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2009年10月05日

第14回 月乃光司のハート宅配便~あなたの心に届く33%の生きる力~

第14回 月乃光司のハート宅配便〜あなたの心に届く33%の生きる力〜

ポッドキャスト&オンデマンド版<毎週月曜日更新>

※「月乃光司のハート宅配便」は、全国各地のコミュニティFMでも放送中のため、インターネット上でのストリーミング配信は行っておりません。予めご了承ください。

ハート宅配便

【番組紹介】
誰もが持っているちょっとした「生きづらさ」。そんな「生きづらさ」に効く「生きるコツ」を、様々な人生体験を乗り越えてきた女性サバイバーをお迎えしお聞きします。この番組を聞けば、100%とはいかなくても、33%でも生きることが楽になる、そんな力をリスナーのあなたにお届けします。全国各地のコミュニティFMでも放送中!

【放送内容】
対談ゲスト:宮越友理さん

【出演者】
月乃光司(こわれ者の祭典)、藤井奈央

【制作】
VOICE VISION(新潟市)

番組へのお便りお待ちしています!番組公式サイトからどうぞ!

2009年10月06日

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第9話 視点」

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「第9話 視点」

今朝も晴れだった。ラジオ体操ではないが、それは本当に素晴らしい朝で、希望の朝だった。私は喜びに胸を広げて、青空を仰いでいた。だが、私は会社に向かっていたのではない。私は家の前にある一本松公園に向かっていたのだ。そして私は公園の中に入ると、真ん中にある大きな松の木の下にあるベンチに向かう。だが、今朝はいつもとは違っていた。私は、なんとそのベンチには座らず、その上に立ち上がったのである。だが私は発狂してしまっていたのではない。そうなる寸前ではあったのかもしれないが。私は「少し視点を変えてみるだけで、人生が変わる!」という、いつの日にかコンビ二で立ち読みしたある自己啓発本の言葉を思い出していたのだ。もう少し高い視線から世界を眺めてみれば何かいいことがあるかもしれない、と思ったのだ。それはまさにインスピレーションだった。それはまるで天が、私にもっと高く昇りなさい、と言っている様だった。人生はともさかりえの歌ではないが、エスカレーションだということだ。ほんの少しだけでもいいから見方を変えることによって、人生が180度、劇的に変化することもあるのだから。

私はベンチの上に立って周りを見渡していた。だが何かおかしい。私の周りの世界は何も変わりはしなかった。前によく見えていなかったものが、見える様になると思っていたが、そんなことはなかった。例えば公園の前にある家のベランダに干されているであろう下着が見える様になったわけではないし、この公園生活から抜け出そうと思える様な素晴らしい街の景色が見えたわけでもなかった。だが、よく考えてみればそれは当たり前のことだった。私はずっと座高が高かった。子供の時から。ベンチの上に立ってみた所で、それほど景色は変わらなかったのだ。く、くそう。私は怒り狂いながら、ベンチの上で何度もジャンプをした。だがジャンプをしても、私には新しいものなど何も見えない。足が短いということは、なんと惨めなものであろうか。「もう、だめだ・・・」私はついに全てを諦めよう、と思った。私は地面にひざを付いて、倒れる寸前だった。だが、その瞬間、また天のインスピレーションを私は聞いたのだった。神様は私を見放してはいなかった。そ、そうか・・・助走をつけてジャンプしてみたらどうだろう、と脳裏に神的なアイデアが浮かんだのだ。そしてすぐ、私はベンチから数メートル離れて、ベンチに向かって走り出した。思いたったら、すぐ行動に移す私。この私の素晴らしい行動力を誰か褒めてはくれないものだろうか。「う、うおおお!」私は渾身の力を込めて、ベンチを蹴って、跳んだ。両手を広げながら。「おおおお!」私は自分が見ているものを信じることができなかった。空に浮いている瞬間、すべてがスローモーションに変わってしまったのだ。「こ、これが、あのゾーンというものなのか、昴!」と私は心の中で絶叫していた。(「昴」は私が大好きな曽田正人先生の作品の一つで、大変お薦めなのだが、立ち読みは絶対しないほうがいい。熱すぎて、手汗で本が傷んでしまうからだ)その時、私は鳥と化していた。公園にいつもたむろしている鳥の仲間の一人に私はいつの間にか同化していたのだ。「わ、私たちは仲間だったんだね・・・」とそんな声が聞こえた。そして、私はこう思うことができたのだった。この世界では、どんなことでも可能だ、と。どんな所までも私は飛んでいくことができるのだ、と。最高に気持ちがいい瞬間だった。しかし、悲しくも長くは続かなかったが。それはたったの一瞬で、0.89秒ほどだったと思う。まだまだ力不足である私は、ゾーンをコントールすることはできず、現実の世界にすぐ戻ってきてしまった。地面に倒れた私は、すぐに起き上がる。も、もう一度だ・・・私は助走をつけようともう一度ベンチから離れようとした。だが、もう私には体力も精神力も残っていなかった。私の両肩にあったと思った羽はもうなかった。私はそのままベンチの上に倒れた。そして鼻からは鼻水が、そして目からは涙が流れていた・・・


