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名前はまだ無い 第6回「ひきこもり」支援・雑感(その2)
本題に入る前に告知をさせてください。
このたび青弓社から『ひきこもりの〈ゴール〉:「就労」でもなく「対人関係」でもなく』
を上梓しました。今年3月に提出した博士論文を書籍化したものです。
当事者にとって「ひきこもり」とは一体いかなる経験なのか。
そこから〈回復〉するとはどういうことなのか。
なぜ彼/女らは〈社会参加〉でき(し)ないのか。
本書はこれまでの調査経験をもとに、
こうした素朴だけれども根本的な問いに答えることを試みました。
自分なりに納得のいく答えを出すことはできましたが、
今後いっそう議論を深めていくためにも
多くの方に読んでいただきたいと思っています。よろしくお願いします。
こちらに簡単な内容紹介と目次があります。
http://www.seikyusha.co.jp/books/ISBN4-7872-3276-2.html
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前回は、「ひきこもり」の支援をするのは、
言い換えれば社会との接点を模索している人たちを支えるのは、
「ひきこもり」の関連団体だけじゃなくてもいいのではないだろうか、
ということを書きました。
今回は、この考えの背景について書いてみようと思います。
■「ひきこもり」コミュニティの“外”には職業社会しかないのか?
前回も書いたように、たいていの「ひきこもり」支援は
家庭→居場所(フリースペース、自助グループetc.)→職場(≒社会)
といった感じで、引きこもっている人を社会に接続させようとします。
ただ、ここで言う「社会」は「職業社会」に限定されているような気がして、
それがどうもしっくりこない。なぜか。
まず、居場所と職業社会のギャップの大きさ。
今の日本では働いているかどうか/金を稼いでいるかどうかによって
人間の成熟度合いをはかろうとする価値規範が支配的ですが、
職業社会はそれが最も顕著なところです。
一方、居場所はそうした価値規範から距離を置くことで
当事者の自尊心の回復が助けられるようなところだと言えます。
だから、仮に居場所で安定して過ごせるようになったとしても、
それは居場所が「ひきこもり」を否定しない場だからであって、
その“外”に出て行けるかどうかは、また別の話のような気がするのです。
現状では居場所に慣れてきたら職業社会へと駒を進めるのが当たり前だとされていますが、
それは、引きこもったことのない人、引きこもっていない人が考えている以上に、
難しい(そして恐ろしい)ことなのではないでしょうか。
だから就労支援が盛んに行なわれるようになったのだとは思うのですが、
直線的に職業社会を目指すのではないようなやり方があってもいいんじゃないか。
居場所に飽き足らなくなったからといって、
すぐに職業社会に参入できるとは限らないんじゃないか。
そもそも職業社会への参入だけが「社会参加」ではないはず。
もちろん生活を営むためにはお金を稼ぐことは必要だけれども、
そればっかり考えるのは何かちょっと違うんじゃないか。
まだまだうまく言葉にならないのですが、
こういった違和感や疑問に応えていく一つの道筋として、
居場所からいきなり職業社会を目指すのではなく、
「ひきこもり」には直接関わってはいないけれども様々な活動をしている
NPO団体につながってみるというのもありなのかもしれない。
そういうことを8月からの調査を通して考えるようになりました。
→つづく
感想はこちらへ![]()
いままでの「名前はまだ無い」
2007.7.18 第1回「にがてなもの」
2007.7.27 第2回「身もフタもない」
2007.8.3 第3回「「ひきこもり」原因論・雑感(1)」
2007.8.27 第4回「「ひきこもり」原因論・雑感(2)」
2007.9.13 「「ひきこもり」支援・雑感(その1)」

コメント (2)
同意。なにか「働かなくちゃ」っていう「脅迫的」な意識そのものが、やっぱり…違うって思う。
投稿者: M | 2007年10月10日 23:05
あ…『強迫的』…ですね。
投稿者: M | 2007年10月10日 23:16