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2007年08月 アーカイブ

2007年08月03日

名前はまだ無い 第3回「「ひきこもり」原因論・雑感(1)」

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名前はまだ無い 第3回「「ひきこもり」原因論・雑感(1)」
 
今回は、「ひきこもり」の原因というものを一体どう考えればよいか、
ということについて書いてみようと思います。
 
前回のラストで「ある人がひきこもるのは、様々な出来事や出会いの積み重ね、
そのタイミングとしか言えない」と書きましたが、
私はこういう感じでずっと、原因について語ることを避けてきました。
 
また、どうやら臨床現場でも、原因を追究することは避けられているようです。
たとえば斎藤環さんはその著書で、原因探しは不毛な犯人探しにつながると指摘し、
仮に原因が分かっても、ひきこもっている状態から抜け出すことの助けにならない、
ということを述べています(『ひきこもり文化論』紀伊国屋書店、2003年など)。
また厚生労働省による対応のガイドラインでも、この見解は採用されています。
 
が、しかし。
原因を知ることは、果たして本当に無意味なのでしょうか。
これについて考えるためには、“誰から見た/誰にとっての”原因なのか、
ということを整理する必要があると思います。
まず、私が原因論を展開することに対して距離をとってきた理由から考えてみます。
 
一つは、前回書いたように「ひきこもり」の原因として出されるようなもの
――親との葛藤、進路選択上の挫折、対人関係トラブル、社会への拒否感etc.――は、
誰しもが経験するような類のものであって、
どうしても、そこから「ひきこもり」に固有の何かを
導き出せるとは考えられないからです。
要は、認識利得というやつが、あんまりないように思うのですね。
 
もう一つ、私の原因論に対する抵抗感というのは、
研究者や援助者が一般的・普遍的な原因を、
外側から特定することへの抵抗感でもあります。
要するに“研究者や援助者から見た”原因というものには、
まったく重きを置いていないということです。
 
じゃあ、これまで原因を全く無視して研究してきたのかというと、
これがまたそうとも言えないわけで。
インタビューでも「振り返ってみて何でひきこもったと思いますか?」
という質問は毎回してるわけで。
つまりは“個々の当事者から見た”原因には、目を向けてきたというわけです。
 
→つづく。
 
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いままでの「名前はまだ無い」

2007.7.18 第1回「にがてなもの」
2007.7.27 第2回「身もフタもない」

ゲームあふるる国に生まれて 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」

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第3回 「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)
 
 TVゲームを楽しむために、必要不可欠な要素はなにかと問われれば、私は「対戦性」と答えます。
 
 TVゲームの対戦性は、黎明期からのものでした。
 世界初のシューティングゲームといわれる「スペースウォー」、商業ゲームとして成功を果たしたピンポンを模した「PONG」といったTVゲームは、二人が両サイドに分かれ、玉を撃ったり弾き返したりという、直接対戦型のゲームでした。
 日本では「スペースインベーダー」が流行し、TVゲームのイメージを決定付けました。スペースインベーダーは1人用のゲームでしたが、点数(スコア)はもちろん、レインボーや名古屋打ちといった裏技など、そうしたテクニック上手さを、友達や同じゲームセンターにいる常連たちと競っおり、そこに対戦性がありました。
 テレビゲーム誌やコンピューター誌では「スコアアタック」という、読者同士でスコアを競う企画が人気となり、ゲーマーたちはこぞって画面写真を雑誌社に送りました。
 このようなスコアでの対戦は、今でも盛んにおこなわれ、シューティングゲームなどの、いかにもスコアが大切なゲームはもちろん、非ゲーマー向けの「太鼓の達人」でも、公式サイトでのスコアアタックを行っていますね。
 
 また、対戦性と言って忘れてはならないのは、「ストリートファイター2(以下 スト2)」をきっかけに爆発的なブームとなった「対戦格闘ゲーム」でしょう。
 それまでも、「マリオブラザーズ」を二人でプレイして、相手を敵にぶつけてミスさせるプレイをするなど、ゲームの主旨を変える形での対戦はあったのですが、スペースウォーやPONGなど黎明期のゲーム以降、複数人数でのTVゲームは、対戦プレイよりも交互プレイ(1ミスごとにプレイヤーを交換する)や協力プレイ(二人以上で同じ目的を達成する)が中心になっていました。
 そこに、その場にいるプレイヤー同士での「直接対戦」を復活させたのが、対戦格闘ゲームです。
 対戦格闘ゲームは、スコアでの対戦に比べて、プレイヤー間の優劣がハッキリ明示される、非常に刺激的なものでした。故に、プレイヤー同士のトラブルになることもありましたが、大半のプレイヤーたちは「今回は負けたけれども、次こそ勝とう!」と、筐体に100円玉を盛んにつぎ込んだのです。
 当時はそれこそ、スト2だけのゲームセンターなんてのもあり、今でも都心型の大きなゲームセンターでは、対戦ゲーム専用フロアーがあることも珍しくありません。
 
 そして、さらに対戦性に新しいムーブメントをおこしたのが、「オンライン対戦」です。
 
 さっそく解説していきたいところですが、文字数が多くなってしまいましたね。
 「対戦」の話は、TVゲームの歴史そのものですので、概要をザックリ説明するだけでも、長くなるのはしかたないのかもしれません。
 というわけで、話は本題に入らぬまま、次回に続きます。
 
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これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」

投稿原稿  「ゼロからの自分 イチからのスタート」

投稿原稿  ゼロからの自分 イチからのスタート
 
私は高校生の時、ある友達から裏切られて、
今までにない苦しみを味わいました。
 
高校2年生の始めの頃、
ある1人の友達から、ある日突然冷たくされるようになりました。
その友達とは1年生の時に同じクラスでとても仲が良く、
私がお姉さんのように慕っていた人だったので、
ショックが大きすぎて、何も言うことが出来ませんでした。
 
日に日に冷たい態度は酷くなっていくし、
信頼できる友達なんか1人もいなかったので、
毎日毎日、地獄へ行くような気持ちで学校へ通っていました。
 
自分なんか死んでしまえばいい
消えてしまえばいい
どうして自分はここにいるんだろう?
日々、そんなことを考えていました。
 
学校へは100%行きたくなかったけど、
1度休んだら絶対に不登校になってしまう。
そうしたら将来が見えなくなって、家族に迷惑をかけてしまう。
そんな思いがあったから、家族の誰にも打ち明ける事も出来ず、
学校を休む事も出来ませんでした。
 
そのころの自分は、いつも偽りの姿でいた気がします。
周りの誰にも本当の自分を見せない、
ニコニコ笑顔を作って、甘えることが出来ない。
大人ぶって辛い自分を隠して、「私は大丈夫」と見せていました。
 
それは絶対に良くないことだし、自分が辛くなるだけです。
 
今、もし同じように学校で苦しんでいる人がいたら、
我慢しないで、一人で苦しまないで、気持ちを抑えないで、
周りに本音でぶつかって欲しいです。
子供の時は子供らしく、素直でいてほしい。
辛いんだよー苦しいんだよーと泣き叫んで欲しい。
周りの事は考えないで、自分勝手に生きて欲しい。
 
けして、私みたいにならないで欲しいです。
 
そして、生きていれば必ず幸せに巡り会うことが出来ます。
人生を大きく変える素晴らしい人との出会いがあります。
ちゃんとした心を持っていれば、必ず救われます。
 
どんな過去を背負っていても、どんなに今が辛くても、
自分が存在している意味が分からなくても、
誰もが幸せになれるんです。
 
一度立ち止まれば、そこから踏み出す一歩は必ず前進になります。
だから立ち止まる事をしてほしいです。
 
ただ生きていればいいんです。
絶対に命を絶たないで下さい。
 
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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」

◇生放送を聴く:8月3日(金)19時~21時

第1回 貴戸理恵の不登校系トークラジオ
 
今日のテーマは「学校」!
 
play.gif←本日の放送は終了しました。ありがとうございました!
 
【放送日時】

2007年8月3日(金)19:00~21:00

 ※19:00~21:00の時間帯だけ視聴可能です。それ以外の時間は視聴できません。

 ※放送を聞くためには「Windows Media Player」が必要です。

 ※ライブ音声が途中で止まった場合は、Windows Media Playerの再生ボタンをクリックしてください。
 
【出演者】
貴戸理恵
フラヌールくん(元不登校、高校中退)、
貴戸理恵さんの大学の同級生Yさん、ほか
  
【ライブチャットルーム】

番組放送中、番組に対するご意見・ご質問をライブチャットでお寄せください。

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【ご意見・ご感想用BBS】

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投稿原稿  「憂鬱から生まれた歌人」

投稿原稿  憂鬱から生まれた歌人  作・新人歌人(にいとかじん)
 
 自分は歌人です。と言っても誰かからお前は歌人だと認めてもらって歌人になった訳ではなく、やむにやまれず自ら歌人と宣言し現在に至っています。
 
 それはなぜか。現実社会に嫌気が差したことと、創作への情熱と言う名の現実逃避からでした。歌人と称することで自分は世間の価値観から精神的に脱することを願ったのです。隠遁です。寺に入って世捨て人になると言う選択肢もあるかも知れませんが、寺に入ったら寺社会がありそうで、人間アレルギーの自分には耐えられません。そこで、個人でやれる、精神的にヒキコモリ体質でもやれる究極のヒキコモリワーク「文学」を志しました。集団生活訓練所たる学校に背を向け、自分は本を読みまくり、小説の練習をしました。脚本の練習もしました。でも、一年以上やっても一向に成長が見られませんでした。集団生活にも馴染めず、小説などの文学に活路を見出すこともできず自分は窮しました。その頃には単位を落としまくり、大学生活も行き詰まっており、四面楚歌の気分でした。そんな状態の時に自分と気の合った数少ない友人二人が相次いで自殺し、情緒はますます不安定になりました。無理矢理大学に行こうにも吐き気や極度のイライラで講義も課題も手が付かず、最後には希死念慮まで芽生えてきました。電車も見てはふらふら吸い込まれそうになり、校舎のベランダに出ては、身を投げ出さんばかりの精神不安定でした。このままでは自分はいつか本当に自殺すると思い、家族に自分の現在の精神状態や大学生活の破綻を告白し(今まで大学は順調に行ってると取り繕っていました)ようやく心療内科の門を叩きました。それでうつ状態と診断され、大学を休学し、家で眠るばかりの生活になりました。抗うつ薬の影響で眠かったのもありますが、大学生活が破綻していたことをずっと家族に隠していた後ろめたさからも解放されて、ようやく心の束縛が取れた熟睡でした。
 
 一ヶ月間寝てばかりの生活でしたが、寝ながらもこれからのことを色々考えました。ようやく少し精神が安定してきたので、自分は自分一人で出来ることを再び模索しはじめました。そこで考え付いたのは短歌でした。短歌なら長文を書くのが苦手な自分でも31文字しか無いからすぐに作れるしたくさん作れるんじゃないか、と言うあまりにも単純な理由でした。そこで自分はひたすら寝ていた生活の中から身近なものを詠み始めました。
 
連作(れんさく)短歌
 
「休学月見草」(きゅうがくつきみそう)
 
