「K依存症」
作:bombeck
Kとは学生時代からのつきあいだった。といっても同じ学校にいっていたわけではなく、九州の田舎から上京してきたぼくは、ゲームをつくりたい、という一応の目標をもっていて、それを知った学校の友人のHが同じくゲームをつくろうとしていた知り合いのKに声をかけて、ぼくらは出会った。
けれどぼくとKはひとつのゲームもつくることができなかった。それでもKとぼくのだらだらとした交友関係はつづいていて、もう10年以上になる。その間にぼくは学校をやめて目標だったゲームの仕事をやっていたけれど、それにも限界がみえはじめて、精神的に不調になって実家へと帰っていた。
Kはそのあいだ、ゲームから株へと興味が移っていったらしく、チャットで話すたびに、株の話をしたり、ユダヤ系の金融会社を引きあいにだしては、世界を支配しているのはユダヤ人だ、などと言ったりしていた。
そんなKにぼくはだいぶ辟易していたけれど、それでもKとの関係はつづいていた。ぼくはチャットをつなぐたびに、Kがいるのかどうか確かめるのが日課のようになっていたし、それはKに依存しているような状態だと言ってもよかった。
「自分とKは依存しあっている」というようなことを、Hにメールしたことがる。そのころ、ぼくはKが株で稼いだ金を資金にしてまたゲームをつくろうとしていたのだけれど、意見が対立するばかりで、まったくといっていいほど成果はなかった。そこでぼくはHに相談したのだ。Hは「ゲームはひとりでつくるべきだ」とアドバイスをくれた。
それからぼくはKとの関係を切ろうとつとめはじめた。チャットにもつながなくなり、メールアドレスも変えてみたりした。それでKとの関係は切れたように思えた。そのころのKはしきりとぼくを株に誘っていた。「世のなか金がすべてだよ」というようななにかマンガのような台詞を言って、いまだにゲーム制作に未練を残しているぼくに、「ゲームなんかつくってたらうつ病が悪化するだけだ」「ゲームつくるのは無理だ」などと言って、思えばKとチャットをしていても、楽しいというよりも、なにか皮肉の言いあいのようになるばかりだった。
Kと関係を切ったのはよかったのかもしれない。そういうふうに思って数カ月経ったころ、ぼくはたまたまHの書いているブログでKがコメントを書いているのを見つけた。以前のわだかまりのようなものはそのころはもうすでに忘れてしまっていて、ぼくはふたたびKと連絡をとった。
そうしてまたKとの関係がはじまった。けれどよさそうに思えたのは最初だけで、すぐにあてこすりのやりあいのような状態にもどった。ぼくはふたたびチャットをつなぐのをやめにした。けれど今度はまた数週間後に、つないでしまい、またKと話をはじめてしまう。そしてまたうんざりして、つなぐのを切ってしまう。それでしばらくするとまたつなぐ。
そんな繰りかえしからいまも抜けだせないでいる。
