次の試合ですが、10月28日(日)に
横浜文化体育館で午後1時開始であります。
もし興味ありましたら
http://www.kyokushin-sakamoto.com/
上のアドレスをコピー&ペーストして行ってみてください。
「一般上級軽量級」というところにある「遠藤」という苗字の選手が僕です。
もしいらっしゃるようなことがあれば、メール、会場で声かけてくださいな!
 
この大会に向けての練習で、他のことがちょっとおろそかになっておりました。
この日記も、間が空きましたが、勘弁!
 
では今日は、「僕がレン空をはじめるまで」の続きということで~。
 
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 
二〇〇二年、夏。二十二歳 ―。
 
 半年ほど前から信頼している友達が
 「自傷行為や自分を責めることをやめられないなら、空手などフルコンタクトの格闘技をやればいい」と言っていました。
 なんとなく、ひかれるものがありましたが、とても自分には勇気が出ませんでした。空手道場なんかに行ったら、強いやつらがたくさんいて、あっという間にやっつけられてしまうような気がしていました。
 だから、近くの道場などを調べたりしていましたが、最初の一歩は踏み出せませんでした。
 「どうしようどうしよう」「いつかはやらなくちゃ…」と思っていました。
 
 そんなある日、自分と同じように引きこもっていた友達が、自叙伝を出版しました。タイトルは『「人を好きになってはいけない」と言われて』というものでした。
 内容は、小学校を卒業してから引きこもりになっていた彼が、引きこもり中にパソコン操作を覚え、やがてゲームを作りたいという夢を持ち、家出して上京、様々な出会いに救われながら自分の金で大学進学を目指すまで、というものでした。
 その自叙伝を売ることで、彼は大学進学の費用を稼ごうとしていました。
 実際売れ、初版で2万部が刷られました。
 
 そんな彼を応援したい、との思いから僕は出版記念イベントを開催することにしました。
 様々な、自分らしく生きることに賛成している著名人(そういえば、雨宮処凛さんにも出演していただきました)を集めてトークライブをするものですが、このブッキングに、引きこもりだった僕はとても手間どりました。
 おかげで、呼びたいと思い、呼べたはずの人達を何人も呼ぶことができませんでした。
 そして、司会もやったみたのですが、言葉が出てこず惨々たる始末…。
 「応援したいと思う人も、ろくに応援することが出来ないなんて、なんてヘタレなんだ…。」と思い、イベントの一週間前に、一番近くにあった、感じの良さそうな空手道場に入門することにしました。
 フルコンタクトで殴りあう空手をやれば、少しは人を怖がらずに、コミュニケーションがうまくなるだろうと思って。
 
<つづく>
 
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いままでの「レンタル空手家日記」

2007.7.12 第1回「はじめまして、レンタル空手家です」
2007.7.20 第2回「僕が『レン空』をはじめるまで/その1」
2007.7.27 第3回「僕が「レン空」をはじめるまで/その2」
2007.7.30 第4回「ほのぼの空手教室をやってみて」
2007.8.8 第5回「劇団内、空手部~!」
2007.8.27 第6回「僕が「レン空手」をはじめるまで/その3」
2007.9.10 第7回「友達を作るツール」
 

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第14回「野生(レイ)の勘 2」

第14回 野生(レイ)の勘 2  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
2007.8.8 第7回「夏目氏とナンパ②」
2007.8.28 第8回「一石二鳥」
2007.9.3 第9回「止まらないつまづき君」
2007.9.25 第10回「つまづき添い寝」
2007.9.25 第11回「僕のいばしょ」
2007.10.9 第12回「僕のいばしょ2」
2007.10.22 第13回「野生(レイ)の勘」
 

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第13回「野生(レイ)の勘」

第13回 野生(レイ)の勘  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
2007.8.8 第7回「夏目氏とナンパ②」
2007.8.28 第8回「一石二鳥」
2007.9.3 第9回「止まらないつまづき君」
2007.9.25 第10回「つまづき添い寝」
2007.9.25 第11回「僕のいばしょ」
2007.10.9 第12回「僕のいばしょ2」
 

2007年10月09日

投稿原稿 「元・不登校児 はじめてのアルバイト体験談」

投稿原稿  元・不登校児 はじめてのアルバイト体験談 藤山隆
 
僕が不登校だったのは中学を卒業するまでの2、3年でした。しかし高校になってからも何とか出席だけはし、卒業したものの友達もおらずクラスでも孤立していました。大学でも同じように友達はできず土日は家の中でぼーっと寝て過ごすだけでつらかった。これは、このままではいけないと思いアルバイトを始めた時の話です。
 
今ではそこも辞めてしまい、大学も辞めてしまい、ニートとしてふらふらしているのですが、あの時の経験で、人への恐怖心が幾分回復したように思います。
 
深夜のシフトを担当していたのは3人で、仮に山本さんと鈴木さんと山田くんとします。
 
山本さんは60歳近くのおじいさんで、やや頑固な所がある人で、アルバイトに入った頃はいつも怒られていました。人に怒られるの僕弱いんですよ。元不登校児ですし(関係あるのかな?)。それで最初は少しまいっていたのですが、時間がたつと山本さんにも馴染んでいくもので、仕事もずっとやっていれば慣れてきて、理不尽なことで怒ったりはしない人でしたから、次第に仲良くなっていきました。仲良くなる、といっても山本さんがいる時は悪いことはできないな、という気持ちがあって他の時に手を抜くというのとも違うのですが、まぁ一生懸命やりました。
 
山本さんは昼間普通の会社に9時から5時まで働いていました。コンビニでは仕事が終わってから10時から深夜2時まで、もしくは8時から12時まで働いていた。高校生の息子さんがいるので彼が卒業するまでは頑張るのだと言っていました。でも、そうとう疲労が溜まっていたんだと思います。休憩時間は事務所の椅子を二つ並べて寝転んでいたんですけど休憩が終わっても起きてこないことが続くようになりました。そのアルバイト先の人たちは、そんなことになっても他のバイトが文句を言うわけでもなく山本さんの分の仕事もやってあげてしまうんです。そういった優しい、のんびりとした職場だったので、居心地がよかったのです。
 
鈴木さんはある宗教団体の信者でした。彼も山本さんと同じシフトに入ったらきついことはほとんど自分がやるというような人でした。争いごとが嫌いで、真面目。とにかくおとなしい人でした。
 
それでも僕や、これから話すことになる山田くんは若いこともあって悪いこともちょっとやるんです。悪いことといっても、何もレジから金を盗むとかそういうことではなくて、具体的には書けませんが手を抜ける所は抜いて、休憩時間にバック(事務所)で野球(なぜかプラスティックのバットとボールがあった)をするくらいでした。
 
鈴木さんとはほとんど私語はしませんでした。仲が悪いわけじゃなくって、仕事中は無駄口をたたかないし、休憩中もなんだかずっとあたりさわりのないことを話していた気がします。奥さんと2人でそのコンビニで働いている優しそうな30代前半の夫婦でした。
 
山田くんは悪な人でした(笑)。中学校しか出ていなくて、僕にさぼり方を教えてくれました。あとしょっちゅう休む時に僕にシフトを押しつけて釣りに出かけちゃったりする、とんでもない人で、でも憎めない所のある人でした。最初に会った時に、少年院に行っていたとか、強盗をしたことがあるとか、そんなことを言われて僕は本気にしておびえていました。
 
後で山本さんから「そんなのは嘘」と聞かされました。それで僕が「ひどいじゃないですか」と詰め寄ると「そんなこと言ったっけな?」と惚けてしまう。そんな人だったけど、友達のいなかった僕にとっては、たとえコンビ二の事務所で、たとえ勤務時間中とはいえ一緒に野球をやって遊んでくれたことがうれしかったのでたいていのことは許していました。
 
山田くんには、いろんなことを教えてもらいました。女の人の口説き方、話題に困った時の必殺技、おもしろい話、そんなものです。女の人の落とし方は、半信半疑でしたが、その当時僕は好きな人がいて山田くんのアドバイスに従って、コンビニから携帯で電話をかけたりして、山田くんのアドバイスにしたがって仲良くなっていって、その女の子と付き合えることができました。彼がいなければ内気な性格なので番号を聞くこともできずに終わっていたかもしれません。
 
彼に面と向かってそんなことは言えなかったけど僕にとっては小学生の時以来久しぶりにできた友達でした。
  
さて、そんな居心地がよかったコンビニだったのですが、山本さんは息子さんが高校を卒業したのを期に、鈴木さんは宗教団体内での移動で、山田くんはちゃんとした就職が決まったので、みんな辞めていってしまいました。
 
僕もまた新しい彼女が出来て少しでも一緒にいたかったし、元々お金が欲しくてはじめた訳でなかったので何となく潮時、と思い辞めてしまいました。アルバイトでいくつかの職場を転々としました。そんなに嫌な職場はありませんでしたが、でもやっぱり、最初に働いたコンビニが一人も嫌いな人がいない、一番好きな職場だったなぁと今でも思うのです。〈了〉
 
藤山 隆
メールアドレス mercibeaucoup0119@mail.goo.ne.jp
 
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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」
2007.8.27  「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」
2007.9.3 「憂鬱から生まれた歌人」第二話
2007.9.10 「「誰かに伝えてみたいという気持ち」―Cocco「Raining」を聴いていた頃の話―」
2007.9.25 「氷河期世代は行動する」
2007.10.9 「詩」

投稿原稿 「詩」

投稿原稿  詩
 
灰色の空の下いつも1人で歩いてた
ロックな音楽聞いて無理やりテンションあげて
けど悲しみは隠せないね ほら、またあふれてくる
周りの人々は何色なのか 必死で考えていたの
自分の色なんてどうでもよかった
染まってしまえばそれでいいと思ってた
さぁ歩き出さなくちゃ
このまま前に進まなきゃ
いつも笑っていた
いつも合わせてた
そこに感情なんかひとつもないの…
すぎていく現実(いま)に追いつけず立ち止まったあの日
ほんの少しの勇気だけが私を支えてた
今初めて出会ったのに 何も言わず羽をつけてくれたね
鳴らない携帯電話 意味もなく指を動かしていたの
今じゃ感情もココロも電波を越えてしまうね
目の前のしあわせに触ってもいいの?
夢を見ている気分 どうか覚めないでいて
悲しみのない世界はここにあったんだね
初めて季節を感じたあの夏の夜
誰もいない公園で居場所を見つけた
笑ってくれてありがとう 話してくれてありがとう
大事なものは探さなくてもすぐ目の前にある
いつかなくなってしまっても生まれ変わってまたこの場所で
初めて見えたものがたくさんある
また1つ、2つ忘れたくない思い出が増えていくよ
ずっとみんなと笑っていたい
この先の未来を歩いてゆきたい
私を待ってる人がいる 笑顔になれる場所がある
みんなのこと また1つ好きになる
迷路の中をさまよう日々 でも見つけたのは出口ぢゃなくて
ともに悩んで光を探してくれる仲間だった
どこを探しても見つからない 私だけのタカラモノ
このまま溶けるまで抱きしめたい
 
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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」
2007.8.27  「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」
2007.9.3 「憂鬱から生まれた歌人」第二話
2007.9.10 「「誰かに伝えてみたいという気持ち」―Cocco「Raining」を聴いていた頃の話―」
2007.9.25 「氷河期世代は行動する」

共産主義、入門中 第7回「エリカ様と「世間」」

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第7回 エリカ様と「世間」
  
 映画試写会やテレビ番組で「無愛想」であったという理由で、エリカ様が叩かれている。普通、「愛想のいい人」というのは相手が「無愛想」であるかどうかに関わらず愛想よくしているものである。赤の他人が「無愛想」であると言って怒り出すような人は、その時点でずいぶんと無愛想だと思う。
 
 感情というのは自分の意思でそう簡単にコントロールできるもんじゃないし、仮にできたとしても他人にアレコレ指図されることではない。いつ誰が態度を示どんなそうがその人の勝手じゃないか。
 
 ……という感じでエリカ様バッシングをバッシングしようと思ったのだけど、どうもことはそう単純ではないようだ。
 
 エリカ様がイライラしているように見えたことにイライラしている人たちは、何も人間が色んな感情を持ちうるんだということまで否定しようとはしていない。僕が見たところ、彼らの言い分はこういうものだ。エリカ様の職業はアイドルもしくは女優である。で、試写会とかテレビのインタビューというのは、彼女の「仕事」である。で、そういう場では、ニコニコしているのが女優というものだ。つまり、「問題」なのは、エリカ様が実際にどんな人であるかということや、どんな気持ちだったということではない。彼女が根っからの性悪女だったとしても、それ自体は問題ではない。そうじゃなくて、「不適切」な感情を「仕事」中にオモテに出してしまったということが彼女の「罪」なのだ……。
 
 ああ、そういうことか。ちょっと前に、アイドルが喫煙したり年齢を詐称したりということで問題になったとき、鈴木紗理奈さんはブログにこう書いたそうである。


喫煙しただけで追放になる芸能界ってどないなん?年ごまかしてただけで真面目に謝罪せなあかん芸能界ってどないなん?あたしにとってはどっちも全然たいした問題じゃない
悪い事は一通りしましたが何か????20歳過ぎてからタバコ吸う人の方が少ないやろっ!!!年齢で女を判断する日本の社会がおかしいやろ!!!!芸能人やからって真面目にせなあかんのはおかしくねぇか?等身大でいいやんか。芸能人がみ~~~んな真面目になったら何か夢ないよなぁ

 この文章自体がバッシングの対象になってすぐに削除されてしまったので僕は直接は見ることができなかったけど、僕は100%賛成で、家訓として後世に残すことを決意したほどだ。
 
 これを話題にしている2ちゃんねるのスレやブログをいくつか目にした。未成年が喫煙すること自体が悪であるとか、女の価値は年齢で決まるであるとかいったような意見もあってあきれたけど、もっと複雑な論理で鈴木紗理奈さんにケチをつけている人もいた。
 
 彼らの言い分を僕なりにまとめるとこういうものだ。タバコを吸うかどうかは本人の自由だし、年齢で人間を判断するのはよくないと思う。けれども、アイドルが喫煙したり年齢を偽ったりするのは賢明ではない。なぜならば、「タバコを吸ったりはしない」とか「若い」ということにアイドルの商品価値があるからだ。そこから逸脱したら迫害されるのは当たり前。そういう社会の「お約束」がわからずに素朴に正論をぶっている鈴木紗理奈はバカである……。
 
 彼らは、タバコを吸うなんてケシカラン! とか、女優ならカメラの前では愛想よくしろよ、などという野暮なことは、自分では言わない。そうじゃなくて、そんなことだと世間から叩かれるよ、と言って叩くのだ。
 
 なるほど、タバコを吸った加護ちゃんは実際に芸能界から追放になった。エリカ様の場合は「逆にああいうのがいい」というファンもいるようだからどうなるかは微妙なところだけど、とりあえず今のところは苦境に立たされていることは確かだろう。その意味で、彼女らの行動は、本人の利益に反するものだったと言えるかもしれない。
 
 けど、たとえば安重根という人は侵略者・伊藤博文を暗殺して死刑になったけど、彼が英雄であることを疑う人は今日ではいないだろう。仮にタイムマシーンが発明されたとして、「あなたの気持ちはわかるが、日本の要人を暗殺したりしたら死刑になりますよ」などと諌めにいく人がはたしてあるだろうか? そんなのは日本の回し者でしかない。安重根に対する評価は、日本帝国主義に対する評価を抜きにしてはありえない。
 
 未成年がタバコを吸うのは悪いことだとか、女優はニコニコしていろだとかいうような意見は間違っていると思う。けれどそれ以上に悪質なのは、別に自分はそうは思わないけど、そういう社会の掟に刃向うと痛い目に遭うのにそうするなんてああバカだね、というような人々である。彼らは「中立」を装い、「世間」の影に隠れている。だが、そういうものこそが世間に他ならないのだと思う。
 
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いままでの「共産主義、入門中」

2007.7.13 第1回「宝くじと教育の不平等」
2007.7.23 第2回「努力が報われる社会」にNO!
2007.7.30 第3回「「第三の道」はいらない」
2007.8.8 第4回「仮病で何が悪い」
2007.9.3 第5回「「弱者による暴力」に対する暴力について」
2007.9.25 第6回「映画『こぼれる月』」
 

貧困襲来! 第7回「エム・クルーユニオン結成」

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第7回 エム・クルーユニオン結成
 
グッドウィルが違法天引きした「データ装備費」を創業時にさかのぼって返還させるグッドウィルユニオン訴訟の第一回公判が開かれ、北九州市生活保護問題検証委員会が北九州市で起きた餓死事件に対する北九州市の対応を「極めて不適切」と非難した今日10月1日、東京で第4の日雇い派遣ユニオンが誕生した。
 
名前は、エム・クルーユニオン。株式会社エム・クルーで働いた人たちが作る労働組合だ。
 
エム・クルーと聞いても、ピンとこない人が多いかもしれないが、レストボックスと言えば、「聞いたことがある」と言う人もいるのではないだろうか。「元ホームレス社長」前橋靖(おさむ)氏が経営し、「フリーターに夢を」と謳っている会社だ。レストボックスとは、家のないフリーターが安く宿泊できる安ホテル。エム・クルーはレストボックスを運営しつつ、そこに泊まっている人にも泊まっていない人にも、日雇仕事を紹介している。
 
しかし、その仕組みは、エム・クルーの自己宣伝とは裏腹に、怪しいところが満載だ。まず、フルキャストが返還し、グッドウィルも2年分については返還すると約束している使途不明の違法天引き金額が、エム・クルーの場合500円にのぼる。フルキャストが250円、グッドウィルが200円だから、破格の高さだ。
 
そして、紹介される仕事先は、ほとんどが建設現場。建設現場への労働者派遣は法律で禁じられているから、エム・クルーはこれを「請負」と主張しているが、それならばエム・クルーが現場の担当部署を管理・運営しなければならない。しかし実際には、送り込まれた先の会社の指揮下に入っている。つまり、違法派遣をごまかすための偽装請負だ。
 
私もエム・クルーに登録して働きに行ったが、最初に送り込まれた現場は、私一人で、完全に派遣先の会社の指揮下に入って仕事をした。私立学校の宿舎改修現場だった。初めての人間がたった一人で、担当部署を管理・運営することなどありえない。間違いなく偽装請負だった。そして、ちゃんと?500円が天引きされている。
 
今日、数名の仲間とエム・クルーユニオンの結成大会を開いて、会社へ通告しに行き、給与を取りに来た人たちに組合ができたことを告げた。私とともに副代表に就任したTさんは、エム・クルーでの勤務回数が400回にのぼる。20万円を不当に搾り取られていた。
 
会社に出向いて、一番残念だったのは、エム・クルーおよび前橋社長がまったく誠実さのかけらもない対応を見せたこと。前橋社長は、私たちが社内に入ったときに会議室から出てきたにもかかわらず、そのまま奥に引っ込んで、あとは「社長は不在です」と部下の社員に対応させて、出てこない。常務監査役の佐野邦夫氏なる役員が、私たちを入口で出迎えたにもかかわらず、「社長がいないなら役員の人を出して欲しい」と言っても、それもまた「不在です」「連絡も取れません」の一点張り。しょっぱなからこそこそと逃げ隠れするようでは、先が思いやられる。
 
自分たちが正々堂々と主張できるようなことをしていないと自覚しているからなんだろうが、それにしても、マスメディアにあれだけ露出して「フリーターに夢を、希望を」と語っていた人が、労働者が権利を求めたとたんに逃げ出すようでは、あまりにも「カンバンに偽りあり」、情けなくて力が抜ける。
 
夕方には、エム・クルーに給料を取りに来た人たちに声をかける。「毎回500円を天引きされているのを知ってますか?」と声をかけると、ほとんどの人が驚いた顔をして足を止める。そもそもこの会社では、多くの人が500円の天引きを知らないのだ。なぜなら、こちらから求めない限り「支払明細書」を発行しないから、みんな自分のもらった金額がどういう計算でそうなっているか知らないのだ。悪質極まりない。
 
というわけで、エム・クルーユニオン結成初日は終了した。会社には10月10日夜7時の団体交渉を申し入れたが、「なにしろ社員23人の小さい会社ですから」とよくわからない答え。大きかろうが小さかろうが、団体交渉にはちゃんと応じなければならないという法律上の義務があるのを知っているのだろうか?
 
だいたい、一日1000人から500円ずつ盗ったとして、一日で50万。一ヶ月で1500万円、一年で1億8000万円だ。小さい会社にしては、儲けすぎなんじゃないだろうか??
  
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いままでの「貧困襲来!」

2007.7.17 第1回「このままでは本当に殺される」
2007.7.24 第2回「日雇い派遣は貧困ビジネス」
2007.7.30 第3回「ピエロの一票。一発食らわすつもりで」
2007.8.27 第4回「労働と福祉の連携」
2007.9.03 第5回「北九州市福祉事務所長を刑事告発」
2007.9.10 第6回「限界集落、地方の貧困」
 

絶望男の逆襲 第13回「家族と孤独」

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第13回 家族と孤独
 
昨夜、強烈な夢を見た。大抵の夢は忘れる。現実生活が夢を記憶から消し去る。だが、イメージは残る。俺の見た夢もイメージの断片だ。父を除いた3人の家族が道路の真ん中で何か作業をしている。近くにバス停がある。ほろ酔い加減の親父がバスに乗った。3人は親父に気づかれないように作業を続けた。俺がドジッた。弟が怒った。「もう一緒に暮らしたくない。どこかへ行け!」と怒鳴った。行く所も金もないと俺は答えた。弟はこの日のために金をとっておいた。そう言い、俺に幾らかの金を手渡した。そこで目覚めた。夢は終了。
 
道路の真ん中でどんな作業をしていたのか。なぜ、道路の真ん中なのか。母は何をしていたのか。わからない。わかることは強烈なイメージ。感覚だ。弟に追い出される。家族から見捨てられる。独りぼっちになる。淋しさに身が震える。そんな感覚が残像のように後をひいた。
 
家族と離れて暮らした経験がない。45年間ずっとだ。K工業時代に一人部屋を与えられたが、同じ寮だった。常に誰かが側にいた。完全に独りになることがない。裏を返せば、家族以外の緊密な人間関係を知らない。ここ2年、母は身体が優れず毎日家にいる。当たり前になった。そのせいか少しでも家に誰もいなくなると不安に襲われる。情けない。まるでガキだ。
 
一人暮らしをするべきか。家族と会えない距離の場所で。そうできたら俺の人生にも大きな変化が起こるかもしれない。良くも悪くも。自分を変え、人生を前に進めたいなら、家族を見捨てよと心理学から学んだ。「見捨てられる」のではない。見捨てるのだ。真理だと思うが。
 
俺にはできない。第一に金がない。生活保護を受けながら一人暮らしをする方法もあるらしい。が、孤独に耐えられるだろうか。少なくとも今の俺には無理だ。孤独が怖い。
 
家族以外の人間関係を築きたい。できれば異性のパートナーと。言葉などなくてもいい。誰かが側にいる。それだけで安心できる。大切なのは寄り添えることだ。つかず離れず。
 
実力や実績がものをいう社会。金がすべての世の中。強者が弱者を管理し、権威が大手を振る現実社会。群れたがる人々。俺のような孤独を怖がる人間にはキツイ。だが、だからこそ体制に刃を向けたい。俺は本気で怒っている。そんな想いを世に発信したい。まだ作家としての芽は出ていない。未だ無名人だ。実力、実績、金、権威、すべてない。今はそれでいい。物事には段階がある。俺は家族をいつか見捨てる。孤独を受け入れる。夢のなかで弟が俺に言った意味が何となく理解できてきた。「兄貴よ、自分の人生を生きろ」
  
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
2007.9.25 第12回「願わくば」
 

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第12回「僕のいばしょ2」

第12回 僕のいばしょ2  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
2007.8.8 第7回「夏目氏とナンパ②」
2007.8.28 第8回「一石二鳥」
2007.9.3 第9回「止まらないつまづき君」
2007.9.25 第10回「つまづき添い寝」
2007.9.25 第11回「僕のいばしょ」
 

名前はまだ無い 第6回「「ひきこもり」支援・雑感(その2)」

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名前はまだ無い 第6回「ひきこもり」支援・雑感(その2)
 
本題に入る前に告知をさせてください。
このたび青弓社から『ひきこもりの〈ゴール〉:「就労」でもなく「対人関係」でもなく』
を上梓しました。今年3月に提出した博士論文を書籍化したものです。
 
当事者にとって「ひきこもり」とは一体いかなる経験なのか。
そこから〈回復〉するとはどういうことなのか。
なぜ彼/女らは〈社会参加〉でき(し)ないのか。
 
本書はこれまでの調査経験をもとに、
こうした素朴だけれども根本的な問いに答えることを試みました。
自分なりに納得のいく答えを出すことはできましたが、
今後いっそう議論を深めていくためにも
多くの方に読んでいただきたいと思っています。よろしくお願いします。
 
こちらに簡単な内容紹介と目次があります。
http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN4-7872-3276-2.html

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前回は、「ひきこもり」の支援をするのは、
言い換えれば社会との接点を模索している人たちを支えるのは、
「ひきこもり」の関連団体だけじゃなくてもいいのではないだろうか、
ということを書きました。
今回は、この考えの背景について書いてみようと思います。
 
■「ひきこもり」コミュニティの“外”には職業社会しかないのか?
 
