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投稿原稿:自殺について

『憂鬱草』(「憂鬱から生まれた歌人」を改題。第三話)

「自殺について」著・或る駄目人間(新人歌人<にいとかじん>から改称。)
 
 お久しぶりです。前回の投稿から8ヶ月も経ってますが、よかったら投稿させて下さい。硫化水素による自殺が多発する現在、少しでも何か自分からもこの風潮を防ぐ手を打てたらと思います。自分はただの駄目人間に過ぎませんが、友人を二人自殺で亡くしたこの気持ちを、少しでも世の中に伝えて置きたいと思います。以下は全て事実です。
 
 高校時代の友人の一人Yが自殺してから約4ヶ月後、再びもう一人の高校時代の友人Hが自殺しました。一ヶ月前に秋葉原電気街で会い、一緒に街を歩いたりメイド喫茶に行ったりしたばかりでした。それどころかニ週間前には電話もして、一週間前にはメールをしたばかりでした。一緒に酒でも飲もうと言う約束もしたばかりでした。自分は酒はほとんど飲めない体質ですが、気さくで明るくて心優しいHさんと酒を飲む日を楽しみにしていました。それだけ良い人でした。
 
 その知らせを受けたのは丁度、一ヶ月前に三人で歩いた秋葉原電気街の裏通りを一人で歩いている時でした。電話の相手は、あの時一緒に街を歩いたもう一人の友人Sでした。電話に出ると、Sは自分が出たことをを確認すると、一呼吸おいて言いました。
 「落ち着いて聞いてくれ・・・。・・・・・・Hが死んだ。」
 自分は驚いたまま絶句して、突然のことに信じられない気持ちでした。死んだ・・・死んだ・・・、それだけが頭にリフレインして目の前が真っ黒になりました。
 「・・・もしもし。大丈夫・・・?」
 と言われて我に返り、大丈夫、と返し、人通りの多い裏通りから静かに話の出来る路地へ早足で向かいました。
 S崎の話によると、4日前に電車に飛び込み、今日身元が判明して親御さんから連絡が来たとのことでした。二人とも信じられないままでした。一ヶ月前に会った時は精神を病んで休学中だったとは言え、いつも通り気さくで笑顔も見せており、これからどんどん良くなってゆく感じがしていました。電話をしたときも、普通に話せたし、何より今度一緒に飲みに行こうと言う約束もしたばかりでした。それに、高校生の弟が野球の夏の大会のメンバーに選ばれたことも喜んでいました。ただ、一ヶ月前にメイド喫茶漏らした『俺、Y二号になるかも知れない・・・』と自殺を仄めかした言葉が引っかかっていました。その時は二人で励まして「旅行でも行こうぜ」とか「今度飲みに行こうよ」とか言ったのを思い出します。
 
 葬儀日程のメモを取り終わると、一旦、電話は切れました。自分はふらふらと歩きながら、芳林公園の縁に腰を下ろして茫然としていました。その前では、キャッチボールをする少年が二人いました。Hさんの弟の話を思い出し、自分はこみ上げて来るものを抑え、公園を出ました。秋葉原駅へ歩いている途中、携帯電話が震えました。出ると、Sでした。
 「Hの遺体が安置されてる式場に行こうと思う。一緒に来る・・・?」
 自分は一緒に行くと応え、秋葉原駅の改札に入りました。電車を乗り継ぎ、自宅に帰ると、親の車を借りて家を出てSを途中の駅で拾い、Hさんの安置されている葬儀式場に向かいました。もう辺りは暗くなってきていました。
 
 葬儀式場につくと、高校時代の三人の担任だったSK先生がいました。先ほどまで親御さんが傍についていたそうですが、今は帰られたとのことでした。親族の方がいないのでは勝手にHさんと会う訳には行かないと思ったのですが、SK先生は言いました。
 「Hが一人でかわいそうやろ。会いに行ったれ」
 先ほど対面してきたS本先生に引率されて自分とSは奥の部屋にある安置室に入りました。そこには棺が三つほど並べられていて、真ん中がHの入っている棺でした。SK先生が棺のフタをずらすと、白い布を顔の上半分に被せられたHが横になっていました。SK先生は涙をこらえ、自分は手を合わせてきつく目を閉じました。SはHさんを見つめたまま立って涙を流していました。Hさんの顔は安らかではなかったです。口元と覗いた歯は怒っているように歪んでいました。自分は、壁に背中をつけて、力なく壁際に崩れると、(・・・この世の中は間違っている、この世の中は間違っている・・・)と、心の中で繰り返していました。先のYと言いHさんといい、何で良い人間ばかり自殺に追い込まれなければならないのか。自分はこんな世の中に絶望しました。それは社会や誰かが悪いとかではなくて、この世への絶望でした。(だからと言って自分はあの世信奉者でなければ宗教を信じる人間ではありません。ただ、この時はそう繰り返していました)
 
 SK先生の名刺の裏に二人の名前を書き、棺の横に置くと、三人して安置室から出ました。その後、車を運転して駅まで来ていたもう一人の友人を拾い、ドトールに移動して、四人で話しました。そこで、最も仲の良かったSと相談に載っていたSK先生からHさんの家庭のことについて聞かされました。ある程度聞いていたとは言え、Hさんが家庭でここまで大変な思いをしていたとは知りませんでした。(詳しくはプライバシーの観点から書きません)
 
 後に自分も精神が不安定になり、プラットホームに入線してくる電車を見てはふらふらと引き寄せられそうになって寸前でハッと我に返ったり学校のベランダから飛び降りそうになったりするまで精神が追い詰められましたが、その後、心療内科に通い、家で療養して寝てばかりいる生活の中で段々と精神が落ち着いてきました。最初はあまり良好ではなかった家族関係もなんとか今は良好になりました。これが精神の安定に大きい気がします。自分の場合はそれでも精神がほぼ前の状態に近い状態になるまで2年以上はかかった気がします。Hさんの場合は、家庭が安息の場所では無く、外(学校生活)にも行き詰まり、内(家庭生活)にも落ち着く場所が無かったことが更に自身を追い詰めていった気がします。やはり、精神の問題は長い時間と安定した人間関係によって解決してゆくしか無いのかも知れません。ただ、長い療養時間も安定した人間関係も得難い人の場合はどうするのか。これが問題です。「俺はHの家族じゃないから、24時間一緒にいられれなかった」とSがいつか言っていました。友人は家族の領域には踏み入れることが出来ません。結局、自分達はHさんの死の衝動の前には無力でした。自分は寸でで衝動を抑えましたが(我に返りましたが)、それは、負の感情のピークをやり過ごせば、今日一日はなんとかなる、と言う気持ちと、このまま落ちきったままの人生で終わりたくないと言う小さな反発でした。人間はいつか死ぬんだから、死ぬ最後の最後まで抵抗する。格好悪くても、引き籠りでも、現在寝たきりでも、生きてる限り、いつかきっと手を打てる日が来る筈です。現に、2年前では絶対考えられなかったバイトも少しずつですが自分は出来るようになりました。生きてさえいれば、心身も回復してゆきますし、現状も好転する可能性もあります。死んでしまったら、全ての可能性が0になってしまいます。それは端的に言って『もったいない』ことだと思います。人間は生きている限り、それが例え無為に過ごしているような日々でも、必ず成長してゆくものと信じています。
 
第一話
http://www.allneetnippon.jp/2007/08/post_32.html

第二話
http://www.allneetnippon.jp/2007/09/post_34.html

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2008年06月02日 13:53に投稿されたエントリーのページです。

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