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第11回 欝屈
頬に当たる風が生ぬるい。多分に湿気を含んでいる。涼しいようでまだ暑い。曖昧な気候だ。9月も中頃を過ぎようとしている。
変わらない。何も変わらない。これまで『絶望男』のプロセスをなるべく具体的に描写してきた(読者に理解してもらうなら抽象的な理論ではダメだ)。過去の体験を語ることは苦痛を伴う作業だ。同時に弟とのことやクレジットカード無効の件など今の現実も書いてきた。かなり痛い。作家への可能性をこのブログで模索した。変わりたいと願った。楽になりたかった。だが、現実は秋直前の生ぬるい風と似ている。小さな幸せが見えない。
映画だ。映画だけが俺の心に安らぎを与え、先の見えない孤独な人生を一時、忘れさせてくれる。映画館に行き、DVDで映画を観る行為は現実逃避でもある。この9月は『タクシードライバー』が公開されて31年目に当たる。76年の公開時に観たときはドタマをカチ割られた。主人公のトラヴィス・ビックルの欝屈した心情に感じ入ったのだ。大都市ニューヨークのなかで彼は疎外感に苦悩する。“神の孤独な男”は人生に一発逆転を望み、行動を起こす。大統領候補暗殺を企てるが失敗。方向転換した彼は12歳の少女売春婦を救う。自らも血まみれになりながら3人の敵を銃で殺した。強烈なヴァイオレンスショットに心が震えた。トラヴィスの魂の暗部に自分が重なった。そのとき以来、俺は“トラヴィス”を心に宿した。
31年が過ぎた。時間は残酷だ。俺はトラヴィスにはなれず、45歳の肉体だけが残った。作家への道も遠のいた。この世に自分の生きた証しを刻みたかった。
過日、AANのイベントが新宿であった(らしい)。AANには俺も関わっている。だが、呼ばれなかった。カネないし、語る側でなければ。語る側?自意識過剰だ。俺にそんな価値はない(のか?)。わからない。田口ランディのエッセイによく表れる。「わからない」。わかったふりをせず、物事に疑問をぶつけることで学び、判断を避ける。それは同時に物事の本質を見ることにつながる。そんな意味かもしれない。
今の俺は焦れている。AANの仲間の輪の外にいる。見捨てられたのだろうか。わからない。俺は社会からも見捨てられている。何も悪いことはしていない。無職は罪か。ただ、マジメすぎる。自己主張もしない(というより自己主張する場がない)。創造しない。
俺の苦悩。それは創造性の欠如だ。何かを創ることこそ喜びだと思う。創造物を世に発表できること。さらに創造することで生活できれば大きな幸せになる。俺の夢だ。
AANに可能性のかけらが見えた。俺は目立ちたいわけじゃない。媒体に名を売ることで作家へのきっかけをつかみたい。好きな仕事をする。自分で稼ぐ。自分の面倒を自分で見る。つまりは生存をかけた白井の40代最後の戦いだ。まだ先は見えていない。
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いままでの「絶望男の逆襲」
2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.27 第6回「人間のクズ」
2007.8.27 第7回「登校拒否」
2007.9.3 第8回「昼夜逆転」
2007.9.3 第9回「無常」
2007.9.10 第10回「人から逃げよう」
