「日常」
作:bombeck
死んだような生活だった。実際に死んでいるのかもしれない。
やることといえばきまっていた。毎日朝起きて、飼っているインコの世話をして、新聞をとりにいって、次に猫に餌をやって、家のなかをほうきで掃いて、それでパソコンの電源をつけてインターネットをする。そうやって一日がはじまる。
自分が起きるのとおなじくらいに、母親も起きる。母親は朝ごはんの準備をはじめる。そのあいだ、自分はずっとインターネットをしている。母親が朝のコーヒーを淹れる。ぼくは一階にそのコーヒーをとりにいく(ぼくの部屋は二階にあった)。
コーヒーを飲みながらすることといえば、やはりインターネット。朝のこの時間が自分の生活のなかで一番充実しているかもしれない。だいたいいつもみるサイトはきまっている。あたらしいことが書かれていないかをチェックして、書かれていたらそれを読む。その時間がたのしい。インターネットのニュースも読む。チェックするキーワードは、「テロ」や「殺人」、「自殺」。朝から暗いことを考える。
そうしているうちに、朝ごはんができる。母親と妹とぼくで朝食を食べる。父親は一年前に死んだ。兄は東京で働いている。朝食を食べ終わると、ぼくはやはりパソコンに向かう。けれどパソコンにむかってもだんだんとやることがなくなってくる。小説を書く、ゲームをつくる、と家族や友人たちには言っているけれど、ほとんどといっていいくらいつくれていない。小説はなにも思いうかばない。ゲームにいたってはまったくアイデアすらでない。しかたがないから、だらだらとインターネットをする。けれどだんだんとネットサーフィンにも飽きてくる。ぼくはそれほどたくさんのサイトをみているわけでもない。そうやってくるうちにパソコンのまえに座っていることが苦痛になってくる。
で、しょうがないから、また寝る。ドラッグよりも、セックスよりも、眠ることが一番の快楽だと、青山正明が書いていたが、そのふたつのどちらもやったことがないぼくにも、眠ることが快楽だということには同感だった。ただベッドのなかでじっとしているだけで、怠惰な夢という娯楽を得ることもできる。
が、寝てばかりいると、眠ることにも飽きてくる。しょうがないからまたおきるころには、昼食ができている。一階におりていって昼食を食べる。そしてまたパソコンのまえにすわる。やることがない。
そのうちエロゲー批評空間とかをみることになりはじめて、エロゲーのサイトをチェックしはじめる。そうして自慰。死んだような生活だと感じるのは、これが終わったあとだろうか。
あとは、ただひたすら、ベッドで寝ているか、インターネットでニコニコ動画でもみるかのどちらかをつづけているうちに、夜がきて夕食ができる。夕食を食べに一階にいく。そうして風呂にはいる。
で、寝る。
そうして一日が終わってまた朝がくる。