壁時計 止まったままのこの部屋で何年時が過ぎたのだろう
 
布団から西日差し込む窓を見る また今日もまた ただ過ぎてゆく
 
夜が明ける前に寝られれば上出来 母が起き出すまでロスタイム
 
眠れないままに短歌を作ることから始まった始まりだった
 
休学をした自殺した友人のことを思えば世に一人だけ
 
救いのない死を目の前に冥福を祈るしかない地獄の地球
 
金を得ることがそんなに偉いのか 汚職談合詐欺「天」の声
 
結局は生まれたことが間違いと思ってるから やる気が出ない
 
ただ空にただ陽に向かい伸びてゆく向日性を見ては 俯く
 
花園は心の中につくるもの。茨だらけの世の中だもの。
 
 これがその頃(06年1月~3月頃)自分が作った短歌もどきです。・・・寝ているだけの生活、同じく休学して自殺した友人のこと、遺体安置所で友人の棺(ひつぎ)の前で呆然と立ち尽くした雨の夜のこと、春の日差しを浴びて咲く花を見ては却って暗い気持ちになった日のこと・・・。自分の中の色々な心の動きや消せない記憶を吐露するように一文字ずつ短歌にしてゆきました。
 
 昔の文学者か何かが詩や歌を詠めば鬱屈はだいぶ軽くなると言ってたのを前にたまたま見ましたが、実際、自分の心情を歌に託して吐露したり、自分自身を自分で客観視してうちに、不思議なことに段々と心が和らいでゆきました。そして余裕が出来てきました。自由に書けと言われる作文や小説は苦手なのに、57577に当てはめる言葉はパズルのようで、そこにピタッと当てはまる自分自身の心を表すキーワードを探し当てた時は我ながら気持ちのよいものでした。自分は死から遠ざかるために、自然に歌人になってゆきました。憂鬱が生まれるたびに、歌も生まれてゆきました。
 
(つづく)?
 
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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」

今日のオールニートニッポン 2007年8月3日号(第11号)

2007年8月3日号(第11号)
 
 こんにちは。オールニートニッポンの「会長」こと山本です。
 
 今日から、『不登校は終わらない――「選択」の物語から<当事者>の語りへ』『不登校、選んだわけじゃないんだぜ!』『コドモであり続けるためのスキル』の著者である貴戸理恵さんによる「貴戸理恵のオールニートニッポン」が始まります! 記念すべき第1回放送のテーマは「学校」。不登校経験者にも1~2名出演いただく予定です。きっと面白くなるはず。今夜19時より。ぜひぜひお聴き下さいませ!!! (放送を聴くにはコチラ。放送中のチャットルームはコチラ) 
 
 昨日、ギャルがニートの悩みに答える「GALセラピーお悩み相談室」、略してギャルセラ(笑)の収録が行われました。ギャルはきれいごと言わないので、お悩み相談には持って来いかも。というわけで、こちらの方は「出張版オールニートニッポン」として後日ポッドキャストで配信されます! どうぞお楽しみに!! 
 
 投稿原稿を2本掲載しました。(1)(2) 今回も力作ぞろいです! お読みになりましたら、ぜひコメント欄にも書き込み下さいね。

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◆ラジオ
 -「貴戸理恵のオールニートニッポン」本日より放送開始です!
 -8/10公開生放送「若者たちの"心の病"と"非モテ"問題」参加者募集開始
 
◆エッセイ
 -石川良子 名前はまだ無い 第3回「「ひきこもり」原因論・雑感(1)」
 -赤木智弘 ゲームあふるる国に生まれて 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」
 -投稿原稿 ゼロからの自分 イチからのスタート
 -投稿原稿 憂鬱から生まれた歌人
 
◆注目のニュース
 【ひきこもり】
 -不安障害の対処法示す 原田さん、「引きこもり」で講演
 
 【いじめ・不登校】
 -中学生の4割がネットでのいじめを実際に見聞き
 -「ネットいじめ」調査 小中高生と親1万2900組対象
 -最優秀に久富君、少年の主張地区大会
 
◆イベント(08/03~08/10)
 -08/03 「ニート・ひきこもり支援のために説明会
 -08/04 若者リバイバルフォーラム2007
 -08/04 新ひきこもりについて考える会: 定例会
 -08/04 「密会:即興絵画(香川大介)VS絶叫朗読(月乃光司)ライブ」(東京)
 -08/09 群馬ジョブカフェ・若者のための合同企業説明会
 -08/10 平成19年度「SAGA就職面接会」
 
◆事務局よりお知らせ
 -オールニートニッポンに原稿を載せませんか?
 -番組に遊びに来ませんか?
 -オールニートニッポンのスタッフになりませんか?
 
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2007年08月04日

第1回 貴戸理恵の不登校系トークラジオ

第1回 貴戸理恵の不登校系トークラジオ
ポッドキャスト&オンデマンド版
 
【テーマ】 学校ってなんだろう?

【収録日時】 2007年8月2日(金)19:00-21:00

【パーソナリティ】 貴戸理恵

【出演者】 フラヌールくん(元不登校、高校中退)、貴戸理恵さんの大学の同級生Yさん
 
※上から順番にお聴き下さい。

part1

part2

part3


part4


出張版オールニートニッポンもよろしくお願いします。
 

2007年08月08日

◇生放送を聴く:8月10日(金)19時~21時

第9回 雨宮処凛のオールニートニッポン
★本日、渋谷UPLINK FACTORYより生中継!!
 
今回は各メディアで社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍し、現代人の“心の病”について洞察を続ける精神科医の香山リカさんと、いま話題の「革命的非モテ同盟」古澤克大さんをゲストにお迎えし、「若者たちの"心の病"と"非モテ"問題」をテーマにお送りいたします!!
 
play.gif←本日の放送は終了しました。ありがとうございました!
 
【放送日時】

2007年8月10日(金)19:00~21:00

 ※19:00~21:00の時間帯だけ視聴可能です。それ以外の時間は視聴できません。

 ※放送を聞くためには「Windows Media Player」が必要です。

 ※ライブ音声が途中で止まった場合は、Windows Media Playerの再生ボタンをクリックしてください。
 
【出演者】
雨宮処凛(作家)
香山リカ(精神科医)
古澤克大(革命的非モテ同盟書記長)
  
【ライブチャットルーム】

番組放送中、番組に対するご意見・ご質問をライブチャットでお寄せください。

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絶望男の逆襲 第5回「絶望の根っこ」

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第5回 絶望の根っこ
 
このブログは文章を携帯のメールに打ち込んだものをANNのHPに送っている。パソコンを持たない(今後も持つ予定はない)俺は《絶望男》にどんな反響があるのかわからない。読まれているのだろうか?だとしたらどんな感想があるのだろうか?状況が見えない。
 
今年の夏も暑い。ゲンナリする。親父は15年前のこんな夏に死んだ。享年68歳。死因は急性肺炎。生前の親父も周りの状況が見えなかった。聞こえなかった。聾唖者(聴覚障害者)だった。そしてアルコール中毒者だった。
 
68年のある晩。7歳の俺は外の足音に聞き耳を立てた。ヨロヨロとしながらもこちらに向かってくる靴音が聞こえたその瞬間、心臓の動悸が高鳴った。母も弟も覚悟を決めたのだろう。6畳の窓のない部屋の隅にいる。俺は少し間を空けて座っていた。親父は戸を開けた。と同時に倒れ込んだ。奴は顔を上げるとキッと俺たちをにらみつけた。白髪が逆立ち、細身の身体に作業服姿の奴は立ち上がるや母の身体を蹴った。うずくまる母に扇風機を投げつけた。さらに馬乗りになり、母の後ろ頭にゲンコツを叩きつけた。弟は泣いている。奴は怒鳴りながら弟を押し入れに閉じ込めた。酒の臭気が部屋中に漂った。俺は母を殴ろうとする親父の肩に触れた。助けたかった。奴は俺の腕を取り、ひねりあげた。頬を張られた。頭をゲンコツで数度殴られた。頭の中に電流が走った。押し入れに叩き込まれた。暗闇の中で2時間を過ごした。母が開けてくれた。奴は寝ていた。終わったわけではない。再び親父が目覚めたときが怖い。酔いがある程度醒めたときの奴の力はより強くなる。そうならないことを願った。
 
毎日続いた。標的は3人の誰かだ。大抵は母が盾になった。俺はこの頃から誰も助けてくれない世の中を呪った。逃げ場はどこにもなかった。自分の身は自分で守るしかないと思った。そして、心を閉ざした。
 
以来、23年間、親父は暴力で家族を支配し続けた。何が親父をそうさせたのか。家族を自分の意のままにすることが望みだったのか。
 
俺は暴力親父の遺伝子を受け継いでいる。だが、奴のようにはなりたくない。酒は一切呑まない。他者に暴力を振るわない。が、否定し難い事実がある。
 
状況や周りが見えない。見ようとしない。怒りを溜め込み、ときに爆発させる。俺は心の聾唖者だ。酒こそ呑まないが孤独な現実に酔っている。
 
今だからいえる。親父は淋しかった。誰とも話せず、家族に暴力でコミュニケーションを取るしか選択肢がなかった。奴は憐れだ。
 
かつて10~20代の頃、奴を本気で殺したかった。何度も「ぶっ殺す」と母に怒鳴った。結局は殺せなかったが。
 
俺の自由も青春も親父に奪われた。だが、奴だけじゃない。親父もある意味被害者だった。親戚は許し難い敵だ。俺ら家族に逃げ場を与えなかった。口先だけで何もしなかった。その親戚を象徴するものは社会である。その意識に目覚めるときがきている。このままでいられない。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
 

レンタル空手家日記 第5回「劇団内、空手部~!」

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第5回 劇団内、空手部~!
 
こんにちは、レンタル空手家です!
夏バテしてませんか??
適度な運動と、ご飯をよく食べましょう!
 
間が空いてしまいましたが
日曜日に、北区のほうで、以前に呼んでいただいた劇団の方たちとお稽古してきました~。
 
今回は2回目で、以前よりも人数が増えていて(8名)光栄です!
 
リクエストはなんと、2時間!
時間が長いのでキツクなるだろうことを予告させていただきました☆
 
最初の1時間は、空手の動きを身につけていただくため
基礎、移動稽古をびっちり!
はっきりいって、一般の基礎&移動よりもみっちりやりました。
 
基礎と移動は、とにかく身体を空手の動きになじませるためのものだと思っています。
劇団の稽古の一環ということを意識して
腰から動くことを重点にとにかく色んな突き、蹴りをしてもらいました。
 
しかし、基本ってのは、一番キツイですね…集中力的に…指導するほうも~
 
後半一時間は、比較的、集中力のいらない「実戦的」なことを。
突き、前蹴りの受け、返し
突き前蹴りのみのマススパー
あと、巨椋先生に教えてもらった
平手打ちでの突きだけのスパー(?)をやってもらいました。
これはけっこう楽しそうでした~
さすが、先生!
あと、簡単な制圧。
 
最後の15分くらいでミットを使った蹴りをやってもらいました。
ローテーションでミットを持ち合って色んな蹴りをやってもらったのですが
最後までみなさん頑張っていただきました~。
 
やはり、実際に相手をつけたり、ミットを使ったりするほうが
盛り上がることは盛り上がるのですが
「劇団」ということで、基礎の動きは大事にしていきたいと思います。
でもみなさんさすが、腰がよくまわってたな~。
 
帰りには、少しですが、みなさんと言葉を交わすことができてうれしかったです。
もっと仲良くなって楽しくやっていきたいと思いました!
 