前回も書いたように、たいていの「ひきこもり」支援は
家庭→居場所(フリースペース、自助グループetc.)→職場(≒社会)
といった感じで、引きこもっている人を社会に接続させようとします。
ただ、ここで言う「社会」は「職業社会」に限定されているような気がして、
それがどうもしっくりこない。なぜか。
 
まず、居場所と職業社会のギャップの大きさ。
今の日本では働いているかどうか/金を稼いでいるかどうかによって
人間の成熟度合いをはかろうとする価値規範が支配的ですが、
職業社会はそれが最も顕著なところです。
一方、居場所はそうした価値規範から距離を置くことで
当事者の自尊心の回復が助けられるようなところだと言えます。
だから、仮に居場所で安定して過ごせるようになったとしても、
それは居場所が「ひきこもり」を否定しない場だからであって、
その“外”に出て行けるかどうかは、また別の話のような気がするのです。
 
現状では居場所に慣れてきたら職業社会へと駒を進めるのが当たり前だとされていますが、
それは、引きこもったことのない人、引きこもっていない人が考えている以上に、
難しい(そして恐ろしい)ことなのではないでしょうか。
だから就労支援が盛んに行なわれるようになったのだとは思うのですが、
直線的に職業社会を目指すのではないようなやり方があってもいいんじゃないか。
居場所に飽き足らなくなったからといって、
すぐに職業社会に参入できるとは限らないんじゃないか。
そもそも職業社会への参入だけが「社会参加」ではないはず。
もちろん生活を営むためにはお金を稼ぐことは必要だけれども、
そればっかり考えるのは何かちょっと違うんじゃないか。
 
まだまだうまく言葉にならないのですが、
こういった違和感や疑問に応えていく一つの道筋として、
居場所からいきなり職業社会を目指すのではなく、
「ひきこもり」には直接関わってはいないけれども様々な活動をしている
NPO団体につながってみるというのもありなのかもしれない。
そういうことを8月からの調査を通して考えるようになりました。
 
→つづく
  
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いままでの「名前はまだ無い」

2007.7.18 第1回「にがてなもの」
2007.7.27 第2回「身もフタもない」
2007.8.3 第3回「「ひきこもり」原因論・雑感(1)」
2007.8.27 第4回「「ひきこもり」原因論・雑感(2)」
2007.9.13 「「ひきこもり」支援・雑感(その1)」

ゲームあふるる国に生まれて 第8回「ニコニコ動画でゲームを追体験」

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第8回 ニコニコ動画でゲームを追体験
 
 ここしばらく、単行本執筆に集中していたために、この記事が遅れてしまったことを、読者の皆様にお詫び申し上げます。
 
 さて、今回はゲームそのものというよりも、ゲームの新しい楽しみ方を紹介したいと思います。
 
 ご存じの方もいるかも知れませんが、最近インターネットの新しい形の動画投稿サイトと注目を浴びているのが「ニコニコ動画」です。
 
 ニコニコ動画では、投稿された動画の上に視聴者がコメントを書き込むことができ、他の視聴者と擬似チャットのようなことができます。
 
 いろいろと面白い動画があるのですが、私が最近気に入っているのが、TVゲーム関連の動画です。 アイドルマスターMADや、スーパープレイ動画はもちろん、自分が昔にプレイした、隠れた名作を普通にプレイしている動画を見るのも楽しみです。
 
 子どもの頃には同じゲームをリアルタイムでプレイしながら会話することもありましたが、大人になり、ソフト数が増大し、プレイするゲームが細分化すると、同じゲームで共通の会話をすることもなくなり、ファイナルファンタジーシリーズなどの大作を除いた、普通の名作ゲームについて、他人と話をすることも無くなっています。
 
 しかし、ニコニコ動画という、実際にプレイしている動画を目の前に、プレイしていた当時のことを思い出しながら、他人のコメントを読んだり、自分でも書き込んだりしていると、まるでリアルタイムにそのゲームをプレイしながら、友達と感想を言い合っているような感覚になってきます。
 
 また、未プレイをしていない人が動画を見るようなこともあり、そうした人が自分たちがかつて反応したタイミングで、同じようなリアクションをしているのをみると、ちょっと楽しい気分になります。
 
 もちろん、動画サイトには著作権など、さまざまな問題が山積していることは知っています。
 
 しかし、TVゲームを始めとして、動画サイトがさまざまな映像作品の新たな魅力を発掘したり、新しいユーザーを獲得する場になっていることも事実です。
 
 できれば、いまのまま、厳しい締めつけが動画サイトに及ばないことを、私は望んでいます。
 
 そして、TVゲームを始めとするさまざまな映像メディアのエバンジェリスト(伝道師)として動画サイトが発展していけばいいなと思います。
 
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これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」
2007.8.3 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」
2007.8.28 第4回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)」
2007.8.28 第5回「ハイ&ローの愉悦(その1)」
2007.9.3 第6回「ハイ&ローの愉悦(その2)」
2007.9.13 第7回「ドラゴンクエストと大人になること」

2007年09月25日

投稿原稿 「氷河期世代は行動する」

投稿原稿  氷河期世代は行動する  藤本拓自
 
第1回 1975
 
私は1975年(昭和50年)9月11日に生まれた。
32歳、非常勤講師。「不安定労働層」 で、要するにフリーターだ。というと我こそは真のフリーターだ、という方に怒られてしまうかもしれないけれど、自己規定は完全にフリーター。
26歳のとき以来、誕生日の9.11は、世界的な記念日になった。年をとるたび、あれから何年か、と正確にカウントする。
29歳で結婚し、子供が1人いる。
いろいろと幸運があり、不安定労働層としては、恵まれた方なのだろう。
それでも、特に経済的な面で、自分の境遇を楽だと思ったことは一度もない。安定した将来像を描けたこともない。
 
世代的には、いわゆる「就職氷河期世代」(1970年代~1980年代初頭生まれ)のど真ん中にあたる。
「貧乏くじ世代」(香山リカ)だとか「ロストジェネレーション」(朝日新聞)だとか、勝手なレッテルを貼られたりもする。
どれもこれもネガティブなものばかりだ。
 
資料的な意味も込めて、大きな社会的事件とそのときの年齢を記しておこう。連載の中でも重要な意味を持ってくるだろうから。
14歳のとき、昭和が終わり、ベルリンの壁が崩壊した。16歳のとき、ソ連が崩壊した。
20歳のとき、阪神淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があった。
学校を卒業して社会に出るころは、就職氷河期の真っ只中だった。
26歳のとき、アメリカ同時多発テロ事件があった。
 
同世代の人間は、32歳の現在、もちろん個人により差はあるのだが、「どうにかこうにか生き延びてきた」という感慨を持つものが多い。
少なくとも私はそうだ。
そしてそのサバイブ感は、この世代の共通感覚となっている。
しかし、そこで得られるはずの矜持が、明日も生き抜いていける安心につながらない、という感覚がある。氷河期時代の競争を勝ち抜き勝ち抜き安定労働層となったものでさえ、グローバル社会の過剰流動性の只中、かつてとは比較にならないほど、明日への不安にさらされ続けるだろう。
 
一方で、こんなことが言われたりもする。
 
梅田 僕は「一九七五年以降に生まれた人」ってよく言うんですが、「はてな」の近藤も、ミクシィの笠原健治社長も、平野さんもみんな一九七五年の生まれです。その前と後とで大きな断絶があって、一九七五年生まれの人はちょうど分水嶺に位置していますね。

平野 変化の年なんですかね。世代的には団塊ジュニアに当たるわけで、近藤さんの『「へんな会社」のつくり方』という本を読んでいても、お父様の考え方に影響されたということが書いてありましたが。一つは、丁度、バブルと今の好景気との谷間に大学時代を過ごして、就職氷河期に社会に出なければならなかったというのもあると思いますけどね。大企業に就職するということに、みんな疑問を感じていましたし。それでベンチャーに行った人もいれば、僕みたいに小説なんて書き始めたのもいます。要するに世の中の現状に不満があって、みんな何か言いたいことがあったんじゃないですかね。その時に、小説という形式を通じてそれを表現することを考えたか、そうした無数の言葉を受け止めるためのシステムを開発することを考えたかというのが、同世代人としての僕と近藤さんたちとの共通点であり、また違いなのかもしれない。

梅田 一九九〇年代前半の日本って、閉塞感の強さという意味で確かに特異な時期だったかもしれませんね。一九七五年生まれの人たちは、その時期に十代の後半だったということですよね。それは大きいかもしれないな。自分のことを振り返ると、九一年末から九二年にかけてサンフランシスコに住み、日本に帰ってきて九三年から九四年まで東京に住んだんですが、その頃日本で感じた閉塞感の強さって本当にすごいものがありましたね。それで好対照のように、九三年末から九四年末にかけて、シリコンバレー発でインターネットの波がやってきて、僕は居ても立ってもいられないような焦燥感にかられて、一日も早く東京を離れたいとい気持ちでいっぱいになりました。それがエネルギー源になって、シリコンバレーに引っ越したんですよね。
 それからインターネットの普及が一年遅れで日本にやってきた。一九九五年のことですね。そのとき、一九七五年生まれの人は、皆、十九歳か二十歳なんですね。これに数年の差があるともう感覚が違っていて、当時二十三歳だった世代というのは、新入社員として古い文化の会社にどっぷり浸かって忙しくて、ネットに触れる環境になかった場合が多い。だから大学院に行ってない限り、七一、二年生まれというのは、案外感覚が古い。そして、七五年、七六年、七七年生まれ辺たりが、ゴールデンエイジですね。

平野 実感として意識していた障壁を初めて越えた世代なんでしょうね。その後になるとネットは当たり前という感覚かもしれない。
梅田望夫・平野啓一郎(2006)『ウェブ人間論』新潮新書pp.189-191
 
おお、「ゴールデンエイジ」!
金持ちのおじさんはまったくいい気なもんだ、という感じもする。
それでも、上の世代にも下の世代にもない、この世代特有の「思想」、というと言葉だけの問題のように思えるから不適切で、なんというか、この世代特有の不定形な「熱」、とでも言うべきものが、最近放出されはじめている。
私はそうとらえている。
 
この連載では、ひときわ鮮やかに、そして時にあやしく、その「熱」を発する人物達を取り上げていきたい。
具体的には、赤木智弘、雨宮処凛、杉田俊介、小山エミ、平野啓一郎、近藤淳也、笠原健治……。
みな1975年生まれだ。
そして私なりに狙いのある人選である 。
最初の3人は、オールニートニッポンに関係のある方達でもある。
しかし、それぞれやりたいことも、やっていることも、性格も、社会的な位置づけも、経歴も、知名度も、全然違う。
それでも、どこか、ある種の傾向というか、ゆるやかなつながりが見られるように思う。
 
私としては、それぞれの「熱」の、一番熱いところを抽出したい。
個人的に、それぞれ批判的に見ている部分もあるが、この連載では、強みと可能性を重視する。
そしてその可能性をつなげて並べることで、時代の構造と今後の方向が浮かび上がるのではないか。
というより、連載によりそのヴィジョンを自ら構築する、といったことを目指している。それができれば、単なる世代論を超えたひろがりにつながるはずだ。
ただ、私の力量でどこまでやれるか、不安もありますが……。
 
それから、連載のタイトル『氷河期世代は行動する』について。
もちろん直接知りはしないのだが、60年安保の頃、「若い日本の会」という連帯があった。
 
その一つが、若手の芸術家や作家が集まった「若い日本の会」だった。五月三〇日に開かれたこの会の集会招請状には、江藤淳・浅利慶太・石原慎太郎・大江健三郎・開高健・武満徹・寺山修司・谷川俊太郎など、当時の二〇代の新進作家たちが名を連ねた。そしてこの会の特徴は、指導部や綱領をもたない、メンバー各自の自発的な集まりである点にあった。代表役であった江藤淳は、会の性格についてこう述べている。
 
名前がないとかっこうがつかないので、詩人の谷川俊太郎の考え出したのが「若い日本の会」という名前であるが、そういう組織が恒にあるわけではなく、五人寄れば五人が、五十人寄れば五十人がこの会の会員である。……世話を焼く人間は必要であるが、これも買って出たものに任せよう。金は集まった会員が出せるだけ出す。大勢集まればそれだけ運動の拡大が可能である。大勢集めるためには、口から口に伝えるのが一番いい。五十人が三人ずつに伝えれば、百五十人の市民が集れる。……強行安保採決不承認という共通の目的のために、多声部のフーガのひとつのパートを受持つことが可能であろう。
 
こうしたあり方は、後年に「新しい社会運動」や「ネットワーク組織」などと名づけられた形態の、嚆矢といってよかった。江藤によれば、会員の「政治的考えは十人十様」で、「デモもなかなかいいが、こうして自発的に集ったからにはそれ以外の表現、デモにしてもワッショイワッショイだけではない表現がありうるはずだと考えるものが大部分である」。そして、「反権力運動には複数の方法が可能である。労働歌を知らない人間にも政治的要求はある」「こういう人々の声が、斉唱ではなく、多声部の複雑なフーガのようなかたちで、労働者や学生の声に和したとき、はじめて政治と生活の間の抜きがたい断層が埋まるのではないか」というのだった。
小熊英二(2002)『〈民主〉と〈愛国〉』新曜社pp.516-517
 
60年安保の直前、江藤淳は『作家は行動する』という評論を書いている。
しかし書名から想像されるような、ベタな行動の書ではない。
むしろ、「行動」とは、文体に刻まれる軌跡であり、要するに「言葉」の問題であった。
この本や、60年安保時の運動に含まれていた「熱」と可能性から、多くのことを学びうる。
しかしこの運動がどのような結末をむかえたか。また、その江藤淳が、運動の後『小林秀雄』を書き、周知のような批評家へと変化していったことを、軽視するべきでもない。
 
いま、私は『氷河期世代は行動する』というタイトルで連載をはじめようとしている。
登場人物は、それぞれ異なる角度からだが、やはり「言葉」にこだわりがある。
しかしそれと同時に、言葉をどのような「場」で発揮するか、またその「場」をどう構築するか、という点に意識が高い。
言葉は強力な武器であるが、唯一の武器ではない。
言葉の「力」がもっとも発揮されるよう、どういった「場」を組織するか。
小説は文壇誌で、社会評論は論壇誌で、学問は学術誌で、といった「場」の自明性が失われた中で、自分の言説を、いつどこでどのように立ち上げるか。
彼らはその行動に、自覚的で、戦略的である。
 
ヘーゲルはどこかで述べている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番(farce)として、と。かれはつけくわえるのをわすれなかったのだ。ダントンのかわりにコーシディエ-ル、ロベスピエールのかわりにルイ・ブラン、1793 年から 1795 年のまでの山岳党のかわりに 1848 年から 1851 年までの山岳党、叔父のかわりに甥。そして「ブリュメール 18 日」の再版が出される情勢のもとで、これと同じ漫画が!
 
とマルクスは言った。
おお、そういえば60年安保当時の首相は岸信介で、現代の首相は、孫の安部晋三だ。いや、だった。
そしてこれから、テロ特措法の延長が国策上の大きな問題となってくるが、そのために「若い日本の会」のような、見えやすい連帯がもたれることは考えにくい。
まさに悲劇から喜劇へ?
 
しかしこんな言葉もある。
 
歴史は循環する。しかし、もとの位置あるいは昔の問題に戻ったかに見えても、内容はより高次のものとなる。それは螺旋状に動く。
ドラッカー(2005)『ドラッカー365の金言』ダイヤモンド社p.369
 
劇はもうはじまっている。
それが悲劇なのか喜劇なのか、高次なのか低次なのか、まだ誰にもわからない。
しかし続けてドラッカー流に言うなら、これは「すでに起こった未来」である。
2045年の未来予想も楽しいが、未来はすでに現在起こっていて、それを私はつかまえたい。
そしてさらに不遜にもドラッカーを引き続けるならば、ここで登場する最高に面白い個々の人物達、その総和以上の全体を、提示したい。
ただ、繰り返しますが、私にその力量があるか不安ではあります(笑)
とにかく、そういった心意気でやっていく所存です。
 
みなさまのご来場、心よりお待ちしております。
 
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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」
2007.8.27  「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」
2007.9.3 「憂鬱から生まれた歌人」第二話
2007.9.10 「「誰かに伝えてみたいという気持ち」―Cocco「Raining」を聴いていた頃の話―」

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第11回「僕のいばしょ」

第11回 僕のいばしょ  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
2007.8.8 第7回「夏目氏とナンパ②」
2007.8.28 第8回「一石二鳥」
2007.9.3 第9回「止まらないつまづき君」
2007.9.25 第10回「つまづき添い寝」
 

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第10回「つまづき添い寝」

第10回 つまづき添い寝  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
2007.8.8 第7回「夏目氏とナンパ②」
2007.8.28 第8回「一石二鳥」
2007.9.3 第9回「止まらないつまづき君」
 

共産主義、入門中 第6回「映画『こぼれる月』」

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第6回 映画『こぼれる月』
 
 坂牧良太監督の『こぼれる月』が、GyaOというサイトで見れるようになっている(10月27日まで)。精神的な問題を抱えている(抱えていた)四人の若者が登場する映画である(以下、ちょっとだけネタバレがあります)。
http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0031510/
 
 映画の冒頭に、強迫神経症とパニック障害の説明が映し出される。こんな感じだ。


強迫神経症
つまらぬ考えや、感情などが頭にこびりついて、抑えようとしても不可能な症状を主とする神経症。また、頭にこびりついた考えを振り払うために、意味なく何回も手を洗ったり、歯を磨いたり、同じ場所を往復するなどの行動をおこす。これを強迫行動という。

 これを見て、精神病についての啓発映画でも始まるのかと思ってしまった。しかし実際に最後まで見てみると、強迫神経症などの「典型例」をわかりやすく提示しようなどという映画ではないことがわかる。
 
 むしろこの映画の特徴は、「わからなさ」にこそあると思う。この映画を見ても、「パニック障害とはこういうものだ」などと「理解」したり、「PTSDにはこのような対応が求められる」といったような「教訓」を引き出すことは難しいだろう。
 
 また、なぜ病気になったのかという「原因」も、レイプ被害との関連が示唆されている女性を例外として、説明されていない。これについて、石井志昴さんは次のようにコメントしている。

……主人公たちがはじめから「心の病」を持つ設定に残念な思いがした。なぜ、苦しみはじめたのか。どんな不安や不快が体に募り、自身の根幹を揺さぶっていったのか。怪物のように迫りくる心の闇がなぜ生まれたのか。それが描かれていない。
(石井志昴, 「映画 不登校経験者が監督 こぼれる月」『不登校新聞』, 2003年9月1日, p. 6.)

 ここで、石井さんは病気には原因があるはずだと考えている。そして原因を描いていないという点でこの映画が「残念」なものであるという。
 
 けれども「原因」とは何だろうか? たとえばインフルエンザであればウイルスが原因だろう。そしてそのウイルスに対処するタミフルを打てば、治りが早くなるかもしれない。だがそのような発想は、人間は本来ならば正常であるべきで、病気になるには何か理由があるに違いないという考えを前提にしているんじゃないだろうか(「正常」という言葉の意味からすればこれは当り前のことかもしれないけど)?
 
 この映画の登場人物の一人である高(たかし)は、恋人の首を絞めるという強迫観念に悩まされていて、それを振り払おうとして手洗いなどの反復行動がやめられなくなってしまう。彼がなぜそのような状態になってしまったのかという背景は全く描かれていない。高と医者との会話から、彼が長くにわたって病と共に生きてきたということは推測できる。彼は医者に「治そうとするなよ」と言われている。彼にとって病気とは一生続いていくかもしれないものなのだ。そのような彼にとって、「原因」を特定することにどんな意味があるのだろうか?
 
 もし「原因」があるのであれば、それのせいで高は本来あるべき人生から外れてしまったことになる。だが、この病める日々こそが彼の人生に他ならないのだとしたら?
 
 『こぼれる月』は一方で、「病気でもいいじゃないか」などと簡単に病を「肯定」しようともしていない。初めての診察でもう一人の登場人物(千鶴)は「治りませんか」と執拗に尋ねる。これに対して医者はただ「大丈夫」と繰り返す。このシーンは映画の後半に出てくる。けれども観客は、映画の前半で既にこのシーンの数年後の千鶴のとても「大丈夫」とは言えない状態を見ている。
 
 病の美しい面だけを取り出して「肯定」しようとするためには、この映画は役に立たないだろう。イギリスの移民や下層階級を描いた『マイ・ビューティフル・ランドレット』の脚本家であるハニフ・クレイシは、マイノリティについてのポジティブなイメージだけを集めたような作品を「応援フィクション」と呼んだ。そのような作品の作者はいわば「PR係」であり「お抱え嘘つき」である。クレイシはこう言っている。

人種や肌の色が混ざり合い、ヒステリーと憂うつを抱えた今日のイギリスを真剣に理解しようとするのであれば、それについて書かれるものは複雑でなければならない。それは弁明も理想化もしてはならない。それは感傷的になってはならないし、一つの集団だけを美徳を独占したものとして描いてはならない。
(quoted in Stuart Hall, “New ethnicities,” in David Morley and Kuan-Hsing Cohen eds., Stuart Hall: Critical Dialogues in Cultural Studies, London: Routledge, 1996, p. 449.)

 『こぼれる月』は、このクレイシの言う意味で「複雑」な作品であると思う。 
 
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いままでの「共産主義、入門中」

2007.7.13 第1回「宝くじと教育の不平等」
2007.7.23 第2回「努力が報われる社会」にNO!
2007.7.30 第3回「「第三の道」はいらない」
2007.8.8 第4回「仮病で何が悪い」
2007.9.3 第5回「「弱者による暴力」に対する暴力について」
 

絶望男の逆襲 第12回「願わくば」

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第12回 願わくば
 
ほぼ毎日ダイエーに行く。午前中に買い物を済ます。午後の時間を空けるために。行きは歩く。約40分の距離を。夏は汗だくになる。帰りはバスだ。荷物を両手に持ったまま歩くのはさすがにしんどい。精神障害者用の特別乗車券がある。バスはタダだ。歩く理由は健康のため。3年半、続けている。
 
歩くと様々な人とすれ違う。午前なので、女性や老人が多い。若い主婦や女子校生も歩いている。俺の前を脚にピッチリ密着したジーンズの女性が歩いている。ケツと脚に目が行く。太股がそそる。ジックリ見ていたいがそうもいかない。帰りのバス。隣の座席に高校生同士のカップルが来た。盛んに喋り合う。いちゃつきから目をそらし、無視しようと頭のなかで何か考える。窓から外を見る。ミニスカの女子校生が闊歩している。日常風景にすぎない。だが、カップルにムカつき、女子校生に欲情する自分がそこにいる。
 
45年間1度も恋人を得たことがない。異性と性的快楽を目的に触れ合った場所は性風俗。20代後半の約3年間、仕事で得た金で行った。その前後の人生で異性との触れ合いは皆無。キスの仕方も知らない。性的処理はオナニーのみだ。
 
中学生の頃、SM写真集を買った。両親に見つからないないよう押し入れに隠した。誰もいない合間に見た。女性が縛られる姿に異様な興奮を覚えた。ふつうのエロ雑誌もずいぶん見たが、SMは自分のなかで特別な位置にあった。実行できないだけに余計に妄想をかきたてた。
 
現実はSMとは違う。所詮、妄想だ。20代前半のある日、銀座で映画を観た。終わって山野楽器に寄った。2階にチケット売り場があり、ガラスケースに当時好きだったマンハッタン・トランスファーのライヴのチケットがあった。女性店員が2人いた。俺はチケットが幾らで座席はどこら辺か知りたかった。だが、店員に声をかけられない。声をかけようと思うと動悸が激しくなり、汗が吹き出した。女性が怖い。俺は1階に行ったり、売り場の前をうろついた。女性店員が不審そうに俺を見る。近づけない。だが、チケットはほしい。意を決した。女性店員が後ろを向いた瞬間、肩を軽く触れる程度に叩いた。店員は奥にサッと走った。逃げたのだ。もう1人が逃げた店員をかばうように俺に近づき、用を聞いた。チケットのことはわからなかった。話などできない。そこを急ぎ足で去った。店から外に。歩いている間、惨めさに涙が溢れた。有楽町まで走った。さらに動悸が激しくなった。
 
小学3年の頃、学校で女の子数人にいじめられた。怖かった。いじめは存在の拒絶だ。以来、ずっと拒絶への怖れを異性に抱いている。“女は俺を拒む”という思い込み。それは自分の自信の無さの表れかもしれない。俺の人生には母親以外の異性が存在しない。友人、知人はいても恋愛とは無縁だ。1度でも恋愛目的の恋人を得たら変わるかもしれない。それは母親からの脱却にもつながる。一人立ちへのきっかけになる。そうなりたい。願わくば。
  
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
2007.9.25 第11回「欝屈」
 

絶望男の逆襲 第11回「欝屈」

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第11回 欝屈
 
頬に当たる風が生ぬるい。多分に湿気を含んでいる。涼しいようでまだ暑い。曖昧な気候だ。9月も中頃を過ぎようとしている。
 
変わらない。何も変わらない。これまで『絶望男』のプロセスをなるべく具体的に描写してきた(読者に理解してもらうなら抽象的な理論ではダメだ)。過去の体験を語ることは苦痛を伴う作業だ。同時に弟とのことやクレジットカード無効の件など今の現実も書いてきた。かなり痛い。作家への可能性をこのブログで模索した。変わりたいと願った。楽になりたかった。だが、現実は秋直前の生ぬるい風と似ている。小さな幸せが見えない。
 
映画だ。映画だけが俺の心に安らぎを与え、先の見えない孤独な人生を一時、忘れさせてくれる。映画館に行き、DVDで映画を観る行為は現実逃避でもある。この9月は『タクシードライバー』が公開されて31年目に当たる。76年の公開時に観たときはドタマをカチ割られた。主人公のトラヴィス・ビックルの欝屈した心情に感じ入ったのだ。大都市ニューヨークのなかで彼は疎外感に苦悩する。“神の孤独な男”は人生に一発逆転を望み、行動を起こす。大統領候補暗殺を企てるが失敗。方向転換した彼は12歳の少女売春婦を救う。自らも血まみれになりながら3人の敵を銃で殺した。強烈なヴァイオレンスショットに心が震えた。トラヴィスの魂の暗部に自分が重なった。そのとき以来、俺は“トラヴィス”を心に宿した。
 
31年が過ぎた。時間は残酷だ。俺はトラヴィスにはなれず、45歳の肉体だけが残った。作家への道も遠のいた。この世に自分の生きた証しを刻みたかった。
 
過日、AANのイベントが新宿であった(らしい)。AANには俺も関わっている。だが、呼ばれなかった。カネないし、語る側でなければ。語る側?自意識過剰だ。俺にそんな価値はない(のか?)。わからない。田口ランディのエッセイによく表れる。「わからない」。わかったふりをせず、物事に疑問をぶつけることで学び、判断を避ける。それは同時に物事の本質を見ることにつながる。そんな意味かもしれない。
 
今の俺は焦れている。AANの仲間の輪の外にいる。見捨てられたのだろうか。わからない。俺は社会からも見捨てられている。何も悪いことはしていない。無職は罪か。ただ、マジメすぎる。自己主張もしない(というより自己主張する場がない)。創造しない。
 
俺の苦悩。それは創造性の欠如だ。何かを創ることこそ喜びだと思う。創造物を世に発表できること。さらに創造することで生活できれば大きな幸せになる。俺の夢だ。
 
AANに可能性のかけらが見えた。俺は目立ちたいわけじゃない。媒体に名を売ることで作家へのきっかけをつかみたい。好きな仕事をする。自分で稼ぐ。自分の面倒を自分で見る。つまりは生存をかけた白井の40代最後の戦いだ。まだ先は見えていない。
  
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
 

2007年09月13日

オグラオサムのタブーなお話し 第5回「損をするのは誰か?」

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第5回 損をするのは誰か?
 
