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共産主義、入門中 第1回「宝くじと教育の不平等」

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第1回 宝くじと教育の不平等
 
「当たりますように」
――宝くじを買うと、売り場のおばちゃんがこう言ってくれることがある。
招き猫みたいな開運人形にくじをさらして祈ってくれることもある。
 
悪い気はしないけど、よく考えるとなんかヘンな話である。
だって、もともと当たりの数は決まっているはずだ。
これはどれだけ必死に祈っても変わらない。
 
力の限り祈れば、
神様が当たりを僕に
まわしてくれるということはあるかもしれない。
「ホウホウ、ここに信心深いが努力はしない人間がおるのう。
売り子のおばちゃんも祈っておることじゃし、
どれ、こいつに3億円くれてやろう」
ってなぐあいに。
 
しかし、
それで全体の当たりの数が増えるわけではないんだから、
僕に当たりをくれるということは、
他の奴には当てない、ということなのである。
もし一所懸命に祈ったおかげで
本来は当たるはずがなかった僕が3億円をゲットするとすれば、
それは本来3億円を手に入れるはずだった人から
幸運が逃げていったということになるはずだ。
 
なのにそのシステムの胴元が
「当たりますように」
って言うのはなんかちょっと釈然としない。
ま、そう言ってもらうとなんかうれしい気持ちがして、
また買いたくなっちゃうんだけど。
 
教育問題を論ずる人が
「平等」という言葉を持ち出すことにも
同じような胡散臭さを感じる。
 
自分がいい学校に行きたいというのはわかる。
自分の子に高い学歴をつけさせたいというのもまあわかる。
しかし、教育を平等にしたい、っていうの、
これは不可能である。
教育の価値は、
教育を受けていない人との「差」をつけることにあるのであって、
みんながみんな一流大学の卒業証書を持っていたら、
それはただの紙切れでしかない。
 
教育を平等にするのは不可能なので、
教育を受けるチャンス(機会)を平等にするという話になる。
現状では、貧乏人は不当に教育を受ける機会を奪われている。
これをなんとかしようというわけだ。
 
たしかに教育には金がかかることもある。
だから貧乏人よりは金持ちの方が
教育を受けやすいというのはまあそうだろう。
 
でもそういう意味での不平等は、
昔に比べればマシになっていたりする。
ところが最終学歴における金持ちと貧乏人の不平等は
大きくは改善していない。
目に見えるバリアが小さくなっても、
貧乏人は金持ちほどは
積極的に教育を受けようとはしないのである。
 
そういう「謎」を説明するために、
「文化」とか「意欲」というのがキーワードになった。
貧乏人は勉強したがらない。
それ自体が、実は経済的な格差の結果である、
というのである。
 
これ、あまりにも貧乏人をナメきった発想であると思う。
金持ちがやっていることを貧乏人がやろうとしない。
それは
貧乏人が経済的な不平等の被害者だからだ、
っていうんだから。
理想的な環境を与えられれば
誰もが勉強したがるはずだなどと考えるのは、
教育中毒の思い上がりもいいところである。
それは平等を求めているようでいて、
低学歴の貧乏人を「欠陥品」にして、
結局は今ある不平等を正当化することになる。
 
仮に誰もが平等に
勉強する社会が実現したとして、
はたしてそれは魅力なものだと
言うことができるだろうか?
 
教育や勉強を「いいもの」だと考えるのは
信仰の自由だが、
みんながそう思うわけではない。
 
不平等を教育の問題にしてしまうことの
もう一つの問題は、
今現にある不平等を
将来子どもが成功するかどうかという問題に
すりかえしてしまうことだ。
 
仮に親の世代の格差を完全にガララガポンにする
完璧な教育制度ができたとしよう。
しかし親の階級と子どもの階級の組み合わせが
完全にランダムなものになったからといって、
じゃあそれだけ公正な社会になったと
言えるだろうか?
もし平等というものに価値を置くのだとしたら、
ただ実際の経済的不平等が
減少したぶんだけ公正に近づくのであって、
貧乏くじを引く人を
どれだけ入れ替えても関係ないと思う。
 
平等を実現するには、
共産主義革命をするなりなんなり、
経済を直接いじるしかない。
 
もし金持ちとか貧乏人とかいう区別自体がなくなったら、
もはや教育制度がどんなものであろうと
平等にとってはどうでもいいことになるだろう。
貧乏人の問題は、
勉強する「意欲」なるものがないことではなくて、
お金がないということ、
あるいはお金がないと何もできないということなのだ。
 
もちろん、
教育というもの自体がありがたく、
全ての人にとって必要なのであれば別だ。
教育は平等に分配されなければならないということに
なるかもしれない。
しかし、もし本当にそうなんだとしたら、
教育によって人を差別することも正当化される。
教育を受けてない人には
大切なものが欠けている
ということになるからだ。
結果として、貧乏人を差別することになる。
 
自分が3億円を当てたいというのはわかる。
しかし、3億円を当てたいと言いながら、
宝くじで平等を実現したいというのは、
いくらなんでもムリな相談である。
 
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2007年07月13日 12:23に投稿されたエントリーのページです。

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