またね~☆
 
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「ほのぼの空手教室」2回目やります!
■8月11日(土)18:00~
■西武新宿線・花小金井駅/芝久保地区会館・体育室
■花小金井駅改札に17:30集合

くわしくはこちらを見てください~
 
参加希望の方はホームページのほうからメールくださいな。
お待ちしてます~
 
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いままでの「レンタル空手家日記」

2007.7.12 第1回「はじめまして、レンタル空手家です」
2007.7.20 第2回「僕が『レン空』をはじめるまで/その1」
2007.7.27 第3回「僕が「レン空」をはじめるまで/その2」
2007.7.30 第4回「ほのぼの空手教室をやってみて」
 

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第6回「夏目氏とナンパ①」

第6回 夏目氏とナンパ①  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
 

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第7回「夏目氏とナンパ②」

第7回 夏目氏とナンパ②  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
 

共産主義、入門中 第4回「仮病で何が悪い」

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第4回 仮病で何が悪い
 
 朝青龍という力士がいじめにあっているようだ。
 
 ネットでちょっと検索しただけなんだけど、どうもこういうことらしい。横綱は、疲労骨折を理由に巡業を休場することにしてモンゴルに帰国した。その母国でサッカーを楽しむ様子が日本のテレビで報じられて、「仮病」ではないかという疑いがかけられる。結果として、相撲協会は朝青龍に二場所出場停止、「謹慎」、減給などの処分を下した……。
 
 たとえば、友人が骨折したという話を聞いたとしよう。心配だ。早くよくなればいいと願う。その友人が元気にスポーツをしているのを見たら、どう思うだろうか?
 
 なんだ、こんなにピンピンしてるじゃんか。まったく、心配させやがって。よかったよかった――まずは、こんな安堵や喜びといった感情が湧いてくるのが自然じゃないだろうか? それか、もうしばらくは安静にしてた方がいいじゃないの、と不安になるかもしれない。
 
 ところが、横綱を非難している人々はそうは考えない。まるで、傷が深いことを望んでるみたいだ。彼らの心配事は、朝青龍の体ではない。それよりも、自分が騙されてるかもしれないということの方が大事なんだ。マスコミの人々は、元気そうな朝青龍を見て喜ぶのではなく、「裏切られた」という怒りの感情を煽っている。
 
 横綱の「疲労骨折」などが「仮病」なのかどうか、僕にはわからない。ただ、病気や障害というのは外から簡単に観察できないこともあるし、ちょっとスポーツができるからといって健康であるとは限らない、ってくらいのことはわかる。だから、マスコミが何を根拠に「仮病疑惑」なんて言っているのか謎だ。
 
 でもそんなことより、もし仮病だったとしたら、それがどうしたっていうんだろう。
 
 ああ、明日から仕事だ。行きたくないなあ。もう学校はイヤだ。ここではないどっかに行きたい――僕はこんなふうに思うことがこれまでに何度もあった。だから、何らかの理由で、あるいは理由もなく、次の巡業は休みたいと仮に横綱が思ったとしても、別に不思議なことだとは感じない。
 
 僕は、インフルエンザで高熱が出たときは働きたくなかった。でも、体はピンピンしてようが、仕事に行きたくない日もあった。疲労骨折で体が痛いのだったら相撲のようなハードな運動は避けるべきだ。けれど、体に問題はなくても、休みたくなることだってあるだろうと思う。
 
 もし朝青龍の疲労骨折が「仮病」なんだとしても、問題は相撲協会やマスコミや世間が「騙された」とかってことなんかじゃない。仕事を休むのに「病気」にならなきゃならなかったってことの方こそが問題なんだ。何か「理由」がないと休めないなんて、そっちの方がどうかしてる。
 
 「仮病」がこんな大問題になってしまう社会では、理由なくただ休むということは難しいだろう。そしてだからこそ、人は「病気」にならざるをえないことだってあるかもしれない。仮病を許さない社会が仮病を生み出している。逆に、仮病の疑いがあろうが詮索したりバッシングしたりしないような社会なら、そもそも仮病になる必要もないだろう。
 
 朝青龍を非難している人々に言いたいのは、これはあなたや僕自身の問題なのだということだ。朝青龍を叩けばウップンが晴れるかもしれない。けど、そうするときに我々が使っている武器は石でも矢でもなく、ブーメランである。ここで横綱をイケニエにしてしまったら、僕らは自分自身の自由を売り渡すことになる。
 
 朝青龍のケガが「仮病」かどうかなんてことを問題にしてしまったら、次に休みたくなったとき、逃げ出したくなったとき、僕らは世間様に申しわけの立つ「理由」を探さなければならなくなるだろう。僕らは「病気」になるかもしれない。そして世間様の納得するような「病人」らしい病人であり続けることに失敗して、石を投げられることになるかもしれない。
 
 朝青龍の疲労骨折が深刻なものであったにせよ、「仮病」だったのにせよ、彼がサッカーをする様子がテレビで流れなければこんな「問題」にはならなかっただろう。YouTubeやニコニコ動画でこの映像を見た。横綱、なんて楽しそうなんだ。なんて生き生きしてるんだ。この姿を見てなんで素直に微笑むことができないんだろうか? なんで鬼の首でも取ったかのように叩かなきゃならないんだろう。
 
 それから10日ほどした現在、非難を浴びてきた朝青龍は「抑うつ状態」なのだそうだ。これもまた「仮病」だとか言い出す人がいるかもしれない。
 
 必死になって足を引っ張り合い、生きることをつまらなくしようとしている。自由を貶めている。これが今の僕らの姿だ。
 

 

 
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いままでの「共産主義、入門中」

2007.7.13 第1回「宝くじと教育の不平等」
2007.7.23 第2回「努力が報われる社会」にNO!
2007.7.30 第3回「「第三の道」はいらない」
 

プラスの力 第4回「「できること」と「すべきこと」(1)」

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第4回 「できること」と「すべきこと」(1)
 
 ひとは「できること」の範囲内でしか責任を問われない。これが道徳哲学の一般的な見解である。
 
 例えば、いま目の前に、溺れている子供がいて、川に飛び込めば助けることができそうな状況だ。
 あなたが見て見ぬ振りをして通り過ぎたことがバレてしまえば、あなたはその子の溺死について責任を問われるかもしれない。
 「どうして、うちの子を助けてくれなかったんですか!」と。
 
 しかし、あなたがもしカナヅチだったら?
 川に飛び込んだって助けることはできなかったのだ。助けを呼びに行ったけど間に合わなかった。この場合、あなたはこんなふうに責められるだろうか?
 「どうして、あなたは泳げなかったんですか!」と。
 
 だが、「できないこと」について「すべき」とは言えない。
 泳げないのだから、川に飛び込まなくてもよかったのだ。
 
 それでも人はこう言って、あなたを責めるかもしれない。
 「ちゃんと泳ぐ練習をして、大人になる前にカナヅチを克服しておけば、こんなことにはならなかった」と。
 川に飛び込んで泳ぐことは「できなかった」としても、子供の頃に泳ぐ練習をしておくことは「できた」はずだ。あなたは「できる」はずのことを、しなかった。そう言われるかもしれない。
 
 そろそろ本題に移って、例を変えようか。おなじみの話題に。つまり…
 
 ニートの人たちは、本当は働くことが「できる」のに働かないのか。それとも、そもそも働くことが「できない」のだから「働くべき」とは言えないのか。
 
 フリーターの人たちは、本当は正社員になることが「できる」のに、そうしないのか。それとも、今日の厳しい雇用状況のせいで、そもそも正社員になることが「できない」のか。
 
 あるいは本当に、安定した職業に就くことが「できない」のかもしれない。しかしそれは、いい歳になるまで、学歴も技能も職歴も積み重ねてこなかった人の「自己責任」なのであって、今までの人生でもっと努力しておくことは「できた」はずであり、そう「すべき」であったのに、そうしなかったのが悪い。
 
 これに対して反論がなされる。経済的に恵まれない家庭に生まれた人は、学歴を得るために努力することさえ、「できないこと」であったのだ、と。
 どちらが正しいだろうか。
 
 これらの中からどの立場を採るかは、どこまでが「できること」であったのかという範囲の確定に関わっていて、それに応じて、「自己責任」にしたり、国家や社会の責任にしたりしながら、人々は論争している。
 
 こういった議論がとても重要なものであることは承知しているけれども、僕は経済や社会の専門家ではないので、本当のところはよく分からない(っていうか「ニートも色々、フリーターも色々」だろう)。
 
 そこで次回は、もう少し違った視点から、ぼくたちが「できること」と「すべきこと」を考えてみようと思う。
 
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いままでの「プラスの力」

2007.7.13 第1回「初めまして」
2007.7.20 第2回「リアクションからアクションへ」
2007.727 第3回「世の中を変えるか、自分を変えるか」
 

Style3 第1回「年功制でも不安定でもなく」

第1回 年功制でも不安定でもなく 今野晴貴
※この連載はPOSSEの今野晴貴さんと鈴木泉生さんが担当しています。
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この2年間を振り返ってみると、とても早かった。「格差」問題が世間をにぎわすようになってから、あっというまの月日だった。
 
最初は「フリーターは自己責任」、「若者がおかしくなった」などという話ばかりだったが、その後「格差」から「貧困」の問題へ。そして餓死者やネットカフェ難民の「登場」によって、今の政治を問題視する流れが一気にやってきた感がある。
 
私がこんなことを感慨深く思うのは、先日公示された参院選のマニュフェストを眺めていてだ。
 
自民党から共産党まで、どの党も「格差」や「雇用」の問題を取り上げている。その議論も、格差ブームの当初行われていたような議論とは明らかに質を変えているのだ。
 
自民党は相変わらず「一人ひとりの働き方に応じた公正な処遇を実現する」なんていう曖昧なことをいっているだけだが、民主党は「パート、契約社員を正社員と均等待遇にします」とかなり踏み込んだことをいっている。
 
民主党でさえ「均等待遇」を口にした意義は大きい。
 
日本で貧困が生じている原因は、まさにこの「均等待遇」が確立していないからなのだ。
 
日本には昔から「貧困」な人たちがいた。非正規雇用で自らの生活を養う人たちだ。典型的には「シングル・マザー」である。こうした人たちは社会の「例外」とされ、特別な福祉の対象となるかどうかが問題となってきたのだ。
 
ところがこんにち、非正規雇用で生計を立てる人たちが爆発的に増加している。そこではじめて「貧困」が問題になり始めている。
 
「貧困」はもともと日本では「古くからある」問題の拡大なのだ。この日本の構造的貧困を解消するには、非正規労働者への差別をまずはなくさなければならない。今、やっとそこまで議論が進みつつあるのだ。もちろん今回の各党のマニュフェストにはまだまだ問題点が山ほどある。それについては、折に触れて指摘していくつもりだ。
 
だが、この2年間で、日本で何十年も放置され続けた問題がついに社会問題のメインテーマになった。このことを感慨深く思わずにはいわれない。
 
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Style3 第2回「「働く男」は「働きマン」なのか?」

第2回 「働く男」は「働きマン」なのか? 鈴木泉生
※この連載はPOSSEの今野晴貴さんと鈴木泉生さんが担当しています。
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POSSEのイベントで使うため、仕事や労働について歌っているポピュラーな音楽を探していたある日のこと。
 
J-POPってほんと恋愛しか歌わねえよな~とぼやいていたときだった。突然、PUFFYの「働く男」というナイスなアイディアが脳裏をよぎった。
 
週刊『モーニング』で(たまに)連載中の漫画、『働きマン』が昨年アニメ化されたときに、オープニング曲として使われていたあの歌だ。ちなみに、PUFFYをプロデュースしている奥田民生が在籍していたバンド、ユニコーンの名曲のカバーでもある。毎日毎日仕事に忙殺される、男性会社員の孤独感を凝縮した情けなくも切ない一品だ。PUFFYのカバーも女性ボーカルなだけで、歌詞は変わっていない。
 
しかし。私はこの時点で、ある重大な問題に気がついていた。『働きマン』は女性の雑誌編集者を主人公に、編集長になる夢のために、彼女が寝食も恋愛も忘れて(もちろんそこには葛藤があるわけだが)、一生懸命働く姿を魅力的に描き、働く若者の幅広い共感を得ている。かたやユニコーンはといえば、80年代後半~90年代初頭の「会社人間」がもてはやされた時代に活躍しながらも、転勤の不満をぶちまけた『大迷惑』を始め、労働者の悲哀を歌っていることが多い。『働く男』もまた例外ではない。
 
「仕事するのがイヤだ」なんて歌が、「働きマン」の主題歌っておかしくないか?
 