その夜、痛んだ体と心を静養させながら、私はある重大な勘違いをしていたのかもしれないと悩んでいた。もしかしたら「視点を変える」という天の言葉はメタファーだったのではないか、と。つまり、身体的な視点を変えるのではなくて、心の中の視点を変える、ということだったのではないか、と。実際にジャンプするのではなく、心の中だけでジャンプすればよかっただけなのだ・・・今朝のあの苦しかった努力は間違いだったのではと思うと空しくなった。だが逆に、実際は心の視点を変える方が難しい、ということも学んだ。具体的に心の中の視点を変える、ということはどういうことを意味するのか、誰にも分からないからである。私はその夜一睡もせず考え抜いた。そして私が出した答えは、こういったものだった。それは視点を変える、ということは一人称から三人称に変えてものごとを考える、ということだった。自分が苦しんでいる時には、考えを「私」から始まらせずに、「田中ぷーのすけ」で考えてみる。そうすると、不思議な事に、現実との距離を保つことになり、それほど苦しみを感じなくなる。例えば、「私は友達が誰もいなくて悲しい」と言うよりも、「田中ぷーのすけは友達が誰もいなくて悲しい」と言った方が、気が少しラクになる感じがする、と思う。今でも「ミッチャンは~」などと三人称で自分を呼ぶ若い女子もいるが、きっとそれは身を守るためのメカニズムの一つなのではないだろうか。また、ドラゴンボール的に言うとすれば、孫悟空の視点で世界を見るのではなくて、天から下界を見下ろしている神様の視点で世界を見てみるのである。もしくは宇宙全体を見渡している界王様の視点で。またはそれ以上の鳥山明か。世界中で生活している人間というキャラクターを眺められる様になると、自分よりももっと不幸な隣人を探すことができるようになり、自分の苦しみなんてバカらしい、と思える様になる。例えば、オールニートニッポンの伝説となっている絶望男・白井勝美さんの人生に比べれば、ささいなことで悩んでいる自分が恥ずかしくて目もあてられない、と私は思うことができた。そして、これは重要なテクニックだが、カメラのズームの様に、自分にとって嬉しいことや楽しいことがあった時だけ、一人称に戻すことができる柔軟性が大切だ。気持ちいいことは一人称で考えて、楽しむべきだと思う。小説でもそうだが一人称の方が、臨場感が出る。これと同じだ。人生も。この様に考えると、もう怖いものなんてない、なんでもドンとかかってこい、という感じなのだが、視点を広くしすぎてしまった私は、ある一つの懸念を抱いた。ある人が私にこう忠告するかもしれないと思ったのだ。「そ、それってただの精神分裂症じゃないのか?お前、本当は精神科に行ったほうがいいんじゃないか・・・」

2009年10月07日

投稿原稿「サバイバル・・・生きるためのひきこもり 第4話」

「サバイバル・・・生きるためのひきこもり 第4話」
作:禁忌キッド

禁忌キッドです。こんにちは。

最近、マージャンを覚えました。チーとかポンとか一人で言いながら、オンラインのネット麻雀を楽しんでいます。近いうちにゲーセンで脱衣麻雀やってみたいです。


さて、先日禁忌は、神戸にある「引きこもり支援団体」の会に行ってきました。そこで当事者の親御さんたちが語り合う親の会があり、そこに参加しました。僕は結婚していないので、息子や娘はいないのですが、自分自身の息子はついているので、参加してみようかなと思いました(下ネタすいません)。


純度マックスのエスプレッソとウォッカを混ぜた以上の濃い話でした。2時間ほどの話でしたが、示唆に富む話ばっかりでした。

みんな、生活保障の必要性を感じていらっしゃるようでした。


仕事ができなくても最低限の生活を国が保証する制度が必要だという点は全員痛感していました。

もし親がなくなったら子供はどうやって生きていけばいいのかということに対して、真剣に考えていらっしゃる親御さんばかりでした。


現制度のままだと、引きこもりやニートの子供は生きていけないと嘆いておられました。

中には自分の子育ての仕方が間違っていたのではないかと後悔していると吐露された方もいらっしゃいました。

私も共感することばかりで、本当に勉強になりましたし、自分と同じようなことを考えていらっしゃる人が他にもたくさんいてその点少しうれしくなりました。


「引きこもり」や「ニート」のことは、世の中では「タブー」とされています。


参加していらっしゃった親御さんの一人がおっしゃっていたのですが、実際は、「引きこもり」や「ニート」は自分たちの周りにもたくさんいるんだけども、そのことに触れることに対してみんな遠慮している、といっておられました。