『不登校・ひきこもり・ニート』において、もっとも“損”をするのは誰か?
 
本人?
 
う~ん、必ずしもそうであるとは言い切れないなあ。まあ本人の価値観・人生観なんかもあるだろうし……
 
親?
 
まあ、親が子どもを学校に通わせるのは一種の投資であるわけで、より有利に生きていく手段として、わが子を学校に通わせるともいえるからね。確かに世の中は、高学歴である方が、就職、高収入を得る、結婚、育児に有利であるというのは事実ではあるけど……
 
でも、もっと損をする人がいるんだよ。
 
誰か?
 
それは『不登校・ひきこもり・ニート』以外の人々です。
 
あるいは、その集団である国家や行政である。
 
なぜか?
 
まず、近代における【学校制度】というのは、国家が国家を富ますために行っている教育制度であるからです。
 
近代以前、例えば日本だと明治以前の教育というのは、各家族や本人にまかされていた。ある意味、教育は“自己責任”であったんだ。
 
「武士の子どもは【藩校】に行ったではないか」という人もいるかも知れないけど、藩校は義務教育ではない。
 
日本を治めていた江戸幕府(徳川幕府)は【藩校】すら持ってなかった。幕府のサムライであるところの旗本なんていうのは私塾に通って学問を身につけた。
 
私塾に通わなかったり、親などから教育を受けない場合、武士であろうとも当然、学問は身につかない。幕末の英雄である勝海舟の両親などは、幕府の御家人(ごけにん)であるにも関わらず、ほとんど文盲であった。
 
商人や百姓の子どもは【寺子屋】などに通ったけど、それも別に幕府や藩に【義務】として【行かなければならない】なんてもんじゃなかった。
(もっとも、この時代の日本には【義務】だの【権利】だのといった思想は無かったんだけどね)
 
しかし日本の場合、義務などではなくても、ほとんどの子どもは私塾や寺子屋に通った。貧しい農民でも、その多くが“読み書きそろばん”ができたという。
 
なぜか?
 
わが子を私塾や寺子屋に通わせることで、その子の将来が有利になるからである。
 
そこには「江戸幕府のため」「町や村のため」という集団利益のためという考えは、あまりなかったみたいなんだよ。せいぜい、大店(おおだな)の商家が丁稚(でっち)など、預かった子弟を寺子屋に通わせるくらいだったらしい。これは、商売をやるうえで、お店のものが読み書きやそろばんができないと不便だし、損につながるからだね。
 
それが江戸幕府が倒れ、明治政府ができたとき政府は【近代国家・国民国家】となるために、学校制度をつくり、【教育の義務】【労働の義務】【納税の義務】【兵役の義務】を国民に要求することになる。
 
ちなみに、江戸時代では農民にこそ年貢(ねんぐ)という税金があったけど、その他の身分には無かったんです。
 
さらに、江戸時代だと日本人にとって【国民】や【国家】という思想や意識はなくて、明治時代になってからそういった意識ができたってわけだ。
 
日本にはそうしないといけない理由があって、その頃アジアは欧米諸国に続々と植民地化されていたわけで、おとなりの清国(中国)なんてヨーロッパから散々に侵略され踏みにじられていたくらいだから、日本は一日も早く近代国家として【富国強兵】しなければ、いつ欧米列強に植民地化されるかわからないという恐怖にさいなまれていたんだね。
  
さてここでまた疑問がおこる。近代国家とはなにか?
 
いろいろな表現があるけど、取りあえずここでは欧米のキリスト教文化圏であるアメリカ独立戦争や、フランス革命などから生まれた国民国家ということにしておこうか。
 
国民の国家だから、これまで武士階級(ヨーロッパだと貴族階級)が行っていた戦争や政治も、国民が【参加しなければいけない】国家ということね。
 
言い方をかえれば【国民が戦争や政治に参加する義務と権利がある国家】とも言えるかもしれない。
 
さて、ここに『不登校・ひきこもり・ニート』が“悪とされる”萌芽が生まれる。
 
なぜか?
 
近代国家は、近代資本主義国家でもあり、近代民主主義国家でもある。
 
近代民主主義国家は【自由と平等】というタテマエを持っているのね。この【自由と平等】というのは【法律に保障された自由】と【神からみた人間の平等】です。
 
神とはキリスト教の神のことね。さてこのキリスト教の原理のひとつ、特にプロテスタントの原理のひとつに
 
「働かざる者食うべからず」
 
という言葉がある。
 
これは新約聖書のテサロニケ人への第二の手紙 3章 10節にある「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」という言葉からきているんだけど、この言葉が近代資本主義国家、近代民主主義国家に利用されます。
 
つまり、近代以前では「働くこと」=「神聖なこと」ではなかった。
 
「働かない」=「怠惰である」とも考えられてはいなかったんだよ。
 
むしろ「働くこと(労働)」=「身分の低い者がやる卑しいこと」
 
という思想が、洋の東西を問わずあった。
 
それが、近代国家が誕生すると国民は学校にいって【国家・国民と自分のための教育】を受けるようになる。
 
それまでは、学校(私塾・寺子屋)へ行こうが行くまいが【自己責任】であったんだよ。それが【社会・国家の責任】になったのな。
 
前近代であった時代は、ひきこもりであろうとニートであろうと【家の責任か自己責任】であったのが【社会・国家の責任】となったわけだ。
 
なぜならば、近代国家になることによって義務と権利が生まれ【教育の義務と権利】【労働の義務と権利】【納税の義務と権利】【兵役の義務と権利】が、国民の義務と権利になったから。
 
前近代だと【教育は自己責任】【納税は農民】【兵役は武士かアルバイトの雑兵】であったのが、国家と社会の義務と権利になっちゃった。
 
【労働の義務】なんて前近代にはなかった。働かない人でも食べていける人はそれでいいし、食べていけない人は朽ちていくだけのことだった。
(救済システムがまったくなかったわけじゃない。飢饉のときは『お助け小屋』が開かれたり、浮浪者になれば『非人』という身分組織に、強制的に入れられた)
 
それが近代国家になると、国民を管理する責任は国家や社会にあり、『不登校・ひきこもり・ニート』が出てくると、一番損をするのは、国家や社会、その他働いて納税している人をということになったちゃったんだよね。
 
もっとも、近代資本主義国家、近代民主主義国家は、明治大正昭和初期までは、それほど日本に根付いていたわけじゃない。つまりその時代は、『不登校・ひきこもり・ニート』に対して、国家も社会もそれほど攻撃的であったわけはない。
 
農村とかでは、農繁期に学校に行かない児童生徒は当たり前にいたし、商家や職人の子どもだって、親の仕事を手伝うために学校に行かない子どもなども多く、その子やその親を責める人も周囲には、ほとんどいなかったであろう。
 
また、いつの時代にも働かない若者がいたが、いまの時代のように『社会や国家がそれらを社会問題とし、社会や国家がそれらの若者を【介入】しなければ……と考えることもなかった。
 
まだ「働かざる者食うべからず」の思想は、それほど根付いていなかったといえるね。
 
そうなってくるのは、太平洋戦争後からと言える。戦後民主主義の時代ってヤツだね。
 
戦後【兵役の義務】からはまぬがれたけど、【労働の義務と権利】【納税の義務と権利】【教育の義務と権利】は、どんどん根付いてくるようになった。
 
それまで農業とか個人商店が多かった国民が、どんどんサラリーマンになっていき、子どもは「学校に行くのが当たり前」になってくる。
 
大人は、親の家業を継ぐというより、いい学校を出ていい企業へ就職するという形ができあがってくる。国民は、義務だけではなく、組合などを作って権利も主張するようになる。
 
それまで、学校へ行くのも、なんらかの仕事に就くのも“家か自分の責任”であったのが、“国家や社会の責任”になってくる。
 
その考えが強くなると『不登校・ひきこもり・ニート』が社会的に問題視されるようになる。
 
まだ戦後の“戦争特需”や、道路等へ大量の設備投資をすることで、経済が高度成長していた時代は国民に夢があり、また仕事もふんだんにあった。
 
しかしそれが途切れはじめると『不登校・ひきこもり・ニート』という問題が噴出する。
 
『不登校・ひきこもり・ニート』が【悪】と思われるようになったんだね。
 
なぜならば、【教育の義務】【労働の義務】【納税の義務】を放棄する人は、この近代国家社会に貢献していないばかりか、権利のみを要求する人たちと思われるようになったからだ。
 
つまり、まじめに働いて納税をやっている人、国民の義務をはたしている人からみれば、
自分たちの血税を、ただで使っているだけにしかうつらないからなんだよ。
 
長くなるので、くわしく述べきれないところもあるのだけど、これが『不登校・ひきこもり・ニート』への迫害の歴史と、国民感情の一部であることには、大きな間違いはないと思う。
 
いま『不登校・ひきこもり・ニート』に苦しんでいる人がいるとすれば、いまの体制や現状を逆に利用して、とにかく“したたかに”に生きてほしいと思うね。
 
もう、したたかに、したたかに……ね。
 
感想はこちらへmail.gif
 
いままでの「オグラオサムのタブーなお話し」

2007.7.13 第1回「ちょっとヘンだよ不登校業界」
2007.7.19 第2回「不登校・ひきこもりの凶悪事件 その1」
2007.7.30 第3回「不登校・ひきこもりの凶悪事件 その2」
2007.9.3 第4回「支援者は思想・信教の“良識”を」

名前はまだ無い 第5回「「ひきこもり」支援・雑感(その1)」

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名前はまだ無い 第5回「ひきこもり」支援・雑感(その1)
 
ご無沙汰しております。
気づけば9月も半ば近く。時間の過ぎ去る速さに唖然としてしまいます。
 
さて。今日は「ひきこもり」支援の話などしてみようと思います。
これまで支援についてはノータッチでいたのですが、
ここ1ヶ月ほど、都内の若年層の自立支援に関わるNPO団体を回っていて、
日ごろ感じていたことも含めて徐々に言葉が溜まってきました。
ちゃんと形にするにはもう少し時間がかかりそうですが、今日は少しだけ。
 
今回の団体調査は頼まれ仕事なので「行ってこーい」と指示された団体を訪問しているのですが、
これがなかなか面白い。というのも、自分じゃ絶対行かないようなところに行けるから。
一応ターゲットは「ひきこもり」もしくは「ニート」の支援を行なっている団体なんですが、
それに特化している団体はほとんどなくて、
たとえば、その団体の主催するキャンプや研修などのイベントの参加者に若年層も一部含まれているとか、
その程度(というのも失礼な言い方ですが)のところにお邪魔しています。
で、だからこそ面白いし、勉強にもなる。
 
まずは素朴に、面白い活動をやっている団体はたくさんあるんだなー、と思いました。
それに続けて、もったいないなー、というふうにも思いました。
私の場合どうしても「ひきこもり」関連の団体に目が向いてしまうのですが、
“お隣”でこんなにも多くの興味深い団体が活動していたことを知る機会がないまま今まで来てしまったので。
そしてまた「ひきこもり」支援にとっても、もったいないことをしているのかなと思いました。
じゃあ、どうもったいないのか。
社会との接点を持てない人たちを支えるのは
「ひきこもり」関連団体だけじゃなくてもいいじゃないか、ということです。
 
現在「ひきこもり」の支援は、おそらく三段構えくらいで行なわれているのではないかと思います。
(私自身はこういう段階的な支援のあり方には距離をとっているんですけども、それはまた別の機会に)
 ①家族以外の対人関係を取り戻すこと(ひきこもっている状態を抜け出すこと)
 ②いわゆる「居場所」で対人関係の充実・安定、自尊心の回復などを図ること
 ③就業して安定的に収入を得られるようになること
そして、今述べた「もったいない」という感覚は②と③に関連してきます。
 
いろいろな見方ができますが、最終到達点はいつも③に置かれていて、
ひきこもっているところからそこへの中間地点として①や②が設定されている、
と見ることもできると思います。
③はハードルがあまりにも高く、ここを跳べるようになるために
まずは①と②を跳べるようになろうと、それで慣れさせようと、そういうことでしょう。
で、①から②へのハードルも決して低くはないと思うのですが、
このところ問題になっているのは、やはり②から③へのハードルだと思います。
 
ここで冒頭のNPO調査に話が戻るのですが、
②と③の間にもっとグラデーションがあってよいはずだし、
直接的に「ひきこもり」や「ニート」の支援を行なっているのではないけれども、
若年層も参加できるような活動を行なっている幅広い団体(NPOに限らず)は
その一つになりえるのではないだろうか、ということを漠然と感じたわけです。
次回はこのあたりのことを、もう少し詳しく書いてみたいと思います。
 
以下、予告のようなもの。
 
■「ひきこもり」コミュニティの“外”には職業社会しかないのか?
■「ひきこもり」コミュニティ内部の純度が高まることへのある懸念
 
→つづく
  
感想はこちらへmail.gif
 
いままでの「名前はまだ無い」

2007.7.18 第1回「にがてなもの」
2007.7.27 第2回「身もフタもない」
2007.8.3 第3回「「ひきこもり」原因論・雑感(1)」
2007.8.27 第4回「「ひきこもり」原因論・雑感(2)」

ゲームあふるる国に生まれて 第7回「ドラゴンクエストと大人になること」

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第7回 ドラゴンクエストと大人になること
 
 私にとってのドラゴンクエスト(以下DQ)とは、おおむねの人のガンダムがファースト、Z、ZZあたりで終わっているように、1、2、3のいわゆる「ロト三部作」で終わっている。
 
 その後も6を除いてプレイはしているのだが、内容についてサッパリ覚えていない。4、5、7はおもしろかった記憶はあるんだけど、ストーリーラインをさっぱり忘れており、8はさすがに最近のプレイなので忘れてはいないものの、クイズマジックアカデミーで「DQ8に出てくる、馬に姿を変えられてしまったお姫様の名前は?」という問題に答えられないレベル。あ、7は最初の戦闘までがやたら長かったなぁ。
 
 で、私が最初にDQに出会ったのは、近所にあったファミコンカセットを揃えていて、20分100円ぐらいでプレイできる店で、他のひとがプレイしているのを見て「ああ、これがRPGか。大人びててカッコいいな」と思ったのが最初です。
 
 RPGという分野については、「外国でウィザードリィっていうゲームがApple2っていうマシーンでプレイできる」というのは知っていたので、高嶺の花として、憧れの対象だったのです。
 
 だから、当時の私がDQにハマったのは「子どものちょっとした背伸び」意識からでした。
 
 そのあと、2、3と発売され、それが私が小学生の頃。これが4が発売される頃になると1990年で、もう14歳ですから、もうそんなにソフト一本にハマるということは無くなっていました。年齢が上がったのもそうですが、DQ3がインテリ層に持ちあげられたりしたために、一般層に広く浸透し、もはやそこに「自分だけが知っている大人のTVゲーム」という背伸びの魅力は無くなっていたのです。
 
 私や、同じ世代の男性にとって、TVゲームが決して単なる遊びでないのは、黎明期であった家庭用ゲームソフトの一本一本と、私たちの成長物語が密接しているからです。DQにかかわった人の多くが、DQにまつわる成長の思い出をなにかしら持っているのではないでしょうか。
 
感想はこちらへmail.gif
 
これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」
2007.8.3 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」
2007.8.28 第4回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)」
2007.8.28 第5回「ハイ&ローの愉悦(その1)」
2007.9.3 第6回「ハイ&ローの愉悦(その2)」

2007年09月10日

投稿原稿 「「誰かに伝えてみたいという気持ち」―Cocco「Raining」を聴いていた頃の話―」

投稿原稿  「誰かに伝えてみたいという気持ち」―Cocco「Raining」を聴いていた頃の話―  藤山 隆
 
床にへばりついて、じっーっと木目をながめてもう30分くらいになる。正確には3時30分から56分までの26分間、木目を目でなぞり何もせずにまどろんでいた。うつぶせのまま顔だけ上げてステレオで時刻を確認する。
朝の4時ごろ、地方のFM局でまるまる一曲を流す番組があって、それを録音するためにテープをセットした。また今日もこんな時間まで寝れなかった。眠くなってもぎりぎりまで粘って起きているから、眠りにつくのは6時ごろ。今日も学校には行けないなと言い訳するように納得するように独りごちた。
ラジオに集中し、時報とともにRECボタンを押す。MCがなく延々と曲だけがかかり、そのどれもが自分の趣味にあっていたため重宝していた。例えばその日にかかっていた楽曲はカジヒデキ「.Geen Road」、ホフ・ディラン「欲望」、スピッツ「冷たい頬」など。
Coccoの「Raining」という曲がかかった時、この曲を最後まで録音できたことを確認し、すぐさま録音をやめ、巻き戻しボタンを押しすぐにその曲を聴きなおした。泣いたわけでも、感動を実感したわけでもなく、ただ無心でそのような行動をとりそれからその曲を何度も何度も聴いた。
 
どうしてそんなことしたのか?
 
そんなことわからないし、誰にも言う必要もない。僕には友達もいないし。いつか自分に彼女ができるなんて考えられない。
ただ何度も何度も聴いた。
 
どうして?とは僕に向かって何度も発せられた疑問で、僕はいつもそれに、うまく答えることができなかった。
どうして?
「学校に行かないの?」
「友達と仲良くできないの?」
「みんなを困らせるの?」
僕にもわからなかった。普通にしているだけなのに「調子が悪いの?」と聞かれてしまう。小学生のころは「そんなことない」と言うこともできないで、大騒ぎになって一生懸命に芝居をしなくちゃならないことが何度もあった。
「どうして、みんなを困らせるの?」
と聞かれてもわからなかった。言葉が見つからなかった。そんな質問をした人が納得しそうな言葉を一生懸命考えた。頭がじりじりして何も考えることができなくなって上履きの緑色をにらんで目の前でヒステリックに怒っている人間があきらめてくれるのを待った。家に、はやく帰してほしかった。泣きながら適当なわかりやすいことを言ったら満足したようにして解放された。
 
ある日の帰り道、越してきたばかりの新築の家の庭に生えていた南国風の大きな緑色の葉を持つ植物を引き抜きたくなった。一生懸命引き抜こうとしていると、家の人が出てきて怒られた。最後に名前とクラスを言わされて家に帰った。お前の学校の生徒は悪いことばかりして、と僕がやってもいない壁への悪戯についてまで認めさせられた。へとへとに疲れて家に帰った。その家のあばあさんは「学校には連絡するからな」とわざわざ勝ち誇った顔をしてそんなことを言った。
家に着くなり明日も怒られると思うと力がぬけて眠くなってきた。敷いてあった布団にへたりこんでまだ寝る時間でもないのに僕は寝てしまうとその日から僕は起きれなくなった。10時間時くらいからは起きたり寝たりを繰り返しながら20時間、きりがいい所までと24時間くらい平均すると寝ていた。いくらでも寝ることができた。脳がとけていく感覚が不快だったけど、何もする気になれなくなった。植物を引き抜いたことがうやむやになるくらいの月日が経った頃、久しぶりに学校に行った。
すると「なんで学校に行かないの?」とは誰も聞いてはくれなかった。
「やっぱり学校に行くのはしんどいよね。うん。」
と先生には急に優しく言われるようになった。蛇のように執拗な30女だからスネークミソジと隠れてよばれていた女の猫なぜ声に鳥肌がたった。
「つらいのに学校に来ただけでも偉いよ。」
と学級委員長には言われた。勝手に僕の気持ちがわかるようになった彼らは「なんで?」とは聞かなくなった。しんどいのに、つらいのに学校に来て偉いと言われた。
 
「つらい」だなんて。僕は一言もそんなことを伝えた覚えはなかった。
 
うんざりして、何もしたくなくって、いつも眠っていた。
ただCoccoの「Raining」をテープにとってからは寝ながらその曲を聴いてもいた。一曲が終わるとテープを巻き戻してまた聴いた。
大切な人がいなくなって、髪を切り、切るものがなくなり腕を切るほどの悲しみを抱えた女の子が、空の青さと大地の果てしなさに、泣き崩れることすらできずにいる、ただそれだけの、なんてことのない歌。
どうして?空が青いくらいで、泣くことすらできなかったのだろう。それは僕にはわからない。腕を切るほどの悲しみなど知らない僕が、この曲を簡単にわかったりはできなかった。でも、それでもこの曲をいいなぁと思った。きっと、この歌に「こんな悲しいことがあって、髪を切って、腕を切りました」といった説明は必要なくって。ただ、悲しかったのに、天気がよくって、大地が果てしなさを感じて、泣くことさえできない。その描写だけがあればよかった。天気のよさに、悲しむことすらかなわないこと。女の子が髪の毛や腕を切るに至った過程を想像することは、痛みを伴うけれど、なぜか救われもした。
 
と、同時にもしかしたらという気持ちが僕に芽生えた。もしかしたら。
 
僕と同じような気持ちでこの曲を聴いている人がこの世界のどこかにいるのではないか。最初は弱い願望だった、それ。けれど強くイメージを繰り返すうち確信へと変わっていった何の根拠もないただの思い。きっといるはずの誰か。ずっとその人に向かって、それをどうやって伝えようか考えて、推敲して、何度も何度も繰り返した。いつかどこかでその誰かに出会うことができたら。絶望すらすることのできない青い空のイメージを伝えてみたいと僕は思った。
 
感想はこちらへmail.gif
 
いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」
2007.8.27  「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」
2007.9.3 「憂鬱から生まれた歌人」第二話

貧困襲来! 第6回「限界集落、地方の貧困」

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第6回 限界集落、地方の貧困
 
9月6~8日にかけて、岡山・島根・広島を回ってきた。
6日の岡山と8日の広島は依頼を受けての講演だったが、7日の島根は自分で選んだ。限界集落を訪問するためだ。
 
島根県Y地区の3つの集落を訪問した。
ショックだった。
ある集落に電気が通ったのが昭和39年。水道はなく、水は自分で300m先の山の中腹から引いてくる。
住んでいるのは81歳と73歳の老夫婦。もう農業もやっておらず、国民年金だけが唯一の収入だ。
その集落は、実質4世帯しかいない。しかも離れている。老夫婦のお宅から見える家はもう数年前に放棄され、朽ちかけている。
公共交通がない。奥さんは病院に通院しないといけないが、毎回山奥までタクシーを呼ぶ。町の病院まで行くには片道で5000円かかる。国民年金の少なからぬ部分がタクシー代で消えていく。
 
「限界集落」という言葉は、20世帯以下、高齢化率50%以上の集落に適用される。「過疎」などという言葉では表せない厳しさを示すために作られた言葉だという。
その集落の高齢化率は89%に上る。
 
私は東京で生まれ育ち、田舎というものを知らない。
車一台がようやく通れるような細い道を抜けて、山林と雑草しか生えていないような山間部の、都会とは隔絶した風景の中に、低収入で、孤立し、公共サービスから排除され、それでも身体の動くうちは自分で生きていく、と言っている同じような貧困を見るとは思わなかった。
 
行政はここでも「地域の力による活性化」「自立」を謳っているらしい。
しかし、高齢化率89%で離れ離れに4世帯しかいない集落がどうやって自力で活性化できるというのか。
市町村合併で、以前にはあったタクシー補助もなくなったという。人口が減り、放棄された耕作地が自然に戻ったために、鳥獣被害が後を絶たない。それでも、電流を流して獣を撃退する「電気ボク柵」なる装置を購入するための助成金を受けるには3戸以上で共同申請する必要がある。
それを聞いたある68歳の老人はさびしそうに笑いながら言った。「もうここでは、うちしか田んぼをやってない」。その3戸を集めようがない。
 
81歳と73歳の老夫婦のお宅を出るときに、思い切って聞いてみた。
「つかぬことをお伺いしますが、生活保護などを受ける気などはないのでしょうか?」
 
老人は、とんでもないという顔で手を振った。
どういう知識やイメージを持っているのかはわからない。しかし、自分とは無縁のもの、東京と同じくらい遠いもの、と位置づけられているのはたしかなようだった。
 
地上デジタル放送が始まれば、この家ではテレビも見られなくなるという。
いったい一日をどうやって過ごすのだろうか?
 