いや、おかしくない。かつて日本型の正社員の雇用形態は、終身雇用・年功序列をかかげ、生活の安定と引き替えに、会社に忠誠を誓って従属的に働くことが当然とされた。突然の転勤もサービス残業もパワハラも甘んじて受けなければならなかったが、「正社員だから当然」とされてきたのだ。しかも、女性は男性の妻としてしか生活が保障されてこなかった。
 
しかし、グローバル化と共に、企業の競争力を向上させるため、非正規雇用が増員され、企業による労働者への福祉的な側面はどんどん切り崩されてきている。そのため、物質的保障のない企業への忠誠心なんかもはや過去の遺物でしかないのだ。一方で、労働環境は良くなるばかりか、より不安定化するばかり。企業としては、しっかり労働者を働かせる必要がある。そんななか、会社に黙々と従属するスタイルは時代遅れとされ、「働きマン」のように自分のやりたい「シゴト」そのものにアイデンティファイし、「やりがい」を感じるなかで、自己実現を果たし、きつい労働を我慢するというスタイルがもてはやされるようになってきた。
 
だから、いずれの「働く男」も「働きマン」も、「会社人間」的な働き方への否定であり、矛盾はないのだ。ユニコーンはそれを自嘲的かつコミカルに歌い飛ばし、「働きマン」は旧来のスタイルに対置して「シゴトへのやりがい」という新しいスタイルを提示したというわけだ。
 
もちろん、自分のやりたい「シゴト」ができるということは理想的な働き方のひとつではある。しかし、それを逆手に労働条件の劣悪さを認めさせてしまっているのが現実だ。好きな「シゴト」であり、かつ安心して働ける、そんな働き方こそ実現させる必要があると思う。
 
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いままでの「Style3」

2007.8.8 第1回「年功制でも不安定でもなく」 今野晴貴
 

今日のオールニートニッポン 2007年8月8日号(第12号)

2007年8月8日号(第12号)
 
・「貴戸理恵のオールニートニッポン」が「貴戸理恵の不登校系トークラジオ」になりました。

8月10日公開イベントの参加者募集をまもなく締め切ります。(8月10日AM10時まで)

・POSSEによる連載エッセイ「Style3」がスタートしました。

・今週のエッセイはどれもヒジョーに面白いと思います。

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◆ラジオ
 -「貴戸理恵の不登校系トークラジオ」第1回のポッドキャスト&オンデマンド版を公開しました!
 -8/10公開生放送「若者たちの"心の病"と"非モテ"問題」参加者募集中!(〆切間近!)
 
◆エッセイ
 -POSSE Style3 第1回「年功制でも不安定でもなく」(新連載!)
 -POSSE Style3 第2回「「働く男」は「働きマン」なのか?」
 -三ツ野陽介 プラスの力 第4回「「できること」と「すべきこと」(1)」
 -常野雄次郎 共産主義、入門中 第4回「仮病で何が悪い」
 -くまき由佳 人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第6回「夏目氏とナンパ①」
 -くまき由佳 人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第7回「夏目氏とナンパ②」
 -遠藤一 レンタル空手家日記 第5回「劇団内、空手部~!」
 -白井カツミ 絶望男の逆襲 第5回「絶望の根っこ」
  
◆注目のニュース
 【ニート・フリーター】
 -格差是正へ支援、経済財政白書が「負の所得税」など提言
 -iモード向け「池袋ひきこもり外伝 あの頃の直感ニート君」
 
 【ひきこもり】
 -私はこうして「ひきこもり」を脱した 福岡市で講演会
 -朝青龍診断医は包茎クリニックだった...本人直撃!
 
 【いじめ・不登校】
 -不登校児の夢紡ぐ 木津川フリースクール運営NPO本出版
 -室蘭の西岡さん、子どもの未来づくり審胆振代表に
 -いじめ問題テーマに人権講座
 -鼻にからし、裸を撮影 高校柔道部でいじめ
 -協和発酵、「夜尿症に関するアンケート」調査結果を発表
 -18歳少年いじめ苦に金属バットで殺人
 
◆イベント(08/08~08/15)
 -08/09 群馬ジョブカフェ・若者のための合同企業説明会
 -08/10 平成19年度「SAGA就職面接会」
 -08/10 レークサイド琵琶 若年者就労相談及び、若者自立塾個別相談・説明会
 -08/11 Y-MAC 説明会・見学会
 -08/11 こうべ若者自立塾 入塾説明会
 -08/12 首都圏青年ユニオン夏祭り
 -08/12 ciel主催 新宿オフ!
 
◆事務局よりお知らせ
 -オールニートニッポンに原稿を載せませんか?
 -番組に遊びに来ませんか?
 -オールニートニッポンのスタッフになりませんか?
 
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2007年08月11日

第9回 雨宮処凛のオールニートニッポン

第9回 雨宮処凛のオールニートニッポン
ポッドキャスト&オンデマンド版

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【収録日時】 2007年8月10日(金)19:00-21:00

【パーソナリティ】 雨宮処凛

【出演者】 香山リカ(精神科医)、古澤克大(革命的非モテ同盟書記長

【テーマ】 若者たちの"心の病"と"非モテ"問題
 
今回は各メディアで社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍し、現代人の“心の病”について洞察を続ける精神科医の香山リカさんと、いま話題の「革命的非モテ同盟」古澤克大さんをゲストにお迎えし、「若者たちの"心の病"と"非モテ"問題」をテーマにお送りいたします!!
   
※上から順番にお聴き下さい。

part1

part2

part3

part4



出張版オールニートニッポンもよろしくお願いします。

2007年08月15日

【出張版オールニートニッポン】 ギャルセラピーお悩み相談室 第1回

【出張版オールニートニッポン】 ギャルセラピーお悩み相談室 第1回
ポッドキャスト&オンデマンド版

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こんにちは皆様、小穴です。お盆をどうお過ごしでしょうか。うちの社員は各々夏休みを楽しんでいる中仕事という苦境でちょっぴりセンチメンタルな僕です。
 
さて、今回の出張版オールニートニッポンは「ギャルセラピーお悩み相談室」です。正直なところどこのNPOを見てみてもこの「ギャル」なんかに関してはノンタッチって団体が多いという印象を受けました。だけどよくよく考えてみたら彼女達の多くは「ニート」だったり「フリーター」だったりするって現実もあったり。TVなんかで取り上げられている「ニート」ってこういう人達も取り上げられてる感じがしていたので。今回の出張版をやってみました。リアルなギャル達がハッピーでそして真面目に語る姿は今までの偏見をちょっぴり取り除けること間違いなし!
(僕自身も彼女達が怖かったけど今では尊敬しています!)
 
センチメンタルも吹き飛ばす彼女達の勢いを是非聞いてやってください。宜しくお願いします。
 
【収録日時】 2007年8月2日(木)18:00~

【出演者】 京子先生、ゆかたん先生、なななっつ先生、あゆみ先生、小穴哲至(司会)
 
※上から順番にお聴き下さい。

part1


part2

part3

 
フリーター労組のオールニートニッポン(仮)も宜しくお願いします。

2007年08月17日

◇生放送を聴く:8月17日(金)19時~21時

第2回 オキタリュウイチ"生きテク"ラジオ
 
自殺ZEROキャンペーンを仕掛けるオキタリュウイチによるポジなラジオ「オキタリュウイチ"生きテク"ラジオ」。19時より放送。お聞き逃しなく!!
 
play.gif←本日の放送は終了しました。ありがとうございました!
 
【放送日時】

2007年8月17日(金)19:00~21:00

 ※19:00~21:00の時間帯だけ視聴可能です。それ以外の時間は視聴できません。

 ※放送を聞くためには「Windows Media Player」が必要です。

 ※ライブ音声が途中で止まった場合は、Windows Media Playerの再生ボタンをクリックしてください。
 
【出演者】
オキタリュウイチ(クリエイティブディレクター)
香西伸介さん(造形師)
 
【ライブチャットルーム】

番組放送中、番組に対するご意見・ご質問をライブチャットでお寄せください。

(ご記入いただいた内容は番組中にご紹介する可能性があります。)

⇒⇒ コチラをクリック
 
【ご意見・ご感想用BBS】

番組放送中、BBSを開設しています。ご意見・ご感想をお寄せ下さい。

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⇒⇒ コチラをクリック
 
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2007年08月19日

第2回 オキタリュウイチ“生きテク”ラジオ

第2回 オキタリュウイチ“生きテク”ラジオ
ポッドキャスト&オンデマンド版

 
【収録日時】 8月17日(金)19:00~21:00

【パーソナリティ】 オキタリュウイチ(posi-media自殺ZEROキャンペーン

【ゲスト】 香西伸介(SFX造形師)
 
※上から順番にお聴きください。

part1



part2


part3


part4

2007年08月24日

◇生放送を聴く:8月24日(金)19時~21時

第2回 巨椋修のオグラジオ
 
映画『不登校の真実』『大丈夫』監督である巨椋修とゆかいなニートな仲間たちによる「巨椋修のオグラジオ」。本日第二回放送。お見逃しなく!!
 
play.gif←本日の放送は終了しました。ありがとうございました!
 