「引きこもり」を抱える親御さんに対して、その話をすることができないとおっしゃっていました。

だから、自分の身近で、協力してくれる人や、理解者に出会うのが難しいとおっしゃっておられます。


私も、高校時代不登校で、全日制高校を中退した経歴があります。両親も、私が高校を中退したということはなかなか親戚や、周りの人に言えませんでした。それは一昔前のことですが、今でも不登校や引きこもりに対しては風当たりの強い世の中です。

しかし私は通信制高校から独学で大学に入学しました。だけど、高校の話はしばらくはできなかった記憶があります。

 

 私は、「毎日、同じ人間と顔を合わせていく」という集団生活が大の苦手でした。今も苦手なのは変わりませんが・・・。いじめももちろん遭いましたし、とにかく嫌で嫌で仕方ありませんでした。なぜ学校に行かないといけないのかと子供ながらに思っていました。


 同じクラスに1年間通い続けるということは、非常に苦痛なことだと思います。

人間関係も一度できてしまったら、なかなか入ることができません。一度のけものになった人が人間関係の輪に入ることは非常に困難です。私はその「閉鎖性」が大嫌いでした。

今も大嫌いです。


普通に学校でうまくやっている人も、かなりストレスがたまっていて、それを「いじめ」などで晴らすのが、彼らのストレス解消法ではないかと思うこともあります。


人間関係の固定化と、不可塑性は、本当に苦痛なことです。ましてや、個性が違う、そして育ってきた環境が違う人間をランダムに1つのクラスに30人詰め込んで、みんなで仲良くさせようとするのは不可能です。


学校は行きたい者だけが行って、行きたくないものは、フリースクールや自宅学習でいいのではないかと思っています。現に自宅学習と予備校だけで大学に行った生き証人がここにいますから。


学校に行かないと、社会でうまくやっていけないよというお偉方はたくさんいます。

だけど、学校に行って、ストレスで廃人になったり、自殺するよか全然マシです。

学校に行かなくても、社会でうまくやっている人もいますし、不登校という経歴でも、社会的に成功している人はいるでしょう。

逆に学校を無事卒業しても、社会に出て、「たわば~」(北斗の拳の断末魔の叫び)になっている人はたくさんいるでしょう。

だから、学校に行くことが社会でうまくいくための「必要条件」みたいな言い方はやめてもらいたいと思っています。

でも、こんな僕も社会でうまくいっているとはいえませんが・・・笑

でも、生きているだけでも十分成功者です。

とにかく「会社」や「学校」に行っていないのを、頭ごなしに否定するのは私は間違っていると思います。


「会社」や「学校」しか行き場がない社会というのはどれだけ不自由な社会でしょうか?

組織に属せないと生きることが難しいというのはかんなり不自由です。


ひきこもりや、精神に障害がある人たちのための作業所や、支援組織はたくさんありますが、あくまでもとにかく「就労」させることしか頭にない感じがします。


しかし障害者就労で就労したとしても、正社員の半額程度の給料しかもらえないという話を聞きました。さらに不景気で障害者就労の数は減っているといいます。


会社も、生き残ることに必死なため、とにかくスピードが速く機敏な人間を選抜したいのでしょう。会社側の考えも私はわかります。


「就労支援」を強化して、とにかくみんなが働ける世の中にしようと、国は頑張っておられますが、はっきりいって的外れだと思います。


 無理やり押し込む必要はないし、無理があると思います。だったら、アフィリエイトやヤフオクなどのネットビジネスを教えるような組織をもっと作って、家で仕事ができるようなシステムをもっと構築すべきです。


そして、月20万、20万まではいかなくても最低月12万程度の生活保障を成人全員に行うことが一番効果的です。


 起業も才能が必要でしょう。会社勤めも才能が必要です。起業も会社勤めの才能がなくても生きていけるようにすればいいです。


 最低限度の生活さえ保障されれば、ボランティアなどの社会奉仕にいそしむ若者も増えます。ボランティアのしごとも尊いと私は思います。


 生活保護を受けられず、餓死している人も日本中にたくさんいます。社会適応の面では難があっても、別の面で人並み外れた才能を持っている人もいます。


とにかく全員が生きていけるような社会の実現を切に望みます。

2009年10月08日

投稿原稿「ネココさんとウササさん」

「ネココさんとウササさん」
作:小笠原毅

おはなし「ネココさんとウササさん」

むかしむかし、とあるひきこもりのネココくんという人がおりました。

ネココくんはなんとか意を決してひきこもりから抜け出し、アルバイトを始めようとしました。そしてなんとかアルバイトが見つかり、雇ってもらえることになりました。

アルバイトの初日、ネココくんはある事を決めていました。それは、自分が同性愛者であることを自己紹介で言ってしまおうということでした。

ネココくんはこれまでそのことでずーっと引っかかって、何をやってもうまくいかず、他人の目が気になってしょうがなかったのです。

そしてネココくんは、バイトのみなさんの前で言いました。

「今日から入ったネココです。よろしくお願いします。あと、自分は同性愛者です。」

すると、その場にいたウササさんという人が、ネココくんに噛み付きました。

「はぁ!?なんだそりゃ??同性愛者!?いきなりそんなもん告白するなよ!!」

それ以来、ネココくんはウササさんから毎日いびり倒され、「男のくせに!」「気色悪い!」「人間じゃない!」などと面と向かって毎日なじられました。

なんとかアルバイトを始めたはずのネココくんでしたが、ついに精神がまたおかしくなり、働けなくなってしまいました。身体が動かないのです。

こうして、ネココくんはまたひきこもりに戻り、以前よりも重症になってしまいました。

それから数ヶ月後、ネココくんは部屋で死んでおりました。すでに死体は腐敗した後で、ひからびて骨が剥き出しになっていました。ネココくんのそばには、七輪が置いてありました。

