![]()
「第4話 クビ」
朝だ。また朝が来たのだ。私たちには毎日朝がやってくる。それはまるで「もうお前なんかこなくていい。お前はクビだ」と社長に言われても、何を言われたのか理解できずに、次の日また出勤してくるどうしようもない社員の様なものである。かなり困ったものだ。本当のバカにはバカとは言えないものである。そして社長はしょうがないから覚悟を決めるのだ。彼はこう語るのである。「わかった。お前を一生面倒みてやる。しかしもう二度と失敗しない様に一生懸命働け。どちらにせよ労働基準法があるから、そんな簡単にお前をクビにすることなんてできやしなかったのだよ」と。彼はそしてその社員を強く抱きしめる。社長の目から、そして社員の目からも美しい大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちている。それは、私もこの原稿を書きながらえんえんともらい泣きしてしまいそうな、素晴らしい光景である。
しかし、しかしである。私はその社長の様に、涙を流しながら朝を迎えることなどはできやしない。私はもっと寝たいのである。本当に申し訳ないが。できれば今日の昼、いや夜まで寝ていたいのである。私はベッドの上でうつ伏せになり、目をつぶり続ける。寝たふりである。スースーとゆっくり鼻から息をしながら、体を動かさないよう集中する。しかし私の心はどうしても「無」になることはできない。私はこう考えていた。その社長だってきっと私の様に意地悪になろうと思えばなれたはずだった、と。ずっと無視し続けることだってできたはずなのだ。そして「あれ、君は誰だっけ?新入社員?」ととぼけてもよかったはずだった。それは残酷極まりないことなのかもしれないが。そして残念なことに(またこれは当たり前のことではあるが)その時私の世界で起こっていたこと全ては、寝たふりという恥すべき行為を決して許すことはなかった。世界は朝の味方だったのだ。
愛に飢えているベランダのスズメたちは歌を歌うことを止めることはない。「カラオケの練習ならビッグエコーに行ってこい」と大声で言うことはできる。だが彼らに意味が通じる訳がない。そして彼方から聞えてくる、まるで「朝の散歩に無理やり俺をつき合わすな!」とでも言っている様な深刻な犬たちの鳴き声。「飼い主は何をしているんだ!迷惑なんだよ」と大声でベランダから叫ぶことはできる。だがそんなことをする勇気など私にはない。しょうがない。しょうがないのだ。私はついに起きることにする。そして私は窓を開けると、太陽に頭を下げて挨拶をした。ああ、よく戻ってきたな、と。私はベッドから抜け出すと、トイレをすまし、鏡に映る自分の顔の細部に注意しながら、ひげをそり、歯を磨く。そしてスーツに着替えて、私は家を出た。だが今日も私は会社に向かっているのではない。わたしは一本松公園に向かっていたのだ。
公園の朝は素晴らしいものである。ぽかぽかと太陽の光に照らされて、ちょうど心地良い。ベッドに寝ていなくて正解だった、と私は思った。ついさっきまであんなに「寝かせろー」なんて言っていたのに都合がよすぎないか、と言われるかもしれないが人間なんてそんなものである。本当に申し訳ないが。そして私はいつもの様に公園の入り口を通り、中央にある松の木の下のベンチに腰掛ける。そして私はこう考えていた。誰もがクビになり、転職先が見つからず、飢え死にしてしまうことを恐れているが、果たしてそういったことはそれほどまで恐れるべきことなのだろうか、と。クビになるということは女の子にふられること同じだと思っている。勿論ふられるのは誰だっていやだが、前を向いて新しい出会いを求めるしかしょうがない。もしかしたらもっと素晴らしい女の子に出会えるかもしれないのだ。「別れることがなければ、めぐり逢うこともできない」である。私が今までの人生の中ですでに100回以上はふられ、もう何も怖いものがないからそんなことが言えるのだ、と思う人もいるかもしれないがそれは間違いである。私は本当にクビになること、ふられることは悪くないことだと思っている。もちろんいいことだとも言わないが。また、私はこうとも思う。クビになったからと言って、会社の悪口をいったり、訴えたりするのは、ストーカー行為と同じことなのではないだろうか、と。はっきりと事前に言わしておいてもらうが、もちろん私は一度もストーカーになったことはない。だから実際の所、ストーカーの心境というものは私には分からない。ただきっとそうだろうなと推測しているだけだ。だがきっと間違いではないと思う。
そしてクビより恐ろしいのは、クビにもさせられず一生そこの職場で飼い殺しにされること、ではないかと思う。生かさず、そして殺さずという職場は怖い。私は絶対にイヤだ。給料も上がらず、生きがいも見出せず、「私は家族を養う義務があるから」と辞めたくても辞められない。ただ走り続けるだけ。私はその様に生きて安定を手にするよりも、もっといい職場を求めて不安定を求めるほうがいいと思う。我慢をしたり、泣き寝入りしたりしないで、イヤなものはイヤだとはっきりと言える方が健全な生き方のはずだし、社会もそうやって向上してくはずだと思っている。私たちは社会のいじめられっ子になってはいけないのである。しかし私は時々不安になってしまう。この私の考え方は間違っているのだろうか、と。こういったことを語るとたくさんの人は私にこうアドバイスするからである。「そういった考え方は甘すぎる。5年がんばって耐えるんだ。我慢しろ。3年でもいい。そうすれば何も感じなくなる。人生はそういったものだと考えられる様になる」苦しむことにひたすら耐えることが、いい人生を送るということなのだろうか。未来の安定した給与のために今苦しみを耐えることは、果たして幸せな生き方だと言えるだろうか?私には分からない。私は公園でたった一人、ベンチに座りながら考え続ける。だがどうしても私には分からない。どんなに一日中考え続けたとしても・・・