【放送日時】

2007年8月24日(金)19:00~21:00

 ※19:00~21:00の時間帯だけ視聴可能です。それ以外の時間は視聴できません。

 ※放送を聞くためには「Windows Media Player」が必要です。

 ※ライブ音声が途中で止まった場合は、Windows Media Playerの再生ボタンをクリックしてください。
 
【出演者】
巨椋修(作家、漫画家、映画監督)
夏目涼介(ひきこもりナンパ師)
白井カツミ(絶望男)
小穴哲至(オールニートニッポン ディレクター)
 
【ライブチャットルーム】

番組放送中、番組に対するご意見・ご質問をライブチャットでお寄せください。

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【ご意見・ご感想用BBS】

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2007年08月26日

第2回 巨椋修のオグラジオ

第2回 巨椋修のオグラジオ
ポッドキャスト&オンデマンド版

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【テーマ】 「KY(空気読めない)問題!」 

【収録日時】 2007年8月24日(金)19:00-21:00

【パーソナリティ】 巨椋修(作家、漫画家、映画監督)

【出演者】 夏目涼介(ひきこもりナンパ師)、白井カツミ(絶望男)、小穴哲至(オールニートニッポン ディレクター)
 
※上から順番にお聴き下さい。

Part1


Part2


Part3


Part4


Part5

2007年08月27日

名前はまだ無い 第4回「「ひきこもり」原因論・雑感(2)」

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名前はまだ無い 第4回「ひきこもり」原因論・雑感(2)
 
前回は、これまで「ひきこもり」の原因を追求することは、
多くの治療・援助論において、また臨床現場においても
避けられているということを書きました。
 
そして私も、原因を一般化し類型化するような議論は、
これまで一度もしてきませんでした。
自分のことに限って言えば、
原因を外側から特定することに抵抗があったからです。
しかし、これまでのインタビューで私は毎回、
その人なりの原因についての考えは聞いてきたわけです。
それはなぜか。
 
ということで、つづき。
 
当事者とされる人たちが自身の経験を振り返り、
“なぜ自分はひきこもったのか”を整理することは重要だと、私は考えています。
というのも、そうした作業は彼/女らが現在の自分に折り合いをつけ、
受け容れていく助けになると思うからです。
(もちろん“何でひきこもったのかよく分からないけど、
現にひきこもっちゃったんだからさー”という折り合い方もあり得ますが)
 
前回引用した斎藤さんの見解というのは、
ひきこもった当初の原因もしくはキッカケを特定できたとしても、
ひきこもった時点に戻って人生をやり直すことはできない、
という意味では正しいかもしれません。
でも、今までの人生と折り合いをつけ、この先やっていくためには、
“当人から見た/当人にとっての”原因というのは、
やっぱり大事なのではないでしょうか。
 
そして、それは当事者とされる人たちの経験を理解するためにも、
すごく大事なことだと思っています。
(“なぜ?”“どうして”という問いかけは、
ときに当事者にとって暴力性を帯びるという議論もありますが、
これは、また、何とも、一筋縄ではいかない問題で、うーーん……)
 
私が長いこと「ひきこもり」に関わり続けてきた大きな理由は、
当事者とされる人たちの経験を理解したかったというところにあります。
(じゃあ何で“理解すること”にこだわってきたのかということは、
また別の機会にお話できればと思います)
そして、支援やら援助やらを行なっていく上でも、やはり理解は欠かせないでしょう。
そのためには、“当人にとっての”原因を外してはいけないと思うのです。
 
いずれにせよ原因について語るときには、
それが“誰から見た/誰にとっての”原因なのかという、
視点の問題が重要なのではないか、というのがひとまずのオチです。
すごく単純なことなのですが、意外にこのことが整理されていないために、
「ひきこもり」の原因論は一様に敬遠されがちになっているような気がします。
  
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いままでの「名前はまだ無い」

2007.7.18 第1回「にがてなもの」
2007.7.27 第2回「身もフタもない」
2007.8.3 第3回「「ひきこもり」原因論・雑感(1)」

いきすべき批評 第3回「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(前半)」

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第3回 弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(前半)
 
 いじめ研究者の内藤朝雄氏が「パワハラネット」(http://www.pawahara.net/index.html)を立ち上げているのを知って、脱力してしまった。
 
 内藤氏はかつて、杉田が稲葉振一郎氏の『「資本」論』を批判するエントリーをブログで書いた時(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050923)、ご自分のブログで杉田の批判(というより、杉田の文意を一切読まない難癖)を行い(http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20051112)、トラックバックを付け、かつ杉田のブログに同種の書き込みをした。その内容があまりにひどかったから、杉田は内藤氏に逐語的な反論を書いた(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20050923コメント欄)。すると内藤氏は、それには一切答えず、稲葉氏のブログで「この件では論陣をはる必要を感じています」(http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/books/books.htm)と、稲葉氏その他に共同戦線を張って杉田を叩くよう、持ちかけた(お気の毒ながら、当然、憫笑的にスルーされてしまったみたいですけど)。その後2年近くが経過したが、内藤氏が杉田の批判に正面から答えた形跡は、今もない。
 
 さらに、最初の論争から1年以上が過ぎてから、或る杉田のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070119/p1)に関して複数のブロガーが批判的意見を交している場所(http://d.hatena.ne.jp/demian/20070128)で、内藤氏は、またもや唐突に割り込んで《大衆崇拝と妬みとやつあたり。自分が勝手に「恵まれている」イメージを投影した他人に対する、「恵まれたおまえの存在は恵まれないおれ=大衆の苦しみのなかで、距離ゼロの地点で共軛的に、左翼思想で武装したおれのいてもたってもいられぬ「いま・ここ」の気持ちに立ち現れる、関係の絶対性だ→「だから」おまえは滅びるべきだ。おまえを壊してやる、喉ぶえを掻き切ってやる」という血走った叫び。聖なる大衆の受苦状態をこの身にどれだけ刻印しているかの深さの差異をめぐる、仲間内のつつきあいで、めでたく自滅》(同コメント欄)……云々、とかなり「血走った叫び」を書いた。かつて稲葉氏らに「この件では論陣をはる必要を感じています」と扇動を試みたように、この時も「右でも左でもないリベラリストの独立勢力に、こういう人間類型を入れないことが大切だと思います」と、堂々と煽って恥じなかった。
 
 自分のメガネに適わない「人間類型」を最初から切り捨てた上での「リベラル」って、何だろう。と、そういうことを考える前に、内藤氏の上記のやり口は、人としてまっとうなんだろうか。内藤氏のふるまいこそ、世間的にはパワハラとよばれるものなんじゃないか。そもそも最初に内藤氏が「論陣を張ろう」と集団リンチをもちかけた時、杉田は全くの無名人で、内藤氏は地位も名誉もある大学教員だったのだから――もちろん議論=論争に身分や地位なんて何の関係もないのだけれど。内藤氏には、自分の言動の矛盾についての自覚が全くない。一対一では相手に面と向って反論できず、集団を扇動して執拗に他人を潰そうとする。そういう人物が、いじめ研究とかリベラルとか、まして人様のパワハラ相談(!)をしているのだから、皮肉ではなく、世の中は謎めいている。What A Wonderful World!
 
 リベラルな人間同士の対等な対話を尊重するんだ、と叫びながら、気にくわない他人に「お前はリベラルじゃない!(狂人?左翼?)」とレッテルを貼って、独断的に排除していく。そういう人は自称リベラリストにうようよといて、その哀れな末路は今も昔も「めでたく自滅」しかありえない――内藤氏自身が仰っているように。
 
 しかし、内藤氏のような「大学知識人」の心底情けないパワハラに限られない。私は次のタイプの奇妙な矛盾を、ここ2年ほど、いやというほど味わわされてきた(具体的な迎撃=批評は、別の形で、本名を名指して、ちゃんと書く)――ひきこもり者の被害者意識の絶対化を紳士面で批判しつつ、誰よりも屈折した被害者意識を無意識に撒き散らして、周りの人や高齢の親を(金銭的にも)どこまでも疲弊させていく人。自分はストーカー被害者だと公言し、被害者の会の発足まで訴えながら、自分こそがネットや2ちゃんで他人の個人情報を無断でばらまき、ねちねちとストーカーまがいを繰り返す人。自分は集団ストーカーの被害者だと訴えつつ、あらゆる他人に対して、「あなたもストーカーでしょ?」と関係妄想的な難癖を続ける人……。
 
 偶然の一致では片付かない。これらの奇妙な自己矛盾が、なぜ、至るところで、草の根的に繁茂していくのか?
 
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いままでの「いきすべき批評」

2007.7.17 第1回「息するあいだ、希望はある」
2007.7.25 第2回「ちびしすぎる、なにも…かも!!――いましろたかし『デメキング』」

いきすべき批評 第4回「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(後半)」

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第4回 弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(後半)」
 
 内藤氏はたぶん、痛々しく神経過敏で、とてもよわよわとした人なのだと思う。自分の弱さに気付くことさえ出来なくなってしまったほどに。ただ、やはり、「弱いから何をしても許される」ことにはならない。
 
 繰り返すと、一つの暴力(例えばいじめ被害)に苦しんだ人間が、なぜ別の他人に全く同じ暴力(いじめ加害)を振るい、しかもその相手に当のレッテル(お前こそがいじめっ子なんだ)を貼り付けてしまうのか――のみならず、これらの折り重なる自己目隠しに、なぜ、本人が永久に気付けないのか。わかるような気はする。そういうものだ。犠牲の転移だ。弱い者がより弱い人を叩くんだ。そういうふうに一般化してしまえばそうとしか言いようがないのだが、もう一度立ち止まってよくよく見つめてみると、やはりよくはわからないなと思えてくる。どうしてこんなことになっていくんだろう。あんまりじゃないか。
 
 生きづらいというより、「生」自体から見捨てられたような正真正銘の弱者であり、しかもそれゆえに「弱者」の自己絶対化や弱者競争に陥ることを強く拒もうとさえする人々が、なぜ、自己矛盾的な暴力に自らくいつぶされてしまうのか。その蟻地獄のような人生から何年たっても一歩もぬけられないのか。矛盾の輪は伊藤潤二『うずまき』のように、あちこちに感染し転移し、人々を渦巻の地獄へと巻き込む。くだらなくない人間がいるなんて絶対にゆるさない、とでもいうように(『呪怨』『叫』)。
 
 やっぱり、よくわからない。濁りきった悪さにおいてかなしいものがある。それぞれにある。だが哀しさ、よわよわしさ、あわれっぽさを感じるとのべて通り過ぎるわけにゆかないものがある。それらに対処するには、迎撃・沈黙・慈しみ、どれがふさわしいのかも、決められない。けれども、この数年、私自身のだめさをふくめて、自分の足元を鶴嘴で掘り進めたあげく、行き当たった岩盤(足場)のありかを今、一つだけ再確認するなら、それは「かつて悲惨な被害にあった当事者が、それを理由に、別の人間に何をしてもいい、傷ついた人間が直接間接に他人を傷つけて構わない、とは言えない」、という単純な事実であるらしい。私は自分が何かの被害者であると言いたいのではない。現実の複雑さの中では、被害と加害の意味もまた、重層的に決まっていくからだ――だがその重層性の認識(自分は純粋被害者ではない、別の局面ではいやおうなく加害の構造に加担している、しかしそれを認めることが、自分の部分的な「被害」を否定することにはならない)をほんとうに自分の内臓に焼き付けるには、なまなかでない傷と痛みの経験をくぐる以外なさそうだ。
 
 きみは卑小でささいな事柄にこだわりすぎている、と言われるかもしれない。例えば弱者が仕方なくふるう暴力よりももっと巨大な悪や暴力がこの世にはある、そちらをどうにかすることのほうを優先すべきではないのか、云々。しかし、この手の言い方は、いつも肝心の何かを取り逃している。弱さを弱さとして認めようとしないから。むしろ「弱さをめぐる抗争」をなかったことにすることが、長い目でみれば事態を一層悪化させ、あらゆる抗争をなし崩しにしていくように私は思う。
 
