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投稿原稿 「不登校体験記」

投稿原稿  不登校体験記
 
■予兆。
 
自分でいうのもなんなんだが。
俺は結構成績が良かった。
○会という通信教育講座をやっていて、
宿題とそれだけでテストでは好成績をおさめることができた。
通信教育講座ということで、
もちろん自分で時間をみつけてワークシートにとりくまなければならない。
家に帰ったら昼寝して、メシ食って、
宿題やって○会という流れを 俺はいつも忠実に守っていた。
中学2年の秋頃から、それがすこしおかしくなった。
○会をやる気を、なんとなく無くしてしまった。
中1から書いていた日記を、ぱったりと書かなくなってしまった。
毎日やっていた漢字の練習を、週末にしかやらなくなってしまった。
 
今思えば、これも予兆だったのかもしれない。
ずべてのことにやる気をなくして、
家にひきこもって時間を殺す、そういうことの。
 
けれどそんなことはわかったもんじゃなくて。
俺はのんきに「まあ飽きちゃったんだな」とかそういうことしか考えなかった。
 
 
■欠席。
 
2年の終わり、ついに俺ははじめて病気でもないのに学校を休んだ。
どうしても、行けないような気分になってしまったのだ。
理由はわからない。
ただそのときの担任はすごいひとで、
俺が「風邪だ」といって休んだにもかかわらず夜電話をかけてきてくれた。
仮病だということはお見通しだったらしい。
なぜわかったのかときくと、
「辰巳(俺)の連絡日記を読んでて、このごろおかしいなと感じた」
だそうだ。
読み返しても、日記に変わったところなんてない。
やはりT先生はすごい人である。
 
その次の日は学校にいったが
何日かしてまたいけなくなってしまった。
そのとき俺は泣きながらT先生の家に電話をかけた。
先生は無理をしなくていいといってくれた。
 
その後は休んだのが何かの間違いのように順調にいけた。
ただ卒業式は休んでしまった。
かなり感動モノの卒業式だったらしく、そのことはすこし残念だ。
 
 
■家出。
 
3年生になった。
またT先生のクラスがよかったのだが、T先生は自分の夢のため、
教師をやめてしまったのでそれは叶わなかった。
4月いっぱいは別段何事もなく過ぎていった。
5月。 ゴールデンウィークあけにそれはおこった。
 
またしても突然学校にいきたくなくなってしまったのだ。
俺は母親に休んでもいいかと尋ねた。
前はいいといってくれたのに、今度ばかりはダメだった。
母親が午後から予定がはいっていたので、
子供が家にいられちゃ迷惑らしい。
俺はわかったといって家をでた。
そしてそのまま家出してしまった。
 
学校にいく途中に、駅があり、電車にのってそのままH市にいった。
H市には自分の家がある。
どういうことかというと、
父親の仕事の都合で今のS市に引っ越してくる際、
いつまた帰ってくるかわからないというので、
住んでた家はそのまま残しておいたのだ。
もちろん、鍵も家を出るときぬかりなくもってきている。
駅で電話をいれようとしたのだがつながらなかったのですぐにあきらめた。
電車がきていたのだ。
俺は地元C中の制服をきていたので、
次の電車を待っていたら目立つかもしれない。
目立ったら母親にばれて連れ戻されるかも知れない。
そう思っていそいできていた電車に飛び乗ろうとした。
そうしたらドアにはさまれて余計に目立ってしまった。
 
電車のなかではおおいに罪悪感に苦しんでいた。
母親をだまして無断欠席しようとしている。
嘘をついてるのはおれのほうなのに、心が痛んだ。
 
が、40分ほどたって、
K市をすぎたあたりでなぜか無性におかしくなってしまった。
たかが学校を休みたいばかりに電車で1時間もかけてH市へ逃げている。
バカみたいだ。
普通仮病をつかうだろう?
そう考えるとなんだか笑いたくなってきた。
嘘をつくのが嫌いというのはいいことだが、時と場合ってものがある。
 
