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投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第10話 受け取る人」

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「第10話 受け取る人」

今朝も私は一本松公園にいた。ベンチに腰掛けて、空をみつめる。周りに誰一人いないのが気持ちいい。とてもリラックスできる。こんな公園が家のすぐ前にあるのは本当に幸運なことだ。まるでこの公園は私のためだけにつくられたかの様に思えた。私が生まれる前から、私が人生の旅の途中に、何らかの理由で職場と生きる目標を失い、毎日フラフラしながら過ごすことになると知っていて、ずっとここで待っていてくれたのだと思う。(かなり勝手な想像だが)私はとても嬉しい。そして人生も捨てた物じゃないな、と思う。どんなことにでも運命的なことを感じられる様になれば、その人の世界は輝きだすに違いない。それは私が少しでも惹かれた女性と出会った時によく陥ってしまう「思い込み病」のことを言っているのではなくて、どんなことにも感謝の気持ちを忘れないことが大切だ、ということを言っているのだ。私はこの公園を企画から建設まで関わった人々全員に会い、この公園は私にこんなに役に立っている、どうもありがとう、と伝えてあげたい。もしお金があれば花束だって送ってあげたい。区役所に電話をして問い合わせれば、彼らの連絡先を教えてくれるだろう。彼らはきっと、涙を流しながら、大喜びするに違いない。私の様なちょっと変わったニート以外のほとんどの人は、たった一本の松の木しかなく、子供も遊ぶこともできないこんな小さな公園を建てたことは税金の無駄遣い以外の何ものでもなかった、と思っているはずなのだから。


そして私は、ずっとベンチに座りながらこう考えていた。私がニートをしながら情けない生活を送っていることは、それほど悪いことではなくて、逆に人の役にも立っているのでないか、と。「フフフ、なんという天才的な発想の逆転だ!」と自分の才能がたまに恐ろしくなることがある。だが、もちろん私はそうやって自分のニート・ライフスタイルを正当化しようとしているのではない。私は知っている。社会復帰することによって、私が社会に貢献することができるチャンスも増えることは間違いないと。いつか必ず私は社会復帰するだろうと思う。だが、私が言いたいのはこういうことだ。私が毎日会社に出勤せず、毎日こうやってフラフラと公園で遊んでいるからこそ、公園の関係者を喜ばすことができた、と。私の様なダメな存在も、この社会は必要としていたのだ。私は公園の関係者のために何か特別なことをした訳ではない。私はただ、彼らの好意(つまり、別に住民の誰もが公園など必要としていないかもしれないが、いつか行き場のない、フラフラとした住民が現われた時に、素晴らしい時間を過ごせる様に小さな公園をつくっておこう、という一人よがりな親切)を受け取っただけである。そして私という、彼らの好意を受け取ることができる存在が現われたから、彼らは生き続けることができたのだ。そんな大げさな、と思う読者もいるかもしれないが、もし誰も公園を利用しなかったら、彼らには存在価値はないのだ。世界中のほとんどの人は、人の役に立つことは何かを与えることだと思っている。自分の才能と時間を使い、何か困っている人を助けるためにサービスを提供する―だが、もし受け取る人がいなければ、与えることもできないという事実に気が付いている人は少ない。受け取る人は、与える人と同じ位に社会で重要な価値を持っているのだ。


誰かに奉仕するという行為を職業にすることは、どうしようもない矛盾を抱えることになる。それは「助けを求めている人を助けたいと思っているが、もし助けを求めている人全員を助けてしまったら、自分の存在する理由がなくなり、今度は自分が助けを求める人になってしまうからそれはできない」という矛盾だ。例えば医者という職業があるが、医者は患者がいなければ存在していくことができない。医者の仕事は病気やケガをしてしまった人を治すことだが、もし誰もが治療を必要としなくなってしまったら―例えそれは医者が望んでいることだったとしても―医者の存在理由がなくなってしまう。患者はお客様なのだ。同じ様に警察官も犯罪者がいるから存在していくことができる。警察官は誰もが、犯罪がなくなってくれればいいと思っているに違いない。だがもし本当に犯罪がなくなってしまったら警察官はどの様にして生活していけばいいのだろう。退屈で死にそうになってしまうから、犯罪者が現われると、心の奥では感謝しているものではないだろうか。そして私のエッセイを掲載させて頂いているオールニートニッポンも同じで、ニートがいなければ存在していくことができない。誰もがニート生活を脱出して、生きがいを感じることができる仕事に就き、社会に貢献できる人になることを望んでいたとしても、もし本当にそうなってしまったらオールニートニッポン関係者は存在理由がなくなり、今度は自分たちがニートをすることになってしまう。私の様なニートがたくさんいるから、学校や企業も広告を出すことができる。いいカモだ、とは言わないが、ニートも大切なお客様である。そして私自身も、ニートという存在がいるおかげでこうやってエッセイを発表することができる。もしニートという存在がいなければ誰も私のエッセイを読むことはないだろう。(今ニートはたくさんいるけど誰もお前のエッセイなんて読んでいないよ、という厳しい声も聞こえてきそうだが・・・)


「社会のクズ」「ゴミの様に社会の底辺で生活している人」などとニートを批判する声がたくさんある。だが、私たちの様なニートの存在があるから生きていくことができる人々がたくさんいるという事実を気が付かないのは視野が狭いことだと思う。エリートだって、エリートじゃない人がいるからエリートになれる。敗者が存在しないと、勝者も存在することができない。誰もがお互いに関係し合い、助け合いながら存在しているという事実を忘れてしまい、どんな人でも尊重するということができなくなってしまったら、それは社会にとって大変危険なことだと思うのだが、誰もそんなことを言う人はいない・・・

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2009年10月10日 10:29に投稿されたエントリーのページです。

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