 この短いエッセイを書くことは私をいたく消耗させた。ずいぶん時間も費やした。ただ、おぼろげに見えていたものをつかまえなおし、腑に落とせた感じはじゃっかん、ある。
 
 私はもう弱者暴力との闘争も辞さない、という意味だ――正確に言えば、自分の弱さを認められない(内藤氏で言えば、極端な被害者意識・自己卑下と、それゆえの誇大な自己顕示欲)。弱さが時に他人を傷つける武器になる事実を分かろうとしない。自分の弱さと弱者暴力を認められず、それらを否認するから、かえって不安になって、他人へとめどもつきない暴力の泥を塗りたくっていく(内藤氏に組しない他人を強引に「いじめっ子」「加害者」と決めつけ、告発していく)。――そういう弱者暴力との卑近な闘争。
 
 微小な違いだが、「弱者暴力との抗争」と「弱者との闘争」(アドルフ・ヒトラー)は違っている。決定的なのは、全ての追い詰められた弱者が必ず弱者暴力を振るうとは限らない、という単純だが圧倒的な事実だ。しかし、「弱者暴力との抗争」を「弱者との闘争」から分離しうる基盤は何だろう。戦いがたんなる戦いのための戦い、殺し合いの螺旋ではなく、弱者暴力を振るうその他者――弱者ゆえに最大の敵――をあるやり方で愛するからこその戦いであること。その愛自体が「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる」(『マタイの福音書』)というタイプの、わかりにくい愛、殺意をもふくむ愛であること。言葉の一粒ひとつぶが愛の雪片でしんしんとぬれてあること。馬鹿馬鹿しいことを述べているだけかもしれない。何を今さら、と嘲笑されるかもしれない。でも、私はこれらのことを、誤解なく伝えられるとも思っていない。「だいいち、誤解されない、ねじまげられない、あくどく喰ってかかられないような大切なことなぞいくらもありはしないのだ。ただ、それほど大切でないことは誤解されることを用心しなければならない」(中野重治「素撲ということ」)。そこから何が見えるのか、見せられていくのか――私自身を含めて、誰が加害者/被害者/弱者なのか、自分たちが今どんな「議論の場」でこの泥のような議論を続けているのか、土と泥を分けられるのか、それ自体が自明ではなく、討論的=論争的に決められていく以外ないのだ。
 
 私が内藤氏のよわよわしさを愛する、少なくとも愛しうるとは、どういうことか。このエッセイで書いたことを実践するためにも、肯定の言葉をいつか書き記せたら、と思う。
 
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いままでの「いきすべき批評」

2007.7.17 第1回「息するあいだ、希望はある」
2007.7.25 第2回「ちびしすぎる、なにも…かも!!――いましろたかし『デメキング』」
2007.8.27 第3回「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(前半)」

貧困襲来! 第4回「労働と福祉の連携」

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第4回 労働と福祉の連携
 
最近、労働組合経由の相談が何件かあった。
今週は、首都圏青年ユニオンの組合員の人が生活保護申請をするのを、同行して手伝った。
また、フリーター全般労組の人がつないでくれた人もいる。
そういえば、労働組合ではないが、こちらでもおなじみの雨宮処凛さんから聞いて連絡してきた、という人もいた。
 
去年から私は、労働問題や多重債務問題の背景には、一定の確率で〈貧困〉の問題が潜んでいるといったことを主張してきた。
そしてその延長線上で、いろんな分野の人と共同で〈貧困〉の問題に取組む「反貧困ネットワーク」を作った。
その過程で、今まで出会う機会のなかった労働分野の人や多重債務分野の人と、顔の見える関係ができてきた。
「顔の見える」というのは、大切な安心感だ。「そういう活動がある」ということを情報として知っていても、それだけではなかなか安心して紹介できるものではない。
「あの人がやってる」というのが見えてきて、ようやく「こういうところがあるから相談してみる?」と人に紹介することができる。
自分もその分野のことを学んでみようか、と勉強する気にもなる。
今週は、首都圏青年ユニオンの団体交渉を見学し、派遣ユニオンの人たちと会合を持った。
どこでも、尊敬すべき人たちが、真摯に活動している姿が見えてきて、それがさらに安心感につながっていく。
 
連携とか、ネットワークというのは、結局そういうことなんだろう。
 
先月は、北九州で生活保護を打ち切られた後に餓死した人の事件があった直後、あるブログの運営者から、「うちにこんな相談がきている」と北九州市の人の件で相談があった。
さっそく北九州現地に連絡したところ、法律家の人たちが即座に動いてくれて、連絡のあったその日に家庭訪問と生活保護申請が実現した。
昨日、北九州から「無事に生活保護が開始された」という連絡を受けた。
今月末には、北九州でご本人ともお会いする予定だ。
 
そうやって、一つ一つの連携を積み重ねることが、お互いの信頼感を高め、政治や社会に対する怒りを共有させていく。
それが、私たちの「力」となる。
  
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いままでの「貧困襲来」

2007.7.17 第1回「このままでは本当に殺される」
2007.7.24 第2回「日雇い派遣は貧困ビジネス」
2007.7.30 第3回「ピエロの一票。一発食らわすつもりで」

ゲームあふるる国に生まれて 第4回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)」

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第4回 「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)
 
 前回の続き。「オンライン対戦」の話から。
 インターネットが普及するにつれ、インフラの信頼性も高いものとなり、ネットワークで接続されることを前提にしたゲームジャンルがうまれました。
 オンラインゲームというと、「ラグナロクオンライン」や「リネージュ」といった、MMO(Massively Multiplayer
Online/多人数同時参加型オンライン)RPGがよく知られています。
 MMOよりも対戦という要素が強いのは、FPS(First Person
Shooter/一人称シューティング)ですが、今回はアーケードゲームに話を絞るため、これらの話は割愛します。
 
 さて、アーケードで最初にネットの双方向性を十分に生かし、かつ商業的にも成功したのが、コナミの麻雀格闘倶楽部ではないでしょうか。
 4人集まらないとプレイできず、現実の雀荘ではギャンブルイメージが強すぎ、ゲームでは人間相手の駆け引きが楽しめない。
 そうした欠点をネットワークを利用することで克服し、いつでも気がるに一人で、他のプレイヤーと遊べる麻雀環境を提供しました。
 また、日本プロ麻雀連盟所属のプロ雀師が不定期に参戦するなど、麻雀人気の向上に寄与しています。
 
 さて、ようやく本題。
 麻雀格闘倶楽部でアーケードネットワーク対戦ゲームのノウハウを得たコナミが、次に送り出したのが、今回注目する「クイズマジックアカデミー」という、オンライン対戦クイズゲームです。
 それまでのクイズゲームは、4択問題を解いていくと徐々にストーリーが進んで、やがてエンディングに至る形式のものが大半でした。
 ゲームの難易度は問題の難易度にそのまま左右され、やたら簡単な問題が出たかと思えば、難しい問題が出てきてライフを減らされるなど、知識を競うというよりも、運に左右されるゲーム性でした。
 そして、さらに問題だったのは、「アメリカ横断ウルトラクイズ」や「アタック25」など、多くのクイズ番組が「他者との対戦」という形式であったにもかかわらず、クイズゲームは他のプレイヤーとの対戦要素がほとんどありませんでした。
 一人で(もしくは友人同士で)、ちまちまと問題を解いていくスタイルは、対戦格闘全盛期を過ぎ、大型筐体化やグラフィック性能の向上で派手な演出ができるようになっていった時代に、いささか地味過ぎるものでした。90年前後には「カプコンワールド」や「子育てクイズ
マイエンジェル」といったヒット作も出ましたが、やがて廃れていきました。
 
 しかし、クイズには潜在的な需要があります。
 友達と知識を比べ、勝つことの優越感は、テクニックやゲーム感ばかりが先に立つ対戦格闘やカーレースといった類の対戦ゲームでは得られないものです。
 そこに光を与えたのが、クイズゲームのオンライン化です。
 オンライン化は、ひとりで地味にプレイするクイズゲームを、最大16人という大人数での対戦ゲームに進化させました。
 対戦格闘ゲームでは、その店に多くのプレイヤーがいなければ、多様な対戦を楽しむことはできませんが、全国規模のオンラインゲームならば、全国各地のプレイヤーの中から16人募って、みんなでプレイすることができるのです。
 そして、問題の難易度も、例え非常に簡単なもの(「問題:1+1=?」)であったとしても、回答スピード差で点数が変動するシステムですから、簡単な問題を素早く解くなど、素早いひらめきが重要になり、単純に運だけで勝ち負けが決まることは、かなり減りました。
 クイズマジックアカデミーは、買って楽しく、負けて悔しいクイズ番組の興奮を、そのままゲームに持ち込むことに成功してます。
 
 技術的な点については、クイズでは問題を作った時には正しかった問題が、後になって正しく無くなるような場合(総理大臣が変わるなど)も、オンラインであれば簡単に問題を修正することができます。
 また、対戦格闘のように「フレーム単位(1コマ単位)」で相手に対応しなければならないゲームではないので、ネット特有の通信遅延も、ある程度までなら吸収することが可能です。
 
 このように、ひとり、もしくは仲間同士で協力プレイするのが基本だったクイズゲームが、大勢の人数でシノギを削りながら勝負できるようになったのは、まさにオンライン化の力です。
 「クイズマジックアカデミー」は、オンライン化によって、ゲーム性そのものを大きく変化させた好例といっていいでしょう。
 
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これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」
2007.8.3 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」

絶望男の逆襲 第6回「人間のクズ」

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第6回 人間のクズ
 
何年だか忘れた。俺が17歳の頃だから、1978年だったと思う。8.26という数字だけは覚えている。プロレス夢のオールスター戦。8年ぶりに馬場と猪木がタッグを組み、ブッチャー、シン組と闘ったプロレス史に残る日だった。その夜、3分枠のニュース映像で試合の様子を見て、えらく興奮した。
 
翌朝、父方の親戚が突然やって来た。予告なしに。俺は当時、会社の寮の一人部屋を与えられていた。が、まったく働かず、ひきこもっていた。嫌な予感がした。同じ寮の家族部屋に連れて行かれた。
 
部屋には両親と親戚がずらりと鎮座していた。父の妹の鬼婆が勉強机に突っ伏す俺に怒鳴った。「なんで働かないんだ!この役立たず!」と抜かした。クソ暑さが鬼婆の神経を高ぶらせる。「勝美は甘えてるよ。これも文子さんの育て方のせいです」。口撃の矛先は母にも向かった。シラフの父は静かだった。俺は働かない理由を夜眠れない(事実)と言った。他にも何か話したら「弁舌爽やか」などとほざきやがった。鬼婆どもは俺の立場や事情を無視し「敏明が可哀想だね。一人働いてさ。立派だ」と弟を誉めた。そして沈黙する俺に「長男なのにだらしない。お前が家族を養う役目なんだ。わからないか。働かないお前は人間のクズだ」。“弁舌爽やか”は鬼婆どもの方だ。
 
午後まで続いた。翌日から仕事に出されることになった。奴らは工場長に俺を働かせるように話した。その夜、親父は酔っ払って、暴れ狂った。俺は一人部屋で眠れない夜を過ごした。
 