この人たちは、死ぬまでただただこうやって放置されていくのか。
「棄民」、ここでもこの二文字が頭に浮かんだ。
誰も生活保障を言い出さない。そうしているうちに、身体が動かなくなれば、病院や施設に入り、この集落は消滅する。
 
ある80代のご老人が言ったという。
「どうして、生れ落ちたところがたまたまここだったというだけで、こんな不便な目に遭わないといけないのか」と。
 
・・・こうした限界集落が、現在日本全体で5000近くあると言う。そして1999年から2006年までの7年間で、191の集落が消滅した。2週間に1集落のペースである。
  
感想はこちらへmail.gif
  
いままでの「貧困襲来」

2007.7.17 第1回「このままでは本当に殺される」
2007.7.24 第2回「日雇い派遣は貧困ビジネス」
2007.7.30 第3回「ピエロの一票。一発食らわすつもりで」
2007.8.27 第4回「労働と福祉の連携」
2007.9.03 第5回「北九州市福祉事務所長を刑事告発」
 

絶望男の逆襲 第10回「人から逃げよう」

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第10回 人から逃げよう
  
3月末に[神保町小説アカデミー]が終了して4ヶ月経った。以来、すっかり人と会わなくなった。アカデミー受講中は週に2日は誰かと接していた。親しくなった受講生は特にいない。友人になれそうな人はいたが、アホらしい誤解のせいで関係が破綻した。
 
人間関係が苦手だ。学校も職場も他者と接することが苦痛で中途放棄した。10代後半からひきこもりに入った。一人部屋の窓全部に映画のポスターを貼り、外から見えないようにした。ドアをロックした。飯は親父のいない間に家族部屋で食った。夕飯は母が盆で持ってきてくれた。酔った親父に邪魔されながらも。母以外誰も部屋に入れなかった。誰かがドアを叩いたときは布団に潜り込んだ。
 
外出時。辺りを窺い、人がいないことを確認。2階から階下に素早く下りる。寮の1階に職場がある。人が通る。出口を目指して突っ走る。誰にも見つからなければいい。映画を観に行くか、映画雑誌を買いに行ける。帰宅時も同じ。人がいない隙にサッと2階に上がる。ドアをロックし、自分の世界に入る。77年から約10年間、K工業での体験。
 
小便を催した。ちょうど仕事が終わる17時頃。仕事を終えた人たちが各部屋に戻り、廊下で何やらかにやら。この寮は共同便所だ。俺の部屋から20メートル先にある。出られない。出れば人に会う。説教を食らう。嫌みな視線にさらされる。が、尿意が我慢の限界まできていた。俺は股間を両手で押さえ、人が部屋に戻るのを待った。20分。誰も戻らない。声でわかる。さらに20分。変化なし。俺はうずくまった。フルーツの空き缶を見つけた。助かった。小便を空き缶に放出した。18時半を回った。人は部屋に引っ込んだ。俺は酸っぱい匂いの空き缶を持った。共同便所の便器に黄色い水を捨てた。独り、小便臭い部屋に戻った。自分の世界に入った。
 
外に出たり、出なかったり。中途なひきこもりだった。現G団地に越して20年が経った。外出も小便もまあまあ自由にできる。が、他者との接点が見つからない。今も人が怖い。批判を恐れ、人間関係から逃げている。なのに人を欲してしまう。いや違う。本当にほしいのは居心地のいい(安全な)人間関係である。そして(何より)異性の恋人だ。叶わぬ夢か。ならば人から逃げ続けようか。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
 

レンタル空手家日記 第7回「友達を作るツール」

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第7回 友達を作るツール
 
■涼しくなってきましたね!
運動には最適の季節です。
ひっきー気味の人は、もちろん空手もおすすめですが
体を動かしてみましょう!
近くの体育館でやっている色んなスポーツ講座を見学してみたり…
ジムに行って鍛えてみたり、ヨガやストレッチのコースを体験してみたり。
朝、早起きして軽く走るクセをつけるだけで
ずいぶん毎日の気力が違ってくるものですよ!
レッツ、運動!!(労働運動にあらず)
 
■えーと、3ヶ月ぶりくらいに試合に出ることになりました。
小さな交流試合ですが。レベルは結構高いです。
もしお近くに住んでいらっしゃる方など、のぞきに来てくれると嬉しいな!
  極真西田(清武会)秋季トーナメント/茶・黒帯の部
  9月23日(日) 開会12時
  平塚アリーナ
もし応援に来てくださるという方は、メールくださいな。エントリーしてる名前が違ったりしますので~
 
■ちょっと前のことになりますが
お盆の前後に、オンリーワンクルーの前に
空手教室をやりました。
 
参加者は4人。
 
最初、庭(?)が空いていたので
アップ代わりに、走ってから体操
基本、(だいぶ技を省略して、主なやつだけやりました)
まわし蹴りの、バランスをとりながらの空蹴り
ミット蹴り。
 
休憩をはさんで、受け返し。
受け返しは、前回は真面目に道場でやるように
一挙動一挙動きちんとやっていったのだが
今回は組手のニュアンスを意識で、もっと楽しめるように
チャンバラ風や、タッチしたりをまぜながら
色んなパターンでやりました。
前回いらしてくれた、巨椋先生の稽古法を取り入れながらです。
 
以外とこれは疲れるようで、受け返しの途中休憩される方もいました。
 
最後に、ミットを僕が持って、一人1分2Rずつ、フルコンのコンビネーションで
指示しながら色々打ったり蹴ったりしてもらいました。
 
ミット打ちを楽しみにしてくれる方もいるようで
(ミットがたくさんあれば、もっとそれぞれで構えて出来るのですが)
やはり、実際の打撃稽古は取り入れていったほうがいいな、と思いました。
 
受け返しの練習では、相手が素早くて、反応が良かったりして
僕が追い詰められたりしていました~。
やるな!!
 
人それぞれ、打撃にパワーがあったり(迫力あった!)
フォームバランスが良かったり
色々違うな~と思っておもしろかったです。
 
初心者どうしとはいえ、それぞれの長所をとりいれながら
みんなで進んでいきたいですね~。
 
■…思ったことですが
やはり、自分の指導を信じて一生懸命やってくれる人たちというのは
皆さん僕より年上だったりするのですが
なんというか、嬉しいものです。
 
僕は今まで、ココロ系だったりニートだったりという人たちから
距離を置いてきました。
それは、一つには、触れ合い方がわからなかったからです。
 
傷つけないように遠慮して話していても
コミュニケーションしている、という実感は得られにくい。
それに、僕は興味を持っていても、相手は全然そうではない(自分のことにいっぱいいっぱい)ということもあります。
 
だけど、空手を一緒にやることは、なんというか、それ自体が
「相手を友達だと思えること」なのです。
 
今までずっとそうで、試合の相手も、道場仲間も、先輩も後輩も
同じ。
はっきり言って、何かあったら手助けしたいと思います。
 
傷つけないよう、うわっつらの付き合いだけでは
相手に時間と労力を割きたい、とは思えません。
僕は「ココロ系」とのコミュニケーションがはっきりいって
あまりうまくありません。
だけど、空手を通じてなら「友達」になれる。
 
だから、僕は「レンタル空手家」をはじめたのかもしれないな
と、ふと、思いました。
 
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いままでの「レンタル空手家日記」

2007.7.12 第1回「はじめまして、レンタル空手家です」
2007.7.20 第2回「僕が『レン空』をはじめるまで/その1」
2007.7.27 第3回「僕が「レン空」をはじめるまで/その2」
2007.7.30 第4回「ほのぼの空手教室をやってみて」
2007.8.8 第5回「劇団内、空手部~!」
2007.8.27 第6回「僕が「レン空手」をはじめるまで/その3」
 

2007年09月03日

投稿原稿 「憂鬱から生まれた歌人」第二話

投稿原稿  憂鬱から生まれた歌人 第二話「暗黒の高校時代、空白の大学時代」  作・新人歌人(にいとかじん)
 
今回から文体を変えます。初回は緊張して丁寧語になってました。これからは普通に書いてゆきます。話が前に戻り、挫折と鬱屈に塗れた高校・大学時代を書いてゆきます。何かの参考になるかはわかりませんが、よかったら読んで下さい。
 
県下の進学校から、辛うじてMARCHレベルの大学に入学した自分だったが、入学して一月ほどでやる気を無くした。自分はもともと学校や勉強と言うものが嫌いだった。ただ中学時代、勉強が出来る人間がクラスでいつも優越的な状況にいるのに耐えられず、半ば反発的な気分から勉強に打ち込んだ。そして学内一桁に常に入れるぐらいにはなった。それで県内屈指の男子高進学校に進んでしまった訳だが、もともと勉強嫌い学校嫌いだった自分は徐々にドロップアウトしていった。好きな国語と日本史以外は赤点だらけでどうしようもなかった。授業中も司馬遼太郎の小説や紀行文ばかり読んでいて、受験勉強なんかもまともにやったのは四ヶ月にも満たない。そんな学校嫌いの勉強嫌いの自分は大学に入ってから完全に崩れ去った。閉鎖的な男子高進学校のイメージからかけはなれた現代的な、イマドキの若者に接して埋めがたい隔たりを感じたこともある。そして、そろそろ勉強嫌いが沸点に達していたこともあった。あとは、大学の勉強(文学部国文学)が自分にとっては非常につまらなかった。こんな昔の古典をうじうじやって何になるのか。思考停止して教授の言う通りの答案を書くことばかり求められる試験やレポートなぞ、やってられるか。一人で本読めば一日や数日で済むことを何でいつまでもうじうじ何時間、何ヶ月もやるのか。妙に、反発心が強く性格が捩れていた自分は学校からも教授からも学生からも遠ざかっていった。
 
そうして、大学を自主休講しがちになり、図書室に行ったり(学校嫌いが高じてそのうち大学の図書館とは疎遠になっていったが)図書館やマクドナルドで本を読んで時間を潰すことが多くなっていった。大学と言うものはテキストというものがなかったり、出席重視・課題重視の講義も多いので、高校で授業と試験を無視して独学する癖がついていた自分は多くの単位を落とした。最初の方はさほど気にしなかったり、あるいは心を入れ替えようとしたこともあったが、どうにも大学や学生に馴染めない。そこで自分はますます本を読んだり、小説の練習をしたり(ほとんどろくなものが書けなかったが)、学校に頼らない別のルートの生き方を更に更に模索した。と言っても、そんな簡単にそんな別のルートを開ける訳が無い。才能も無い、根気も無い、コミュ力の無い自分は学年を経るごとに逼迫していった。折りしも世間では「大学全入時代」と言う言葉が登場し始め、大卒→新卒就職の絶対性が更に強固になりつつあった。その中で才能も根気もツテコネも無い駄目人間が大学を辞めると言うことは何を意味するか。日を追うごとに自分は焦り始めた。しかし、いっこうに状態は好転しなかった。そんな折。
 
そんな折。全く寝耳に水のことが起こった。人間アレルギーに近い自分と波長の合った数少ない高校時代の友人(大学に入ってからもたまに家に遊びに来たり街で会ったりしていた)が自ら命を絶った。彼は自分よりも良い大学にゆき、単位も順調に取っていて、なおかつ彼女も出来て充実した大学生活を送っているものと思っていたので、その事態に驚くよりも呆然と立ち尽くした。俄かには信じられなかった。結局、深い理由はわからなかったが、同じ大学に通っていた友人からの話で大学のサークルでの人間関係に悩んでいたと言うことはわかった。ぼんやりとしつつ底なしに暗い気持ちで自分は通夜と告別式に参列した。通夜の後、集まっていた高校時代の友人と飲み屋に入り、久しぶりに話したのだが、みな、最初は友人の死を悲しみつつも、段々とこれからの自分達の将来のことを語り始めていた。大学もそろそろ三年。皆、前を向いていた。皆、大学でうまく行っているのだ。自分と違い、友人の死はそこまで皆の心に影を落としていないように見えた。一方、自分は死んだ友人と同じように大学生活で挫折した。そして、自分には語るべき将来は無い。それは暗澹たる気持ちだった。
 
それから三ヵ月後。否応なしに再び春が巡ってきた。この春でついに自分は留年した。本当はもう限界で休学したいと思った。精神的にもう学校にいられる気がしない。家から大学までの一時間半が物凄く遠く感じられる、電車酔いも激しい。朝も起きられない(どんなに目覚ましをかけても起きられない。二度寝どころか五度寝すらあった)。いよいよ外面(学校)のみならず内面(家庭)も行き詰まってきた。そんな四月の中旬に、疎遠になっていた友人から電話があり、携帯電話越しに疎遠になっていた懐かしいもう一人の知人の明るい声を聞き、自分は二人に街で会うことにした。会って、暗い気持ちを払いたかった。自分は当たり前に大学を休講し、数年ぶりに二人に会った。その知人は精神を病んで休学しているもののプログラミングやパソコン方面の才は学内髄一で将来を嘱望されていた。自分とは高校一年の頃に隣の席だったり、たまに街を歩いていて偶然会ったりと何かと縁はあった。知人は精神の病を感じさせないぐらい元気そうだった。数年ぶりの再会に手を差し出して、おどけて握手を求めてきてきたりして以前と変わらず気さくな明るい性格だった。そして三人で街を歩きながら、彼の語る、いつか起業する夢に(自分も下っぱで使ってもらおうかなぁ・・)と夢想したりした。それは学生生活に行き詰まった自分には楽しい想像であった。そうして三人で街を歩きながら、あの当時まだ爆発的なブームが起こる前のメイド喫茶へも一緒に行ったり彼のゲームの買い物に付き合ったりした。そして夕方、乗り換えの駅での別れ際。その場に立ち尽くす自分に、彼は遠ざかりながらもこちらに手を上げて笑顔を残して駅の雑踏へと消えていった。その笑顔はとても染み透るような良い笑顔だった。それが結局、生きている彼を見た最後になった。一月後、彼もまたこの世から自ら去っていった。
 
(つづく)
 
↓当時の気持ちに似た心境の短歌。
 
石川啄木「悲しき玩具」から
 
どうなりと勝手になれといふごとき
わがこのごろを
ひとり恐るる。
 
人とともに事をはかるに
適せざる、
わが性格を思ふ寝覚めかな。
 
石川啄木「一握の砂」から
 
師も友も知らで責めにき
謎に似る
わが学業のおこたりの因(もと)
 
わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己(おの)が道をあゆめり
 
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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」
2007.8.27  「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」

貧困襲来! 第5回「北九州市福祉事務所長を刑事告発」

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第5回 北九州市福祉事務所長を刑事告発
 
8月23日から25日まで北九州市に行ってきた。
もともとは、北九州市でネットカフェ調査を行う人たちへの講演が目的だったが、偶然にもその滞在中に刑事告発することが決定した。
 
告発したのは、364個人と4団体。告発されたのは、北九州市小倉北福祉事務所長を勤めていた菊本誓氏である。罪名は、保護責任者遺棄致死罪と公務員職権濫用罪。
告発状の起草や告発人の集約などは、私も幹事の一人である生活保護問題対策全国会議(代表:尾藤廣喜弁護士)がやった。告発文や関連する新聞記事などは、その全国会議のホームページで見ることができる。
http://seihokaigi.com/default.aspx
 
なんで刑事告発などという仰々しい事態に立ち至ったのか、そこまでやる必要があったのかについては、来週発売される週刊金曜日に書いたので、そちらを読んでいただきたい。
 
ここでは、24日の告発前に男性宅を訪問したときの印象を少し。
写真で見た人もいるだろうが、ひどい家だった。
「昔からの炭鉱長屋」ということだが、隣の家は当然ながらそれなりにきれいにしている。
でも、亡くなった人の家は、屋根が破れ、床は抜け、玄関引き戸にちゃんとガラスもはまっていないような家だった。
「あばら家」というものを、私は初めてこの目で見た。
そして、閉まらない引き戸から屋内をのぞくと、死臭がした。
 
死ぬ以前の問題じゃないか。そう思った。
生活保護を廃止されて亡くなったという「大事件」の前で、この家の問題は消し飛んでしまって問題にされることはない。
でも、訪問した人間は全員感じている。「この家に、このまま住まわせていたことだけで十分犯罪ではないか」と。
 
彼は、去年の12月から今年の4月まで生活保護を受けていた。
生活保護を始めるときには、必ず福祉事務所職員の家庭訪問がある。
担当職員は、最初にこの家を訪れたとき、なんとも思わなかったのか・・・。
 
そう、なんとも思わなかったのだ。たとえ思ったとしても、北九州市の生活保護行政では、アパートを引越すお金を出すことなど、とても上司に進言できる雰囲気ではないのだ。
なんと言っても、生活保護受給者が一人死ぬと、仕事が一つ減ったと言って喜ぶ、と証言されているところなのだから。
 
北九州市はいつも、それが自分たちにはどうしようもない事故だったのだと、自分たちも残念に思っているのだ、と言ってのける。
でも、それがうそっぱちだろうということを、その家が示している。
その家がそのままの「あばら家」状態で残されているという事実が、北九州市が市民を、生活保護受給者をどう見ているかを示している。
たとえ本人は言えなくても。
  
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いままでの「貧困襲来」

2007.7.17 第1回「このままでは本当に殺される」
2007.7.24 第2回「日雇い派遣は貧困ビジネス」
2007.7.30 第3回「ピエロの一票。一発食らわすつもりで」
2007.8.27 第4回「労働と福祉の連携」
 

共産主義、入門中 第5回「「弱者による暴力」に対する暴力について」

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第5回 「弱者による暴力」に対する暴力について
 
 このウェブマガジンで、杉田俊介さんの「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて」を読んだ。タイトルからすると内藤朝雄さんに対する個人批判のように見えてしまうけど、実際に読んでみるとより一般的な問題を扱っているようだ。暴力に苦しんでいる人や「弱者」とされるような人、暴力を止めようとする人たち自身が、時として他人に暴力を振るってしまうことがあるという問題だ。ここで暴力という言葉は、殴ったり殺したりするようなことだけじゃなくて、「パワハラ」みたいなことも含む広い意味で使われている。
 
 これは、杉田さんが『フリーターにとって「自由」とは何か』でも問題にしていたことだ。この本は、フリーターを一方的な「被害者」として描くものでは決してなかった。むしろ、「フリーター」の多様性や、野宿者、外国人労働者、障害者との関わりを示し、「フリーターは誰を収奪しているのか?」と問うていた。こんなふうな問題意識から読めば、今回の「弱者暴力との抗争」も、内藤さんを貶めようというよりは、杉田さん自身が抱えている課題について考えたものであると言えるだろう。
 
 杉田さんはこう書いている。「かつて悲惨な被害にあった当事者が、それを理由に、別の人間に何をしてもいい、傷ついた人間が直接間接に他人を傷つけて構わない、とは言えない」。僕は、これに同意する。というか、一般論としては、これに反対する人はほとんどいないだろうし、内藤さんも100%この言葉に賛成するんじゃないだろうか(フリーターの苦しみが解決できないなら「国民全員が苦しむ平等」を求めるという赤木智弘さんは例外かもしれない)。
 
 けれども、僕は共感と同時に警戒心を抱く。というのも、「弱者による暴力」を批判するという名目による暴力の方が蔓延していると思うからだ。
 
 杉田さんも指摘しているように、「弱いものがさらに弱いものを叩く」ことがあるとしても、それが自覚的に行われることはほとんどない。「ジャイアンに殴られて痛かった。だから僕は飼い猫をいじめる」とのび太が言ったとしたら、「いや、それはおかしんじゃね?」と批判することができるだろう。でも、弱者が強者と戦い、暴力に抵抗しているつもりで「さらに弱いものを叩」いてる場合は、いったい誰がそれを「弱者による暴力」であると認定するんだろうか? そしてそのような批判は、「強者」による暴力との関係でどんな意味をもつだろうか?
 
 たとえば、北朝鮮について考えてみよう。北朝鮮はかつて日本による侵略を受けた。戦後も日本やアメリカの軍隊に脅威にさらされてきた。国際的には、北朝鮮は「弱者」である。
 
 けれども、北朝鮮は一枚岩ではない。独裁者が民衆を抑圧している。また、いわゆる「拉致問題」も、国家による個人に対する暴力と言っていいだろう。
 
 北朝鮮の暴力は、かつての大日本帝国の暴力や現在の日本や米軍による脅威に比べたら、規模としては小さなものだ。だがもちろん、実際に独裁者に抑圧されている民衆や外国から拉致された人に対して、「日本の方がもっと悪いから我慢してください」とは誰も言わないだろう。「弱者が仕方なくふるう暴力よりももっと巨大な悪や暴力がこの世にはある、そちらをどうにかすることのほうを優先すべきではないのか」というような言い方を杉田さんは批判しているが、その通りだと僕も思う。
 
 だけど、この「弱者の暴力」に対する日本の人々の批判の仕方には卑怯なものを感じる。日本の人々は、過去の戦争責任も、我々が現在も北朝鮮の人々にとって脅威となっていることも忘れて、ひたすら北朝鮮を叩いている。弱者が「より弱いものを叩」いたことを口実にして、強者が自らの圧倒的な暴力に居直っているのだ。
 
 「弱者による暴力」は、何の脈絡もなく突然現れるわけじゃない。北朝鮮に独裁政権が生まれたことは日本による侵略と無縁ではないし、それが戦後ず~っと続いてきた背景には、日本やアメリカの軍事力がある。
 
 もちろん、独裁者が民衆を抑圧することや、日本人を拉致することは、日本の暴力に対抗するためには何の役にも立たない。むしろ日本の右傾化を進めて、脅威を大きくするだけだ。だが、911テロを見て「ざまあみろ」と思った人が世界にはたくさんいたように、日本の過去や現在のあり方が北朝鮮の独裁者に正当性を与えていると感じる人がいても不思議ではない。北朝鮮の暴力は、日本やアメリカとの関係の中ではじめて存在するのだ。その意味で、日本人もまた拉致問題に責任を負っている。日本にいる我々がまずすべきことは、拉致問題で鬼の首を取ったように北朝鮮を叩くよりも、日本国家や米軍の暴力と向き合うことじゃないだろうか?
 
 暴力は、別々に固まって存在するのではない。暴力は、「弱者」も、「より弱いもの」も、「強者」も、「傍観者」も、一本の線で結んでいる。杉田さんは「私はもう弱者暴力との闘争も辞さない」と言う。そのような「闘争」は、モグラ叩きのようにではなく、この線上で行われなければならないと僕は思う。
 
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いままでの「共産主義、入門中」

2007.7.13 第1回「宝くじと教育の不平等」
2007.7.23 第2回「努力が報われる社会」にNO!
2007.7.30 第3回「「第三の道」はいらない」
2007.8.8 第4回「仮病で何が悪い」
 

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第9回「止まらないつまづき君」

第9回 止まらないつまづき君  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
2007.8.8 第7回「夏目氏とナンパ②」
2007.8.28 第8回「一石二鳥」
 

ゲームあふるる国に生まれて 第6回「ハイ&ローの愉悦(その2)」

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第6回 ハイ&ローの愉悦(その2)
 
 では、私が前回にした問い
 「最初のカードは絵札の「K」です。あなたは「ハイ」を選びますか? それとも「ロー」ですか?」
 に、私自身が答えるとしたら、どう答えるでしょうか?
 答えは「絶対にハイ」です。
 しかし、前回教えたように、どちらを選んだとしても勝つ確率は約48.5%なのですから、「どっちでもいい」はずなのに、どうして「ハイ」を選ぶのでしょうか?
 
