« 人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第11回「僕のいばしょ」 | メイン | 「生きづらさライオット~生きづらくて何が悪い!~」 »

投稿原稿 「氷河期世代は行動する」

投稿原稿  氷河期世代は行動する  藤本拓自
 
第1回 1975
 
私は1975年(昭和50年)9月11日に生まれた。
32歳、非常勤講師。「不安定労働層」 で、要するにフリーターだ。というと我こそは真のフリーターだ、という方に怒られてしまうかもしれないけれど、自己規定は完全にフリーター。
26歳のとき以来、誕生日の9.11は、世界的な記念日になった。年をとるたび、あれから何年か、と正確にカウントする。
29歳で結婚し、子供が1人いる。
いろいろと幸運があり、不安定労働層としては、恵まれた方なのだろう。
それでも、特に経済的な面で、自分の境遇を楽だと思ったことは一度もない。安定した将来像を描けたこともない。
 
世代的には、いわゆる「就職氷河期世代」(1970年代~1980年代初頭生まれ)のど真ん中にあたる。
「貧乏くじ世代」(香山リカ)だとか「ロストジェネレーション」(朝日新聞)だとか、勝手なレッテルを貼られたりもする。
どれもこれもネガティブなものばかりだ。
 
資料的な意味も込めて、大きな社会的事件とそのときの年齢を記しておこう。連載の中でも重要な意味を持ってくるだろうから。
14歳のとき、昭和が終わり、ベルリンの壁が崩壊した。16歳のとき、ソ連が崩壊した。
20歳のとき、阪神淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があった。
学校を卒業して社会に出るころは、就職氷河期の真っ只中だった。
26歳のとき、アメリカ同時多発テロ事件があった。
 
同世代の人間は、32歳の現在、もちろん個人により差はあるのだが、「どうにかこうにか生き延びてきた」という感慨を持つものが多い。
少なくとも私はそうだ。
そしてそのサバイブ感は、この世代の共通感覚となっている。
しかし、そこで得られるはずの矜持が、明日も生き抜いていける安心につながらない、という感覚がある。氷河期時代の競争を勝ち抜き勝ち抜き安定労働層となったものでさえ、グローバル社会の過剰流動性の只中、かつてとは比較にならないほど、明日への不安にさらされ続けるだろう。
 
一方で、こんなことが言われたりもする。
 
梅田 僕は「一九七五年以降に生まれた人」ってよく言うんですが、「はてな」の近藤も、ミクシィの笠原健治社長も、平野さんもみんな一九七五年の生まれです。その前と後とで大きな断絶があって、一九七五年生まれの人はちょうど分水嶺に位置していますね。

平野 変化の年なんですかね。世代的には団塊ジュニアに当たるわけで、近藤さんの『「へんな会社」のつくり方』という本を読んでいても、お父様の考え方に影響されたということが書いてありましたが。一つは、丁度、バブルと今の好景気との谷間に大学時代を過ごして、就職氷河期に社会に出なければならなかったというのもあると思いますけどね。大企業に就職するということに、みんな疑問を感じていましたし。それでベンチャーに行った人もいれば、僕みたいに小説なんて書き始めたのもいます。要するに世の中の現状に不満があって、みんな何か言いたいことがあったんじゃないですかね。その時に、小説という形式を通じてそれを表現することを考えたか、そうした無数の言葉を受け止めるためのシステムを開発することを考えたかというのが、同世代人としての僕と近藤さんたちとの共通点であり、また違いなのかもしれない。

梅田 一九九〇年代前半の日本って、閉塞感の強さという意味で確かに特異な時期だったかもしれませんね。一九七五年生まれの人たちは、その時期に十代の後半だったということですよね。それは大きいかもしれないな。自分のことを振り返ると、九一年末から九二年にかけてサンフランシスコに住み、日本に帰ってきて九三年から九四年まで東京に住んだんですが、その頃日本で感じた閉塞感の強さって本当にすごいものがありましたね。それで好対照のように、九三年末から九四年末にかけて、シリコンバレー発でインターネットの波がやってきて、僕は居ても立ってもいられないような焦燥感にかられて、一日も早く東京を離れたいとい気持ちでいっぱいになりました。それがエネルギー源になって、シリコンバレーに引っ越したんですよね。
 それからインターネットの普及が一年遅れで日本にやってきた。一九九五年のことですね。そのとき、一九七五年生まれの人は、皆、十九歳か二十歳なんですね。これに数年の差があるともう感覚が違っていて、当時二十三歳だった世代というのは、新入社員として古い文化の会社にどっぷり浸かって忙しくて、ネットに触れる環境になかった場合が多い。だから大学院に行ってない限り、七一、二年生まれというのは、案外感覚が古い。そして、七五年、七六年、七七年生まれ辺たりが、ゴールデンエイジですね。