その近くにはノートが置いてあり、開かれたページにはアルバイトをやめてからしばらくの日付とともにこんな風に書いてありました。

「ウササさんはノンケの人だったんだもの、ああ言われても思われても仕方ない。軽軽しくカミングアウトしてしまった自分の責任だ。ウササさんはノンケの人だったんだもの。ノンケだったんだもの。」

ふと、ネココくんの携帯電話にメールの着信音がしました。そのメールには、こんなことが書かれていたのです。

「ネココくん、久し振り。ウササです。お元気ですか。あの時はあんな風に君に接してしまってすいませんでした。実は、僕も同性愛者なのです。しかし僕は実生活では同性愛を徹底的に隠して生活しているのです。今の生活も親や友達との関係もその上で成り立っています。なので君があんな風におおっぴらにカミングアウトすることで、僕が隠していることにまでバレたらどうしよう、こっちにまで影響があったらどうしよう……そんな風におもって、あんな風に接してしまいました。『この国でカミングアウトして受け入れてもらおうなんざ甘えてる!』とも思いました。ですがいま思うと、同時にうらやましくもあったのです。ネココくん、僕も今度このアルバイトをやめることにしました。それで、僕も少し自分の性の問題について、思いなおしてみようかなと思いました。それでネココくんと会って話したくなりました。ネココくん、よければ会いませんか。あんなひどいことをしてしまった僕だけど。」

そんなメールが届いた携帯の傍らで、ネココくんは今日もひからびているのでした。ネココくんは明日も明後日も多分、干からび続けるのです。

おしまい。

2009年10月09日

第5回 絶望男・白井勝美のキングオブニート

絶望男の孤独な叫び!

第5回 絶望男・白井勝美のキングオブニート 

ポッドキャスト&オンデマンド版

今回のテーマは『自立とは』です。

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【収録日】

2009年10月9日


【出演者】

【P】 白井勝美(「絶望男」著者) 【A】 三浦


【放送内容】

 第一部 精神的自立と経済的自立
・家族と暮らしながらでも自立はできる?
・一人暮らしは本当に自立?
・独り立ちできても孤独に耐えられるか?

 第二部 元手の必要性
・生活保護だけで暮らしていくのは困難
・元手のない生活困窮者に一人暮らしは無理か?

 第三部 自分の望む人生とは
・そこに望むものがあり、人生に目的があればそれが自立?




白井勝美のキングオブニート第5回(1)

白井勝美のキングオブニート第5回(2)

白井勝美のキングオブニート第5回(3)



オールニートニッポンの次回放送は10月16日『巨椋修のオグラ夜話』です。
お楽しみに!

番組への質問・相談を受け付けております。ラジオネームを添えて、コチラまでmail.gif

2009年10月10日

投稿原稿「毎朝、私は会社じゃなくて公園に行って考える 第10話 受け取る人」

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「第10話 受け取る人」

今朝も私は一本松公園にいた。ベンチに腰掛けて、空をみつめる。周りに誰一人いないのが気持ちいい。とてもリラックスできる。こんな公園が家のすぐ前にあるのは本当に幸運なことだ。まるでこの公園は私のためだけにつくられたかの様に思えた。私が生まれる前から、私が人生の旅の途中に、何らかの理由で職場と生きる目標を失い、毎日フラフラしながら過ごすことになると知っていて、ずっとここで待っていてくれたのだと思う。(かなり勝手な想像だが)私はとても嬉しい。そして人生も捨てた物じゃないな、と思う。どんなことにでも運命的なことを感じられる様になれば、その人の世界は輝きだすに違いない。それは私が少しでも惹かれた女性と出会った時によく陥ってしまう「思い込み病」のことを言っているのではなくて、どんなことにも感謝の気持ちを忘れないことが大切だ、ということを言っているのだ。私はこの公園を企画から建設まで関わった人々全員に会い、この公園は私にこんなに役に立っている、どうもありがとう、と伝えてあげたい。もしお金があれば花束だって送ってあげたい。区役所に電話をして問い合わせれば、彼らの連絡先を教えてくれるだろう。彼らはきっと、涙を流しながら、大喜びするに違いない。私の様なちょっと変わったニート以外のほとんどの人は、たった一本の松の木しかなく、子供も遊ぶこともできないこんな小さな公園を建てたことは税金の無駄遣い以外の何ものでもなかった、と思っているはずなのだから。


