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ゲームあふるる国に生まれて 第1回「あの頃のゲームセンター」

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第1回 あの頃のゲームセンター
  
私が初めてTVゲームに触れたのは、いつのことで、
初めてプレイしたのは、どんなゲームだったのでしょう。
 
初体験というのは誰にとっても強烈な経験だと思いますが、
私はそんなことすら覚えていないぐらい、
幼い頃からTVゲームと共に生活してきました。
 
今でこそ、家庭用ゲーム機が家にあるのは当たり前の風景ですが、
私が子供の頃。
特にファミコンが発売される前に、TVゲームが家にあるというのは、
かなり珍しい状況と言えましょう。
 
というのも、母親が駄菓子屋を営んでおり、
店内にゲーム筐体も置いていたのです。
ですから、物心ついたときには、
既にTVゲームは私の生活の一部でした。

ゲームの数はわずかに5台。
今のゲームセンターと比べれば小規模ですが、
私の身の回りにある「ゲームセンター」とは、
多くがこのような場所でした。
 
駄菓子屋が店内にゲーム筐体を置く形の他に、
民家の空いている土間にゲーム筐体を数台置いて、
子供たちに遊ばせているようなところも多くありました。
 
今でいう「ゲームセンター」的なものは、
デパートや、バッティングセンターにありましたが、
小さい子供たちは、ゲームセンターと言うよりは
「ゲーム筐体を置いてある場所」と呼ぶのがふさわしいスポットを、
自転車で何度も巡回して、思い思いにTVゲームや、
同じように集う他の子供たちとの付き合いを楽しんでいました。
 
「スペースインベーダー」が爆発的なヒットを呼んだ当時、
「ゲームセンターは不良のたまり場」として、
子供をゲームセンターに行かせないように
指導するような話を聞いたことがありますが、
私が知っているゲームセンターとは、
そのような牧歌的な場所であり、
そんな場所で不良が生まれることもなかったのです。
民家の土間で威張ったって空しいだけですしね。
 
しかし、その後「ファミコン」が発売され、
ゲームセンターにあるTVゲームが、
高度なテクニックを必要とする、
やりがいのあるゲーム中心になるにつれ、
そのような牧歌的なゲーム筐体を置いてある場所は、
徐々に姿を消して行きました。
その頃、私の母も駄菓子屋を閉め、
近所の工場のパートに出るようになりました。
 
それは決して
TVゲームの人気が落ちたということではありません。
ファミコンの隆盛とともに、
ゲームセンターのゲーム(アーケードゲーム)も、
80年代の黄金期を向かえていたのです。
 
ただ、そうした隆盛の中で、
ゲームセンターの専門店化が起き、
小さな店舗はユーザーの要求を処理できなくなりました、
また子供のころに駄菓子屋でTVゲームを
楽しんでいた主ユーザー層が成長し、
中高生以上になったこともあり、
アーケードゲームと駄菓子屋の組み合わせは
アンバランスなものとなってしまったのです。
 
現在、私は大きなゲームセンターで、
あの当時よりも多くの種類のTVゲームを快適に楽しんでいます。
 
別の種類のゲームをプレイするために、
わざわざ別の店に移動する必要もなく、
また夏の暑さや冬の寒さ、
夕方の強い西日でゲーム画面が見えなくなるような事とも無縁です。
 
しかし時折、あの頃の、
まるで他人の家で遊んでいるような
「ゲーム筐体を置いてある場所」の感触が、
私には好ましく思い出されるのです。
 
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2007年07月17日 02:27に投稿されたエントリーのページです。

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