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第6回 限界集落、地方の貧困
9月6~8日にかけて、岡山・島根・広島を回ってきた。
6日の岡山と8日の広島は依頼を受けての講演だったが、7日の島根は自分で選んだ。限界集落を訪問するためだ。
島根県Y地区の3つの集落を訪問した。
ショックだった。
ある集落に電気が通ったのが昭和39年。水道はなく、水は自分で300m先の山の中腹から引いてくる。
住んでいるのは81歳と73歳の老夫婦。もう農業もやっておらず、国民年金だけが唯一の収入だ。
その集落は、実質4世帯しかいない。しかも離れている。老夫婦のお宅から見える家はもう数年前に放棄され、朽ちかけている。
公共交通がない。奥さんは病院に通院しないといけないが、毎回山奥までタクシーを呼ぶ。町の病院まで行くには片道で5000円かかる。国民年金の少なからぬ部分がタクシー代で消えていく。
「限界集落」という言葉は、20世帯以下、高齢化率50%以上の集落に適用される。「過疎」などという言葉では表せない厳しさを示すために作られた言葉だという。
その集落の高齢化率は89%に上る。
私は東京で生まれ育ち、田舎というものを知らない。
車一台がようやく通れるような細い道を抜けて、山林と雑草しか生えていないような山間部の、都会とは隔絶した風景の中に、低収入で、孤立し、公共サービスから排除され、それでも身体の動くうちは自分で生きていく、と言っている同じような貧困を見るとは思わなかった。
行政はここでも「地域の力による活性化」「自立」を謳っているらしい。
しかし、高齢化率89%で離れ離れに4世帯しかいない集落がどうやって自力で活性化できるというのか。
市町村合併で、以前にはあったタクシー補助もなくなったという。人口が減り、放棄された耕作地が自然に戻ったために、鳥獣被害が後を絶たない。それでも、電流を流して獣を撃退する「電気ボク柵」なる装置を購入するための助成金を受けるには3戸以上で共同申請する必要がある。
それを聞いたある68歳の老人はさびしそうに笑いながら言った。「もうここでは、うちしか田んぼをやってない」。その3戸を集めようがない。
81歳と73歳の老夫婦のお宅を出るときに、思い切って聞いてみた。
「つかぬことをお伺いしますが、生活保護などを受ける気などはないのでしょうか?」
老人は、とんでもないという顔で手を振った。
どういう知識やイメージを持っているのかはわからない。しかし、自分とは無縁のもの、東京と同じくらい遠いもの、と位置づけられているのはたしかなようだった。
地上デジタル放送が始まれば、この家ではテレビも見られなくなるという。
いったい一日をどうやって過ごすのだろうか?
この人たちは、死ぬまでただただこうやって放置されていくのか。
「棄民」、ここでもこの二文字が頭に浮かんだ。
誰も生活保障を言い出さない。そうしているうちに、身体が動かなくなれば、病院や施設に入り、この集落は消滅する。
ある80代のご老人が言ったという。
「どうして、生れ落ちたところがたまたまここだったというだけで、こんな不便な目に遭わないといけないのか」と。
・・・こうした限界集落が、現在日本全体で5000近くあると言う。そして1999年から2006年までの7年間で、191の集落が消滅した。2週間に1集落のペースである。
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いままでの「貧困襲来」
2007.7.17 第1回「このままでは本当に殺される」
2007.7.24 第2回「日雇い派遣は貧困ビジネス」
2007.7.30 第3回「ピエロの一票。一発食らわすつもりで」
2007.8.27 第4回「労働と福祉の連携」
2007.9.03 第5回「北九州市福祉事務所長を刑事告発」