そして私は、ずっとベンチに座りながらこう考えていた。私がニートをしながら情けない生活を送っていることは、それほど悪いことではなくて、逆に人の役にも立っているのでないか、と。「フフフ、なんという天才的な発想の逆転だ!」と自分の才能がたまに恐ろしくなることがある。だが、もちろん私はそうやって自分のニート・ライフスタイルを正当化しようとしているのではない。私は知っている。社会復帰することによって、私が社会に貢献することができるチャンスも増えることは間違いないと。いつか必ず私は社会復帰するだろうと思う。だが、私が言いたいのはこういうことだ。私が毎日会社に出勤せず、毎日こうやってフラフラと公園で遊んでいるからこそ、公園の関係者を喜ばすことができた、と。私の様なダメな存在も、この社会は必要としていたのだ。私は公園の関係者のために何か特別なことをした訳ではない。私はただ、彼らの好意(つまり、別に住民の誰もが公園など必要としていないかもしれないが、いつか行き場のない、フラフラとした住民が現われた時に、素晴らしい時間を過ごせる様に小さな公園をつくっておこう、という一人よがりな親切)を受け取っただけである。そして私という、彼らの好意を受け取ることができる存在が現われたから、彼らは生き続けることができたのだ。そんな大げさな、と思う読者もいるかもしれないが、もし誰も公園を利用しなかったら、彼らには存在価値はないのだ。世界中のほとんどの人は、人の役に立つことは何かを与えることだと思っている。自分の才能と時間を使い、何か困っている人を助けるためにサービスを提供する―だが、もし受け取る人がいなければ、与えることもできないという事実に気が付いている人は少ない。受け取る人は、与える人と同じ位に社会で重要な価値を持っているのだ。


誰かに奉仕するという行為を職業にすることは、どうしようもない矛盾を抱えることになる。それは「助けを求めている人を助けたいと思っているが、もし助けを求めている人全員を助けてしまったら、自分の存在する理由がなくなり、今度は自分が助けを求める人になってしまうからそれはできない」という矛盾だ。例えば医者という職業があるが、医者は患者がいなければ存在していくことができない。医者の仕事は病気やケガをしてしまった人を治すことだが、もし誰もが治療を必要としなくなってしまったら―例えそれは医者が望んでいることだったとしても―医者の存在理由がなくなってしまう。患者はお客様なのだ。同じ様に警察官も犯罪者がいるから存在していくことができる。警察官は誰もが、犯罪がなくなってくれればいいと思っているに違いない。だがもし本当に犯罪がなくなってしまったら警察官はどの様にして生活していけばいいのだろう。退屈で死にそうになってしまうから、犯罪者が現われると、心の奥では感謝しているものではないだろうか。そして私のエッセイを掲載させて頂いているオールニートニッポンも同じで、ニートがいなければ存在していくことができない。誰もがニート生活を脱出して、生きがいを感じることができる仕事に就き、社会に貢献できる人になることを望んでいたとしても、もし本当にそうなってしまったらオールニートニッポン関係者は存在理由がなくなり、今度は自分たちがニートをすることになってしまう。私の様なニートがたくさんいるから、学校や企業も広告を出すことができる。いいカモだ、とは言わないが、ニートも大切なお客様である。そして私自身も、ニートという存在がいるおかげでこうやってエッセイを発表することができる。もしニートという存在がいなければ誰も私のエッセイを読むことはないだろう。(今ニートはたくさんいるけど誰もお前のエッセイなんて読んでいないよ、という厳しい声も聞こえてきそうだが・・・)


「社会のクズ」「ゴミの様に社会の底辺で生活している人」などとニートを批判する声がたくさんある。だが、私たちの様なニートの存在があるから生きていくことができる人々がたくさんいるという事実を気が付かないのは視野が狭いことだと思う。エリートだって、エリートじゃない人がいるからエリートになれる。敗者が存在しないと、勝者も存在することができない。誰もがお互いに関係し合い、助け合いながら存在しているという事実を忘れてしまい、どんな人でも尊重するということができなくなってしまったら、それは社会にとって大変危険なことだと思うのだが、誰もそんなことを言う人はいない・・・

2009年10月11日

投稿原稿「同性同士の結婚=同性婚、超OK!社会」

「同性同士の結婚=同性婚、超OK!社会」
作:小笠原毅

『テレビやらネットで若者の貧困問題や非婚化のニュースを見るにつけ、僕はこう思う。

「同性同士の結婚、同性婚がOKになっちゃえばいいのになあ」

と。

もしも同性同士で結婚できるようになれば、もちろんまず最初にLGBTと呼ばれる(あるいは自称する)レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー等々のセクシュアル・マイノリティ達が利用するだろう。LGBT向け結婚サービス、結婚市場も栄えるから、経済なりなんなりが活性化する可能性も高い。LGBTにおける問題、差別、生き難さ、議論などが十分に可視化されもするだろう。

その次に、同性婚を利用する人達が出てくることを僕は想像する。つまり、結婚制度を利用する人達、結婚してる状態でしか受けられないサービスを受けるために同性同士で結婚する人達の出現。言うなれば「偽装同性婚」「友情同性婚」「互助同性婚」などである。もちろんそこに性愛は絡んでいない。身もフタも無く言えば、別に毎日同性同士の夫婦として出かける時にキスする訳でもセックスに励む訳でもない。あくまで制度の利用。

話を単純化すると、ここに二人の貧困問題を抱えた若い男性がいたとする。彼らは同性婚してしまえばいい。それだけでもありとある問題が解決できそうな想像、膨らまない?