平野 実感として意識していた障壁を初めて越えた世代なんでしょうね。その後になるとネットは当たり前という感覚かもしれない。
梅田望夫・平野啓一郎(2006)『ウェブ人間論』新潮新書pp.189-191
 
おお、「ゴールデンエイジ」!
金持ちのおじさんはまったくいい気なもんだ、という感じもする。
それでも、上の世代にも下の世代にもない、この世代特有の「思想」、というと言葉だけの問題のように思えるから不適切で、なんというか、この世代特有の不定形な「熱」、とでも言うべきものが、最近放出されはじめている。
私はそうとらえている。
 
この連載では、ひときわ鮮やかに、そして時にあやしく、その「熱」を発する人物達を取り上げていきたい。
具体的には、赤木智弘、雨宮処凛、杉田俊介、小山エミ、平野啓一郎、近藤淳也、笠原健治……。
みな1975年生まれだ。
そして私なりに狙いのある人選である 。
最初の3人は、オールニートニッポンに関係のある方達でもある。
しかし、それぞれやりたいことも、やっていることも、性格も、社会的な位置づけも、経歴も、知名度も、全然違う。
それでも、どこか、ある種の傾向というか、ゆるやかなつながりが見られるように思う。
 
私としては、それぞれの「熱」の、一番熱いところを抽出したい。
個人的に、それぞれ批判的に見ている部分もあるが、この連載では、強みと可能性を重視する。
そしてその可能性をつなげて並べることで、時代の構造と今後の方向が浮かび上がるのではないか。
というより、連載によりそのヴィジョンを自ら構築する、といったことを目指している。それができれば、単なる世代論を超えたひろがりにつながるはずだ。
ただ、私の力量でどこまでやれるか、不安もありますが……。
 
それから、連載のタイトル『氷河期世代は行動する』について。
もちろん直接知りはしないのだが、60年安保の頃、「若い日本の会」という連帯があった。
 
その一つが、若手の芸術家や作家が集まった「若い日本の会」だった。五月三〇日に開かれたこの会の集会招請状には、江藤淳・浅利慶太・石原慎太郎・大江健三郎・開高健・武満徹・寺山修司・谷川俊太郎など、当時の二〇代の新進作家たちが名を連ねた。そしてこの会の特徴は、指導部や綱領をもたない、メンバー各自の自発的な集まりである点にあった。代表役であった江藤淳は、会の性格についてこう述べている。
 
名前がないとかっこうがつかないので、詩人の谷川俊太郎の考え出したのが「若い日本の会」という名前であるが、そういう組織が恒にあるわけではなく、五人寄れば五人が、五十人寄れば五十人がこの会の会員である。……世話を焼く人間は必要であるが、これも買って出たものに任せよう。金は集まった会員が出せるだけ出す。大勢集まればそれだけ運動の拡大が可能である。大勢集めるためには、口から口に伝えるのが一番いい。五十人が三人ずつに伝えれば、百五十人の市民が集れる。……強行安保採決不承認という共通の目的のために、多声部のフーガのひとつのパートを受持つことが可能であろう。
 
こうしたあり方は、後年に「新しい社会運動」や「ネットワーク組織」などと名づけられた形態の、嚆矢といってよかった。江藤によれば、会員の「政治的考えは十人十様」で、「デモもなかなかいいが、こうして自発的に集ったからにはそれ以外の表現、デモにしてもワッショイワッショイだけではない表現がありうるはずだと考えるものが大部分である」。そして、「反権力運動には複数の方法が可能である。労働歌を知らない人間にも政治的要求はある」「こういう人々の声が、斉唱ではなく、多声部の複雑なフーガのようなかたちで、労働者や学生の声に和したとき、はじめて政治と生活の間の抜きがたい断層が埋まるのではないか」というのだった。
小熊英二(2002)『〈民主〉と〈愛国〉』新曜社pp.516-517
 