H市について、家にゆくためにさらに電車をのりかえると、
その日H市は休日で
電車にはおばあさんなんかがのってたりして、とってものどかで、
休日なのに制服をきて家出している自分の馬鹿馬鹿しさがますます際だった。
 
 
■旧友。
 
H市について、まずはじめに旧友のCのうちにいった。
そいつとは本当に仲が良くて、家族ぐるみでつきあっていて、
ゴールデンウィーク中も、そこに泊まらせてもらったのだ。
帰るときおばさんが「またいつでもきてね」といっていたが
まさか翌日にくるとは思うまい、とひとりほくそえんだ。
 
案の定おばさんはびっくらこいていた。
当然である。
しかも俺は制服姿だ。学校で指定のださいリュックまでしょっている。
 
Cとその兄弟は笑っていた。
 
「学校行くフリしてそのままきちゃったの?」
というおばさんにきかれた。
俺がうんとこたえたら、おばさんが学校に欠席の連絡をいれてあげると言われた。
おばさんがC中に連絡する。
「あ、もしもし三年○組の辰巳の保護者のものですけど、今日具合が悪いようなので休ませます」
「どちらさまですか? 辰巳くんがいなくなったと今みんなで探しているのですが」
ばれてーら、である。
おばさんには悪いことをしてしまった。
 
担任が電話にでて、俺としゃべった。
ここだけのはなし、うちの担任は学校一怖い。
睨まれたら、なにもしてなくても「ごめんなさい」といってしまいそうだ。
その先生と電話でお話なので、めちゃくちゃ緊張してしまった。
受話器は汗でびしょぬれだ。
あんまり緊張したので何を話したのかはさっぱり覚えてなかったが
Cが渡してくれたメモだけは覚えている。
 
「辰巳頑張れ! おれも頑張ってるよ」
 
本当にC一家はいいやつだ。
実はCのうちにいく前は死ぬことも考えた。
何の理由もなく登校拒否になってしまったために精神的に追いつめられていたのだ。
でもCのうちに行けばなんとなかると思っていたので、死ぬのはよした。
 
Cは命の恩人かもしれない。
 
 
■痛み。
 
Cのうちにはそれから5日くらいお世話になってしまった。
しかし突然母親がやってきて、涙の説得で俺を家につれもどした。
 
そのあとから、ずーっと学校にいけない日が続いた。
 
母親と一緒にS市に帰ったあともH市にときどきエスケープした。
何回めかのエスケープで俺は手首をきろうとした。
死のうとしたわけじゃない。
ただ手首をきったら学校にいかなくてもすむかな、とか思ったのだ。
 
コンビニで450円の果物ナイフと、かき氷をかった。
かき氷は手首を冷やすためだ。もちろんあとでしっかり食ったけど。
手首を冷やしても怖くてなかなか切れなくて、そのうち氷がとけてきたので、
今度は昔「伊○家の食卓(知ってるよね?ご家庭の生活にやくだつちょっとした裏技を集める番組)」でやってた、
一分間ぐっと皮膚を押さえていたら注射されてもいたくないというのを応用することにした。
コンビニの袋で手首をぎゅっとしばったのだ。
効果があった。
触っても感じない。
それでようやくお粗末な5㎝ほどの傷をつけることに成功した。
 
お察しのとおり5㎝といったら傷かなんなのかわからないくらい浅いモノだ。
翌日には傷は消えてしまった。
なのに、痛かった。
皮膚なんてうすくて透明で簡単に切り裂けそうなのに、
切ったらやっぱり痛かった。
 
こんなちょっとしか血がでないのにめちゃくちゃ痛くて、
血塗れで元気に戦っている漫画の主人公はすごいなとか馬鹿なことを考えた。
 
 
■絶望。
 
とにかく憂鬱だった。
母親は精神科にいこうといったが、それは抵抗があった。
 
毎日苦しくて憂鬱で、死ぬことばかり考えていた。
 
部屋にとじこもって(和室で鍵はないので、ふすまのレールに本をつめて開かなくした)
絶食して、飢え死にだったら楽かな?とか考えていた。
結局絶食のほうは全然もたなかったけど。
朝からごはんぬきで夜にはもうふらふらになっていた。
(でもそのフラフラ感は実は結構気持ちの良いもので、また絶食しようとして親に怒られた)
 