しかしここで、僕の頭の中の人がこう言う。「そんな、若い男性同士が一つ屋根の下で結婚生活しているなんて、想像するだけでも気色悪い……」。そういう人は想像力が逞しすぎる。言っているでしょう、はじめから。「制度利用としての結婚」だと。

あくまで制度利用のための結婚だから、彼ら二人は互いのセクシュアリティを互いにおのおの求めあっていけばいい。一方は風俗へ行ったりすればいいし、一方は秋葉原へ行って萌えていればいい。制度利用で便宜上結婚して同じ場所で暮らし合うことが色々都合いいだけなんだから。

それにこうした貧困問題を解決するための同性婚は、最初から離婚を視野に入れたっていいんだ。二人の若い貧困男性が、それぞれに本当に結婚したい女性(あるいは男性)を見つけるまで、ひとまず「互助」のために結婚する。そして見つかって、互いに貯金がたまったり足場が固まったりしたら、そこで晴れて離婚をし、性愛の下に結婚したいパートナーと結婚する。いいと思うんですけどねえ。

第一その想像をして気色悪さを覚えることそれ自体は、同性愛排除、ヘテロ(※異性愛)至上主義の思考回路以外の何物でもない。「だけど、万が一って事もあるじゃないか、制度利用のためだけに結婚したはずの二人の男が、一緒に生活しているうちにヘンな気分になってきてっていう事が……」なんて言うのかもしれないが、じゃあ言ってしまうけど、いいじゃないそれで。何の悪い事があるの。同性同士の気の置けない友達だと思って結婚したけど、いつのまにか愛が芽生えた。それだけですよ。偽装結婚から本物の結婚生活へ移行するだけでしょ。むしろ良い事。

というか、あのねえ。性も愛もその形も、君達ヘテロ男子からズリネタ&勃起原動力として正邪を審査されるために、存在してる訳じゃないんですが。何でもかんでもAVジャンルへと回収しないでいただきたい。

また、男性のひきこもりなんかは、ものすごく保守的なジェンダーやセクシュアリティなどにとらわれて身動きできなくなってたりする。彼らは時に「自分は男であるくせに」という大前提つきで「ああ、こんなひきこもりやってちゃだめだ、でもどうにもならない」というスパイラルに陥っていたりする。

そこで、社会側が「同性婚、超OK!」という空気になり、日常に同性婚が参入きてしまえば、「男のクセに」というのはあらゆる場面で少なからず軽減される。最終的には、ひきこもりのジェンダー&セックス観にも影響していくだろう。そしてそれはきっと、ひきこもりからの脱出に繋がる人が出てくる現象としてあらわれてくる。(もちろん、ひきこもりがひきこもり状態から抜け出すこと、それをもってして「人として最も正しい社会的適応」とする考え方そのものには疑問だが)

それに、ぶっちゃけ、何だかんだでヘテロ男子でも「男友達同士で一生暮らしていけたらなあ。女なんてメンドー」とかヘテロ女子でも「女の子同士で結婚しちゃいたい!楽しそう!」だとか、あるでしょ。(まあこれもこれである種問題ではあって、特にヘテロ男子がなぜそう思わなきゃいけないかっていうのも、いまこうして僕が書いている事と十分に関係してくるのだけど)

また、性愛をもたないとされる無性愛者の、一部の人達は、結婚や恋愛や、時にLGBT問題を啓蒙する人達の活動・言説にさえも「性愛を持っている事こそが人としての印」として受け取らされ、傷ついてしまうところがある。しかし社会的に愛の最大の印とされる結婚が「同性婚超OK!」という形を持ってして常識を打ち崩すことになってしまえば、無性愛で悩む人達にとっても肩の荷がおりることになる。

若者の貧困、非婚、ジェンダー、LGBT、無性愛、政治、ニート、ひきこもり、家庭と親子、戸籍、差別、宗教、右&左、自殺、ユニークフェイス、etc……。これらが「同性同士の結婚、超OK!」という事”だけ”で一気に可視化され、そして”再び”議論として浮上してきて侃侃諤諤のやり取りがなされる。”当事者”も参加しながら、今までなあなあでうっちゃられて放ったらかしにされた問題&分野が目を背けたくなるほどに浮きあがってくる。もちろん、これまでヘテロ社会において問題とされてる事柄を、細々と引き継ぎながら。