60年安保の直前、江藤淳は『作家は行動する』という評論を書いている。
しかし書名から想像されるような、ベタな行動の書ではない。
むしろ、「行動」とは、文体に刻まれる軌跡であり、要するに「言葉」の問題であった。
この本や、60年安保時の運動に含まれていた「熱」と可能性から、多くのことを学びうる。
しかしこの運動がどのような結末をむかえたか。また、その江藤淳が、運動の後『小林秀雄』を書き、周知のような批評家へと変化していったことを、軽視するべきでもない。
 
いま、私は『氷河期世代は行動する』というタイトルで連載をはじめようとしている。
登場人物は、それぞれ異なる角度からだが、やはり「言葉」にこだわりがある。
しかしそれと同時に、言葉をどのような「場」で発揮するか、またその「場」をどう構築するか、という点に意識が高い。
言葉は強力な武器であるが、唯一の武器ではない。
言葉の「力」がもっとも発揮されるよう、どういった「場」を組織するか。
小説は文壇誌で、社会評論は論壇誌で、学問は学術誌で、といった「場」の自明性が失われた中で、自分の言説を、いつどこでどのように立ち上げるか。
彼らはその行動に、自覚的で、戦略的である。
 
ヘーゲルはどこかで述べている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番(farce)として、と。かれはつけくわえるのをわすれなかったのだ。ダントンのかわりにコーシディエ-ル、ロベスピエールのかわりにルイ・ブラン、1793 年から 1795 年のまでの山岳党のかわりに 1848 年から 1851 年までの山岳党、叔父のかわりに甥。そして「ブリュメール 18 日」の再版が出される情勢のもとで、これと同じ漫画が!
 
とマルクスは言った。
おお、そういえば60年安保当時の首相は岸信介で、現代の首相は、孫の安部晋三だ。いや、だった。
そしてこれから、テロ特措法の延長が国策上の大きな問題となってくるが、そのために「若い日本の会」のような、見えやすい連帯がもたれることは考えにくい。
まさに悲劇から喜劇へ?
 
しかしこんな言葉もある。
 
歴史は循環する。しかし、もとの位置あるいは昔の問題に戻ったかに見えても、内容はより高次のものとなる。それは螺旋状に動く。
ドラッカー(2005)『ドラッカー365の金言』ダイヤモンド社p.369
 
劇はもうはじまっている。
それが悲劇なのか喜劇なのか、高次なのか低次なのか、まだ誰にもわからない。
しかし続けてドラッカー流に言うなら、これは「すでに起こった未来」である。
2045年の未来予想も楽しいが、未来はすでに現在起こっていて、それを私はつかまえたい。
そしてさらに不遜にもドラッカーを引き続けるならば、ここで登場する最高に面白い個々の人物達、その総和以上の全体を、提示したい。
ただ、繰り返しますが、私にその力量があるか不安ではあります(笑)
とにかく、そういった心意気でやっていく所存です。
 
みなさまのご来場、心よりお待ちしております。
 
感想はこちらへmail.gif
 
いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」
2007.8.27  「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」
2007.9.3 「憂鬱から生まれた歌人」第二話
2007.9.10 「「誰かに伝えてみたいという気持ち」―Cocco「Raining」を聴いていた頃の話―」

トラックバック

この一覧は、次のエントリーを参照しています: 投稿原稿 「氷河期世代は行動する」:

» ここ数年の大量採用の理由など 送信元 blog50-1
→就職氷河期は有効求人倍率だけで見ると1.0倍をきった1993年〜2004年くらいまでの概ね10年くらいか。おいらもこの世代。 ただ、昨年、今年と1.0... [詳しくはこちら]

» 【 世代 】について最新のブログの口コミをまとめると 送信元 プレサーチ
世代に関する最新ブログ、ユーチューブ、ネットショッピングからマッシュアップした口コミ情報を提供しています。 [詳しくはこちら]

About

2007年09月25日 13:22に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第11回「僕のいばしょ」」です。

次の投稿は「「生きづらさライオット~生きづらくて何が悪い!~」」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.
Powered by
Movable Type 3.34