頭がボーッとしていた。朝の陽光がなまった身体を貫いた。木材加工の仕事は肉体労働。しんどい。奴らの陰謀で嫌々仕事に出た。
 
1週間経った。鬼婆から電話があった。母が受けた。その話を伝え聞いた。「やっぱり文子さんと勝美はろくでなしの役立たず」と言ったそうだ。奴らの要望どおり働いたのになぜ?わからない。俺は怒りに打ち震えた。
 
翌朝はドアの鍵をロックした。誰が来ても開けなかった。布団に潜り込んだ。再度、ひきこもりに入った。
 
8月になると、この日を思い出す。親戚のアホども(母方とも)とは父の死後、縁が切れた。
 
親父に対する殺したいほどの憎しみは奴の死で霧散した。奴はこの世にいない。だが、親戚のクソどもは皆殺しにしても何の罪悪感も感じないだろう。
 
親戚はどいつも金持ち。貧乏はうちだけだ。それは今も変わらない。格差社会は今に始まったことじゃない。
 
人間のクズと奴らは言った。社会から見れば俺は非生産的な役立たずだろう。だが、親戚どもは生産的なのだろうか。奴らを支えているものを見据えてみたい。そこに答えが見出せる。社会的概念という敵は奴らの後ろにいるのだ。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.08 第5回「絶望の根っこ」
 

プラスの力 第5回「「できること」と「すべきこと」(2)」

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第5回 「できること」と「すべきこと」(2)
 
 ある種の若者たちに対して、「別の生き方をすべきだ」と世間が責め立てるとしても、そもそもそのような生き方が「できない」のであれば、そういう生き方を「すべき」だとは言えない。
 人は「できること」の範囲内でしか「すべきこと」の責任を問われないのだ。その範囲については、議論の余地があるにせよ。
 というのが前回のお話だった。
 
 それにしても、他人の生き方を裁いたり、そのような裁きに対してムキになって反論したりすることは、本来、「いかに生きるべきか」を考えることとは別問題である。
 
 大切なのは、「お前はこのように生きるべきだ。その気になればできるはずだ」と他人の生き方に口出しすることではないし、「そんな生き方できないんだから仕方ない。できなかったんだから仕方ない」と下を向いて(あるいは開き直って)、弁明することでもない。
 
 僕たちは裁判官でも、弁護士でも、ましてや被告人でもないのだから、法廷の外に出ることは許されるはずである。他人のことではなく自分のこととして、過去ではなく未来のこととして、一人の行動者として、「できること」と「すべきこと」を考えてみよう。
 
 今の自分には何ができて、何ができないのか。それは自分の「やりたいこと」とどのように釣り合っているのか、いないのか。
 
 「やりたいこと」が「できること」の範囲の外にあるときには、二つの道がある。「やりたいこと」を諦めるか、「できること」の範囲を拡げていくか。
 
 まあ適当なところで折り合いをつけて諦めろ、などと大人ぶったことを言える立場に僕はいないので、そのような説教が必要なケースもあろうかとは思うが、ここでは「できること」の範囲を拡げていくという道のほうを考えてみたい。
 
 人は「できること」の範囲内でしか責任を問われない、と繰り返してきたが、これは裏を返せば、「できること」の範囲が広がれば責任も増えるということである。その増えた責任のなかで「すべきこと」をこなしていくにつれ、「できること」の範囲はますます広がるかもしれない。そして、それに応じて「すべきこと」はさらに増える。また、それをこなす。
 
 これは、社会というものが僕たちに与えてくれる、もっとも幸福なサイクルである。責任はいつも重苦しいわけではなく、喜びの源泉にもなりうるのだ。
 
 「できること」の範囲内で「すべきこと」をこなしていく、それによって「できること」の範囲を拡げていく。
 僕はそんな生き方をしていきたいのだが、果たして「できる」だろうかね。
 
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いままでの「プラスの力」

2007.7.13 第1回「初めまして」
2007.7.20 第2回「リアクションからアクションへ」
2007.7.27 第3回「世の中を変えるか、自分を変えるか」
2007.8.08 第4回「できること」と「すべきこと」(1)
 

投稿原稿  「「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―」

投稿原稿  「駅のベンチ」―はじめて学校に行かなかった日―  藤山 隆(仮名)
 
僕は電車に乗って大きなレコード屋に行こうと思いました。その日は確か、運動会の予行練習の日だった。私服を着て、通学路ちょうど反対方向になる最寄り駅まで歩いていきました。学校にいかないことは決めていたので私服を着たまま親に見つからないように家を出ました。こっちに行けば学校、こっちに行けば駅という分岐する道があって、通学路と違う方に踏み出した時に、ちょっとこれは大きな一歩になるんじゃないかとわくわくしました。結果的にはあまりいい一歩とはならなかったのですが。とにかく駅まで20分くらいかけて歩きました。
 
でも、怖くて改札が通れない。田舎なので自動改札などなく人が切符を切っていたので、駅員の目が気になります。通報されるんじゃないかと心配になったのです。そこで一駅歩けば無人駅であることを思い出し、隣の駅まで歩くことにしました。隣の駅なんてこれまで利用したこともないし、どうやって行けばいいのかもわからなかったけど、だいたいの検討をつけて歩き出しました。
 
15分くらい線路を見失わないように道を歩いていると、迷わずに次の駅につくことができました。時計を見たのですが次の列車が来るまで20分くらいあります。田舎では普通のことなので、無人駅のベンチに腰掛けて列車を待っていました。その時に駅の横にパトカーが止まり、構内に警察官が入ってきました。無人駅なので改札などもなく、2人の警官がすっと入ってきて真っ直ぐに僕の所にやってきました。
 
僕はつかまってしまうんじゃないかと思って、逃げようとしたんですけど怖くて足が動きません。学校に行かないくらいで捕まるだなんて今考えたら、おかしいですけど14歳の僕はなぜかそう思ってしまいました。
 
警官は「昨日はこの駅を利用されましたか?」と聞いてきました。
 
僕は「いいえ」と答えると、「そうですよね」と一人ごち、向こうへ言ってしまいました。本当は「どうしてんですか」とたずねてみたかったのですが、何しろ、学校に行っていない中学生の身なので、おいそれとは話しかけられません。しかし昨日何か事件があったみたいで、警官の一人は誰かとトランシーバーで会話していました。
 
のんびりした警官の雰囲気から、そんなに大した事件じゃないんだろうなと思いました。面倒くさそうにひとしきり辺りを見回して警官たちは帰っていきました。また駅には誰もいなくて僕は一人ぼっちで椅子に座ったまま、ぼーっとしていました。
 
その日はよく晴れていて9月なのにまだ向日葵が咲いました。椅子に座っている僕は缶コーヒーを飲みのんびりした気持ちになりました。学校に行かないというのは、こんなにも心が安らぐことだったんだなと思いました。心が安らいだのは、もしかしたらぽかぽかした陽気のせいだったかもしれません。
 
その日だけのちょっとした息抜きのつもりでした。確かに女子にどうやら僕は嫌われているらしいことや、どうもクラスメイトに僕は下に見られているらしいことや、僕の友達はどうもクラスの中心にはいない人が多いことなど、気に入らないことはたくさんあったけど、いじめられてはいませんでした。それに、そんなに大それた不満でもなかった。
 
だから、まさかその後2年間、中学卒業まで学校に行けなくなるとはその日の僕は思ってもいませんでした。ただ、その日は晴れていて、それは気分のいいことでした。教室の中にいるなんてもったいないなとか、そんなことをちょっと自分で思いかけたんですけど、それよりも、とても心地のいいものだったということだけ印象に残っています。

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いままでの投稿原稿

2007.7.27 「不登校体験記」
2007.8.3 「ゼロからの自分 イチからのスタート」
2007.8.3 「憂鬱から生まれた歌人」

レンタル空手家日記 第6回「僕が「レン空手」をはじめるまで/その3」

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第6回 僕が「レン空手」をはじめるまで/その3
 
ども~。「レンタル空手家」です。
お盆はどうでしたか?
僕は人の少ない東京で、いつも通り過ごしてました。
 
東京・花小金井で行う「ほのぼの空手教室」3回目を行います~。
普段体を動かしてない人も、レッツ運動!
夢を見るには、きっと体力が必要なんだ!
終わったらワンクルの鍋にどんぞ!
 
詳しくはこちらのページをどんぞ!
参加希望の方はメールくらはいな!
 
 
では、「僕レン空」を。もう少し続きます。
 
 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 
 二〇〇一年、春。二十一歳 ―。
 
 「いつまで続くんだ、こんな毎日…」
 僕は、いつものように十二時間近くの薄く長い眠りから覚めると、かったるそうに布団から起き上がりました。
 カーテンの外は、これもいつもと同じように、夕刻過ぎでした。
 
 一年ほど前、二十歳になった僕は、親に頼んでワンルームでの一人暮らしをさせてもらっていました。
 家庭にいると、自分がいたたまれないようで、家族にも迷惑をかける気がしていたからでした。
 実際、家族はいつまでたっても勉強や将来のことにやる気を見せない僕にイラ立ち、ピリピリしていました。
 家を出た直後は、アルバイトをして自活して行くつもりでしたが、すぐに引きこもりに変わりました。
 毎月、親に仕送りをもらっていました。
  
 「腹減った…。」
 そう思っても冷蔵庫の中にはもう何も入っていませんでした。
 戸棚の奥に残っていた白砂糖も、昨夜食べ尽くしてしまったばかりでした。
 「買いに行くしかないか…。」
 外に出ると、またあの声と向き合わなくてはいけません。
 「いつまでこんな暮らしを続けているんだ?」
 
 深夜、人通りのなくなった頃、何日も着替えていない服にコートを羽織って、帽子を被り、外へ出ました。
 コンビニのATMで金を下ろす時は、苦痛の瞬間でした。
 「あんなに嫌な親から、どうして金をもらってまで生きているんだろう…。」
 それでも下ろし、100円ショップで食料を調達した帰り、ブックオフで古本を漁ります。
 少なくとも、買った本を読み尽くすまでは、現実に向かい合わないでいられる…。
 部屋の中は、古本や古マンガだらけでした。
 
 そんなある日、たまたま外に出かけている時、昔遊んでいた仲間から連絡が入りました。
 代々木駅のホームでした。
 彼女はほとんど泣いていました。
 「○さんが亡くなったよ。」
 
 友達が死んだと聞かされるのは、これで三人目でした。
 亡くなった彼女は、生きようとして色んな試みをやっていました。
 自傷行為の自助グループを立ち上げたり、自分の書いた詩を出版しようともしていました。
 手首を切ったり薬の多量服用はしていましたが、生きるために何が必要か、模索していました。
 死因は心停止による事故死でした。
 自傷行為や薬の過剰服用を繰り返すと、心肺機能が低下し、少量の薬でも心臓に大きな負担がかかって停止してしまうことがあります。
 彼女はその危険性を知っていたのですが、過剰服用をやめることは出来なかったのです。
 
 通夜と葬式に出ました。
 「ココロ系」の仲間は集まっていたのですが、彼女の地元の友達は一人として来ていませんでした。
 納骨の後、彼女の家族の無理をしたような笑顔に耐えられなくて、先に一人で帰りました。
 とてもよく晴れた日でした。
 
