引きこもったから気づいたこと
作:ムラタ
親は教育熱心な親だった。塾に通わせ、夏期講習、冬期講習、とにかく勉強しなさいばかり言っていた。俺は「やりたくない!なんで勉強しなきゃいけないんだ!」と反発していた。親の答えは「今、勉強しておけば後が楽だから」というものだった。俺は「後で苦労してもいいから勉強なんかしたくない!」と言うと「いいからやりなさい!」と力でねじ伏せられた。
そうか、自分の意見を通したければ、力で無理矢理ねじ伏せればいいんだな。
そう学んだ。
「人の嫌がることをするのは悪いこと」としつけられた。
ころんで怪我をして怒られたことがあった。「そんなところを歩いているから怪我するんだ。早く来なさい!」と。自分が怪我をすることは怒られること、つまり「親が嫌がること」とわかった。
手伝いをしようと、自分からすすんで買い物に行ったことがある。お店に着いてお金を落としたことに気づいた。あわてて家に帰り、母に報告すると「何やってんの!見つけるまで帰ってくるんじゃない!」と言われ、お金を探し続けた。
空が暗くなっても見つからず、でも、見つけないと家に帰れないし…。と思いながらも帰宅した。きっと家に入れてもらえないだろうと本気で思っていた。家に入ることは許された、というか、「見つけるまで帰ってくるな!」と言ったことを忘れていたようだ。
その時言われたことは「できないなら買い物に行くなんて最初から言うな」だった。
自分が手伝いに失敗することは母が怒ること、つまり「嫌がること」とわかった。失敗せずにすむ機会を増やすのは、自分からすすんで手伝うことはやめることだ。
そう学んだ。
「自分がやられて嫌なことは人にするな」ともしつけられた。
初対面の相手は何を嫌がるのかわからない。わからないけど相手が嫌がることはしてはいけない。だから、自分がやられて嫌なことはやらず、なおかつ相手が嫌がりそうなことはやらないという考えになる。そういう考え方で人と接するから、なかなか打ち解けられない。1対1でもそんな状態なのに、グループに一人で話しかけるなんてできるわけがない。そのグループの人達、それぞれが嫌がることはしてはならない。そんなの無理だ。じゃあどうする?
一人でいればいい。
そう学んだ。
他にも様々なことを学び、月日がたった。
その結果できあがった人格は、自分が得意なこと、強い立場でいられる場所では力で人を動かし、やりたくないことはやらずに済むよう論理でねじ伏せ、グループには馴染めず、失敗を恐れて新しいことに臨めず、そのくせ人を気遣っていると思い込んでいる、というものだった。
今の状態になったのは親が悪い、ということを言いたいのではない。
過去は、今の自分がどういう感情・感覚・反応をよく使っているかを知るために利用できるということを言いたい。
ではなぜ、今の自分の感情などの傾向を知る必要があるのか?
記憶力や筋肉と同じように、おそらく感情・反応もよく使うものほど反射的に出やすくなり、使いこなせるようになる。使わない感情・反応ほど出にくくなり、使い方が下手になる。
そうしてできあがった思考の傾向を「性格」という言葉で表しているのではないか?
もし、そうなら、ある感情を頻繁に使うようにすれば「そういう性格」になるのでは?
この考え方が役に立つかどうか、引き続き考えていこうと思う。