 ハイ&ローは、最初にカードが1枚めくられて、それに対して、ハイかローかを選択すると、次のカードがめくられます。そして、それを4回までくり返すことができます。
 4回繰り返した時に、画面上には5枚のカードがめくられていることになるのですが、ポーカーゲームで5枚のカードがめくられた時にできるものといえば?
そう「役」ができます。
 基本的には通常のポーカーと同じように、フラッシュやスリーカードなどのおなじみの役ができます。
 聞き慣れない役に「Jacks or Better」(以下
JB)という役があります。普通のポーカーではほとんど聞きませんが、メダルゲームではよく出てくる役で、意味は「ジャック(数字のJ)以上のワンペア」です。2~10のワンペアでは役になりませんが、J~Aならば役になります。
 そして、役が成立するとスペシャルボーナス(以下
SB)を得られます。一番簡単な役のJBならば、Betした枚数の10倍。一番難しい役のロイヤル(ストレート)フラッシュだと、なんと夢の1000倍です。
 ハイ&ローとスタンダードのダブルアップを比べた時に、ハイ&ローは約48.5%でしか2倍にならないのに、スタンダードなら50%の確率で2倍になるといいましたが、その1.5%分は、このSBに回されているのです。
 
 では、このハイ&ローが、スタンダードよりも有利な点とはなんでしょうか?
 それは、「低い倍率で当選した時に、メダル獲得上有利」ということです。
 たとえば、5枚ベットで1倍当選した時に、ハイ&ローが4回成功すれば、80枚にすることができます。さらにJBの役が揃えば、5の10倍の50枚が獲得枚数にプラスされ、130枚になります。一方、スタンダードの場合は、4回以上トライすることができるので、4回で80枚、5回目成功で160枚になります。
 しかし、約48.5%を4回成功させるのと、50%の確率を5回成功させるのでは、約48.5%を4回成功させる方が確率的に簡単なはずです。数字に弱いので、ハッキリした数値は出せませんが。
 そういう意味で、ハイ&ローは最大獲得枚数こそ低いものの、獲得メダル数を安定させ、高倍率当選への希望を繋ぐことができるのです。
 
 では、最初の問題に戻りましょう。なぜ「もちろん、ハイ」なのかといえば、それはハイ&ローで成立する一番簡単な役がJBですから、基本的に11以上の数字を引いていくのが、ベストなのです。また、狭い範囲に数字をまとめることで、ストレート(SB
50倍)の役づくりも期待できます。
 もし「K」からローを選んでしまい「7」なんかが出てしまった時には、その時点でストレートは成立しなくなりますし、また「7」から「ハイ」を選んでも、「K」のワンペアができる可能性は低くなります。
 しかし、「K」からハイであれば、勝つ時は必ず「A」で勝ちます。Kより高いカードはAしかないのですから、当然ですね。次に、Aからなら当然ローを選ぶのですが、数字は元の数字に近い数字が出やすいという原則があるので、Kを引いてJBを成立する可能性は高く、また下がっても10より高い数字であれば、ストレートのチャンスがあります。
 では、Aの次にQが出たとします。この場合はハイを選んで勝てば、次の数字は必ずKかAですからJBが成立します。ただし、ストレートは消滅します。私だったら基本はハイですが、それまでめくられたカードのスーツ(ハートとかスペードなどの、マークのこと)が同じならば、ローにします。Jか10の同じスーツが出てくれれば、ロイヤルフラッシュ(SB
1000倍)の可能性がありますから。
 
 このように、役の成立可能性をにらみながら、カードを追い詰めていくというゲーム性こそが、表示されたカードよりも大きいものを選べば2倍という単純さが売りの、スタンダードにはない、ハイ&ローの魅力なのです。
 とはいえ、ハイ&ローはシグマ(現在は、パチスロ大手のアルゼと合併し「アドアーズ」に)の古い機種にしか搭載されておらず、遊べるマシーンは減少傾向なのがつらいところですね。
 
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これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」
2007.8.3 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」
2007.8.28 第4回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)」
2007.8.28 第5回「ハイ&ローの愉悦(その1)」

絶望男の逆襲 第9回「無情」

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第9回 無情
  
07年8月30日木曜日。午前中にダイエーに行った。いつもの義務だ。この3年、母の代わりに俺が食物や日用雑貨を買っている。うちは常に現金がない状態で買い物のほとんどはダイエー。クレジットカードを使っている。
 
この日も同じように買い物をし、清算が済んだ。レジの店員にカードを。通らない。店員はクレジット会社への問い合わせを勧めた。後ろには客が並んでいる。いい見世物だ。買い物カゴには弁当などの食物がごっそり入ったまま。俺はレジに置かれた買い物カゴを尻目にその場を離れた。カード会社と電話しても事態は変わらない。カード無効。使用は次回支払い2~3日後。奴らはマニュアルどおりの返答しかできない。
 
弟の給料日は月末。支払いは月初めにしている。毎月必ず振り込んでいる。滞ったことはない。こんなトラブルは3度目だ。1度目は持ちあわせがあった。2度目はカード会社と電話でやりあった。今回はパターンが読めた。限度額を越えたのだ。
 
クレジットカードは現金なしで物が買える。高い物ならリボ払いにすればいい。何でも思うままだと錯覚する。
 
俺は映画007シリーズ全20巻のDVDを揃えようと次々と買った。1度ハマると止まらない。現金払いなら抑制できた。クレジットカードは金銭感覚をマヒさせる。働いている弟のためにと高いすしも買った。クソ暑さが冷静さを奪う。結果、請求額が増える。カードは無効にされ、俺は赤っ恥をかく。家族に対し、罪悪感でいっぱいになる。金を払うのは弟で家計を調整するのは母なのだ。
 
クレジット会社は家庭事情などお構いなし。機械的に処理し、カードを予告なしに無効にする。電話の対応も機械的だ。俺が感情に訴えると口ごもる。マニュアルにないから応えようがない。そう教育されているのだろう。効率優先システムか。より生産的にか。
 
支払いは今日(9月3日)。が、クレジット会社が入金を確認するまで2~3日は待つのだ(どこが効率的だ!)。それまで支払い額から差し引き、捻出した金で食っていかねばならない。健康保険料を来月にずらすと母は言う。それでもぎりぎりだ。こうなったのは自分のせいだと罪悪感に苦しんでいる。母に「俺が悪い。俺なんか死んだ方がいいだろ」と吐き出した。母は「みんなも同じ物を食べてるんだから」と言った。少し救われた。
 
効率的で生産的であることが優先。それが今の世の中らしい。まるで管理社会だ(そうなっている)。情や思いやりといった人間らしさは映画やテレビドラマのなかにしか存在しなくなったのか。今にすべてがシステム化し、人間らしさは置き去りになる。ならば俺は非効率的で非生産的な生き方を実践したい。今までもそんなふうに生きてきた。ささやかなシステム社会への抵抗だ。
 
1つ気になることがある。あの買い物カゴのなかの商品。1つ1つを元の場所に戻すのだろうか。その作業をするのは店員か。だとしたら大変だろうな。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
 

絶望男の逆襲 第8回「昼夜逆転」

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第8回 昼夜逆転
 
8月も末になった。なのに朝から暑い。蝉の鳴き声が耳に響く。秋はまだまだ先だと囁いているかのようだ。昨夜も暑くて眠りづらかった。それでも6時間は眠れた。少しずつでも涼しくなってきている。秋は近い。
 
今の俺は規則正しい生活を守っている。朝7時前に起きる。ゴミ出しをして、洗顔をし、新聞に目をとおし、ハーブティーを煮出し、それを飲む。朝食時には朝の連続テレビ小説「どんど晴れ」を見る。一日が始まる。特別な用事がない限りは大抵そうだ。日中、用事の合間に2時間ほど睡眠をとる場合もある。夜は23時前後に寝る。この生活パターンにすっかり慣れた。お陰である程度の健康は保てている。
 
かつては違った。小学校2年生の頃の俺は貧弱だった。身体は骨が浮き出るほどにやせていた。ボロ切れのような服でヨロヨロと登校した。朝礼では常に前列に並ばされた。背が低かった。気分が悪い。立っていられない。2分と持たずに俺は倒れた。そして、保健室に運ばれた。そんなことは登校のたびにあった。家でろくに飯を食えない。ひどい飯だった。貧乏なうちに朝飯をしっかりとる余裕はなかった。夜眠れないのもあった。なぜ眠れないのか理由はわからない。睡眠不足が体力を奪っていた。おかずのないグチャグチャのご飯でも食わないよりはマシだろう。だが、朝から具合が悪くて食えない。しかも親父は学校へ行けと脅しをかける。奴の心配はかかる学費だ。
 
小学3年の中頃に1度目の引っ越しをした。親父は木材加工の仕事に転職。収入が増え、俺は貧弱ではなくなった。体力もついた。が、相変わらず夜眠れなかった。学校も休みがちになり、5年からは仮病を装って、ほとんど登校しなかった。中学時代は休みながらも結構出た。小学校同様、卒業はできた。
 
その後、昼夜逆転が始まった。夜眠れないから朝仕事に出られない。出ても午前中に家に戻り、布団をかぶって眠った。癖になった。夜はテレビを朝まで見た。テレビを親父に禁止されるとラジオを聴いた。睡眠は日中。午前9時頃から夕方まで眠った。時々は外出し、バイトに出た。体調を崩し始めた。精神面もおかしくなった。食いに食った。吐くまで食った。腹だけが異様に膨れた。頭痛がひんぱんに起こった。キレやすくなった。母を突き飛ばした。意味なく怒鳴った。たまに夜眠ろうと「努力」した。だが、眠ろうとすればするほど眠れず、苦しい夜を過ごした。
 
鬱病だとわかった。20歳から精神病院に通院し始めた。以来も昼夜逆転を繰り返した。薬の量を増やした。一日に10錠以上を飲んだ。前後不覚になった。夢と現実の区別がつかなくなった。「やばい」と思った。
 
30代後半から薬を1種類(安定剤)に減らした。日中、どんなに眠くても、退屈で孤独でも眠らなかった。夜眠る習慣を身につけた。
 
規則正しい生活パターンが今の自分を創っている。未だ不安定ではあるが昼夜逆転を抜け出せた。「できない」を「できる」に変えたのだ。
  
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
 

オグラオサムのタブーなお話し 第4回「支援者は思想・信教の“良識”を」

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第4回 支援者は思想・信教の“良識”を
 
日本社会ではね。タブーというよりも【良識】として
 
【他者の政治思想や宗教に立ち入らない】
 
というものがあるんだ。
 
ところがそういったプライベートなことに立ち入ってくる人たちが、この『不登校・ひきこもり・ニート』関係者には少なくない。(笑)
 
『不登校・ひきこもり』の講演会とか『親の会』で
 
【次の選挙では、○○党に投票しましょう!!】
 
なんて叫んでいる有名なセンセイがいたり、支援団体のホームページをのぞいてみたら、【憲法改悪反対!】【教育基本法改悪反対!】なんてデカデカと書いてあるところが少なくなかったりするのな。
 
ところが……だ。
 
そういった支援団体に【助け】を求める人は、何もそういった思想の人たちばかりじゃない。
 
実際、ある当時者の人が、コッソリとこんなことを耳打ちしてくれたことがある。
 
「いまいるフリースペースは、ちょっと居心地が悪いんです。ぼくの家は創価学会ですから……」
 
なんていうのな。創価学会の支持政党は公明党である。つまり2007年8月の現時点では与党である。
 
ところが、その人の通っている【フリースペース】とかが野党支持の政治色が強かったり、「創価学会は邪教である」なんていう宗教色や思想が強かったりすると、その人にとって、あるいは子どもやお母さんとかが、ようやく見つけた【フリースペース】や【親の会】といった居場所が、居場所でなくなるという危険さえある。
 
他の家族から「居場所で何を話したの?」なんて聞かれても、素直にいえなくなる。
 
場合によっては、それが原因で家族の間が険悪になるおそれすらある。
 
よって、
 
『不登校・ひきこもり・ニート』の【フリースペース】や【親の会】では、政治や思想、信教について距離をとっておいたほうがいい。
 
なぜか?
 
『不登校・ひきこもり・ニート』というのは、どの政党を支持していようと、どんな思想・宗教の持ち主の家庭であっても、起こりうることであるからである。
 
『不登校・ひきこもり・ニート』の支援団体というのは、いろいろな人が助けや居場所を求めてやってくる場所なんだ。
 
そこには当然、いろいろな思想、宗教、支持政党の人たちも集まってくるので、お互いに配慮する必要がでてくるはずだ。
 
もちろん、政治や思想宗教の話しがダメって言っているわけじゃない。
 
特にニート問題では、雇用といったことに深く関係しているから、そういった話題がでるのは当たり前です。
 
ただ、『不登校・ひきこもり・ニート』を対象にした、フリースペースや団体、場所はそれでなくても、数が大変に少ないため、余計にそういった人たちに配慮し、お互いに尊重して話をしてほしい。
 
思想・宗教・政治の話っていうのはとてもおもしろいし、また感情的になりやすい話題でもあるんだ。
 
なぜかというと、思想・宗教・政治というのは、その人や家族、民族、歴史などの背景を背負っていたり、生き様が背景にあったりするんだよ。
 
これらの問題はとてもデリケートでプライベートな問題でもあるんだ。
 
そこに土足で入り込むような言動があると、自己否定されたような気がして、すぐに逆上したり悪感情を抱いたりすることが多いんだよ。
 
一般社会、特にお酒とか飲んでいる場では、思想・政治・宗教の話題がタブーになっているのは、そういう理由があるからなんだよ。


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いままでの「オグラオサムのタブーなお話し」

2007.7.13 第1回「ちょっとヘンだよ不登校業界」
2007.7.19 第2回「不登校・ひきこもりの凶悪事件 その1」
2007.7.30 第3回「不登校・ひきこもりの凶悪事件 その2」

2007年08月27日

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第8回「一石二鳥」

第8回 一石二鳥  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
2007.8.8 第7回「夏目氏とナンパ②」
 

ゲームあふるる国に生まれて 第5回「ハイ&ローの愉悦(その1)」

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第5回 ハイ&ローの愉悦(その1)
 
 前回がライトな部分の説明に終始してしまった感があるので、今回はマニアックな話を。
 皆様は「メダルゲーム」はプレイしたことがありますか?
 メダルを1000円で70~100枚ぐらい買ってプレイするゲームの総称です。
 
 最近はゲームセンターが大型化する傾向にあり、そうした店舗では収益率の高いメダルゲームがフロアーの大きな面積を占めることも多くなっています。中でも、メダルでメダルを手前に押しだす「プッシャーゲーム」は、ゲーム筐体自体が巨大化し、強力なアイキャッチとなっています。
 その究極がコナミが出している「グランドクロス」で、直径約6.4m、高さ約3.8mという巨大な筐体で、最大32人が同時に遊ぶことができます。面積にすると32平方メートル強ですから、10坪弱ですね。これは人が快適に住めるスペースです。
 
 まぁ、そうした見栄えがよいゲームは、ライトユーザーにはいいのかも知れませんが、しかしゲームとして私が好きなのは、ポーカーゲームです。
 さらに、メインのゲームよりも、当選メダルを2倍か0にするかのダブルアップゲーム、しかもその中の「ハイ&ロー」が一番面白いのです。
 
 トランプの「ハイ&ロー」という名前だけだったら、皆さんもご存じかも知れません。
 昔は「人生ゲームハイ&ロー」なんてテレビ番組がありましたし、皆さんが知っている年代だと、ドラクエのカジノのダブルアップゲームにハイ&ローが採用されていたこともありました。
 しかし、メダルゲームのハイ&ローはそれらとは全く違う「真のルール」が存在します。それを知って、はじめてハイ&ローを熱くプレイすることができるのです。
 基本的なルールは、皆さんご存じのものと同じで、最初に出たトランプよりも、次のカードの数字が大きいか小さいかを当てればいいのです。2が最少でAが最大です。
 
 では、メダルゲームで当選したとして、ハイ&ローをやってみます。
 最初のカードは絵札の「K」です。あなたは「ハイ」を選びますか? それとも「ロー」ですか?
 もちろん、皆さんここでは「ロー」を選ぶと思います。当たり前ですよね。「K」より大きなカードは「A」しかありまんが、小さなカードは「Q~2」までといくらでもあります。
 そして、あなたが「ロー」を選ぶのですが、出たカードは「A」でした。メダルは0になって、終了です。
 
 「なんだこりゃ、インチキじゃねーか!!」
 みなさんそう思うのか、ハイ&ローは人気がなく、最近のゲームには実装されていません。
 しかし、それはプレイヤーが正しいルールを知らないだけなのです。
 実際のルールは、「元のカードがなんであろうと、ハイロー共に出る確率は約48.5%」というものです。
 先程の例で言えば、「A」が出て負ける確率も、「2~Q」が出て勝つ確率も、共に約48.5%なのです。ちなみに残りの約3%は、同じ数字のカードが出て、ハイローどちらを押していたにせよ負ける確率です。
 約48.5%なら「A」が出ても決しておかしくないでしょ?
 
 しかし、そんなゲームが本当に面白いのでしょうか?
 メダルゲームのタブルアップゲームには「スタンダード」というものもあります。
 4枚のうち、最初に出たカードよりも大きいカードなら勝ち。というものです。
 この場合、勝つ確率はぴったり50%です。50%の確率でメダルが2倍になり、50%の確率でメダルが0になります。これは分かりやすいですね。
 しかし、ハイ&ローは、約48.5%の確率でメダルが2倍になり、約51.5%の確率でメダルが0になってしまいます。スタンダードと比べると、圧倒的に不利です。
 
 では、私はなんでそんな不利なゲームを「面白い」というのでしょうか?
 私は、単純に演出を面白がっているワケではありません。
 それどころか、ハイ&ローは、メダル獲得という点からみても、スタンダードより有利な点が多いのです。次回はそのあたりの話と、ハイ&ローの奥深さを紹介します。
 
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これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」
2007.8.3 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」
2007.8.28 第4回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)」

絶望男の逆襲 第7回「登校拒否」

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第7回 登校拒否
 
「不登校」という言葉、35年前にはなかった。「ひきこもり」「フリーター」「ニート」もここ10年間で生まれた言葉だ。10代~20代の人間としてもっとも“活き”のいい頃に俺は登校を拒否し、時おり、バイトをし(定職に1度も就けず)、うちにひきこもり、働かなかった。結果、他者との接点を持てなくなった。自分を成長させる技能を学べなかった。45年間1度も恋人を得ることができなかった。「不登校」等の言葉があったら、違っていただろうか。過ぎてしまった今では何とも言えない。だが、言葉だけではない。それらは社会的現象として取り上げられる。良し悪しはあるかもしれないが、注目され、一方的に否定(もしくは黙殺)されることはない。俺が若者だった時代は否定されるだけだった。
 
学校は嫌いでもなかった。勉強が嫌だった。同い年の子供たちと同じ机に向かい、同じ教科書を開き、ノートをにらむ。勉強などしていない。ふりだ。集団が同じことをしている。気色悪い。ふりも苦痛でしかなかった。小学時代はいじめにも顕著に遭った。まるで儀式のように彼らは俺をいじめる。
 
小学時代から貧乏をネタにいじめを受けた。服がいつも同じで汚かった。臭い匂いも漂わせていた。彼らは俺に奇異な視線を送り、仲間外れにした。2年の頃には校舎の2階の窓から逆さ吊りにされた。彼らだけではない。女の子に周りを囲まれ、服や容姿を徹底的にバカにされた。転校した初日、3年の頃だ。雑巾を投げつけられたこともある。中学3年の頃には同級生全員にシカトされた。
 
いじめなど取るに足らない。つらかったが、うちには暴力親父がいた。学校にも家にも居場所がなかった。
 
「中卒」という言葉を差別用語に加えてもいいと思う。この言葉を投げかけられるたびに傷ついた。好きで高校へ進学しなかったわけじゃない。進学させてくれなかったのだ。
 
おかげでろくな職に就けなかった。小中で勉強せず、高い成績を残せなかったことが後々の俺の人生に悪い影響を与えた。
 
高校へ行ける若者たちがうらやましかった。大学など俺の許容範囲を越えていた。学校は俺にとって、ある種の憧れだった。勉強もいじめも不快だったが、「ふつう」になれる。
 
時代は変わった。今の時代、高校や大学を出ても「ふつう」にはなれないらしい。
 
中卒の俺は生きることに窮屈さを感じながらも45年も生きている。学歴がどれほどのものなのだろうか。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.28 第6回「人間のクズ」
 

レンタル空手家日記 第6回「僕が「レン空手」をはじめるまで/その3」

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第6回 僕が「レン空手」をはじめるまで/その3
 
ども~。「レンタル空手家」です。
お盆はどうでしたか?
僕は人の少ない東京で、いつも通り過ごしてました。
 
東京・花小金井で行う「ほのぼの空手教室」3回目を行います~。
普段体を動かしてない人も、レッツ運動!
夢を見るには、きっと体力が必要なんだ!
終わったらワンクルの鍋にどんぞ!
 
詳しくはこちらのページをどんぞ!
参加希望の方はメールくらはいな!
 