ある日、全然眠れないことがあった。
不安で、不安で。
もうこれ以上苦しくなったら首つって死のうと、枕元にヒモをおいて眠った。
そうしたらすやすやと安らかに眠れた。
死に属したものが、気持ちの天秤を生に修正することがあるってのは、
なかなかおもしろい経験だった。
 
別のある日、今度は海へいった。
どうしても家から逃げたくて、どこにもいきばがないので、
好きなクラゲを見に行くという名目で海にいった。
海についたときには薄暗くて、やたら広いのが不気味で、
なぜおれはこんなところへ逃げ出して来なきゃなんなかったんだろうと、
涙がでてきた。
海にはいって死のうかと思った。思いとどまったけど。
 
こういうふうに、心の中でなんども死のシミュレーションをしてみる日々が続いた。
 
 
■救い。
 
暗くてどうしようもなかった俺の生活で、唯一の救いはインターネットだった。
人に気持ちをわかってもらえない、とくに父親には全然理解してもらえず
さぼってると思われていた俺にとって、
インターネットで出会った友人は俺のよき理解者で、
励ましてもらったり慰めてもらったり、とにかく彼らが俺の救いだった。
何にもやる気がでない俺がやる気になれたのもインターネットだけだったし。
 
毎日きて明日の予定をもってきてくれる友人たちには、
なぜか心が和むとかいうことがなかった。
やっぱり彼らも学校に属するものだからだろうか?
でも感謝はしてる。俺みたいなののために多くの時間をさいてくれた。
本当にありがとう。
 
よくいってるホームページがあって、そこは結構重い話題でも書き込むことができた。
みんないろんな事に真剣で討論することがよくあった。
そこで日々の愚痴とか聞いてもらったりして、それが心の安まる時間だった。
 
 
■病院。
 
病院は嫌だ、絶対ヤダヤダとだだをこねつづけた俺が
とうとう観念して精神科にいくことになった。
初めていく精神科は、なんだか狭くて、周りじゅうみんなキ○ガイにみえた。
むこうもそうおもってるだろう。
ドラ○モンだのコボ○ゃんだのあたりさわりのないマンガばかりがおいてあるのに、
なぜかWJ連載の封神○義だけ全巻そろってるのが印象的だった。
先生の趣味だろうか?
 
先生の第一印象はなんか変にやさしそうなおばさんというかんじだった。
15分くらい話しをして薬を処方してもらって帰る。
そのくりかえしである。
調子がわるいときは薬をかえてみる。
(いろいろ試行錯誤した結果、今はトリプタノールとピーゼットシーである)
それと、なぜだかさっぱりわからなかった登校拒否の原因を特定してもらった。
家族関係だそうである。
ここだけの話あまり親が仲良くないので、
しょっちゅう仲を取り持っていたそのストレスだそうだ。
 
病院にいって2週間くらいしたある平日の夜、
疲れているだろうに父親が雑貨屋に連れていってくれた。
ものぐさで理解がなくて、
日曜日にだってどこかへいくのをしぶるあの父親が、である。
家族関係が問題といわれて、それなりに気にしていたのだろう。
カラフルな雑貨をみているうちに、突然明日は学校へいってみようと思った。
薬がきいてきたらしい。それプラス父親が突然優しくなったので、
学校へ行こうと思い立ったのだろう。
 
それからはまあときどきいったり休んだり休んだりいったりという感じである。
もうちょっと早く病院いっとくべきだったのかな?
 
