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第2回 身もフタもない
前回は、「ひきこもり」界隈での自己紹介が苦手だ、というお話をしました。
さらに「何で『ひきこもり』に関わろうと思ったの?」
という質問が胃を直撃するということも。
が、今回はそのあたりのことから書こうと思います。
そもそも何で「ひきこもり」に関心を持ったのか?
ここにはいくつかの疑問が関わっていますが、
一つに「何で私はひきこもらなかったんだろう??」というのがあります。
こういうことを書くのは何だか反則なような気がして、
あまり言わないようにしているんですが、
しばしば当事者の方から冗談めかして、
「石川さん、ひきこもる素質十分あるよー」と言われることがあります。
具体的にどういうことなのかは飛ばしますが、
自分でもそんな気がしないでもありません。
でも、これまで私はひきこもらず、彼/女らはひきこもった。
この違いはどこにあるんだろうか?
これが「ひきこもり」を研究テーマに決めた当時に、
私が抱いていた疑問の一つです。
そうした問いを抱きつつ研究を始めてから数年後。
とある研究例会で報告させていただいたときのことです。
報告を終えてからの質疑応答で、次のような質問を受けました。
「で、結局どういう人がひきこもるんでしょうか?
原因は何なんですか?」
今思い返すと、ずいぶん雑な質問だなぁ、と思います。
でも、そのときはバカ正直に答えました。
「(適当にしゃべりながら考えた後に)………うーん、つきつめれば、
タイミングの問題としか言えないかもしれません」
これまた雑な答えです。
フロアにいた友人から「社会学者がそれ言っちゃおしまいでしょ」と、
終了後に見事つっこまれました。
でもさー(と、突然くだける)
親子関係に難アリ、とか
激しい挫折体験、とか
現代社会への抵抗感、とかいうのは何だか白々しい。
だって、そんなのは、ひきこもってない人にもあるじゃない。
よく言われることでもありますが、
直接会ってお話を聞けば聞くほど、
ひきこもった彼/女らと、ひきこもらなかった私との間に、
決定的な違いなんてものは無いように思えてくるのです。
考えれば考えるほど、
たまたま、
という身もフタもない言葉しか浮かんでこないのです。
と言っても、私と彼/女らが「同じ」だと、
素朴に考えているわけでもありません。
(このあたりのことは、そのうちお話できればと思っています)
でも、やはり「原因」に関わるような問いに対しては、
様々な出来事や出会いの積み重ね、そのタイミング、
としか答えようがない。
それが、数年間界隈をウロウロしてきた実感です。
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