 
では、「僕レン空」を。もう少し続きます。
 
 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 
 二〇〇一年、春。二十一歳 ―。
 
 「いつまで続くんだ、こんな毎日…」
 僕は、いつものように十二時間近くの薄く長い眠りから覚めると、かったるそうに布団から起き上がりました。
 カーテンの外は、これもいつもと同じように、夕刻過ぎでした。
 
 一年ほど前、二十歳になった僕は、親に頼んでワンルームでの一人暮らしをさせてもらっていました。
 家庭にいると、自分がいたたまれないようで、家族にも迷惑をかける気がしていたからでした。
 実際、家族はいつまでたっても勉強や将来のことにやる気を見せない僕にイラ立ち、ピリピリしていました。
 家を出た直後は、アルバイトをして自活して行くつもりでしたが、すぐに引きこもりに変わりました。
 毎月、親に仕送りをもらっていました。
  
 「腹減った…。」
 そう思っても冷蔵庫の中にはもう何も入っていませんでした。
 戸棚の奥に残っていた白砂糖も、昨夜食べ尽くしてしまったばかりでした。
 「買いに行くしかないか…。」
 外に出ると、またあの声と向き合わなくてはいけません。
 「いつまでこんな暮らしを続けているんだ?」
 
 深夜、人通りのなくなった頃、何日も着替えていない服にコートを羽織って、帽子を被り、外へ出ました。
 コンビニのATMで金を下ろす時は、苦痛の瞬間でした。
 「あんなに嫌な親から、どうして金をもらってまで生きているんだろう…。」
 それでも下ろし、100円ショップで食料を調達した帰り、ブックオフで古本を漁ります。
 少なくとも、買った本を読み尽くすまでは、現実に向かい合わないでいられる…。
 部屋の中は、古本や古マンガだらけでした。
 
 そんなある日、たまたま外に出かけている時、昔遊んでいた仲間から連絡が入りました。
 代々木駅のホームでした。
 彼女はほとんど泣いていました。
 「○さんが亡くなったよ。」
 
 友達が死んだと聞かされるのは、これで三人目でした。
 亡くなった彼女は、生きようとして色んな試みをやっていました。
 自傷行為の自助グループを立ち上げたり、自分の書いた詩を出版しようともしていました。
 手首を切ったり薬の多量服用はしていましたが、生きるために何が必要か、模索していました。
 死因は心停止による事故死でした。
 自傷行為や薬の過剰服用を繰り返すと、心肺機能が低下し、少量の薬でも心臓に大きな負担がかかって停止してしまうことがあります。
 彼女はその危険性を知っていたのですが、過剰服用をやめることは出来なかったのです。
 
 通夜と葬式に出ました。
 「ココロ系」の仲間は集まっていたのですが、彼女の地元の友達は一人として来ていませんでした。
 納骨の後、彼女の家族の無理をしたような笑顔に耐えられなくて、先に一人で帰りました。
 とてもよく晴れた日でした。
 
 何かしたいと思いました。
 憎かった。
 彼女をこんなふうに追い詰めた世界が憎かった。
 だが、それからも引きこもり続けました。
 
 <続く>
 
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いままでの「レンタル空手家日記」

2007.7.12 第1回「はじめまして、レンタル空手家です」
2007.7.20 第2回「僕が『レン空』をはじめるまで/その1」
2007.7.27 第3回「僕が「レン空」をはじめるまで/その2」
2007.7.30 第4回「ほのぼの空手教室をやってみて」
2007.8.8 第5回「劇団内、空手部~!」
 

投稿原稿  「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」

投稿原稿  「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―  藤山 隆(仮名)
 
僕は電車に乗って大きなレコード屋に行こうと思いました。その日は確か、運動会の予行練習の日だった。私服を着て、通学路ちょうど反対方向になる最寄り駅まで歩いていきました。学校にいかないことは決めていたので私服を着たまま親に見つからないように家を出ました。こっちに行けば学校、こっちに行けば駅という分岐する道があって、通学路と違う方に踏み出した時に、ちょっとこれは大きな一歩になるんじゃないかとわくわくしました。結果的にはあまりいい一歩とはならなかったのですが。とにかく駅まで20分くらいかけて歩きました。
 
でも、怖くて改札が通れない。田舎なので自動改札などなく人が切符を切っていたので、駅員の目が気になります。通報されるんじゃないかと心配になったのです。そこで一駅歩けば無人駅であることを思い出し、隣の駅まで歩くことにしました。隣の駅なんてこれまで利用したこともないし、どうやって行けばいいのかもわからなかったけど、だいたいの検討をつけて歩き出しました。
 
15分くらい線路を見失わないように道を歩いていると、迷わずに次の駅につくことができました。時計を見たのですが次の列車が来るまで20分くらいあります。田舎では普通のことなので、無人駅のベンチに腰掛けて列車を待っていました。その時に駅の横にパトカーが止まり、構内に警察官が入ってきました。無人駅なので改札などもなく、2人の警官がすっと入ってきて真っ直ぐに僕の所にやってきました。
 
僕はつかまってしまうんじゃないかと思って、逃げようとしたんですけど怖くて足が動きません。学校に行かないくらいで捕まるだなんて今考えたら、おかしいですけど14歳の僕はなぜかそう思ってしまいました。
 
警官は「昨日はこの駅を利用されましたか?」と聞いてきました。
 
僕は「いいえ」と答えると、「そうですよね」と一人ごち、向こうへ言ってしまいました。本当は「どうしてんですか」とたずねてみたかったのですが、何しろ、学校に行っていない中学生の身なので、おいそれとは話しかけられません。しかし昨日何か事件があったみたいで、警官の一人は誰かとトランシーバーで会話していました。
 
のんびりした警官の雰囲気から、そんなに大した事件じゃないんだろうなと思いました。面倒くさそうにひとしきり辺りを見回して警官たちは帰っていきました。また駅には誰もいなくて僕は一人ぼっちで椅子に座ったまま、ぼーっとしていました。
 
その日はよく晴れていて9月なのにまだ向日葵が咲いました。椅子に座っている僕は缶コーヒーを飲みのんびりした気持ちになりました。学校に行かないというのは、こんなにも心が安らぐことだったんだなと思いました。心が安らいだのは、もしかしたらぽかぽかした陽気のせいだったかもしれません。
 
その日だけのちょっとした息抜きのつもりでした。確かに女子にどうやら僕は嫌われているらしいことや、どうもクラスメイトに僕は下に見られているらしいことや、僕の友達はどうもクラスの中心にはいない人が多いことなど、気に入らないことはたくさんあったけど、いじめられてはいませんでした。それに、そんなに大それた不満でもなかった。
 
だから、まさかその後2年間、中学卒業まで学校に行けなくなるとはその日の僕は思ってもいませんでした。ただ、その日は晴れていて、それは気分のいいことでした。教室の中にいるなんてもったいないなとか、そんなことをちょっと自分で思いかけたんですけど、それよりも、とても心地のいいものだったということだけ印象に残っています。

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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」

プラスの力 第5回「「できること」と「すべきこと」(2)」

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第5回 「できること」と「すべきこと」(2)
 
 ある種の若者たちに対して、「別の生き方をすべきだ」と世間が責め立てるとしても、そもそもそのような生き方が「できない」のであれば、そういう生き方を「すべき」だとは言えない。
 人は「できること」の範囲内でしか「すべきこと」の責任を問われないのだ。その範囲については、議論の余地があるにせよ。
 というのが前回のお話だった。
 
 それにしても、他人の生き方を裁いたり、そのような裁きに対してムキになって反論したりすることは、本来、「いかに生きるべきか」を考えることとは別問題である。
 
 大切なのは、「お前はこのように生きるべきだ。その気になればできるはずだ」と他人の生き方に口出しすることではないし、「そんな生き方できないんだから仕方ない。できなかったんだから仕方ない」と下を向いて(あるいは開き直って)、弁明することでもない。
 
 僕たちは裁判官でも、弁護士でも、ましてや被告人でもないのだから、法廷の外に出ることは許されるはずである。他人のことではなく自分のこととして、過去ではなく未来のこととして、一人の行動者として、「できること」と「すべきこと」を考えてみよう。
 
 今の自分には何ができて、何ができないのか。それは自分の「やりたいこと」とどのように釣り合っているのか、いないのか。
 
 「やりたいこと」が「できること」の範囲の外にあるときには、二つの道がある。「やりたいこと」を諦めるか、「できること」の範囲を拡げていくか。
 
 まあ適当なところで折り合いをつけて諦めろ、などと大人ぶったことを言える立場に僕はいないので、そのような説教が必要なケースもあろうかとは思うが、ここでは「できること」の範囲を拡げていくという道のほうを考えてみたい。
 
 人は「できること」の範囲内でしか責任を問われない、と繰り返してきたが、これは裏を返せば、「できること」の範囲が広がれば責任も増えるということである。その増えた責任のなかで「すべきこと」をこなしていくにつれ、「できること」の範囲はますます広がるかもしれない。そして、それに応じて「すべきこと」はさらに増える。また、それをこなす。
 
 これは、社会というものが僕たちに与えてくれる、もっとも幸福なサイクルである。責任はいつも重苦しいわけではなく、喜びの源泉にもなりうるのだ。
 
 「できること」の範囲内で「すべきこと」をこなしていく、それによって「できること」の範囲を拡げていく。
 僕はそんな生き方をしていきたいのだが、果たして「できる」だろうかね。
 
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いままでの「プラスの力」

2007.7.13 第1回「初めまして」
2007.7.20 第2回「リアクションからアクションへ」
2007.7.27 第3回「世の中を変えるか、自分を変えるか」
2007.8.08 第4回「できること」と「すべきこと」(1)
 

絶望男の逆襲 第6回「人間のクズ」

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第6回 人間のクズ
 
何年だか忘れた。俺が17歳の頃だから、1978年だったと思う。8.26という数字だけは覚えている。プロレス夢のオールスター戦。8年ぶりに馬場と猪木がタッグを組み、ブッチャー、シン組と闘ったプロレス史に残る日だった。その夜、3分枠のニュース映像で試合の様子を見て、えらく興奮した。
 
翌朝、父方の親戚が突然やって来た。予告なしに。俺は当時、会社の寮の一人部屋を与えられていた。が、まったく働かず、ひきこもっていた。嫌な予感がした。同じ寮の家族部屋に連れて行かれた。
 
部屋には両親と親戚がずらりと鎮座していた。父の妹の鬼婆が勉強机に突っ伏す俺に怒鳴った。「なんで働かないんだ!この役立たず!」と抜かした。クソ暑さが鬼婆の神経を高ぶらせる。「勝美は甘えてるよ。これも文子さんの育て方のせいです」。口撃の矛先は母にも向かった。シラフの父は静かだった。俺は働かない理由を夜眠れない(事実)と言った。他にも何か話したら「弁舌爽やか」などとほざきやがった。鬼婆どもは俺の立場や事情を無視し「敏明が可哀想だね。一人働いてさ。立派だ」と弟を誉めた。そして沈黙する俺に「長男なのにだらしない。お前が家族を養う役目なんだ。わからないか。働かないお前は人間のクズだ」。“弁舌爽やか”は鬼婆どもの方だ。
 
午後まで続いた。翌日から仕事に出されることになった。奴らは工場長に俺を働かせるように話した。その夜、親父は酔っ払って、暴れ狂った。俺は一人部屋で眠れない夜を過ごした。
 
頭がボーッとしていた。朝の陽光がなまった身体を貫いた。木材加工の仕事は肉体労働。しんどい。奴らの陰謀で嫌々仕事に出た。
 
1週間経った。鬼婆から電話があった。母が受けた。その話を伝え聞いた。「やっぱり文子さんと勝美はろくでなしの役立たず」と言ったそうだ。奴らの要望どおり働いたのになぜ?わからない。俺は怒りに打ち震えた。
 
翌朝はドアの鍵をロックした。誰が来ても開けなかった。布団に潜り込んだ。再度、ひきこもりに入った。
 
8月になると、この日を思い出す。親戚のアホども(母方とも)とは父の死後、縁が切れた。
 
親父に対する殺したいほどの憎しみは奴の死で霧散した。奴はこの世にいない。だが、親戚のクソどもは皆殺しにしても何の罪悪感も感じないだろう。
 
親戚はどいつも金持ち。貧乏はうちだけだ。それは今も変わらない。格差社会は今に始まったことじゃない。
 
人間のクズと奴らは言った。社会から見れば俺は非生産的な役立たずだろう。だが、親戚どもは生産的なのだろうか。奴らを支えているものを見据えてみたい。そこに答えが見出せる。社会的概念という敵は奴らの後ろにいるのだ。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.08 第5回「絶望の根っこ」
 

ゲームあふるる国に生まれて 第4回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)」

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第4回 「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)
 
 前回の続き。「オンライン対戦」の話から。
 インターネットが普及するにつれ、インフラの信頼性も高いものとなり、ネットワークで接続されることを前提にしたゲームジャンルがうまれました。
 オンラインゲームというと、「ラグナロクオンライン」や「リネージュ」といった、MMO(Massively Multiplayer
Online/多人数同時参加型オンライン)RPGがよく知られています。
 MMOよりも対戦という要素が強いのは、FPS(First Person
Shooter/一人称シューティング)ですが、今回はアーケードゲームに話を絞るため、これらの話は割愛します。
 
 さて、アーケードで最初にネットの双方向性を十分に生かし、かつ商業的にも成功したのが、コナミの麻雀格闘倶楽部ではないでしょうか。
 4人集まらないとプレイできず、現実の雀荘ではギャンブルイメージが強すぎ、ゲームでは人間相手の駆け引きが楽しめない。
 そうした欠点をネットワークを利用することで克服し、いつでも気がるに一人で、他のプレイヤーと遊べる麻雀環境を提供しました。
 また、日本プロ麻雀連盟所属のプロ雀師が不定期に参戦するなど、麻雀人気の向上に寄与しています。
 
 さて、ようやく本題。
 麻雀格闘倶楽部でアーケードネットワーク対戦ゲームのノウハウを得たコナミが、次に送り出したのが、今回注目する「クイズマジックアカデミー」という、オンライン対戦クイズゲームです。
 それまでのクイズゲームは、4択問題を解いていくと徐々にストーリーが進んで、やがてエンディングに至る形式のものが大半でした。
 ゲームの難易度は問題の難易度にそのまま左右され、やたら簡単な問題が出たかと思えば、難しい問題が出てきてライフを減らされるなど、知識を競うというよりも、運に左右されるゲーム性でした。
 そして、さらに問題だったのは、「アメリカ横断ウルトラクイズ」や「アタック25」など、多くのクイズ番組が「他者との対戦」という形式であったにもかかわらず、クイズゲームは他のプレイヤーとの対戦要素がほとんどありませんでした。
 一人で(もしくは友人同士で)、ちまちまと問題を解いていくスタイルは、対戦格闘全盛期を過ぎ、大型筐体化やグラフィック性能の向上で派手な演出ができるようになっていった時代に、いささか地味過ぎるものでした。90年前後には「カプコンワールド」や「子育てクイズ
マイエンジェル」といったヒット作も出ましたが、やがて廃れていきました。
 
 しかし、クイズには潜在的な需要があります。
 友達と知識を比べ、勝つことの優越感は、テクニックやゲーム感ばかりが先に立つ対戦格闘やカーレースといった類の対戦ゲームでは得られないものです。
 そこに光を与えたのが、クイズゲームのオンライン化です。
 オンライン化は、ひとりで地味にプレイするクイズゲームを、最大16人という大人数での対戦ゲームに進化させました。
 対戦格闘ゲームでは、その店に多くのプレイヤーがいなければ、多様な対戦を楽しむことはできませんが、全国規模のオンラインゲームならば、全国各地のプレイヤーの中から16人募って、みんなでプレイすることができるのです。
 そして、問題の難易度も、例え非常に簡単なもの(「問題:1+1=?」)であったとしても、回答スピード差で点数が変動するシステムですから、簡単な問題を素早く解くなど、素早いひらめきが重要になり、単純に運だけで勝ち負けが決まることは、かなり減りました。
 クイズマジックアカデミーは、買って楽しく、負けて悔しいクイズ番組の興奮を、そのままゲームに持ち込むことに成功してます。
 
 技術的な点については、クイズでは問題を作った時には正しかった問題が、後になって正しく無くなるような場合(総理大臣が変わるなど)も、オンラインであれば簡単に問題を修正することができます。
 また、対戦格闘のように「フレーム単位(1コマ単位)」で相手に対応しなければならないゲームではないので、ネット特有の通信遅延も、ある程度までなら吸収することが可能です。
 
 このように、ひとり、もしくは仲間同士で協力プレイするのが基本だったクイズゲームが、大勢の人数でシノギを削りながら勝負できるようになったのは、まさにオンライン化の力です。
 「クイズマジックアカデミー」は、オンライン化によって、ゲーム性そのものを大きく変化させた好例といっていいでしょう。
 
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これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」
2007.8.3 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」

貧困襲来! 第4回「労働と福祉の連携」

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第4回 労働と福祉の連携
 
最近、労働組合経由の相談が何件かあった。
今週は、首都圏青年ユニオンの組合員の人が生活保護申請をするのを、同行して手伝った。
また、フリーター全般労組の人がつないでくれた人もいる。
そういえば、労働組合ではないが、こちらでもおなじみの雨宮処凛さんから聞いて連絡してきた、という人もいた。
 
去年から私は、労働問題や多重債務問題の背景には、一定の確率で〈貧困〉の問題が潜んでいるといったことを主張してきた。
そしてその延長線上で、いろんな分野の人と共同で〈貧困〉の問題に取組む「反貧困ネットワーク」を作った。
その過程で、今まで出会う機会のなかった労働分野の人や多重債務分野の人と、顔の見える関係ができてきた。
「顔の見える」というのは、大切な安心感だ。「そういう活動がある」ということを情報として知っていても、それだけではなかなか安心して紹介できるものではない。
「あの人がやってる」というのが見えてきて、ようやく「こういうところがあるから相談してみる?」と人に紹介することができる。
自分もその分野のことを学んでみようか、と勉強する気にもなる。
今週は、首都圏青年ユニオンの団体交渉を見学し、派遣ユニオンの人たちと会合を持った。
どこでも、尊敬すべき人たちが、真摯に活動している姿が見えてきて、それがさらに安心感につながっていく。
 
連携とか、ネットワークというのは、結局そういうことなんだろう。
 
先月は、北九州で生活保護を打ち切られた後に餓死した人の事件があった直後、あるブログの運営者から、「うちにこんな相談がきている」と北九州市の人の件で相談があった。
さっそく北九州現地に連絡したところ、法律家の人たちが即座に動いてくれて、連絡のあったその日に家庭訪問と生活保護申請が実現した。
昨日、北九州から「無事に生活保護が開始された」という連絡を受けた。
今月末には、北九州でご本人ともお会いする予定だ。
 
そうやって、一つ一つの連携を積み重ねることが、お互いの信頼感を高め、政治や社会に対する怒りを共有させていく。
それが、私たちの「力」となる。
  
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いままでの「貧困襲来」

2007.7.17 第1回「このままでは本当に殺される」
2007.7.24 第2回「日雇い派遣は貧困ビジネス」
2007.7.30 第3回「ピエロの一票。一発食らわすつもりで」

いきすべき批評 第4回「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(後半)」

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第4回 弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(後半)」
 
 内藤氏はたぶん、痛々しく神経過敏で、とてもよわよわとした人なのだと思う。自分の弱さに気付くことさえ出来なくなってしまったほどに。ただ、やはり、「弱いから何をしても許される」ことにはならない。
 
 繰り返すと、一つの暴力(例えばいじめ被害)に苦しんだ人間が、なぜ別の他人に全く同じ暴力(いじめ加害)を振るい、しかもその相手に当のレッテル(お前こそがいじめっ子なんだ)を貼り付けてしまうのか――のみならず、これらの折り重なる自己目隠しに、なぜ、本人が永久に気付けないのか。わかるような気はする。そういうものだ。犠牲の転移だ。弱い者がより弱い人を叩くんだ。そういうふうに一般化してしまえばそうとしか言いようがないのだが、もう一度立ち止まってよくよく見つめてみると、やはりよくはわからないなと思えてくる。どうしてこんなことになっていくんだろう。あんまりじゃないか。
 
 生きづらいというより、「生」自体から見捨てられたような正真正銘の弱者であり、しかもそれゆえに「弱者」の自己絶対化や弱者競争に陥ることを強く拒もうとさえする人々が、なぜ、自己矛盾的な暴力に自らくいつぶされてしまうのか。その蟻地獄のような人生から何年たっても一歩もぬけられないのか。矛盾の輪は伊藤潤二『うずまき』のように、あちこちに感染し転移し、人々を渦巻の地獄へと巻き込む。くだらなくない人間がいるなんて絶対にゆるさない、とでもいうように(『呪怨』『叫』)。
 
 やっぱり、よくわからない。濁りきった悪さにおいてかなしいものがある。それぞれにある。だが哀しさ、よわよわしさ、あわれっぽさを感じるとのべて通り過ぎるわけにゆかないものがある。それらに対処するには、迎撃・沈黙・慈しみ、どれがふさわしいのかも、決められない。けれども、この数年、私自身のだめさをふくめて、自分の足元を鶴嘴で掘り進めたあげく、行き当たった岩盤(足場)のありかを今、一つだけ再確認するなら、それは「かつて悲惨な被害にあった当事者が、それを理由に、別の人間に何をしてもいい、傷ついた人間が直接間接に他人を傷つけて構わない、とは言えない」、という単純な事実であるらしい。私は自分が何かの被害者であると言いたいのではない。現実の複雑さの中では、被害と加害の意味もまた、重層的に決まっていくからだ――だがその重層性の認識(自分は純粋被害者ではない、別の局面ではいやおうなく加害の構造に加担している、しかしそれを認めることが、自分の部分的な「被害」を否定することにはならない)をほんとうに自分の内臓に焼き付けるには、なまなかでない傷と痛みの経験をくぐる以外なさそうだ。
 
 きみは卑小でささいな事柄にこだわりすぎている、と言われるかもしれない。例えば弱者が仕方なくふるう暴力よりももっと巨大な悪や暴力がこの世にはある、そちらをどうにかすることのほうを優先すべきではないのか、云々。しかし、この手の言い方は、いつも肝心の何かを取り逃している。弱さを弱さとして認めようとしないから。むしろ「弱さをめぐる抗争」をなかったことにすることが、長い目でみれば事態を一層悪化させ、あらゆる抗争をなし崩しにしていくように私は思う。
 
 この短いエッセイを書くことは私をいたく消耗させた。ずいぶん時間も費やした。ただ、おぼろげに見えていたものをつかまえなおし、腑に落とせた感じはじゃっかん、ある。
 
 私はもう弱者暴力との闘争も辞さない、という意味だ――正確に言えば、自分の弱さを認められない(内藤氏で言えば、極端な被害者意識・自己卑下と、それゆえの誇大な自己顕示欲)。弱さが時に他人を傷つける武器になる事実を分かろうとしない。自分の弱さと弱者暴力を認められず、それらを否認するから、かえって不安になって、他人へとめどもつきない暴力の泥を塗りたくっていく(内藤氏に組しない他人を強引に「いじめっ子」「加害者」と決めつけ、告発していく)。――そういう弱者暴力との卑近な闘争。
 
 微小な違いだが、「弱者暴力との抗争」と「弱者との闘争」(アドルフ・ヒトラー)は違っている。決定的なのは、全ての追い詰められた弱者が必ず弱者暴力を振るうとは限らない、という単純だが圧倒的な事実だ。しかし、「弱者暴力との抗争」を「弱者との闘争」から分離しうる基盤は何だろう。戦いがたんなる戦いのための戦い、殺し合いの螺旋ではなく、弱者暴力を振るうその他者――弱者ゆえに最大の敵――をあるやり方で愛するからこその戦いであること。その愛自体が「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる」(『マタイの福音書』)というタイプの、わかりにくい愛、殺意をもふくむ愛であること。言葉の一粒ひとつぶが愛の雪片でしんしんとぬれてあること。馬鹿馬鹿しいことを述べているだけかもしれない。何を今さら、と嘲笑されるかもしれない。でも、私はこれらのことを、誤解なく伝えられるとも思っていない。「だいいち、誤解されない、ねじまげられない、あくどく喰ってかかられないような大切なことなぞいくらもありはしないのだ。ただ、それほど大切でないことは誤解されることを用心しなければならない」(中野重治「素撲ということ」)。そこから何が見えるのか、見せられていくのか――私自身を含めて、誰が加害者/被害者/弱者なのか、自分たちが今どんな「議論の場」でこの泥のような議論を続けているのか、土と泥を分けられるのか、それ自体が自明ではなく、討論的=論争的に決められていく以外ないのだ。
 
 私が内藤氏のよわよわしさを愛する、少なくとも愛しうるとは、どういうことか。このエッセイで書いたことを実践するためにも、肯定の言葉をいつか書き記せたら、と思う。
 
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いままでの「いきすべき批評」

2007.7.17 第1回「息するあいだ、希望はある」
2007.7.25 第2回「ちびしすぎる、なにも…かも!!――いましろたかし『デメキング』」
2007.8.27 第3回「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(前半)」

いきすべき批評 第3回「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(前半)」

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第3回 弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(前半)
 
 いじめ研究者の内藤朝雄氏が「パワハラネット」(http://www.pawahara.net/index.html)を立ち上げているのを知って、脱力してしまった。
 
 内藤氏はかつて、杉田が稲葉振一郎氏の『「資本」論』を批判するエントリーをブログで書いた時(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050923)、ご自分のブログで杉田の批判(というより、杉田の文意を一切読まない難癖)を行い(http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20051112)、トラックバックを付け、かつ杉田のブログに同種の書き込みをした。その内容があまりにひどかったから、杉田は内藤氏に逐語的な反論を書いた(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050923コメント欄)。すると内藤氏は、それには一切答えず、稲葉氏のブログで「この件では論陣をはる必要を感じています」(http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/books/books.htm)と、稲葉氏その他に共同戦線を張って杉田を叩くよう、持ちかけた(お気の毒ながら、当然、憫笑的にスルーされてしまったみたいですけど)。その後2年近くが経過したが、内藤氏が杉田の批判に正面から答えた形跡は、今もない。
 
 さらに、最初の論争から1年以上が過ぎてから、或る杉田のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070119/p1)に関して複数のブロガーが批判的意見を交している場所(http://d.hatena.ne.jp/demian/20070128)で、内藤氏は、またもや唐突に割り込んで《大衆崇拝と妬みとやつあたり。自分が勝手に「恵まれている」イメージを投影した他人に対する、「恵まれたおまえの存在は恵まれないおれ=大衆の苦しみのなかで、距離ゼロの地点で共軛的に、左翼思想で武装したおれのいてもたってもいられぬ「いま・ここ」の気持ちに立ち現れる、関係の絶対性だ→「だから」おまえは滅びるべきだ。おまえを壊してやる、喉ぶえを掻き切ってやる」という血走った叫び。聖なる大衆の受苦状態をこの身にどれだけ刻印しているかの深さの差異をめぐる、仲間内のつつきあいで、めでたく自滅》(同コメント欄)……云々、とかなり「血走った叫び」を書いた。かつて稲葉氏らに「この件では論陣をはる必要を感じています」と扇動を試みたように、この時も「右でも左でもないリベラリストの独立勢力に、こういう人間類型を入れないことが大切だと思います」と、堂々と煽って恥じなかった。
 
 自分のメガネに適わない「人間類型」を最初から切り捨てた上での「リベラル」って、何だろう。と、そういうことを考える前に、内藤氏の上記のやり口は、人としてまっとうなんだろうか。内藤氏のふるまいこそ、世間的にはパワハラとよばれるものなんじゃないか。そもそも最初に内藤氏が「論陣を張ろう」と集団リンチをもちかけた時、杉田は全くの無名人で、内藤氏は地位も名誉もある大学教員だったのだから――もちろん議論=論争に身分や地位なんて何の関係もないのだけれど。内藤氏には、自分の言動の矛盾についての自覚が全くない。一対一では相手に面と向って反論できず、集団を扇動して執拗に他人を潰そうとする。そういう人物が、いじめ研究とかリベラルとか、まして人様のパワハラ相談(!)をしているのだから、皮肉ではなく、世の中は謎めいている。What A Wonderful World!
 
