投稿原稿 憂鬱から生まれた歌人 第二話「暗黒の高校時代、空白の大学時代」 作・新人歌人(にいとかじん)
今回から文体を変えます。初回は緊張して丁寧語になってました。これからは普通に書いてゆきます。話が前に戻り、挫折と鬱屈に塗れた高校・大学時代を書いてゆきます。何かの参考になるかはわかりませんが、よかったら読んで下さい。
県下の進学校から、辛うじてMARCHレベルの大学に入学した自分だったが、入学して一月ほどでやる気を無くした。自分はもともと学校や勉強と言うものが嫌いだった。ただ中学時代、勉強が出来る人間がクラスでいつも優越的な状況にいるのに耐えられず、半ば反発的な気分から勉強に打ち込んだ。そして学内一桁に常に入れるぐらいにはなった。それで県内屈指の男子高進学校に進んでしまった訳だが、もともと勉強嫌い学校嫌いだった自分は徐々にドロップアウトしていった。好きな国語と日本史以外は赤点だらけでどうしようもなかった。授業中も司馬遼太郎の小説や紀行文ばかり読んでいて、受験勉強なんかもまともにやったのは四ヶ月にも満たない。そんな学校嫌いの勉強嫌いの自分は大学に入ってから完全に崩れ去った。閉鎖的な男子高進学校のイメージからかけはなれた現代的な、イマドキの若者に接して埋めがたい隔たりを感じたこともある。そして、そろそろ勉強嫌いが沸点に達していたこともあった。あとは、大学の勉強(文学部国文学)が自分にとっては非常につまらなかった。こんな昔の古典をうじうじやって何になるのか。思考停止して教授の言う通りの答案を書くことばかり求められる試験やレポートなぞ、やってられるか。一人で本読めば一日や数日で済むことを何でいつまでもうじうじ何時間、何ヶ月もやるのか。妙に、反発心が強く性格が捩れていた自分は学校からも教授からも学生からも遠ざかっていった。
そうして、大学を自主休講しがちになり、図書室に行ったり(学校嫌いが高じてそのうち大学の図書館とは疎遠になっていったが)図書館やマクドナルドで本を読んで時間を潰すことが多くなっていった。大学と言うものはテキストというものがなかったり、出席重視・課題重視の講義も多いので、高校で授業と試験を無視して独学する癖がついていた自分は多くの単位を落とした。最初の方はさほど気にしなかったり、あるいは心を入れ替えようとしたこともあったが、どうにも大学や学生に馴染めない。そこで自分はますます本を読んだり、小説の練習をしたり(ほとんどろくなものが書けなかったが)、学校に頼らない別のルートの生き方を更に更に模索した。と言っても、そんな簡単にそんな別のルートを開ける訳が無い。才能も無い、根気も無い、コミュ力の無い自分は学年を経るごとに逼迫していった。折りしも世間では「大学全入時代」と言う言葉が登場し始め、大卒→新卒就職の絶対性が更に強固になりつつあった。その中で才能も根気もツテコネも無い駄目人間が大学を辞めると言うことは何を意味するか。日を追うごとに自分は焦り始めた。しかし、いっこうに状態は好転しなかった。そんな折。
そんな折。全く寝耳に水のことが起こった。人間アレルギーに近い自分と波長の合った数少ない高校時代の友人(大学に入ってからもたまに家に遊びに来たり街で会ったりしていた)が自ら命を絶った。彼は自分よりも良い大学にゆき、単位も順調に取っていて、なおかつ彼女も出来て充実した大学生活を送っているものと思っていたので、その事態に驚くよりも呆然と立ち尽くした。俄かには信じられなかった。結局、深い理由はわからなかったが、同じ大学に通っていた友人からの話で大学のサークルでの人間関係に悩んでいたと言うことはわかった。ぼんやりとしつつ底なしに暗い気持ちで自分は通夜と告別式に参列した。通夜の後、集まっていた高校時代の友人と飲み屋に入り、久しぶりに話したのだが、みな、最初は友人の死を悲しみつつも、段々とこれからの自分達の将来のことを語り始めていた。大学もそろそろ三年。皆、前を向いていた。皆、大学でうまく行っているのだ。自分と違い、友人の死はそこまで皆の心に影を落としていないように見えた。一方、自分は死んだ友人と同じように大学生活で挫折した。そして、自分には語るべき将来は無い。それは暗澹たる気持ちだった。
それから三ヵ月後。否応なしに再び春が巡ってきた。この春でついに自分は留年した。本当はもう限界で休学したいと思った。精神的にもう学校にいられる気がしない。家から大学までの一時間半が物凄く遠く感じられる、電車酔いも激しい。朝も起きられない(どんなに目覚ましをかけても起きられない。二度寝どころか五度寝すらあった)。いよいよ外面(学校)のみならず内面(家庭)も行き詰まってきた。そんな四月の中旬に、疎遠になっていた友人から電話があり、携帯電話越しに疎遠になっていた懐かしいもう一人の知人の明るい声を聞き、自分は二人に街で会うことにした。会って、暗い気持ちを払いたかった。自分は当たり前に大学を休講し、数年ぶりに二人に会った。その知人は精神を病んで休学しているもののプログラミングやパソコン方面の才は学内髄一で将来を嘱望されていた。自分とは高校一年の頃に隣の席だったり、たまに街を歩いていて偶然会ったりと何かと縁はあった。知人は精神の病を感じさせないぐらい元気そうだった。数年ぶりの再会に手を差し出して、おどけて握手を求めてきてきたりして以前と変わらず気さくな明るい性格だった。そして三人で街を歩きながら、彼の語る、いつか起業する夢に(自分も下っぱで使ってもらおうかなぁ・・)と夢想したりした。それは学生生活に行き詰まった自分には楽しい想像であった。そうして三人で街を歩きながら、あの当時まだ爆発的なブームが起こる前のメイド喫茶へも一緒に行ったり彼のゲームの買い物に付き合ったりした。そして夕方、乗り換えの駅での別れ際。その場に立ち尽くす自分に、彼は遠ざかりながらもこちらに手を上げて笑顔を残して駅の雑踏へと消えていった。その笑顔はとても染み透るような良い笑顔だった。それが結局、生きている彼を見た最後になった。一月後、彼もまたこの世から自ら去っていった。
(つづく)
↓当時の気持ちに似た心境の短歌。
石川啄木「悲しき玩具」から
どうなりと勝手になれといふごとき
わがこのごろを
ひとり恐るる。
人とともに事をはかるに
適せざる、
わが性格を思ふ寝覚めかな。
石川啄木「一握の砂」から
師も友も知らで責めにき
謎に似る
わが学業のおこたりの因(もと)
わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己(おの)が道をあゆめり
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いままでの投稿原稿
2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」
2007.8.27 「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」

コメント (1)
つづきはもう書かれないのですか?
読みたいとおもっているのですが。
投稿者: レイ | 2007年12月02日 13:09