 何かしたいと思いました。
 憎かった。
 彼女をこんなふうに追い詰めた世界が憎かった。
 だが、それからも引きこもり続けました。
 
 <続く>
 
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いままでの「レンタル空手家日記」

2007.7.12 第1回「はじめまして、レンタル空手家です」
2007.7.20 第2回「僕が『レン空』をはじめるまで/その1」
2007.7.27 第3回「僕が「レン空」をはじめるまで/その2」
2007.7.30 第4回「ほのぼの空手教室をやってみて」
2007.8.8 第5回「劇団内、空手部~!」
 

絶望男の逆襲 第7回「登校拒否」

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第7回 登校拒否
 
「不登校」という言葉、35年前にはなかった。「ひきこもり」「フリーター」「ニート」もここ10年間で生まれた言葉だ。10代~20代の人間としてもっとも“活き”のいい頃に俺は登校を拒否し、時おり、バイトをし(定職に1度も就けず)、うちにひきこもり、働かなかった。結果、他者との接点を持てなくなった。自分を成長させる技能を学べなかった。45年間1度も恋人を得ることができなかった。「不登校」等の言葉があったら、違っていただろうか。過ぎてしまった今では何とも言えない。だが、言葉だけではない。それらは社会的現象として取り上げられる。良し悪しはあるかもしれないが、注目され、一方的に否定(もしくは黙殺)されることはない。俺が若者だった時代は否定されるだけだった。
 
学校は嫌いでもなかった。勉強が嫌だった。同い年の子供たちと同じ机に向かい、同じ教科書を開き、ノートをにらむ。勉強などしていない。ふりだ。集団が同じことをしている。気色悪い。ふりも苦痛でしかなかった。小学時代はいじめにも顕著に遭った。まるで儀式のように彼らは俺をいじめる。
 
小学時代から貧乏をネタにいじめを受けた。服がいつも同じで汚かった。臭い匂いも漂わせていた。彼らは俺に奇異な視線を送り、仲間外れにした。2年の頃には校舎の2階の窓から逆さ吊りにされた。彼らだけではない。女の子に周りを囲まれ、服や容姿を徹底的にバカにされた。転校した初日、3年の頃だ。雑巾を投げつけられたこともある。中学3年の頃には同級生全員にシカトされた。
 
いじめなど取るに足らない。つらかったが、うちには暴力親父がいた。学校にも家にも居場所がなかった。
 
「中卒」という言葉を差別用語に加えてもいいと思う。この言葉を投げかけられるたびに傷ついた。好きで高校へ進学しなかったわけじゃない。進学させてくれなかったのだ。
 
おかげでろくな職に就けなかった。小中で勉強せず、高い成績を残せなかったことが後々の俺の人生に悪い影響を与えた。
 
高校へ行ける若者たちがうらやましかった。大学など俺の許容範囲を越えていた。学校は俺にとって、ある種の憧れだった。勉強もいじめも不快だったが、「ふつう」になれる。
 
時代は変わった。今の時代、高校や大学を出ても「ふつう」にはなれないらしい。
 
中卒の俺は生きることに窮屈さを感じながらも45年も生きている。学歴がどれほどのものなのだろうか。
 
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いままでの「絶望男の逆襲」

2007.7.12 第1回「笑顔のない男」
2007.7.18 第2回「孤立感」
2007.7.23 第3回「天涯孤独になるまで」
2007.7.30 第4回「やせ我慢」
2007.8.8 第5回「絶望の根っこ」
2007.8.28 第6回「人間のクズ」
 

ゲームあふるる国に生まれて 第5回「ハイ&ローの愉悦(その1)」

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第5回 ハイ&ローの愉悦(その1)
 
 前回がライトな部分の説明に終始してしまった感があるので、今回はマニアックな話を。
 皆様は「メダルゲーム」はプレイしたことがありますか?
 メダルを1000円で70~100枚ぐらい買ってプレイするゲームの総称です。
 
 最近はゲームセンターが大型化する傾向にあり、そうした店舗では収益率の高いメダルゲームがフロアーの大きな面積を占めることも多くなっています。中でも、メダルでメダルを手前に押しだす「プッシャーゲーム」は、ゲーム筐体自体が巨大化し、強力なアイキャッチとなっています。
 その究極がコナミが出している「グランドクロス」で、直径約6.4m、高さ約3.8mという巨大な筐体で、最大32人が同時に遊ぶことができます。面積にすると32平方メートル強ですから、10坪弱ですね。これは人が快適に住めるスペースです。
 
 まぁ、そうした見栄えがよいゲームは、ライトユーザーにはいいのかも知れませんが、しかしゲームとして私が好きなのは、ポーカーゲームです。
 さらに、メインのゲームよりも、当選メダルを2倍か0にするかのダブルアップゲーム、しかもその中の「ハイ&ロー」が一番面白いのです。
 
 トランプの「ハイ&ロー」という名前だけだったら、皆さんもご存じかも知れません。
 昔は「人生ゲームハイ&ロー」なんてテレビ番組がありましたし、皆さんが知っている年代だと、ドラクエのカジノのダブルアップゲームにハイ&ローが採用されていたこともありました。
 しかし、メダルゲームのハイ&ローはそれらとは全く違う「真のルール」が存在します。それを知って、はじめてハイ&ローを熱くプレイすることができるのです。
 基本的なルールは、皆さんご存じのものと同じで、最初に出たトランプよりも、次のカードの数字が大きいか小さいかを当てればいいのです。2が最少でAが最大です。
 
 では、メダルゲームで当選したとして、ハイ&ローをやってみます。
 最初のカードは絵札の「K」です。あなたは「ハイ」を選びますか? それとも「ロー」ですか?
 もちろん、皆さんここでは「ロー」を選ぶと思います。当たり前ですよね。「K」より大きなカードは「A」しかありまんが、小さなカードは「Q~2」までといくらでもあります。
 そして、あなたが「ロー」を選ぶのですが、出たカードは「A」でした。メダルは0になって、終了です。
 
 「なんだこりゃ、インチキじゃねーか!!」
 みなさんそう思うのか、ハイ&ローは人気がなく、最近のゲームには実装されていません。
 しかし、それはプレイヤーが正しいルールを知らないだけなのです。
 実際のルールは、「元のカードがなんであろうと、ハイロー共に出る確率は約48.5%」というものです。
 先程の例で言えば、「A」が出て負ける確率も、「2~Q」が出て勝つ確率も、共に約48.5%なのです。ちなみに残りの約3%は、同じ数字のカードが出て、ハイローどちらを押していたにせよ負ける確率です。
 約48.5%なら「A」が出ても決しておかしくないでしょ?
 
 しかし、そんなゲームが本当に面白いのでしょうか?
 メダルゲームのタブルアップゲームには「スタンダード」というものもあります。
 4枚のうち、最初に出たカードよりも大きいカードなら勝ち。というものです。
 この場合、勝つ確率はぴったり50%です。50%の確率でメダルが2倍になり、50%の確率でメダルが0になります。これは分かりやすいですね。
 しかし、ハイ&ローは、約48.5%の確率でメダルが2倍になり、約51.5%の確率でメダルが0になってしまいます。スタンダードと比べると、圧倒的に不利です。
 
 では、私はなんでそんな不利なゲームを「面白い」というのでしょうか?
 私は、単純に演出を面白がっているワケではありません。
 それどころか、ハイ&ローは、メダル獲得という点からみても、スタンダードより有利な点が多いのです。次回はそのあたりの話と、ハイ&ローの奥深さを紹介します。
 
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これまでの「ゲームあふるる国に生まれて」

2007.7.17 第1回「あの頃のゲームセンター」
2007.7.25 第2回「レイトン教授の体操」
2007.8.3 第3回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その1)」
2007.8.28 第4回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)」

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」 第8回「一石二鳥」

第8回 一石二鳥  作:くまき由佳
 
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いままでの「人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」」

2007.7.12 第1回「俺 つまづき業(ぎょう)①」
2007.7.12 第2回「俺 つまづき業(ぎょう)②」
2007.7.13 第3回「つまづきデート①」
2007.7.13 第4回「つまづきデート②」
2007.7.27 第5回「違った意味でガーン」
2007.8.8 第6回「夏目氏とナンパ①」
2007.8.8 第7回「夏目氏とナンパ②」
 

今日のオールニートニッポン 2007年8月27日号(第13号)

2007年8月27日号(第13号)
 
『週刊現代』次号(9/1発売)にてオールニートニッポン紹介!

・次回公開放送は『雨宮処凛~』出版記念スペシャル、9/14会場は新宿ロフトプラスワン!(詳細は後日UP)

・次回放送は9/7「貴戸理恵の不登校系トークラジオ」になります!(前回の放送を聴くにはコチラ

人生曲折「つまづき業(ぎょう)くん」のくまき由佳さんが、メディアファクトリーの「コミックエッセイ劇場」で連載を開始しました。

・8/31の放送は、第5週のためお休みとさせていただきます。(すみません!)
 
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◆ラジオ
 -第2回「巨椋修のオグラジオ」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
 -第2回「オキタリュウイチ“生きテク”ラジオ」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
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 -第9回「雨宮処凛のオールニートニッポン」ポッドキャスト&オンデマンド版を配信!
 
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 -白井カツミ 第6回「人間のクズ」
 -白井カツミ 第7回「登校拒否」
 -杉田俊介 第3回「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(前半)」
 -杉田俊介 第4回「弱者暴力との抗争――内藤朝雄氏のよわよわしさについて(後半)」
 -赤木智弘 第4回「「オンライン対戦」によって脚光を浴びた、「あの」ジャンル(その2)」
 -赤木智弘 第5回「ハイ&ローの愉悦(その1)」
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 -高1女子自宅に放火「注意され腹立った」
 
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 -[コラム] 不登校(その1)
 -不登校児童、生徒の校外学習を「出席扱い」に
 -「心」も支える保健室、養護教諭経験者派遣し充実図る
 -法務局のいじめ相談半年で61件に
 -早期発見のポイント示す 「いじめ対応ハンドブック」改訂 県教育局
 -いじめ相談ダイヤル利用、半年で4万6451件
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2007年08月29日

【出張版オールニートニッポン】 フリーター労組のオールニートニッポン(仮) 第2回

【出張版オールニートニッポン】 フリーター労組のオールニートニッポン(仮) 第2回
ポッドキャスト&オンデマンド版

 
こんにちは。第2回 「フリーター労組のオールニートニッポン(仮)」が1か月ぶりに配信されることとなりました!
 
収録日時は8月13日。猛暑のさなか、フリーター労組の方々に出演していただき、真夏の暑さに負けない熱い番組となりました。フリーター労組さんの紹介もありますので、ぜひ参考にしてください。
 
大寺さんへのインタビューでは、雨宮処凛さんの著書「生きさせろ! 難民化する若者たち」の中で取り上げられた団体交渉の事例について、直接語っていただきました。
 
2回目のプレカリ文芸批評は、安野モヨコ「働きマン」を出演者のみなさんが鋭く分析! お楽しみに!
 
【番組内容】 「フリーター全般労組」の紹介、団体交渉経験者・大寺さんへのインタビュー、プレカリ文芸批評

【収録日時】 8月13日(月)18:00~

【出演者】 のっぽさん(司会)、大平さん、大寺さん、せっちゃん、似非原さん、yoshiyaさん
 
Part1

Part2

Part3




【関連書籍】

雨宮処凛「生きさせろ! 難民化する若者たち」


安野モヨコ「働きマン」


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