 リベラルな人間同士の対等な対話を尊重するんだ、と叫びながら、気にくわない他人に「お前はリベラルじゃない!(狂人?左翼?)」とレッテルを貼って、独断的に排除していく。そういう人は自称リベラリストにうようよといて、その哀れな末路は今も昔も「めでたく自滅」しかありえない――内藤氏自身が仰っているように。
 
 しかし、内藤氏のような「大学知識人」の心底情けないパワハラに限られない。私は次のタイプの奇妙な矛盾を、ここ2年ほど、いやというほど味わわされてきた(具体的な迎撃=批評は、別の形で、本名を名指して、ちゃんと書く)――ひきこもり者の被害者意識の絶対化を紳士面で批判しつつ、誰よりも屈折した被害者意識を無意識に撒き散らして、周りの人や高齢の親を(金銭的にも)どこまでも疲弊させていく人。自分はストーカー被害者だと公言し、被害者の会の発足まで訴えながら、自分こそがネットや2ちゃんで他人の個人情報を無断でばらまき、ねちねちとストーカーまがいを繰り返す人。自分は集団ストーカーの被害者だと訴えつつ、あらゆる他人に対して、「あなたもストーカーでしょ?」と関係妄想的な難癖を続ける人……。
 
 偶然の一致では片付かない。これらの奇妙な自己矛盾が、なぜ、至るところで、草の根的に繁茂していくのか?
 
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いままでの「いきすべき批評」

2007.7.17 第1回「息するあいだ、希望はある」
2007.7.25 第2回「ちびしすぎる、なにも…かも!!――いましろたかし『デメキング』」

名前はまだ無い 第4回「「ひきこもり」原因論・雑感(2)」

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名前はまだ無い 第4回「ひきこもり」原因論・雑感(2)
 
前回は、これまで「ひきこもり」の原因を追求することは、
多くの治療・援助論において、また臨床現場においても
避けられているということを書きました。
 
そして私も、原因を一般化し類型化するような議論は、
これまで一度もしてきませんでした。
自分のことに限って言えば、
原因を外側から特定することに抵抗があったからです。
しかし、これまでのインタビューで私は毎回、
その人なりの原因についての考えは聞いてきたわけです。
それはなぜか。
 
ということで、つづき。
 
当事者とされる人たちが自身の経験を振り返り、
“なぜ自分はひきこもったのか”を整理することは重要だと、私は考えています。
というのも、そうした作業は彼/女らが現在の自分に折り合いをつけ、
受け容れていく助けになると思うからです。
(もちろん“何でひきこもったのかよく分からないけど、
現にひきこもっちゃったんだからさー”という折り合い方もあり得ますが)
 
前回引用した斎藤さんの見解というのは、
ひきこもった当初の原因もしくはキッカケを特定できたとしても、
ひきこもった時点に戻って人生をやり直すことはできない、
という意味では正しいかもしれません。
でも、今までの人生と折り合いをつけ、この先やっていくためには、
“当人から見た/当人にとっての”原因というのは、
やっぱり大事なのではないでしょうか。
 
そして、それは当事者とされる人たちの経験を理解するためにも、
すごく大事なことだと思っています。
(“なぜ?”“どうして”という問いかけは、
ときに当事者にとって暴力性を帯びるという議論もありますが、
これは、また、何とも、一筋縄ではいかない問題で、うーーん……)
 
私が長いこと「ひきこもり」に関わり続けてきた大きな理由は、
当事者とされる人たちの経験を理解したかったというところにあります。
(じゃあ何で“理解すること”にこだわってきたのかということは、
また別の機会にお話できればと思います)
そして、支援やら援助やらを行なっていく上でも、やはり理解は欠かせないでしょう。
そのためには、“当人にとっての”原因を外してはいけないと思うのです。
 
いずれにせよ原因について語るときには、
それが“誰から見た/誰にとっての”原因なのかという、
視点の問題が重要なのではないか、というのがひとまずのオチです。
すごく単純なことなのですが、意外にこのことが整理されていないために、
「ひきこもり」の原因論は一様に敬遠されがちになっているような気がします。
  
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いままでの「名前はまだ無い」

2007.7.18 第1回「にがてなもの」
2007.7.27 第2回「身もフタもない」
2007.8.3 第3回「「ひきこもり」原因論・雑感(1)」

2007年08月08日

Style3 第2回「「働く男」は「働きマン」なのか?」

第2回 「働く男」は「働きマン」なのか? 鈴木泉生
※この連載はPOSSEの今野晴貴さんと鈴木泉生さんが担当しています。
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POSSEのイベントで使うため、仕事や労働について歌っているポピュラーな音楽を探していたある日のこと。
 
J-POPってほんと恋愛しか歌わねえよな~とぼやいていたときだった。突然、PUFFYの「働く男」というナイスなアイディアが脳裏をよぎった。
 
週刊『モーニング』で(たまに)連載中の漫画、『働きマン』が昨年アニメ化されたときに、オープニング曲として使われていたあの歌だ。ちなみに、PUFFYをプロデュースしている奥田民生が在籍していたバンド、ユニコーンの名曲のカバーでもある。毎日毎日仕事に忙殺される、男性会社員の孤独感を凝縮した情けなくも切ない一品だ。PUFFYのカバーも女性ボーカルなだけで、歌詞は変わっていない。
 
しかし。私はこの時点で、ある重大な問題に気がついていた。『働きマン』は女性の雑誌編集者を主人公に、編集長になる夢のために、彼女が寝食も恋愛も忘れて(もちろんそこには葛藤があるわけだが)、一生懸命働く姿を魅力的に描き、働く若者の幅広い共感を得ている。かたやユニコーンはといえば、80年代後半~90年代初頭の「会社人間」がもてはやされた時代に活躍しながらも、転勤の不満をぶちまけた『大迷惑』を始め、労働者の悲哀を歌っていることが多い。『働く男』もまた例外ではない。
 
「仕事するのがイヤだ」なんて歌が、「働きマン」の主題歌っておかしくないか?
 
いや、おかしくない。かつて日本型の正社員の雇用形態は、終身雇用・年功序列をかかげ、生活の安定と引き替えに、会社に忠誠を誓って従属的に働くことが当然とされた。突然の転勤もサービス残業もパワハラも甘んじて受けなければならなかったが、「正社員だから当然」とされてきたのだ。しかも、女性は男性の妻としてしか生活が保障されてこなかった。
 
しかし、グローバル化と共に、企業の競争力を向上させるため、非正規雇用が増員され、企業による労働者への福祉的な側面はどんどん切り崩されてきている。そのため、物質的保障のない企業への忠誠心なんかもはや過去の遺物でしかないのだ。一方で、労働環境は良くなるばかりか、より不安定化するばかり。企業としては、しっかり労働者を働かせる必要がある。そんななか、会社に黙々と従属するスタイルは時代遅れとされ、「働きマン」のように自分のやりたい「シゴト」そのものにアイデンティファイし、「やりがい」を感じるなかで、自己実現を果たし、きつい労働を我慢するというスタイルがもてはやされるようになってきた。
 
だから、いずれの「働く男」も「働きマン」も、「会社人間」的な働き方への否定であり、矛盾はないのだ。ユニコーンはそれを自嘲的かつコミカルに歌い飛ばし、「働きマン」は旧来のスタイルに対置して「シゴトへのやりがい」という新しいスタイルを提示したというわけだ。
 
もちろん、自分のやりたい「シゴト」ができるということは理想的な働き方のひとつではある。しかし、それを逆手に労働条件の劣悪さを認めさせてしまっているのが現実だ。好きな「シゴト」であり、かつ安心して働ける、そんな働き方こそ実現させる必要があると思う。
 
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いままでの「Style3」

2007.8.8 第1回「年功制でも不安定でもなく」 今野晴貴
 

Style3 第1回「年功制でも不安定でもなく」

第1回 年功制でも不安定でもなく 今野晴貴
※この連載はPOSSEの今野晴貴さんと鈴木泉生さんが担当しています。
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この2年間を振り返ってみると、とても早かった。「格差」問題が世間をにぎわすようになってから、あっというまの月日だった。
 
最初は「フリーターは自己責任」、「若者がおかしくなった」などという話ばかりだったが、その後「格差」から「貧困」の問題へ。そして餓死者やネットカフェ難民の「登場」によって、今の政治を問題視する流れが一気にやってきた感がある。
 
私がこんなことを感慨深く思うのは、先日公示された参院選のマニュフェストを眺めていてだ。
 
自民党から共産党まで、どの党も「格差」や「雇用」の問題を取り上げている。その議論も、格差ブームの当初行われていたような議論とは明らかに質を変えているのだ。
 
自民党は相変わらず「一人ひとりの働き方に応じた公正な処遇を実現する」なんていう曖昧なことをいっているだけだが、民主党は「パート、契約社員を正社員と均等待遇にします」とかなり踏み込んだことをいっている。
 
民主党でさえ「均等待遇」を口にした意義は大きい。
 
日本で貧困が生じている原因は、まさにこの「均等待遇」が確立していないからなのだ。
 
日本には昔から「貧困」な人たちがいた。非正規雇用で自らの生活を養う人たちだ。典型的には「シングル・マザー」である。こうした人たちは社会の「例外」とされ、特別な福祉の対象となるかどうかが問題となってきたのだ。
 
ところがこんにち、非正規雇用で生計を立てる人たちが爆発的に増加している。そこではじめて「貧困」が問題になり始めている。
 
「貧困」はもともと日本では「古くからある」問題の拡大なのだ。この日本の構造的貧困を解消するには、非正規労働者への差別をまずはなくさなければならない。今、やっとそこまで議論が進みつつあるのだ。もちろん今回の各党のマニュフェストにはまだまだ問題点が山ほどある。それについては、折に触れて指摘していくつもりだ。
 
だが、この2年間で、日本で何十年も放置され続けた問題がついに社会問題のメインテーマになった。このことを感慨深く思わずにはいわれない。
 
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プラスの力 第4回「「できること」と「すべきこと」(1)」

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第4回 「できること」と「すべきこと」(1)
 
 ひとは「できること」の範囲内でしか責任を問われない。これが道徳哲学の一般的な見解である。
 
 例えば、いま目の前に、溺れている子供がいて、川に飛び込めば助けることができそうな状況だ。
 あなたが見て見ぬ振りをして通り過ぎたことがバレてしまえば、あなたはその子の溺死について責任を問われるかもしれない。
 「どうして、うちの子を助けてくれなかったんですか!」と。
 
 しかし、あなたがもしカナヅチだったら?
 川に飛び込んだって助けることはできなかったのだ。助けを呼びに行ったけど間に合わなかった。この場合、あなたはこんなふうに責められるだろうか?
 「どうして、あなたは泳げなかったんですか!」と。
 
 だが、「できないこと」について「すべき」とは言えない。
 泳げないのだから、川に飛び込まなくてもよかったのだ。
 
 それでも人はこう言って、あなたを責めるかもしれない。
 「ちゃんと泳ぐ練習をして、大人になる前にカナヅチを克服しておけば、こんなことにはならなかった」と。
 川に飛び込んで泳ぐことは「できなかった」としても、子供の頃に泳ぐ練習をしておくことは「できた」はずだ。あなたは「できる」はずのことを、しなかった。そう言われるかもしれない。
 
 そろそろ本題に移って、例を変えようか。おなじみの話題に。つまり…
 
 ニートの人たちは、本当は働くことが「できる」のに働かないのか。それとも、そもそも働くことが「できない」のだから「働くべき」とは言えないのか。
 
 フリーターの人たちは、本当は正社員になることが「できる」のに、そうしないのか。それとも、今日の厳しい雇用状況のせいで、そもそも正社員になることが「できない」のか。
 
 あるいは本当に、安定した職業に就くことが「できない」のかもしれない。しかしそれは、いい歳になるまで、学歴も技能も職歴も積み重ねてこなかった人の「自己責任」なのであって、今までの人生でもっと努力しておくことは「できた」はずであり、そう「すべき」であったのに、そうしなかったのが悪い。
 
 これに対して反論がなされる。経済的に恵まれない家庭に生まれた人は、学歴を得るために努力することさえ、「できないこと」であったのだ、と。
 どちらが正しいだろうか。
 
 これらの中からどの立場を採るかは、どこまでが「できること」であったのかという範囲の確定に関わっていて、それに応じて、「自己責任」にしたり、国家や社会の責任にしたりしながら、人々は論争している。
 
 こういった議論がとても重要なものであることは承知しているけれども、僕は経済や社会の専門家ではないので、本当のところはよく分からない(っていうか「ニートも色々、フリーターも色々」だろう)。
 
 そこで次回は、もう少し違った視点から、ぼくたちが「できること」と「すべきこと」を考えてみようと思う。
 
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いままでの「プラスの力」

2007.7.13 第1回「初めまして」
2007.7.20 第2回「リアクションからアクションへ」
2007.727 第3回「世の中を変えるか、自分を変えるか」
 

共産主義、入門中 第4回「仮病で何が悪い」

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第4回 仮病で何が悪い
 
 朝青龍という力士がいじめにあっているようだ。
 
 ネットでちょっと検索しただけなんだけど、どうもこういうことらしい。横綱は、疲労骨折を理由に巡業を休場することにしてモンゴルに帰国した。その母国でサッカーを楽しむ様子が日本のテレビで報じられて、「仮病」ではないかという疑いがかけられる。結果として、相撲協会は朝青龍に二場所出場停止、「謹慎」、減給などの処分を下した……。
 
 たとえば、友人が骨折したという話を聞いたとしよう。心配だ。早くよくなればいいと願う。その友人が元気にスポーツをしているのを見たら、どう思うだろうか?
 
 なんだ、こんなにピンピンしてるじゃんか。まったく、心配させやがって。よかったよかった――まずは、こんな安堵や喜びといった感情が湧いてくるのが自然じゃないだろうか? それか、もうしばらくは安静にしてた方がいいじゃないの、と不安になるかもしれない。
 
 ところが、横綱を非難している人々はそうは考えない。まるで、傷が深いことを望んでるみたいだ。彼らの心配事は、朝青龍の体ではない。それよりも、自分が騙されてるかもしれないということの方が大事なんだ。マスコミの人々は、元気そうな朝青龍を見て喜ぶのではなく、「裏切られた」という怒りの感情を煽っている。
 
 横綱の「疲労骨折」などが「仮病」なのかどうか、僕にはわからない。ただ、病気や障害というのは外から簡単に観察できないこともあるし、ちょっとスポーツができるからといって健康であるとは限らない、ってくらいのことはわかる。だから、マスコミが何を根拠に「仮病疑惑」なんて言っているのか謎だ。
 
 でもそんなことより、もし仮病だったとしたら、それがどうしたっていうんだろう。
 
 ああ、明日から仕事だ。行きたくないなあ。もう学校はイヤだ。ここではないどっかに行きたい――僕はこんなふうに思うことがこれまでに何度もあった。だから、何らかの理由で、あるいは理由もなく、次の巡業は休みたいと仮に横綱が思ったとしても、別に不思議なことだとは感じない。
 
 僕は、インフルエンザで高熱が出たときは働きたくなかった。でも、体はピンピンしてようが、仕事に行きたくない日もあった。疲労骨折で体が痛いのだったら相撲のようなハードな運動は避けるべきだ。けれど、体に問題はなくても、休みたくなることだってあるだろうと思う。
 
 もし朝青龍の疲労骨折が「仮病」なんだとしても、問題は相撲協会やマスコミや世間が「騙された」とかってことなんかじゃない。仕事を休むのに「病気」にならなきゃならなかったってことの方こそが問題なんだ。何か「理由」がないと休めないなんて、そっちの方がどうかしてる。
 
 「仮病」がこんな大問題になってしまう社会では、理由なくただ休むということは難しいだろう。そしてだからこそ、人は「病気」にならざるをえないことだってあるかもしれない。仮病を許さない社会が仮病を生み出している。逆に、仮病の疑いがあろうが詮索したりバッシングしたりしないような社会なら、そもそも仮病になる必要もないだろう。
 
 朝青龍を非難している人々に言いたいのは、これはあなたや僕自身の問題なのだということだ。朝青龍を叩けばウップンが晴れるかもしれない。けど、そうするときに我々が使っている武器は石でも矢でもなく、ブーメランである。ここで横綱をイケニエにしてしまったら、僕らは自分自身の自由を売り渡すことになる。
 
 朝青龍のケガが「仮病」かどうかなんてことを問題にしてしまったら、次に休みたくなったとき、逃げ出したくなったとき、僕らは世間様に申しわけの立つ「理由」を探さなければならなくなるだろう。僕らは「病気」になるかもしれない。そして世間様の納得するような「病人」らしい病人であり続けることに失敗して、石を投げられることになるかもしれない。
 
 朝青龍の疲労骨折が深刻なものであったにせよ、「仮病」だったのにせよ、彼がサッカーをする様子がテレビで流れなければこんな「問題」にはならなかっただろう。YouTubeやニコニコ動画でこの映像を見た。横綱、なんて楽しそうなんだ。なんて生き生きしてるんだ。この姿を見てなんで素直に微笑むことができないんだろうか? なんで鬼の首でも取ったかのように叩かなきゃならないんだろう。
 
 それから10日ほどした現在、非難を浴びてきた朝青龍は「抑うつ状態」なのだそうだ。これもまた「仮病」だとか言い出す人がいるかもしれない。
 
 必死になって足を引っ張り合い、生きることをつまらなくしようとしている。自由を貶めている。これが今の僕らの姿だ。
 

 

 
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いままでの「共産主義、入門中」

2007.7.13 第1回「宝くじと教育の不平等」
2007.7.23 第2回「努力が報われる社会」にNO!
2007.7.30 第3回「「第三の道」はいらない」
 

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第7回「夏目氏とナンパ②」

第7回 夏目氏とナンパ②  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
 

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第6回「夏目氏とナンパ①」

第6回 夏目氏とナンパ①  作:くまき由佳
 
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2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
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2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
 

レンタル空手家日記 第5回「劇団内、空手部~!」

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第5回 劇団内、空手部~!
 
こんにちは、レンタル空手家です!
夏バテしてませんか??
適度な運動と、ご飯をよく食べましょう!
 
間が空いてしまいましたが
日曜日に、北区のほうで、以前に呼んでいただいた劇団の方たちとお稽古してきました~。
 
今回は2回目で、以前よりも人数が増えていて(8名)光栄です!
 
リクエストはなんと、2時間!
時間が長いのでキツクなるだろうことを予告させていただきました☆
 
最初の1時間は、空手の動きを身につけていただくため
基礎、移動稽古をびっちり!
はっきりいって、一般の基礎&移動よりもみっちりやりました。
 
基礎と移動は、とにかく身体を空手の動きになじませるためのものだと思っています。
劇団の稽古の一環ということを意識して
腰から動くことを重点にとにかく色んな突き、蹴りをしてもらいました。
 
しかし、基本ってのは、一番キツイですね…集中力的に…指導するほうも~
 
後半一時間は、比較的、集中力のいらない「実戦的」なことを。
突き、前蹴りの受け、返し
突き前蹴りのみのマススパー
あと、巨椋先生に教えてもらった
平手打ちでの突きだけのスパー(?)をやってもらいました。
これはけっこう楽しそうでした~
さすが、先生!
あと、簡単な制圧。
 
最後の15分くらいでミットを使った蹴りをやってもらいました。
ローテーションでミットを持ち合って色んな蹴りをやってもらったのですが
最後までみなさん頑張っていただきました~。
 
やはり、実際に相手をつけたり、ミットを使ったりするほうが
盛り上がることは盛り上がるのですが
「劇団」ということで、基礎の動きは大事にしていきたいと思います。
でもみなさんさすが、腰がよくまわってたな~。
 
帰りには、少しですが、みなさんと言葉を交わすことができてうれしかったです。
もっと仲良くなって楽しくやっていきたいと思いました!
 
またね~☆
 
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

「ほのぼの空手教室」2回目やります!
■8月11日(土)18:00~
■西武新宿線・花小金井駅/芝久保地区会館・体育室
■花小金井駅改札に17:30集合

くわしくはこちらを見てください~
 
参加希望の方はホームページのほうからメールくださいな。
お待ちしてます~
 
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いままでの「レンタル空手家日記」

2007.7.12 第1回「はじめまして、レンタル空手家です」
2007.7.20 第2回「僕が『レン空』をはじめるまで/その1」
2007.7.27 第3回「僕が「レン空」をはじめるまで/その2」
2007.7.30 第4回「ほのぼの空手教室をやってみて」
 

絶望男の逆襲 第5回「絶望の根っこ」

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第5回 絶望の根っこ
 
このブログは文章を携帯のメールに打ち込んだものをANNのHPに送っている。パソコンを持たない(今後も持つ予定はない)俺は《絶望男》にどんな反響があるのかわからない。読まれているのだろうか?だとしたらどんな感想があるのだろうか?状況が見えない。
 
今年の夏も暑い。ゲンナリする。親父は15年前のこんな夏に死んだ。享年68歳。死因は急性肺炎。生前の親父も周りの状況が見えなかった。聞こえなかった。聾唖者(聴覚障害者)だった。そしてアルコール中毒者だった。
 
68年のある晩。7歳の俺は外の足音に聞き耳を立てた。ヨロヨロとしながらもこちらに向かってくる靴音が聞こえたその瞬間、心臓の動悸が高鳴った。母も弟も覚悟を決めたのだろう。6畳の窓のない部屋の隅にいる。俺は少し間を空けて座っていた。親父は戸を開けた。と同時に倒れ込んだ。奴は顔を上げるとキッと俺たちをにらみつけた。白髪が逆立ち、細身の身体に作業服姿の奴は立ち上がるや母の身体を蹴った。うずくまる母に扇風機を投げつけた。さらに馬乗りになり、母の後ろ頭にゲンコツを叩きつけた。弟は泣いている。奴は怒鳴りながら弟を押し入れに閉じ込めた。酒の臭気が部屋中に漂った。俺は母を殴ろうとする親父の肩に触れた。助けたかった。奴は俺の腕を取り、ひねりあげた。頬を張られた。頭をゲンコツで数度殴られた。頭の中に電流が走った。押し入れに叩き込まれた。暗闇の中で2時間を過ごした。母が開けてくれた。奴は寝ていた。終わったわけではない。再び親父が目覚めたときが怖い。酔いがある程度醒めたときの奴の力はより強くなる。そうならないことを願った。
 
毎日続いた。標的は3人の誰かだ。大抵は母が盾になった。俺はこの頃から誰も助けてくれない世の中を呪った。逃げ場はどこにもなかった。自分の身は自分で守るしかないと思った。そして、心を閉ざした。
 
以来、23年間、親父は暴力で家族を支配し続けた。何が親父をそうさせたのか。家族を自分の意のままにすることが望みだったのか。
 
俺は暴力親父の遺伝子を受け継いでいる。だが、奴のようにはなりたくない。酒は一切呑まない。他者に暴力を振るわない。が、否定し難い事実がある。
 
状況や周りが見えない。見ようとしない。怒りを溜め込み、ときに爆発させる。俺は心の聾唖者だ。酒こそ呑まないが孤独な現実に酔っている。
 
今だからいえる。親父は淋しかった。誰とも話せず、家族に暴力でコミュニケーションを取るしか選択肢がなかった。奴は憐れだ。
 
かつて10~20代の頃、奴を本気で殺したかった。何度も「ぶっ殺す」と母に怒鳴った。結局は殺せなかったが。
 
俺の自由も青春も親父に奪われた。だが、奴だけじゃない。親父もある意味被害者だった。親戚は許し難い敵だ。俺ら家族に逃げ場を与えなかった。口先だけで何もしなかった。その親戚を象徴するものは社会である。その意識に目覚めるときがきている。このままでいられない。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
 

2007年08月03日

投稿原稿  「憂鬱から生まれた歌人」

投稿原稿  憂鬱から生まれた歌人  作・新人歌人(にいとかじん)
 
 自分は歌人です。と言っても誰かからお前は歌人だと認めてもらって歌人になった訳ではなく、やむにやまれず自ら歌人と宣言し現在に至っています。
 
 それはなぜか。現実社会に嫌気が差したことと、創作への情熱と言う名の現実逃避からでした。歌人と称することで自分は世間の価値観から精神的に脱することを願ったのです。隠遁です。寺に入って世捨て人になると言う選択肢もあるかも知れませんが、寺に入ったら寺社会がありそうで、人間アレルギーの自分には耐えられません。そこで、個人でやれる、精神的にヒキコモリ体質でもやれる究極のヒキコモリワーク「文学」を志しました。集団生活訓練所たる学校に背を向け、自分は本を読みまくり、小説の練習をしました。脚本の練習もしました。でも、一年以上やっても一向に成長が見られませんでした。集団生活にも馴染めず、小説などの文学に活路を見出すこともできず自分は窮しました。その頃には単位を落としまくり、大学生活も行き詰まっており、四面楚歌の気分でした。そんな状態の時に自分と気の合った数少ない友人二人が相次いで自殺し、情緒はますます不安定になりました。無理矢理大学に行こうにも吐き気や極度のイライラで講義も課題も手が付かず、最後には希死念慮まで芽生えてきました。電車も見てはふらふら吸い込まれそうになり、校舎のベランダに出ては、身を投げ出さんばかりの精神不安定でした。このままでは自分はいつか本当に自殺すると思い、家族に自分の現在の精神状態や大学生活の破綻を告白し(今まで大学は順調に行ってると取り繕っていました)ようやく心療内科の門を叩きました。それでうつ状態と診断され、大学を休学し、家で眠るばかりの生活になりました。抗うつ薬の影響で眠かったのもありますが、大学生活が破綻していたことをずっと家族に隠していた後ろめたさからも解放されて、ようやく心の束縛が取れた熟睡でした。
 
 一ヶ月間寝てばかりの生活でしたが、寝ながらもこれからのことを色々考えました。ようやく少し精神が安定してきたので、自分は自分一人で出来ることを再び模索しはじめました。そこで考え付いたのは短歌でした。短歌なら長文を書くのが苦手な自分でも31文字しか無いからすぐに作れるしたくさん作れるんじゃないか、と言うあまりにも単純な理由でした。そこで自分はひたすら寝ていた生活の中から身近なものを詠み始めました。
 
連作(れんさく)短歌
 
「休学月見草」(きゅうがくつきみそう)
 
壁時計 止まったままのこの部屋で何年時が過ぎたのだろう
 
布団から西日差し込む窓を見る また今日もまた ただ過ぎてゆく
 
夜が明ける前に寝られれば上出来 母が起き出すまでロスタイム
 
眠れないままに短歌を作ることから始まった始まりだった
 
休学をした自殺した友人のことを思えば世に一人だけ
 
救いのない死を目の前に冥福を祈るしかない地獄の地球
 
金を得ることがそんなに偉いのか 汚職談合詐欺「天」の声
 
結局は生まれたことが間違いと思ってるから やる気が出ない
 
ただ空にただ陽に向かい伸びてゆく向日性を見ては 俯く
 
花園は心の中につくるもの。茨だらけの世の中だもの。
 
 これがその頃(06年1月~3月頃)自分が作った短歌もどきです。・・・寝ているだけの生活、同じく休学して自殺した友人のこと、遺体安置所で友人の棺(ひつぎ)の前で呆然と立ち尽くした雨の夜のこと、春の日差しを浴びて咲く花を見ては却って暗い気持ちになった日のこと・・・。自分の中の色々な心の動きや消せない記憶を吐露するように一文字ずつ短歌にしてゆきました。
 
 昔の文学者か何かが詩や歌を詠めば鬱屈はだいぶ軽くなると言ってたのを前にたまたま見ましたが、実際、自分の心情を歌に託して吐露したり、自分自身を自分で客観視してうちに、不思議なことに段々と心が和らいでゆきました。そして余裕が出来てきました。自由に書けと言われる作文や小説は苦手なのに、57577に当てはめる言葉はパズルのようで、そこにピタッと当てはまる自分自身の心を表すキーワードを探し当てた時は我ながら気持ちのよいものでした。自分は死から遠ざかるために、自然に歌人になってゆきました。憂鬱が生まれるたびに、歌も生まれてゆきました。
 
(つづく)?
 