 
■受験。
 
受験シーズン到来である。
俺は内申が全然ないので、かなりピンチである。
なまじもとはそう成績の悪いほうではなかったために、余計にこたえる。
2年まではライバルとして肩をならべていたやつの、今はずっと後方にいる。
ちょっと悔しい。
 
いきたかったのはS学だった。
地元では、進学校におちたやつのかようところとしてしられている。
名門大学に合格実績がある。しかしいかんせん内申が・・・。
わが県では、3年の内申しかみてくれないので、
2年までいくら成績が良くても関係ないのだ。
本当についてない。
学力だけだったらS学にも受かる自信はあったが、
1年前の俺に見せたら軽蔑とおりこして笑っちまうような成績なので、
S学は到底無理だった。
そこで今度はお隣の市にあるK高だった。
そこはまったく知られていないが不登校児でも受け入れてくれるし、
こぢんまりしてアットホームな雰囲気らしい。
(そのかわりレベルは高くない、というか低い。)
S学のような大きくて冷たい学校より、絶対いい!と先生がいっていた。
実際母親はS学の説明会へいったが、
ずいぶんと高慢ちきではなもちならない学校だと感じたらしい。
それに、
「今は良い合格実績があるが、
それは進学校におちたやつがいってるからで、
実際に生徒の力をのばす能力がS学にあるかどうかはわからない」
とも先生はいっていた。
(本当は先生は俺をE高にいれたがっていたようだ。
俺の将来の夢である理系の大学への推薦枠ももっていたし、
生徒の指導がうまいという。
ただそこは共学ではなかったので、それだけの理由で俺は蹴った。
同性だらけなんてたえられるかってんだ)
実際にK高を見て、人目で気に入った。
古くて崩れそうだったがそれが俺の好みにぴったりかなっていた。
 
俺は普通に入試を受けるつもりだったが、K高の先生が俺のことをかってくれて、
推薦にしたらどうですかといってくれた。
中学の先生が、二年までは成績が良かったんですよ~と
二年までの成績表をみせてくれたおかげだ。
2年まではあんなに頑張っていたのに
3年からの内申しかみてくれないから報われない、
と母親が嘆いていたのだが、こういうところで報酬がきた。
ありがとう、優しい先生方と1,2年のころの俺。
 
そうして無事推薦入試で合格をいただき、あとは卒業するのをまつのみとなった。
 
 
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とりあえず、体験記はこれで終わる。
なぜかというと現在にたどりついてしまったのでもう書くことがないのだ。
でも「完」マークをつけるのは早すぎるんだろうな。
高校でも登校拒否になるかもしれないし。
それではいつかまたこの体験記が復活することを願わないで、バイバーイ。
 
 

 
■■■2007年現在……
 
現在私は22歳の大学生です。
女性です。当時の自サイトで辰巳と名乗り、男として振る舞ったのは、
やはり学校にいけない自分を恥じていた面もあったのでしょう。
「高校でも登校拒否になるかもしれないし、」
なんて軽く「辰巳」くんは書いてくれましたが、
実際出席日数が足りなくて留年を言い渡され、自主退学を選びました。
その後通信制高校に所属し、大検も受け、
念願の大学生となった今ですが……
性懲りもなく現在休学中です。
性懲りもなく精神科にも通い続け、薬の処方もかなり変わりました。
自殺ごっこも続けています。性懲りもなく。
 
上の文章は、当時15歳だった私が書いた文章です。
ただ一部固有名詞を伏せ字にしたり、ひらがなを漢字に直したりはしました。
 
今、この文章を読んでくださった方のなかに自殺を考えている方が
いらっしゃるかもしれません。
お前が言うな、と言われるかも知れませんが……
どうか、どうか自殺だけはやめてください。
未遂はいいです。でも本当に死ぬのだけはやめてください。
今日自殺したい方はせめて明日。
○○検定試験に落ちたら自殺しようと決めている方は
せめて次の検定試験日がくるまで。(もちろんもう勉強なんてしないで!)
全てに希望を見いだせない方は、
せめて希望なんて言葉を忘れるくらい時間がたってから。
お願いです。自殺しないで。
 
もしこの文章で、誰かひとりでも自殺を思いとどまってくださったら
15歳の、辰巳と名乗った、うつ病の少女は。
22歳の、太田と名乗る、うつ病の女は。
本当の意味で救われます。
 
どうか。
 
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