ただし「同性婚超OK!」が実現することで生まれてくる新たなマイノリティも必ずあるだろう。例えば「同性同士の結婚なんて気色悪い」というのが、本当にどうしようもないほどに生理的嫌悪に根ざしている人。そういう人が今度はきっとマイノリティとして追いやられてしまう。そうした人はどうすればいいか?そういう人に対しては多分きっと「同性間の性行為を想像しすぎる人は健常者と比べて先天的に脳に違いがある」という”トンデモ”言説だとか、あるいは「同性婚が理解できない子供の発達はウンヌンカンヌン」なんてのが出てくるだろう。また愛の下に結婚する同性愛者達の一部には「愛もないのに制度利用のために結婚するなんて日本人として間違ってる!」なんて騒いだりする人も出てくるかもしれない。

でもそこまで先を行く想定は、今現状の段階ではまだSF小説にしかならない。今考えるべきことは「あと一歩で全然SF小説じゃなくなる」ようなこと。それなんだ。』

……なんてことを毎日想像してはウダウダと考えている僕、30歳。高卒。元いじめられっ子。無職ニート。ひきこもり。同性愛者。アダルトチルドレン。宗教被害者。明日もたぶんウンコを製造しながら、生きてしまっているに違いない。山田花子の自殺直前日記でも読もうっと……。

2009年10月12日

第15回 月乃光司のハート宅配便~あなたの心に届く33%の生きる力~

第15回 月乃光司のハート宅配便~あなたの心に届く33%の生きる力~

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【放送内容】
対談ゲスト:さつきさん(NPO法人レジリエンス)

【出演者】
月乃光司(こわれ者の祭典)、藤井奈央

【制作】
VOICE VISION(新潟市)

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2009年10月16日

第4回 巨椋修のオグラ夜話

あきらめるな! あきらめろ!

第4回 巨椋修のオグラ夜話 

ポッドキャスト&オンデマンド版

今回のテーマは『女だらけのオールニートニッポン恋愛話地獄変・ポロリもあるよ』です。


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【収録日】

2009年10月16日


【出演者】

【P】 巨椋修(漫画家・映画監督)
【A】ヤマシタ&岡田沙織
【G】國吉いづみさん(モデル)



 第1部 草食系男子と肉食系女子?

 第2部 男性のこんな言動にグッと来る!?

 第3部 絶対につきあえないと思う男は?

 第4部 恋愛ベタの男女のために‥



番組中告知のあった、2009年11月14日(土)に開催される
駒沢大学経済学部創立60周年記念シンポジウム『不思議の国ニッポンの経済・文化・社会』
についての詳細はコチラです。


オールニートニッポンの次回放送は10月23日『ワホリのオールニートニッポン』です。
お楽しみに!

番組への質問・相談を受け付けております。ラジオネームを添えて、コチラまでmail.gif

2009年10月20日

第16回 月乃光司のハート宅配便~あなたの心に届く33%の生きる力~

第16回 月乃光司のハート宅配便~あなたの心に届く33%の生きる力~

ポッドキャスト&オンデマンド版<毎週月曜日更新>

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ハート宅配便

【番組紹介】
誰もが持っているちょっとした「生きづらさ」。そんな「生きづらさ」に効く「生きるコツ」を、様々な人生体験を乗り越えてきた女性サバイバーをお迎えしお聞きします。この番組を聞けば、100%とはいかなくても、33%でも生きることが楽になる、そんな力をリスナーのあなたにお届けします。全国各地のコミュニティFMでも放送中!

【放送内容】
対談ゲスト:さつきさん(NPO法人レジリエンス)

【出演者】
月乃光司(こわれ者の祭典)、藤井奈央

【制作】
VOICE VISION(新潟市)

番組へのお便りお待ちしています!番組公式サイトからどうぞ!


2009年10月23日

第8回 ワホリのオールニートニッポン

夢にときめけ!

第8回 ワホリのオールニートニッポン 

ポッドキャスト&オンデマンド版

今回のテーマは『オールニート礼儀作法講座』です。

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【収録日】

2009年10月23日


【出演者】

【P】 ワホリ(元自宅警備員)、飯島、ハギー
【R】夏目涼介



・第1部 礼儀ってなに?