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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」

投稿原稿  「ゼロからの自分 イチからのスタート」

投稿原稿  ゼロからの自分 イチからのスタート
 
私は高校生の時、ある友達から裏切られて、
今までにない苦しみを味わいました。
 
高校2年生の始めの頃、
ある1人の友達から、ある日突然冷たくされるようになりました。
その友達とは1年生の時に同じクラスでとても仲が良く、
私がお姉さんのように慕っていた人だったので、
ショックが大きすぎて、何も言うことが出来ませんでした。
 
日に日に冷たい態度は酷くなっていくし、
信頼できる友達なんか1人もいなかったので、
毎日毎日、地獄へ行くような気持ちで学校へ通っていました。
 
自分なんか死んでしまえばいい
消えてしまえばいい
どうして自分はここにいるんだろう?
日々、そんなことを考えていました。
 
学校へは100%行きたくなかったけど、
1度休んだら絶対に不登校になってしまう。
そうしたら将来が見えなくなって、家族に迷惑をかけてしまう。
そんな思いがあったから、家族の誰にも打ち明ける事も出来ず、
学校を休む事も出来ませんでした。
 
そのころの自分は、いつも偽りの姿でいた気がします。
周りの誰にも本当の自分を見せない、
ニコニコ笑顔を作って、甘えることが出来ない。
大人ぶって辛い自分を隠して、「私は大丈夫」と見せていました。
 
それは絶対に良くないことだし、自分が辛くなるだけです。
 
今、もし同じように学校で苦しんでいる人がいたら、
我慢しないで、一人で苦しまないで、気持ちを抑えないで、
周りに本音でぶつかって欲しいです。
子供の時は子供らしく、素直でいてほしい。
辛いんだよー苦しいんだよーと泣き叫んで欲しい。
周りの事は考えないで、自分勝手に生きて欲しい。
 
けして、私みたいにならないで欲しいです。
 
そして、生きていれば必ず幸せに巡り会うことが出来ます。
人生を大きく変える素晴らしい人との出会いがあります。
ちゃんとした心を持っていれば、必ず救われます。
 
どんな過去を背負っていても、どんなに今が辛くても、
自分が存在している意味が分からなくても、
誰もが幸せになれるんです。
 
一度立ち止まれば、そこから踏み出す一歩は必ず前進になります。
だから立ち止まる事をしてほしいです。
 
ただ生きていればいいんです。
絶対に命を絶たないで下さい。
 
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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」

ゲームあふるる国に生まれて 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」

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第3回 「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)
 
 TVゲームを楽しむために、必要不可欠な要素はなにかと問われれば、私は「対戦性」と答えます。
 
 TVゲームの対戦性は、黎明期からのものでした。
 世界初のシューティングゲームといわれる「スペースウォー」、商業ゲームとして成功を果たしたピンポンを模した「PONG」といったTVゲームは、二人が両サイドに分かれ、玉を撃ったり弾き返したりという、直接対戦型のゲームでした。
 日本では「スペースインベーダー」が流行し、TVゲームのイメージを決定付けました。スペースインベーダーは1人用のゲームでしたが、点数(スコア)はもちろん、レインボーや名古屋打ちといった裏技など、そうしたテクニック上手さを、友達や同じゲームセンターにいる常連たちと競っおり、そこに対戦性がありました。
 テレビゲーム誌やコンピューター誌では「スコアアタック」という、読者同士でスコアを競う企画が人気となり、ゲーマーたちはこぞって画面写真を雑誌社に送りました。
 このようなスコアでの対戦は、今でも盛んにおこなわれ、シューティングゲームなどの、いかにもスコアが大切なゲームはもちろん、非ゲーマー向けの「太鼓の達人」でも、公式サイトでのスコアアタックを行っていますね。
 
 また、対戦性と言って忘れてはならないのは、「ストリートファイター2(以下 スト2)」をきっかけに爆発的なブームとなった「対戦格闘ゲーム」でしょう。
 それまでも、「マリオブラザーズ」を二人でプレイして、相手を敵にぶつけてミスさせるプレイをするなど、ゲームの主旨を変える形での対戦はあったのですが、スペースウォーやPONGなど黎明期のゲーム以降、複数人数でのTVゲームは、対戦プレイよりも交互プレイ(1ミスごとにプレイヤーを交換する)や協力プレイ(二人以上で同じ目的を達成する)が中心になっていました。
 そこに、その場にいるプレイヤー同士での「直接対戦」を復活させたのが、対戦格闘ゲームです。
 対戦格闘ゲームは、スコアでの対戦に比べて、プレイヤー間の優劣がハッキリ明示される、非常に刺激的なものでした。故に、プレイヤー同士のトラブルになることもありましたが、大半のプレイヤーたちは「今回は負けたけれども、次こそ勝とう!」と、筐体に100円玉を盛んにつぎ込んだのです。
 当時はそれこそ、スト2だけのゲームセンターなんてのもあり、今でも都心型の大きなゲームセンターでは、対戦ゲーム専用フロアーがあることも珍しくありません。
 
 そして、さらに対戦性に新しいムーブメントをおこしたのが、「オンライン対戦」です。
 
 さっそく解説していきたいところですが、文字数が多くなってしまいましたね。
 「対戦」の話は、TVゲームの歴史そのものですので、概要をザックリ説明するだけでも、長くなるのはしかたないのかもしれません。
 というわけで、話は本題に入らぬまま、次回に続きます。
 
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これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」

名前はまだ無い 第3回「「ひきこもり」原因論・雑感(1)」

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名前はまだ無い 第3回「「ひきこもり」原因論・雑感(1)」
 
今回は、「ひきこもり」の原因というものを一体どう考えればよいか、
ということについて書いてみようと思います。
 
前回のラストで「ある人がひきこもるのは、様々な出来事や出会いの積み重ね、
そのタイミングとしか言えない」と書きましたが、
私はこういう感じでずっと、原因について語ることを避けてきました。
 
また、どうやら臨床現場でも、原因を追究することは避けられているようです。
たとえば斎藤環さんはその著書で、原因探しは不毛な犯人探しにつながると指摘し、
仮に原因が分かっても、ひきこもっている状態から抜け出すことの助けにならない、
ということを述べています(『ひきこもり文化論』紀伊国屋書店、2003年など)。
また厚生労働省による対応のガイドラインでも、この見解は採用されています。
 
が、しかし。
原因を知ることは、果たして本当に無意味なのでしょうか。
これについて考えるためには、“誰から見た/誰にとっての”原因なのか、
ということを整理する必要があると思います。
まず、私が原因論を展開することに対して距離をとってきた理由から考えてみます。
 
一つは、前回書いたように「ひきこもり」の原因として出されるようなもの
――親との葛藤、進路選択上の挫折、対人関係トラブル、社会への拒否感etc.――は、
誰しもが経験するような類のものであって、
どうしても、そこから「ひきこもり」に固有の何かを
導き出せるとは考えられないからです。
要は、認識利得というやつが、あんまりないように思うのですね。
 
もう一つ、私の原因論に対する抵抗感というのは、
研究者や援助者が一般的・普遍的な原因を、
外側から特定することへの抵抗感でもあります。
要するに“研究者や援助者から見た”原因というものには、
まったく重きを置いていないということです。
 
じゃあ、これまで原因を全く無視して研究してきたのかというと、
これがまたそうとも言えないわけで。
インタビューでも「振り返ってみて何でひきこもったと思いますか?」
という質問は毎回してるわけで。
つまりは“個々の当事者から見た”原因には、目を向けてきたというわけです。
 
→つづく。
 
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いままでの「名前はまだ無い」

2007.7.18 第1回「にがてなもの」
2007.7.27 第2回「身もフタもない」

2007年07月30日

絶望男の逆襲 第4回「やせ我慢」

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第4回 やせ我慢
 
蒸し暑い。湿気が汗と混じり、肌にベトつく。身体全体が湿気を吸い込む。体が重い。
 
7月28日も異様に蒸した。母は午前から出かけていた。疲れと暑さからか昼過ぎに帰宅するなり、寝込み始めた。23時を回った。母はまだ、隣部屋の畳の上にトドのようにグッタリと横たわっていた。俺は心配になった。母に大丈夫かと声をかけた。大事ではないようだ。だが、動けそうにない。弟は近くでテレビを見ている。俺は後片付けをした。「クソッ。眠いのによ」と怒鳴った。何もしない弟にムカついた。「知らん顔しやがって」と言った。「俺は働いてんだ」と弟が怒鳴り返した。小声で怒りを噛み殺すように「俺だってつらい」とも言った。
 
その瞬間、俺は怒りを抑え込んだ。後片付けを終え、寝室に戻り、明かりを消し、敷き布団の上に寝た。だが、眠れなくなった。弟の言葉がグサリと心に突き刺さった。怒りも鎮まらない。安定剤を3錠飲んだ。なぜこうなる?と考えた。
 
弟は一家の稼ぎ頭だ。彼の収入なしに生活は成り立たない。責任や重圧は相当のものだろう。だが、俺も日々似たような苦悩を抱えながらも生きている。働かない(働けない)ことで社会から“抹殺”されている。俺など働く人々から見れば存在しないも同じだ。俺はそんな自分を肯定した。生きることが仕事だと。金を得るばかりが仕事じゃないと自分のなかの社会的概念を変えた。そしたら少しラクになった。
 
弟にそんなことを言っても通じない。俺が障害年金を受けるようになって以来、彼とはまったく会話をしなくなった。年金を生活費に入れず、好き勝手にやる俺(実際はそうでもない)をよく思っていない。一緒に生活しながら、背を向け合っている。
 
糖尿病を抱えながらの仕事のつらさは想像もつかない。裏を返せば鬱病の苦しさを弟は理解できるだろうか。「お互い様だよな。でも仕事いつもご苦労様。今日は怒鳴ってごめんな」。素直になれたらもっとラクになれるだろうか。そんなことを空想した。考えているうちに眠った。翌朝は日曜日。弟は休みだ。昨夜のいざこざなどなかったかのように家族はそれぞれ過ごしている。元々、感情をぶつけ合うことが苦手でこれまでも避けてきた。父親の生きた時代はまさに感情の嵐が吹きまくっていた。平穏にとの想いから感情を抑え込む家族になった。
 
それですべてOKか?わからない。わからないままでいいのかもな。蒸し暑い夏はまだまだ続きそうだ。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」

レンタル空手家日記 第4回「ほのぼの空手教室をやってみて」

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第4回 ほのぼの空手教室をやってみて 
 
27日土曜日、この前、告知させていただいたように、オンリーワンクルーの鍋の会の前に、近くの地区会館で1時間の空手教室を開いてきました~。
 
今まで、レンタル空手の話をしても
興味を示してくれたり、実際にオファーしてきてくれるのが
女性が多いので(指導のアルバイトも少年部以外は「お母さんクラス」だし…)
もっと男の人たち向けの空手もやってみたいな、と思って
 
・気軽にやれる場所・値段
・僕のお勉強
 
という意味で、やりました。
(もちろん、引き続き女性の方も参加大歓迎ですよ!)
 
これから月2回くらいのペースでしばらくやっていこうと思うのですが
初回は3人の方が来てくれました。
 
一人は完全に初心者の方で
もう一人は、空手ではないけれど、武道の心得のある方
最後の一人は、みなさんもよくご存知の、作家、漫画家、映画監督であり
総合格闘技、陽明門護身拳法道場主の大先生
 
先生をゲスト扱いにしてやろうかな?とも一瞬思ったのですが
とりあえず初回だし、僕も余裕がないので
生徒としてやっていただきました~。
 
とりあえず、空手の紹介のような形で基本、受け返し、ミットを少しづつやりました。
 
今回、道場の体験クラスのメニューのような形で
立ち方もきちんと、受け返しも真面目にやったのですが
もう少し、遊び感覚を取り入れて「コミュニケーション」を重視した
内容にしてもよかったかな?と思いました。
 
それは、巨椋先生と初心者の方が受け返しをしていて
「殴られ屋」状態になっていて、二人とも笑いながらやっていたのを見ていて思ったことです。
「遊び感覚、コミュニケーション」のことは、もう少し取り入れたほうがいいかも
と巨椋先生からも後でちょっと言っていただきました。
 
最後のミットは、やはり男性、力がありましたね~。
思い切り蹴ってきてくれて嬉しかったです。
 
 
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 
ここから少し、語ります。
 
レン空をやっていると、格闘技の先輩から
「一般向けとは少し違った『ひきこもり』を対象とした創意工夫をした空手稽古法が必要かも」
という言葉をいただくことがあります。
なんとなく、わかるのですが、僕は少し違うように思っています。
 
「ひきこもり」といっても千差万別。パンチが強い人も、キックが強い人もいる。
型が得意になる人もいるだろうし、試合志向になっていく人もいるでしょう。
汗を流したい人もいれば、技術的なことを色々知りたい人も。
 
「ひきこもり向け」なら「攻撃欲求を安心して外に出す」
ことが大事、となんとなく、どこかで思ってきました。
だけど、そういう人もいれば、そうでない人もいるかもしれない、と最近感じるのです。
「ひきこもり」とくくるのではなく、僕に出来ることは
「武道・格闘技」から遠い所にあるように思っている人に、その世界の間口を広げる
「開かれているんだよ」と情報を伝える、そして仲間として格闘技の良さを共有していく
そんなところではないか、と思えてきています。
 
だから、あえて「コミュニケーション」「ストレス解消だけ」に特化したメニューを作るのではなく
この、決まった日時・場所で行う開かれている「レン空・出張所」では、まんべんなく空手の基礎的なことをやっていこうかな、と思っています。
 
(もちろん「出張空手・レンタル空手家」では、それぞれのレベル、要望に合わせて、よりその人の望む内容に特化して行っていこうと思います。それが個人・少人数特有の“出張”稽古法だと思うので)
 
…ただ、僕のメニューが、お遊び、簡単に出来るコミュニケーション的なものが少ないことも事実なので
色んな稽古、練習を知っていって、これからたくさん勉強させていただきたいと思っています。
 
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とりあえず、色々感じたことのある、初回でした~。
 
 
次は、8月11日(土)にやる予定です。
17:30花小金井駅集合、18時より芝久保地区会館体育室にて。
また告知させていただきます。
ホームページのほうでも書きます。
参加希望の方はメールくださいな。
 
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いままでの「レンタル空手家日記」

2007.7.12 第1回「はじめまして、レンタル空手家です」
2007.7.20 第2回「僕が『レン空』をはじめるまで/その1」
2007.7.27 第3回「僕が「レン空」をはじめるまで/その2」

オグラオサムのタブーなお話し 第3回「不登校・ひきこもりの凶悪事件 その2」

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第3回 不登校・ひきこもりの凶悪事件 その2
 
ひきこもり経験者や、不登校経験者が凶悪犯罪を起すというイメージが本当かどうかというテーマで話しているんだけどね。
 
確かにとても目立つんだよ、不登校・ひきこもり経験者の凶悪犯罪ってヤツは!
 
ここ一年くらいでも、何件か起きて報道されています。
 
ここで先に結論をいっておくと、
 
「不登校やひきこもりの人は、みんなみんないい人」
 
なんていうのは、釣り好きの人が「釣りが好きな人に悪い人はいない」というのと一緒で、何の根拠もないことなんだよ。
 
では「そんなのは、不登校やひきこもりのごく一部の人がやるだけで、一部の事件でひきこもりや不登校児童生徒全体が、凶悪犯罪をするような目でみないでほしい」というのはどうか?
 
これもすごく当たり前のハナシで、そもそも凶悪犯罪自体が、【ごく一部】の人しかやらないもので、ひきこもりや不登校の人=凶悪犯罪なんてことはない。
 
ない……、が……
 
ここでいささか乱暴だけど、ひきこもりや不登校経験者と、そうでない人という分け方をした場合、ひきこもりや不登校経験者が凶悪犯罪者となる確率は多いという見方もできるんだ。
 
例えば、不登校児童生徒というのは、15歳以下の総人口が約1.800万人のうち、わずか13万人くらいしかいない。
 
ひきこもりの総人口というのは不明だけど、ニートの場合、内閣府の発表によると85万人であるらしい。
 
増えた増えたといっても、不登校もニートも、それらの総人口からみれば2~3%の少数派なんだよ。
 
凶悪犯罪といってもいろいろあるので、振れ幅や間違いの少ない殺人事件に限ると、この日本で起こっている殺人事件は、全国で年間1.400件前後、うち少年犯罪は年間100件前後起こっているのな。
 
つまり、ほんの2~3%の『不登校・ひきこもり・ニート』の人が、殺人事件を犯した場合、確率はドーンと上がるの!
 
ドーンと!!
 
おまけに、17歳の高校不登校であった少年が犯した【西鉄バスジャック事件】や、29歳のひきこもり者が、小学四年生の少女を9年間も拉致監禁した【新潟少女監禁事件】など犯罪史に残るような事件もある。
 
特に不登校やひきこもりに多い凶悪犯罪としては、家族内殺人と放火などが挙げられる。
 
2007年5月に母親の首を切り、その生首を持って警察署に自首した犯人は、高校を不登校のような状態であったし、2006年に連続放火をして逮捕されたタレントの熊田曜子似の女性は、小中学校時代いじめで不登校だったりね。
 
実のところ、オレの手元には【不登校経験者が殺人を犯した実数】とか、【ひきこもり・ニートが殺人を犯した実数】というデータはないんです。
 
ただ、これらのことを推測して考えると、【不登校・ひきこもりの凶悪犯罪は、決して少ないとはいえない。むしろ多いと推測できる】ということだね。
 
実数はぜひ社会学者の方か、不登校関係者に調べていただきたいと思ってる。
 
これまで、不登校やひきこもりが殺人を犯した場合、その多くの原因が
 
【本人が不登校やひきこもりであるため、家族からも責められ、自分の居場所をなくし、追い詰められた結果】
 
と、いわれているんだよ。
 
また、不登校やひきこもりの親が、子どもを殺したり、一家心中なんて事件もときどきある。
 
ここでひとつだけ、ハッキリといえるのは、『不登校・ひきこもり・ニート』の当人も親も、必要以上に責めたり攻撃してはいけないということだろうね。
 
ただ、正確な数値や確率を調べる必要はあると思うんだよ。
 
そうしないと、真摯にこの問題に向き合っているとは思えないしね。
  
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いままでの「オグラオサムのタブーなお話し」

2007.7.13 第1回「ちょっとヘンだよ不登校業界」
2007.7.19 第2回「不登校・ひきこもりの凶悪事件 その1」

共産主義、入門中 第3回「「第三の道」はいらない」

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第3回 「第三の道」はいらない
 
日曜日の参院選投票日を前に、7月26日の『朝日新聞』にPOSSEの今野晴貴さんの論説が出ていた。題は「上の世代だけに任せるな」。今つくられる制度は将来を生きる若者にとって重大問題だ。だから若者は積極的に政治参加しなければならない、と今野さんは訴えていた。
 
今野さんによれば、若者は「第三の道」というのを求めるべきなんだそうだ。↓これについてはPOSSEのサイトに詳しい説明がある。
 
http://npoposse.jp/style3/
 
これまでは、労働のあり方が二つあった。「正社員」と「非正社員」だ。これが「第一の道」と「第二の道」。この二つは対等な関係になくて、「正社員」が「非正社員」のウワマエをハネてきた。また、「正社員」には「自由」がなく、「非正社員」には「安定」がない、っていうように、どちらも魅力的な選択肢とは言えなかった。
 
しかも経済の仕組みが変わったので、多くの若者に対しては「第一の道」は閉ざされてきた。でもって、これからもかつてのような安定した仕事が復活することはないだろう。
 
じゃあどうするのか?
 
そこで「第三の道」である。POSSEは、これをstyle3と呼んでいる。
 
これはまず、「正社員」か「非正社員」かっていう二者択一に代わる選択肢っていう意味だ。また、「3年で辞める若者」というステレオタイプに対して、3年で辞めたっていいじゃないか、っていうのを掛けているようだ。
 
つまりPOSSEの人々は、いつでも安心して仕事を辞めれる社会にしようぜと言っているのだ。会社に所属し続けなくても生きていける世の中だ。
 
仕事が嫌いな人間は、「第三の道」を歩むべきだろうか? style3が目指すのは、こんな社会らしい。
 

私たちは、会社を変えても、どんなシゴトをしているかで評価される社会を求めます。性別や雇用形態、勤続年数で差別される社会ではなく、職種で評価される社会を―。

 
僕はこれを読んで、お茶を煎れに走った。口いっぱいに含んで吹きだすためだ。
 
「第三の道」を歩いていってトンネルを抜けると、そこにもシゴトが先回りして待ってるのか。しかも、働かなきゃならないだけじゃない。仕事ぶりで「評価」されてしまうのだ。賃金も「シゴトを基準に」決められちゃうらしい。
 
もちろん、POSSEの人々は、気軽に仕事を辞めれるようにするための提案もしている。失業保険や生活保護や最低賃金をパワーアップさせたりっていうようなことだ。あと、「性別や雇用形態、勤続年数」による差別をやめれと言っている。
 
だけど「シゴトを基準」の差別はOK。っていうかむしろそれを目指しているのだ。
 
POSSEは、さらに職業訓練制度の見直しを求めている。これまでは、企業内で研修が行われてたので、「正社員」しかその恩恵を受けることができなかった。だから、「非正社員」にはキャリアアップの可能性がなかった。
 
style3では、ニートでもフリーターでも、国や自治体がタダで職業訓練をしてくれる。「国家資格」とかももらえるらしい。これをPOSSEは「オフ・ザ・ジョブ・トレーニング」と呼んでいる。
 
けど、「トレーニング」って、それって、けっきょくシゴトみたいなものなんじゃないだろうか? それかオベンキョウとか。「無料の職業訓練システム」っていうけど、それってシゴトモドキをやらされてるのに金はもらえないってことでもあるんじゃないだろうか?
 
フリーターが「オフ・ザ・ジョブ・トレーニング」をやるのは、残業代の出ない残業に行くようなものだ。ニートがやったらタダ働きである。
 
「第三の道」の社会では、会社をいつ辞めてもいい。だけど会社を辞めても、別の会社やシゴトモドキが待っている。
 
というわけで、どの「道」も、結局はシゴトに支配された一つの