・第2部 儀礼的距離化

・第3部 「脱・挙動不振講座」& 今回のまとめ



番組への質問・相談を受け付けております。ラジオネームを添えて、コチラまでmail.gif

2009年10月25日

投稿原稿「表現者の名言達と其れに送る言葉ども」

「表現者の名言達と其れに送る言葉ども」
作:何某 何

27歳で死のうと思って生きてきた。
表現者として自分の作品を世に残し、ロックスターのように夭折しようと思っていた。
そこに驕りと大きな勘違いがあったのは事実だ。
 有名になりたかった。
 忘れられたくなかった。
 負け犬として語られたくなかった。
 何よりも、心の闇を作品として形に残したかった。
 そして、突然襲ってくる心の混乱と、それに伴う孤独を、何とかして終わらせたかった。
だが結局それは叶わなかった。
何もできずに27歳まで生きてきて、何となく解ったことは、自分には才能が無いということと、
どうやら死ぬのはまだずっと先だということだ。
だから飄々とした人間になって生き続けていくことにした。
真剣に創作活動をしてできた作品はすべて、人に見せられるシロモノでは無かったのだから。
今から挙げるのは、時代を彩ったアーティスト並びに表現者達が残した名言と、
それに対する今の僕なりの返答だ
 死ぬことはできなかった。
 心の闇は残った。
 混乱もずっと収まりそうにない。
 ロックへの愛情だけは変わっていない。
あの頃の僕に言える言葉なんて、まだ見つかってないけれど、抱えたまま行くくらいであれば、
今の僕にならきっとできるだろう。

 ピート・タウンゼント
 「年取る前に死にたいぜ
  これが俺たちの世代」
 世代ってある意味とても残酷な言葉

 ジョン・レノン
 「労働階級の英雄になるのは大変なことだ
  もしも英雄になりたいのだったらぼくについてくるんだ」
 日本で末端労働の英雄になるのも、また大変なことだ。

 ジャニス・ジョプリン
 「自由ってことは
  失う物が何も無いってこと」
 気づいたときには傷だらけ

 カート・コバーン
 「覚えておいてくれ。消え去るより、燃え尽きた方がいいんだってことを」
 フェードアウトしたって、人生は続くんだ。

 シド・ヴィシャス
 「俺達は一緒に死ぬ約束をしてたんだ。
  こっちも約束を守らなきゃいけない。
  死んだらあいつの隣に埋めてくれ。
  レザー・ジャケットとレザー・ジーンズとバイク・ブーツを死装束にして」
 馬鹿

 イアン・カーティス
 「今この瞬間でさえも、
  はじめから死んでいれば良かったと思う。もうやっていけない」
 嘘でも笑顔を作り、いいものと悪いものを見ながら生きていく。僕はそうすることにした。

 バーナード・サムナー
 「教えてくれ それがどんな感じなのか
  君の心臓が冷たくなっていくというのは」
 俺達は生き残っちまった。遺されちまった。
 だから生きていくしかないんだ。続けていくしかないんだ。
 下手だろうと何だろうと。

 ボブ・マーリー
 「お前の口からついてでる言葉が、お前を生かすのだ。
  お前の口からついてでる言葉が、お前を殺すのだ」
 もしどうしても死ななきゃならなくなったのなら、せめてこんな言葉を遺して、死んでいけたらと思う。

 古今亭志ん生
 「ええ…その名前はですな……まあどうでもいい名前」
 真面目で生きるのも結構辛いんだぜ。上手くいくとも限らないし。

 八代目桂文楽
 「台詞を忘れてしまいました……申し訳ありません。もう一度、勉強し直してまいります」
 こう生きれるんだったら、こう生きた方がいいさ。本当の怠け者に送る言葉はこっちだ。

 ノエル・ギャラガー
 「俺は何でも自由に選んだものになれるんだ
  その気になればブルースだって歌ってやる」
 子供に笑われるくらいだったらもう平気だしね

 江戸アケミ
 「お前はお前のロックンロールをやれ」
 とりあえずまだ勘違いしているかもしれないまま進んでいくことにするよ

表現者として名を成す夢はもう捨てたけど、表現自体をやめた訳ではない。だから下手なりに表現を続けていくつもりだ。それ位の自由なら世の中にはある筈だし、理解したのだから。そしてそれ位の責任なら、背負える筈だし、覚悟はできているのだから。
 混乱が収まるまで
 闇が消えても
 Boys be Keith Richards.

レギュラー番組休止のお知らせ

レギュラー番組休止のお知らせ 

いつもご視聴ありがとうございます。


大変申し訳ありませんが、現在配信中の第3期レギュラー番組
「巨椋修のオグラ夜話」、「ワホリのオールニートニッポン」、「白井勝美のキングオブニート」
の3番組は10月の配信をもって一時休止とさせていただきます。
長らくの応援・ご支援、チャット・メール等での番組ご参加、誠にありがとうございました!
(「月乃光司のハート宅配便~あなたの心に届く33%の生きる力~」は引き続き配信させていただきます。)

11月以降のオールニートニッポンの活動につきましては、また後日ご報告させて頂きます。
これからもどうぞよろしくお願いしたします。


オールニートニッポン事務局
お問い合わせメールアドレス:ann@kotolier.org

2009年10月27日

第17回 月乃光司のハート宅配便~あなたの心に届く33%の生きる力~

第17回 月乃光司のハート宅配便~あなたの心に届く33%の生きる力~

ポッドキャスト&オンデマンド版<毎週月曜日更新>

※「月乃光司のハート宅配便」は、全国各地のコミュニティFMでも放送中のため、インターネット上でのストリーミング配信は行っておりません。予めご了承ください。

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月乃光司(こわれ者の祭典)、藤井奈央

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